ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

いよいよか…

2005-12-17 12:53:27 | 脳みその日常
昨晩の演奏会で知り合いのデザイナーとバッタリ顔を合わせた。彼とは何度か一緒に仕事をしたことがある。その仕事というのは某レコード会社の企画だった。彼はデザイナーの仕事が表向きの顔であるが、実はワシと同業者でもある。そんなわけで演奏会ではちょくちょく行き会うことも多い。

いつものように「やあやあ、どうも」と話を切り出す。共通の話題となれば某レコード会社のこと。

「最近どーすか、あそこは」
「いやー、マジで今回はヤバイかもしれんですよ」
「ほうほう」
「来年の春あたりに大規模なリストラがあるとかないとか…」
「あひゃー」

こんな話は毎年出てくる。それは何もレコード会社に限ったことでなく、音楽関係の出版社でもよくあるウワサだ。しかし彼もワシも会社の内情については詳しいほうなので、おそらく今回の話はかなり確度が高いのではないかと思う。

そりゃそーだよな。音楽配信もネットで1曲いくらでダウンロード販売されるようになってるんだし。CDというまとまった形ではこれから売れなくなるのは必至。

となれば、内部スタッフのリストラはもとより、ワシら外注の仕事も減ることになる。いや、実際にはすでに減ってるし…。

先のデザイナー氏もこの状況を憂慮している。といって彼はもともとデザインが好きで仕事をしているのではないという。だからデザイナーで食うつもりもないそうな。

「ほう、じゃ、どうするんです?」
「ま、そろそろ書くほうを本業にしようかと…」

いや、それは困るな。ワシの仕事をとらんでくれ…。ホールの中心で愛は叫ばなかったが、心の中で不満を述べた(笑)
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どいつもこいつも…

2005-12-16 12:58:11 | 脳みその日常
12日夜から行方不明になっていた音楽評論家は焼失した自宅の玄関前で発見されたらしい。まだ正式な身元確認はされていないようであるが。(参考記事)

それにしても警察もメディアもいい加減だな。記事によれば、警察は「火災が起きた13日から現場を捜索していたが、玄関前を捜索したのは16日が初めてという。」おいおい、玄関前の捜索は後回しかよ!というより、なぜ玄関前を今頃捜索するんだ?まずは玄関から見ていくんじゃないのか?火元あたりだけを見て、「えーと、遺体は見当たりません。世帯主は行方不明です!」なんて、よくもまあいけしゃあしゃあと発表できるもんだよな?

またメディアもメディアだわ。この評論家をめぐって、たまたま怪文書が流れていたからって、すぐにそれをゴシップ的なものにしようとしていたし。実際、この遺体が本人だと確認されたらメディアはどう釈明するんだよ。今朝までは「これはもしかすると事件に巻き込まれたかもしれませんね」なんて根拠のない報道をしやがってさ。こういうのを煽りというのである。

…ったく、どいつもこいつも、ちゃんとやれよ。
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証人はボロクソ

2005-12-15 08:07:26 | 脳みその日常
昨日は視聴率のアップに貢献してしまった。衆議院国交委員会における証人喚問である。呼び出されたのは今回の偽装問題に関わり、「怪しい」と思われている人たち。質疑する国会議員らは彼らを「そういう目」で見ているせいなのか、事実関係を確認するために淡々と質問するというより、いささか恫喝気味。こえーな、オイ。

返答の正否がどうであれ、これじゃ、まるで証人の側にしてみれば「言われっぱなし」である。返答する側に質問も反論も許されてないようだし。また、客観的に見ていて思ったのは、質疑する側が結構失礼な物言いだったこと。うーん、もうちょっと言い方があるんじゃないのか、とクチの悪いワシが思ったほどだし…。

