ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(245):長楽寺(11)・雨乞い②

2012-03-11 16:04:53 |  ・加古川市西志方

  水で苦労しました

「水で苦労するさけん、助永、構へ嫁にやるな」いうぐらいやってんで。

永室の中に助永、構、比室、新開という小字がある。

「水が足らんさけに、五分植えや、七分植えやいうて田植が全部でけへんのに、供出はきついし小作やったら年貢持っていかんなんし、ほんまに水でよう苦労したな」

「水がない年にな、田植でけへんいうて、綿をようけ作った年があるねで。

うちねは豆作ったけど綿作った家はな、綿の木に白い丸こい綿がぶつぶつと皮みたいなもん着て、でけんねで。

染屋やないけお金持っとったったさけんな。娘がようけあるいうて、その綿ようけ

買い込んだたそうなで。

その綿を糸に紡いで機織って着物こっさえたってんやろな。

綿作っても金に替えな食べられへんもんな」

私は雨乞いの体験を持つ古老に、一つの疑問を投げかけた。

  水の溜まるのが少ない!

422423c2_2「今頃やった'ら、雨が降らへん降らへんいよっても『雨乞い』やないけせんでも降りますやろ。

昔はそない水が足らなんだんですか。」

「昔は溝手がしっかりしとらへんさけに、水がようけ逃げて出てまいよったんと、草取すんのに水がようけ要ったさけんな。

何遍も草取すんのに、水の取り合いしてようけんかしよった。

永室の山は谷の中で、奥に山がないねな。

蓮池へ流れ込む水を出してくれる山は、大藤山の南側片面だけやさけん、水の溜るのんが少ないのだすわ。

それに木がよう茂ったら、水を抱いてまうさけん、よけい水の出が悪うてな。

山から出てくる水だけでは、永室中の田んぼへ入れるのに足らんのですわ。

原の大池からも水がくるねけど、それでも足らんのだすわ。

それに日でりが続いたりしたら、雨乞いせんなんことになるのでっしゃろな。

そえでも戦争中に、鉱山を掘る時に支える木にすんねいうて、鉱木用に木をようけ切って出してから、蓮池へちとようけ水が溜るようになりましたで」

*『めんめらの生きた道」(磯野道子著)より

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