ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(254):長楽寺(20)・十三重層塔残欠

2012-03-20 00:16:56 |  ・加古川市西志方

029  この石造「十三重層塔残欠」(写真上)は、前号で紹介した重制六面石幢のすぐ西横にあります。

 笠の上の石仏と、基礎の前の水盤を取り除いて想像ください。

 これだけでは、もとの形や大きさは想像しにくいものです。

 下記の説明にある「元は一体であった」といわれる西中の層塔の三個の残欠(写真下)を見学しました。

 なるほど、大きな層塔であったことが分かります。

 加古川市教育委員会の説明があるので読んでおきます。

十三重層塔残欠

基礎と笠が残り、ともに花こう岩製である。

復元されると、その総高は約570cmであり、十九尺塔として造られたものであろう。

基礎石の高さと幅の比率から、すこぶる古式であり、左右の輪027 郭と格狭間の間が目立ってひろく、格狭間を平らに造っているなど総じて鎌倉中期(1250年頃)の形式を示している。

なお、長楽寺の東南に当たる志方町西中(写真下)の墓地に同式の笠が三個あり、もと一具のものと考えられている。

この塔は供養塔として造立されたものと推定してよいのであろう。

     昭和六十二年三月

        加古川市教育委員会

   

    県下最古の層塔

 少し付け加えておきます。

 専門家は、この石塔は鎌倉時代初期のもので、県下における最古の石塔であると指摘しています。

石造物は、近隣の石を材料とするのが普通です。

長楽寺の十三重層塔残欠は、硬い細工の難しい花崗岩を材料としています。

大藤山は花崗岩の山ですが、ここの花崗岩は、もろく彫刻には向いていません。

 他所で造られ、ここに運ばれたものでしょう。

コメント
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