ワシは人権論者でもないし、証人らの肩を持つつもりもない。ましてや悪い奴は徹底的に懲らしめられるべきと考える人間である。だが、やり取りを見る限り、圧倒的に証人側は弱い立場にある。それは一目瞭然。威圧的な質疑の仕方って果たしてどうなんだろう。だってこの場は警察の取り調べじゃないんだし…。まあ、悪者には圧力をかけた物言いをしないと口を割らんのかもしれんが。

もっとも、番組として楽しむぶんには久しぶりに面白かった。丸一日かけて、すべての放映を見ちゃったし。ついついテレビを凝視して、夕方喚問が終わった頃には目が痛い痛い。

それにしても、この重大な問題が1日も早く解明されることを願うばかりだ。いや、実は根深いものかもしれないな。調査していくうちに、今回以外の疑惑が芋づる式にどんどん出てきそうだし。

まったく、ズルしてカネ儲けなんぞするなよ!
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記憶違い?

2005-12-14 05:54:09 | 脳みその日常
所沢から入間へ向かうR463沿いに「不夜城」のようなスポットがある。深夜であっても、その一角だけは異様に明るい。もちろんここはアミューズメント・パークのような場所。それにしても不気味なほどネオンがピカピカ輝いている…。

…ということを思い出した。そこで夜半に突撃してみることに。深夜にそこまでピカピカしていればケータイのカメラでも十分「証拠」がとれそうだったので。

と、ところが、小手指の先にあるはずの一角に到着したが、ターゲットが見当たらない。沿道はそこそこ明るく、記憶していた「不夜城」のイメージではなかった。もちろん目的となるアミューズメント・パークが消えたわけじゃない。ちゃんとある。

「おかしいな…。あれは幻だったのか?」

人並みか、それ以上に記憶力は良いと自負していたが、どうやら記憶がデフォルメされていたらしい。ちょいとヘコむ。

この例のように、人間の記憶なんて本当にアテにならない。実際に見聞きしたものであっても、確認してみると違っていることなんてよくある。

頭のカタイ人になればなるほど、こちらが「それは違うでしょ?」と力説しても、「いーや!確かにそうだった!」と自説を曲げようとしない。で、証拠を提示するや、一転して「おや?違うんだねえ」などと抜かす。おいおい、さっきまでの勢いは何だったんだ?!

記憶というのは、あくまでその人の脳みそで処理されたもの。数値的なものはともかく、特に映像の記憶というのは脳みそが作り上げたイメージにほかならない。とするなら、対象を見た時の心の状態が不安定であったりすると、記憶として形成されるイメージは実際の感じとは異なるものとして脳の中で定着することもあるのだろうか。

記憶のメカニズムは摩訶不思議なシステムだなとつくづく思う。
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時間が止まっているそうな…

2005-12-13 13:32:25 | 脳みその日常
世の中は師走の気分で慌ただしいのに、ワシは相変わらずノンビリしている。きっと家の中で仕事をしているせいなのだろう。常にマイペースでやっているから、世の中の時間とのズレが生じているのかもしれない。

そういえば昨晩、友人と長電話をした。その時に出た話のひとつが面白かった。ワシの風貌についてである。友人によると、ワシの第一印象は「学生のままで止まっている」らしい。ほぅ…それは嬉しいような嬉しくないような。実質的には中年オヤジなのに、雰囲気が学生のままとはねえ。

言われてみればその指摘は当たっているようにも思う。もっとも、白髪はだいぶ増えたし、若者のような肌のハリはすでにない。しかし学生時代から現在の仕事を始め、ライフスタイルも当時のままであれば、雰囲気が「学生のままで止まっている」としても何ら不思議ではないのかもしれない。冠婚葬祭を除きネクタイを締めないという訳の分からないポリシーも貫いているし(笑)

まあ、自由業という人種は得てして見た目は若い。きっと世の中のサラリーマンの方々に比べ過酷なストレスがないからだろうな。自由業なんて、目標のノルマを達成しなければならないとか、会議の書類の作成やクライアントとの駆け引き、それに時間に追われるなどとは無縁な商売だし。考えてみれば、いたってノンキな業種である。もっとも、ある日突然殺人的な原稿依頼は来る。でも、そんなのはずっと続くわけじゃないからどうってことはない。終わってしまえばボーッとしていられるわけだし。

