いま、加古川市の中学生が社会科の時間に使っている『加古川市・高砂市全図』で、長楽寺のあたりをながめています。
大藤山(おおふじさん)は、西牧あたりから西飯坂の天神山方面へ続く山塊です。
その南に東西に連なる西牧・永室・西中の集落の屏風のような山塊です。
長楽寺は、その大藤山(おおふじさん)の懐に包まれたお寺です。
大藤山は聖山
どんな意味であったのか、後日お聞きしようと思いますが、大藤山は、まさしく聖山でした。
地図を眺めていると、大藤山は、西牧・永室・西中の人々を育んだ山であることが分かります。
昔から、水がなければ農業ができません。つまり、生活ができないのです。
川があれば、人々は川にその水を求めたでしょうが、このあたりに、川らしい川がありません。
とすると、水は山から流れ出る水にたよるより方法がありません。
大藤山は志方町山中から成井・西山・峠へと伸びる山塊とようすが少し違っています。
大藤山は、ボロボロの土で覆われた山です。
そのため、ここに降った雨は一気に流れてしまうのではなく、ある程度の保水はあるようです。
しかし、一度大藤山へお登りください。けっこう大藤山は急な山です。
山に保水力があるというものの、ここに降った雨は、谷に集まり、まもなく流れ下ります。
大藤山は永室の命
長楽寺・永室に限って考えます。
大藤山の水は、永室の田畑を十分に潤すことができません。
そのため、水を必要な時に使えるように溜池がつくられています。
長楽寺の谷に集まった水は、ダンベ池・中の池・皿池で貯水されました。
そして永室地域の田畑を潤したのです。大藤山からの水はまさに、永室地区の人々の命の水でした。
水を供給する大藤山は、まさにこの地区の聖山でした。
その山にどっかり鎮座したのが長楽寺でした。厚い信仰を集めたのは道理です。
*写真:ダンベ池