20日(火)の神戸新聞の朝刊は、志方町の稲岡工業の破産のニュースを大きく報じました。その影響か、かつてこのブログで書いた「稲岡商店(工業)」へのアクセスが増えています。
きょうは、神戸新聞の記事を転載させていただきました。
*「稲岡商店①・②」は、「ひろかずのブログ・志方町探訪・稲岡商店」で検索ください。
稲岡工業破産へ
民事再生法の適用を申請し、経営再建中だったタオルメーカーの稲岡工業(加古川市志方町横大路)が破産する見通しとなった。
輸入品でも少量しかなかった明治期にタオルを国産化し、業界で草分け的な存在として知られる同社。
在庫処分セールが19日から本杜工場で始まり、長年愛用してきた消費者や近隣住民かち惜しむ声が広がった。
明治24年(1891)操業開始
同社によると、現在の加古川市域やその周辺は江戸時代から木綿の生産が盛んだったが、産業の近代化とともに木綿業は危機に直面した。
窮状を打破しようと、創業者の稲岡久平が木綿の加工品としてタオルに着目。
調査・研究を重ねて1891(明治24)年に生産を開始した。
海外輸出や、中国にも工場を展開し。戦後も最新鋭技術を讃堀的に導入。百貨店向けの高級品が好調だった1991年には売上高26億円を計上した。
だが、バブル崩壊後は、中国を中心とするアジア製品の安値攻勢と国内の消費不振で業績が悪化。
2008年2月に民事再生法の適応を申請して経営破綻した。
さらに、直後のリーマン・シヨックで事業環境は悪化。グローバル経済の荒波は、120年以上の歴史を刻んだ老鋪にも容赦せず、直近の売上高は1億5千万円にまで落ち込んでいた。残務整理に当たる社員の一人は「時代の変化に対応できなかったことに尽きる」と唇をかんだ。
同社は23日まで在庫処分セールを行う。
タオルやバスローブ、マフラーなどを市価の5~9割引で販売する。
本社工場近くに住む女性(71)は「商品はしっかりして、使いやすかった。地元の女性の働き口だったのに」と残念がり、タオルを段ボールごと購入した。
高砂市の女性は「知人に元従業員がいるだけに、会社がなくなるのはさみしい」と声を落とした。
<蛇足>
私の父も稲岡工業に勤めていました。そしてフィリピンへ出征し、戦死しました。それだけに、稲岡工業の破産は、いっそうひとつの時代の終わりを感じます。