んー、このまま死ぬまで雰囲気が学生のままなのだろうか。そうだ!もう少し年を食ったら「年齢当てコンテスト」にでも出てみようか。余裕の優勝を飾った挙げ句、賞金をもらってウッシッシッ…







…なんてことになればいいなあ。甘いですか?そーですか。
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しみるねえ…グラズノフ

2005-12-12 04:40:10 | CD/DVD
先ほどから何となくグラズノフ(1865-1936)の交響曲を聴いている。もちろん《第1番》から順番に《第8番》まで。あれっ、そういえば未完成に終わった《第9番》の第1楽章のCDはどこへ行ったのかな…まあ、いいか。

概して作曲された順に聴くというのはその作曲家の作風の変化が分かって面白い。もっとも、グラズノフの場合はさほど極端な変化があるわけではない。ある意味で最初から作風が完成されていたというべきだろう。何しろ彼は神童として誉れ高かったからである。

よく指摘されるのはベートーヴェン(1770-1827)との関係。つまりベートーヴェンの交響曲の《第2番》から《第6番》までの調性とグラズノフの《第3番》から《第7番》のそれが同一であること。

べートーヴェン     グラズノフ
第2番: ニ長調 / 第3番: ニ長調
第3番:変ホ長調 / 第4番:変ホ長調 
第4番:変ロ長調 / 第5番:変ロ長調
第5番: ハ短調 / 第6番: ハ短調
第6番: ヘ長調 / 第7番: ヘ長調

これは単なる偶然だろうか。いやそうじゃないよな。たぶんグラズノフの意識的な「犯行」だろう(笑)

それはともかくとして、通して聴くと、やはり《第5番》と《第8番》が傑作だなあと思う。もちろんこれはワシの主観にすぎない。《第6番》をグラズノフの代表作とする人もいるようだが、まあ判断は各自に委ねることにしよう。

《第5番》(1895)といえば、その最終楽章の閉じ方がチャイコフスキーの《ピアノ協奏曲第1番》(1875/改訂'88)の第1楽章の締めくくり方と同一であることは周知の事実。しかし作曲年を見れば明らかなように、グラズノフの《第5番》のほうが後で書かれたことからパクッたのは彼のほう。まあ、格好よく終わるからいいんだけど。それにしてもこの第3楽章は泣かせるねえ。

《第8番》(1906)を傑作としたのは、個人的な理由にほかならない。久々に聴いて今さら気づいたのは、ワシが学生時代に作曲したピアノ曲の主題がこの作品の第1楽章をルーツにしていたこと。そうか、そうだったのか…。どうりで良いメロディーだと思ったわけだ。ここだけの話だが、実は《第4番》の第1楽章の第1主題も、ワシは気づかないうちに自作のテーマとしてパクッていたのであった(大汗)

おそらくワシの脳みその潜在記憶にこれらの主題があったんだろうな。そうとわかれば一連のピアノ曲は封印しなければなるまい。もっとも、他人様に聴かせるほどのモノじゃないけどね。
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よくわからないこと

2005-12-11 10:13:03 | 脳みその日常
その1
道路特定財源を一般財源化することが検討されているという。道路特定財源とはいうまでもなく国内の道路整備に必要な財源のこと。クルマを購入した時の自動車税やガソリン税などがこれに相当する。受益者負担という前提で導入されたこの制度。まあそれは仕方のないことだろう。国が「道路を整備するために必要ですから」というんだから。でもそのために国民から集めたカネを、道路整備とは無関係の目的に使うのはおかしいんじゃないのか?これは世の中でいうところの詐欺ではないのか?

