地蔵信仰
前号のブログをもう一度お読みください。一部再掲します。
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長楽寺が創建された江戸時代も、人々の困苦は大変なものがありました。
政治の圧制がありました。旱魃の苦しみがありました。生活は、苦しみの連続でした。
苦悩の生涯を送って死んで行った親しき人に対して、生き残った人は、痛恨の涙を流したのです。
子どもの死に対しては特別なものがありあました。
生きている者は生活の苦しみから逃れるために、そして死者のために必死で地蔵さんにすがりました。
このような、死者に対する痛恨の鳴咽と絶叫が、地蔵信仰を育てました。
地蔵信仰は、長楽寺だけの信仰ではありません。この時代の人々の必死の叫びでした。
地獄絵と十王(安楽寺)
細工所の安楽寺に地獄絵が描かれ、十王像(写真)が安置されています。
安楽寺の西の門から入ると鐘つき堂があり、その傍の「十王堂」です。
この十王堂に、十七世紀後半の作と伝えられている「地獄極楽絵」が描かれ「十王像」が安置されています。
地獄絵は、地獄で苦しめられている人々、中ほどに救いの手を差しのべている地蔵菩薩、そして帳簿を見ながら判決を言い渡している「閻魔(えんま)さん」その左に極楽の絵と続きます。
十王(じゅうおう)
十王は、生前の人々の罪を裁くために姿を変えている仏様です。
仏教では死者の生前の行いを裁く仏は「閻魔さん」だけではありません。
死者の前に十人の仏様が現れて、各仏様の前で審判を受けます。
そのうち、五十七日目の裁判官が「閻魔さん」です。
その仏様たちが十王です。
あの恐ろしい形相の閻魔さんも、ほんとうは慈悲の地蔵菩薩の仮の姿であるとされました。
人々は、どこまでも地蔵さんを信じ、救いを求めたのです。(つづく)