水で苦労しました
「水で苦労するさけん、助永、構へ嫁にやるな」いうぐらいやってんで。
永室の中に助永、構、比室、新開という小字がある。
「水が足らんさけに、五分植えや、七分植えやいうて田植が全部でけへんのに、供出はきついし小作やったら年貢持っていかんなんし、ほんまに水でよう苦労したな」
「水がない年にな、田植でけへんいうて、綿をようけ作った年があるねで。
うちねは豆作ったけど綿作った家はな、綿の木に白い丸こい綿がぶつぶつと皮みたいなもん着て、でけんねで。
染屋やないけお金持っとったったさけんな。娘がようけあるいうて、その綿ようけ
買い込んだたそうなで。
その綿を糸に紡いで機織って着物こっさえたってんやろな。
綿作っても金に替えな食べられへんもんな」
私は雨乞いの体験を持つ古老に、一つの疑問を投げかけた。
水の溜まるのが少ない!
「今頃やった'ら、雨が降らへん降らへんいよっても『雨乞い』やないけせんでも降りますやろ。
昔はそない水が足らなんだんですか。」
「昔は溝手がしっかりしとらへんさけに、水がようけ逃げて出てまいよったんと、草取すんのに水がようけ要ったさけんな。
何遍も草取すんのに、水の取り合いしてようけんかしよった。
永室の山は谷の中で、奥に山がないねな。
蓮池へ流れ込む水を出してくれる山は、大藤山の南側片面だけやさけん、水の溜るのんが少ないのだすわ。
それに木がよう茂ったら、水を抱いてまうさけん、よけい水の出が悪うてな。
山から出てくる水だけでは、永室中の田んぼへ入れるのに足らんのですわ。
原の大池からも水がくるねけど、それでも足らんのだすわ。
それに日でりが続いたりしたら、雨乞いせんなんことになるのでっしゃろな。
そえでも戦争中に、鉱山を掘る時に支える木にすんねいうて、鉱木用に木をようけ切って出してから、蓮池へちとようけ水が溜るようになりましたで」
*『めんめらの生きた道」(磯野道子著)より
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