よくわからんねえ。

その2
フジテレビが愛・地球博で展示されたロシアの冷凍マンモスを10日から28日まで同社特設会場で展示するという。それはいいのだが、不思議なのはこのマンモスがなぜ愛知のセントレア空港に降ろしたのかということ。冷凍品にとって温度管理は極めて重要。土曜日の報道でもやっていたが、マイナス20度に維持しなければならないということで関係者は苦労の連続だったろう。また貴重な展示品ということで東名を時速70キロという低速でお台場まで運ぶ様子も映像で紹介されていた。でもさ、なぜ直接羽田空港にマンモスを持って来なかったんだろうか。そうすればお台場までなんてあっという間なのに…。

よくわからんねえ。
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またまた、みっけ

2005-12-10 12:45:47 | ドライブ関連
このところ関東地方は晴天が続いている。昨日の午後、ふと夕焼けが見たくなり、どこか良い場所はないかと想い巡らす。

そうだ、千葉のアソコなら…と思いついた時にはすでに午後2時を過ぎていた。この時間に出発して果たして間に合うだろうか。夏ならば大丈夫だろうが、今の時期だとアウトかもしれない。悩んだ挙げ句、今回は断念。そのうちリトライしまっす!

美しいものを見逃した時の悔しさは引き摺るもの。となると、ワシの習性をご存知の方ならもうお分かりですね?そう、夕焼けが見れないのであれば、夜景もしくは星空を見れば良いのである。

幸いにして、昨晩もよい天気だった。とりあえず先日見つけた「お気に入り」の場所に行く。もちろん満天の星空だ!しかし夕日を見れなかった反動からか、ほかにもナイスなポイントがないか探検したくなった。

週末なので峠には、いわゆる「走り屋」どもが集まっている。何も目的がなければ一緒に遊んでやるのだが、今日は違う。ワシの関心は道路ではなく空なのだ。ナイスな場所をみつけるためにゆっくりとクルマを走らせる。当然後ろからはバリバリ、ドドドドという改造車両が近づいてくる。でも遊ぶ気はないので華麗に道を譲る。

そんな調子で走っていると、神奈川県の伊勢原市にワシの求めるポイントがあった。夜景は見えないが、星空は完璧に見ることができる。しかも周囲は真っ暗。そそそ、こういうところじゃないと星は綺麗に見えないのだ。

この感動を伝えたいと思ったが、ケータイのカメラでは無理。うーむ、いよいよマトモに夜景が撮影できるデジカメを購入する時が来たのかも。し、しかし、どこにそんな余裕が…。
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モノ作りに時間は必要

2005-12-09 11:16:28 | 脳みその日常
建築構造偽装問題が連日ニュースなどで取り上げられている。住民の生命に関わることであるから早急に解明・解決して欲しいものだ。

今回問題の発端になったのは建物の構造計算の間違いからである。それも資材コストをかけないように「ヤワな」構造でもOKだとしたところにある。もちろんそれは許されることじゃない。建築に関わった当事者には反省どころか自らの生命が続く限りその罪を償う必要があろう。

一方、クリエイティブな仕事に関わるひとりとして、ワシはこの問題を別の視点で考えた。つまり何かを作るには時間が必要であり、流れ作業でできるものじゃないということだ。元建築士が多くの仕事を手がけたのには「仕事が早い」という評価があったからという。構造計算を偽装するのと仕事の早さは関係ないかもしれない。しかし与えられた条件のなかで最良のモノを作るにはそれ相当の時間を要するのではないか。

どの分野でもチャッチャカと仕事をこなす人はいる。けれども、ことモノ作りの世界において「仕事が早い」人というのは、すべてではないにせよ中身の無いモノを作る場合が多い。中身のあるものを作るにはそれなりに知恵を絞らなければならない。そうなると時間が必要になる。当たり前のことだ。

とはいえ、商品を提供するフロントとしては「ウチの商品なら早くできますよ。コストも少なくて済みますし」という営業トークで顧客を獲得したい。気持ちはわかる。でも、そうするためにどこかで誰かが苦しまなければならない。「圧力があった」という証言は少なからずこれを意味する。

