ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

しみるねえ…グラズノフ

2005-12-12 04:40:10 | CD/DVD
先ほどから何となくグラズノフ(1865-1936)の交響曲を聴いている。もちろん《第1番》から順番に《第8番》まで。あれっ、そういえば未完成に終わった《第9番》の第1楽章のCDはどこへ行ったのかな…まあ、いいか。

概して作曲された順に聴くというのはその作曲家の作風の変化が分かって面白い。もっとも、グラズノフの場合はさほど極端な変化があるわけではない。ある意味で最初から作風が完成されていたというべきだろう。何しろ彼は神童として誉れ高かったからである。

よく指摘されるのはベートーヴェン(1770-1827)との関係。つまりベートーヴェンの交響曲の《第2番》から《第6番》までの調性とグラズノフの《第3番》から《第7番》のそれが同一であること。

べートーヴェン     グラズノフ
第2番: ニ長調 / 第3番: ニ長調
第3番:変ホ長調 / 第4番:変ホ長調 
第4番:変ロ長調 / 第5番:変ロ長調
第5番: ハ短調 / 第6番: ハ短調
第6番: ヘ長調 / 第7番: ヘ長調

これは単なる偶然だろうか。いやそうじゃないよな。たぶんグラズノフの意識的な「犯行」だろう(笑)

それはともかくとして、通して聴くと、やはり《第5番》と《第8番》が傑作だなあと思う。もちろんこれはワシの主観にすぎない。《第6番》をグラズノフの代表作とする人もいるようだが、まあ判断は各自に委ねることにしよう。

《第5番》(1895)といえば、その最終楽章の閉じ方がチャイコフスキーの《ピアノ協奏曲第1番》(1875/改訂'88)の第1楽章の締めくくり方と同一であることは周知の事実。しかし作曲年を見れば明らかなように、グラズノフの《第5番》のほうが後で書かれたことからパクッたのは彼のほう。まあ、格好よく終わるからいいんだけど。それにしてもこの第3楽章は泣かせるねえ。

《第8番》(1906)を傑作としたのは、個人的な理由にほかならない。久々に聴いて今さら気づいたのは、ワシが学生時代に作曲したピアノ曲の主題がこの作品の第1楽章をルーツにしていたこと。そうか、そうだったのか…。どうりで良いメロディーだと思ったわけだ。ここだけの話だが、実は《第4番》の第1楽章の第1主題も、ワシは気づかないうちに自作のテーマとしてパクッていたのであった(大汗)

おそらくワシの脳みその潜在記憶にこれらの主題があったんだろうな。そうとわかれば一連のピアノ曲は封印しなければなるまい。もっとも、他人様に聴かせるほどのモノじゃないけどね。
コメント