繰り返すが、対象が何であれ良いモノを作るには時間がかかるのだ。生命の危険はないにせよ、音楽だってそう。たとえば、世の中で定評のある伴奏ピアニストがいるとする。実力はあるから伴奏の依頼も多いだろう。しかし人間にはこなせる能力の限界はある。あまりに多忙過ぎて「やっつけ」でその場を乗り切っても、聴いているほうはすぐにわかる。

そのプログラムのなかにフランクの《ソナタ》なんてあったら、もうバレバレ。ちゃんとさらってなかったらあの伴奏は弾きこなせないからね。特に第2楽章でバレる。テキトーにやっていたらあの速いパッセージなんて音が抜ける抜ける。

元建築士のように「仕事が来なくなったら困る」という理由で、依頼された仕事を拒否しなかったというのは、実はモノ作りをする人間として熟慮に欠けていたというべきだろう。彼が駆け出しの建築士ならそれも仕方がない。最初のうちは誰でもガムシャラに働かないとキャリアがつかないからである。しかしある程度実績を積んでいたのなら「良いモノを作るため」に依頼を断る勇気を持ち合わせておくべきだったのではないか。

カネに目がくらんで質の悪いモノを作っても、すぐにバレるのさ。その代償は必ず自分に返ってくる。こんな基本的なこともわからなかったのかねえ…。お気の毒に。
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働く役者クン

2005-12-08 05:48:18 | 脳みその日常
ここ数年利用しているスーパーは24時間営業。ワシが行くのはもちろん深夜だ。この時間帯だと客は少ないし、妙な音楽も流れていないので良い。この店で働くI君とはもう顔見知りの関係。なぜか知らないがウマが合い、行くたびに世間話をするようになった。

ところが、ウマの合う理由が最近判明。彼は役者を目指しているというのだ。なるほどそういうことだったのか。ジャンルは違うが、クリエイティブなことに携わる人間は「ニオイ」でわかる。だから最初からすんなりと会話ができたのかもしれない。

聞けば、カネがなくて食うものもロクに食っていないという。うんうん、売れていない役者というのは、いつの時代でもそうなんだよ。みんなアルバイトをしながら夢の実現を目指して頑張っているのだ。芝居をすることが好きだから貧乏生活に耐えることができる。そうでなかったら夜中の仕事なんてするわけがない。

I君も含め、深夜に働く人にはそれぞれの事情がある。たとえば昼間の仕事ではローンの支払いができないから、会社に内緒でコッソリと働いているとか、他人には言えない理由で夜中に働かざるを得ないとか…。

概して深夜の職場というのは信じられないほど多種多様な人間が集まる。言えない過去を背負った人間のルツボとでも言おうか。強烈な人生を送ってきた人って意外なほど多いんだよね。学生時代にワシは深夜のバイト三昧だったが、この経験は今から思えば世の中を学ぶことにつながった。

I君は言う。

「深夜に来られるお客さんから学ぶことは多いですよ」

そうだろうな。普通の人なら寝ている時間帯に起きて何かをしているんだから、常識で考えてもフツーじゃない人だもんな。たぶんI君はレジ打ちなどをしながら「役者の目」で曲者だらけの客を観察しているに違いない。それによって演技の幅が広がれば良いとは思う。

でもね、I君、どうしてもやらなければならない女子高校生役だからといって、セーラー服を着てウットリしてちゃいかんよ(笑)
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CANNONS & FLOWERS

2005-12-07 06:10:32 | CD/DVD
タイトルだけを見て、思わずニヤリとしたアナタは間違いなくシフラ・ファンですね?(笑)何のことやらサッパリわからんという人のために一応ご説明を。

ジョルジ・シフラ(1921-94)は20世紀ハンガリーを代表するピアニスト。その演奏は聴衆を魅了して止まなかった。とはいえ率直に言って、シフラのスタイルは「一流の芸」である。もちろんこれは最大の褒め言葉であって、決して貶しているのではない。二流、三流の芸術よりも「一流の芸」のほうがはるかに素晴らしいし、見応えもあるからだ。

シフラの演奏を「芸」とするのに抵抗があるのなら、エンターテイナーと呼んでも構わない。次々とスゴい技を繰り出し、聴き手を驚愕の世界に引き込む。芸術家ぶっている二流以下の奴らにここまでの吸引力はない。だからシフラは一流のエンターテイナーなのだ。

彼をエンターテイナーと呼ぶ理由はほかにもある。残されているライヴ映像などを見てわかるようにその超絶的な技巧はカメラですら捕らえることができない。確かに手は動いているようなのだが、それはまるで残像のよう。こうした驚異的なテクニックにあって、突然「核爆発」が起きる。

もちろん文字通りの意味ではない。低音のオクターヴなどがまさに炸裂するのだ。録音を何度も聴いていれば、どこで炸裂するのかはわかるようになる。「そろそろ炸裂するぞ」と思っていると、当然のようにその箇所にくると「ドカーン!」と鳴る。すると何故か笑ってしまう。オカしくてたまらないのだ。

笑いというのは予想外の出来事に直面した時に起こるものとされている。お笑いが面白いのは、思ってもみないリアクションが来るせいである。本来なら予想されるものに対して笑いは生じないはずなのだが、シフラの場合は予想できていても笑ってしまう。もしかすると最初にワシが受けた笑いのツボが条件反射のようによみがえるせいなのかもしれないが。

理由はともあれ、とにかく炸裂する瞬間に笑いがこみ上げるのは事実。何度聴いても同じ場所で笑ってしまう。演奏で笑わせてくれるアーティストなんてまずいない。それだけでもシフラが並の演奏家でなかった証拠ではないか。

話をもとへ戻そう。『CANNONS & FLOWERS』(1996)はシフラの回想録である。ハンガリー語だったオリジナルの原稿を息子のシフラ・ジュニアがフランス語に翻訳し、それを英訳したのが本書だ。

注目は本書に9曲収録されたCDが付録していること。これは1948年から1977年までに録音されたものがチョイスされている。なかでもユーマンス(1898-1946)の《Tea for Two》をジャズ風にシフラがアレンジしたもの(1954)なんてスゴいけど、やっぱり笑ってしまう。
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試すつもりが…

2005-12-06 06:02:22 | ドライブ関連
早速ETCを試そうとドライブへ。何となく三浦半島方面へ。とりあえず新横浜から環状2号線でR357まで行く。そして横須賀方面へ進む。八景島で夜景を撮ってみたがイマイチ。ヘコむ。

気を取り直してR16へ合流。そして観音崎方面へ。このあたりからナイスなビュー・ポイントが出てくる。しかし携帯のカメラでは夜景がうまく撮れないので違う対象を撮る。これは!と思って撮ったのが「観音崎京急ホテル」の入り口。このプレートの上方には写真のような熱帯植物がある。セットにしてみると右のような感じになる(笑)

浦賀港を横目に見ながら海沿いを進む。そして久里浜港へ。ここにはご存知の通りフェリー乗り場がある。撮れる対象はないかと探すが、さすがに真っ暗。断念。あぁ、フェリーに乗ってのんびりどこかへ行きたいものだ。

野比の交差点でR134に合流。しばらく進む。だがそのままだと内陸続きなので三浦海岸から海のほうへ向かう。江奈湾、毘沙門湾を左に見ながら三崎漁港へ。

そして海外町という珍しい場所を通り、ふと見れば「京急油壺マリンパーク」の看板。待ってました!行こ、行こ。もちろん営業してるわけがない。いいの、いいの、何か撮れれば。それにしても、これだけ真っ暗だと写りが悪いねえ。まあ深夜だから仕方がないけど。

マリンパークに別れを告げて、R134に再び合流。もちろん鎌倉方面へ。しばらく行くと「佐島マリーナはこちら」の看板が…。迷わずその方向へハンドルを切る。

佐島マリーナまでの道は意外に細く、本当にこんなところにあるんだろうかと思うほど。その突き当たりまで行くと、突然ライトアップされた建物が出現。もちろん営業してるハズもないが。

ネタも撮れたことだし、今日はこれで帰ろう。あっ、そうだ、ETCを試すんだった…。深夜割引は確か午前4時までにどこかの高速に入ればいいんだよな。

ところが、時計を見ると既に午前3時半。横浜横須賀道路なら間に合うかもしれない。でもこの道路は高いだけだからイマイチ乗り気がしない。とすると東名か。いーや、間に合わない。

結局、ETCを使うことなく、鎌倉から藤沢へ抜けてR463を北上して帰宅。走行距離は230km。それにしても目的のズレたドライブだった。

はは、はは、あはは…。
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なんとなくロドリーゴ

2005-12-05 04:20:35 | 音楽あれこれ
本棚を見ていて、たまたま目についたのがこれ。スペインの作曲家ホアキン・ロドリーゴ(1901-99)の生誕90年を記念して出版されたものだ。出版された経緯については記されていないので何とも言えない。ただし裏表紙のところに「1492-1992/500」のようなマークがある。ということは、どうやらコロンブスのアメリカ大陸発見500年を記念する行事の一環で出版されたものなのかもしれない。

生没年からわかるように、この書物が出版された時、まだロドリーゴは存命中であった。250ページからなる本書には彼の生涯と作品表が盛り込まれている。特に作品表のデータが詳細であるのは嬉しい。楽器編成はもとより、初演場所、初演者、献呈者、出版社などが詳しく掲載されている。

本文のページには写真や図版が豊富にある。作曲家モンポウと並んでいる写真や、テノールのカレーラスと、またフルートのゴールウェイと一緒に写っているものもある。数多くの写真のなかで最も微笑ましいのが右の写真。1958年にニューヨークで撮影されたものだそうだが、1台の小さなアップライト・ピアノを夫婦で連弾する後ろ姿に、これ以上説明する言葉は不要だ。

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機械はウソをつかない

2005-12-04 05:32:19 | 脳みその日常
冬の走りに備えるため、夏用タイヤから冬用タイヤに履き替える。都内を走るぶんには別にそんなことをする必要はない。だが、ワシの場合、いつ「ドライブしたい症候群」になってもいいように毎年この時期になるとスタッドレスに履き替えるのだ。

タイヤはいつもの整備工場にキープしてもらっているので、エンジンオイルの交換を兼ねてタイヤ交換もお願いした。そうだ、ギヤオイルもそろそろ交換しなくちゃならんな、ということで今回はいわば「走りのリニューアル」といった感じ。

さらに今更ながらETC車載機を取り付ける。これで高速道路を走るにも夜間・深夜割引が適用される。夜中に「徘徊」するワシには嬉しい限り。もっとも、これを付けたことで病気がさらに悪化する可能性もあるが…。

オイル系統のリニューアルは愛車のレスポンスを格段に向上させた。加速とエンジンの吹き上がり具合は一変。まるでターボ車のよう。いいねえ、ワシ好みだ。

社長は言う。「こまめにオイル交換することがエンジンを長持ちさせる秘訣であり、本来のポテンシャルも維持されるんですよ」と。本当にその通り。現在乗っているクルマはすでに8万キロを軽く超えている。無造作に扱ってそれぐらい走ると、多くの場合エンジンまわりにオイルが滲んでくる。それが故障の原因になることはよくある。しかしワシのクルマは定期的なオイル交換だけなのに、エンジンルーム内を見ても、下回りを覗いても全く滲みの痕跡すらない。結構過激に走るにもかかわらず。

だから社長の口癖じゃないが、「機械はウソをつかないんですよ」は真理なのだ。もちろんエンジンも機械だから当然「当たり」と「ハズレ」はある。運悪くハズレのエンジンだった場合は、どんなにきめ細かいケアをしてもダメなものはダメ。だが、ハズレはそれほどたくさんあるわけじゃない。

要はオーナーがどれだけクルマのメンテナンスを怠らないか、なのだ。こちらがクルマの健康状態を常にチェックしてケアしてやれば、機械はそれに応えてくれる。よく「ボンネットすら自分で開けたことがない」という人がいるが、そんな放置プレイをしていたら、そのうちきっと痛い目に遭いますぜ。

メンテナンスは業者にお願いしてあるから関係ないと言う人もいる。違うんだな、それが。業者がチェックした時点で問題がなかったとしても、それはその時の話。実際に運転するのは自分なのであり、トラブルなんて突然やってくる。いいの?それで。

ハッキリ言って通常の業者は、よほどクルマのオーナーと親しくなければトータルなチェックはしてくれない。とすれば、乗る側ができることといえば愛車の様子を常に監視すること。トラブルが突然やってくるったって、その兆しは必ずある。それに気づけば応急処置もできるし、修理代もさほどかからない。そうしていれば、仮にトラブルが起きたとしても最小限のダメージで済む。高速を走っていて突然エンジンが停止したら、誰だってやっぱりイヤでしょ?
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ヘンだけど有り難い

2005-12-03 06:08:46 | 脳みその日常
そういえば前回の講座の時、こんなことがあった。ワシが話をしていると何やらザワザワしている。ここの受講者はみな真面目なので普段は静かに話を聞いてくれるのに、どうしたんだろう…。そう思いながらフト受講者のほうを見た。

すると、何かが書かれた紙を手渡しで回しながらコソコソと話しているではないか。自分の話を中断して叱りつけるのも何なので、話を続けながらその様子を窺う。まるで聖徳太子状態(笑)

少しずつ聞こえてきたコソコソの内容にワシはビックリ。どうやら回していた紙切れはワシが雑誌に書いたページをコピーしたものだったのだ。それぞれの受講者はその紙切れを隣の人に回す際に「これはね、先生が書いたんだって」と言っている。またコピーを渡された人は「へぇー、そうなの?」なんて言ってるし。ザワザワしていたのはそれだった。

で、一体誰がそのコピーを配布したのか。すぐに「犯人」は判明。ザワザワ状態が起きたのは講義の後半だった。ワシの講義は前・後半に分かれており、間に休憩を入れる。実はその休憩の時にある受講者がワシのところへ来て、あとで他の受講者に配布するであろうところのコピーを見せながら質問したのだ。

「先生がお書きになったこの曲について質問したいのですが…」

その時には、てっきり質問のために雑誌をコピーしたんだなと思っていた。ところがコピーしたのは一部ではなく、他の受講者の分もコピーしていたらしい。それを講義の後半でコッソリ「配布」したというわけである。

質問した受講者のオジサンはちょっと変わっている。熱心に毎回出席するのだが、ワシの話が退屈だったり、その人にとって関心がなかったりすると即座に居眠りを始める。そう、大波に揺られる船のごとく身体を揺らして寝るのだ(笑)ワシとしては別に誰が寝ていようと関係ないので、安眠を妨げないように話を続けるが…。

それはさておき、ワシの知らないところでこのような「宣伝活動」が展開されるとは思いも寄らなかった。自分から宣伝することはしないので、こうした「活動」が自発的に行なわれたことは驚きであるとともに嬉しいことでもあった。

もっとも、この程度の宣伝なんて別に大したことではない。それはわかっている。ただ、受講者の自発的な行為に対してありがたいなあと思ったのだ。仕事上では敵を作ることのほうが多いワシであるが、一方で理解ある受講者に恵まれてつくづく幸せ者だなあと思ったわけですよ。
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