ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

現代版「赤ひげ」先生

2005-11-14 02:37:33 | 脳みその日常
近年はどんな職種でもサラリーマン化が進んでいる。別にサラリーマンを軽蔑しているわけではない。彼らこそ国の経済を支えている立派な人々であり、彼らなしにこの国の経済は成り立たない。その意味でワシは彼らを尊敬しているくらいだ。

しかしながら特定の職種に関していえば時間で割り切れないものもある。モノ作りと人間相手の商売がそれにあたる。モノ作りの商売については別の機会に譲るとして、ここでは友人の医者Mについて書いてみたい。

古来「医は仁術」と呼ばれるように、本来医者は病気の治療だけではなく患者の心の不安などもケアすることをしていた。そのためには自分の時間を削ってまで患者のために尽すことは常識とされていた。

ところが近年はどうだろう。苦しんでいる患者に心ない言葉を平気で吐いたり、時間で割り切っている医者を多く見かける。医者としてというより、人間としてどうよという奴も数多い。

もちろんすべての医者がそうだというわけじゃない。救急医療の現場で自らの生命を削りながら死に物狂いで働く奴もいるし、患者の話を時間をかけて聞いてあげる奴もいる。だが、全体的にみて患者本位で働く医者は少なくなっているのではないか。

高校時代の同級生でもあるMはすでに中堅の医師である。コイツは昔から信じられないくらい優秀で、特に数学は異常なほどよくできた。当初は数学者になるだろうと誰もが思っていたが、何をトチ狂ったか医学の道へ進んだ。

理数系でキレる奴というのは往々にして心が冷たいもの。しかしMは見事なまでにそうではない。むしろ非常に情の厚い奴なのである。いや、人間臭いというほうが正しいかもしれない。

コイツが偉いなと思うのは他にもある。自分のことより他人のことを思い遣る心をもっていることだ。大学時代のエピソードにこんな話がある。Mはサークルの後輩が金欠病と知るや、いつも後輩たちに御馳走をしていたという。だからといってMが裕福なわけではない。むしろ彼のほうがカネに困っていたのである。でもメシも食えないとこぼす後輩を見て、Mは放っておけなかった。借金をしてまで後輩の面倒を見たという。

お人好しといえばそれまでである。普通ならここまではしないだろう。しかしMにとってカネなんてどうでもよかったのだ。目の前で後輩たちが「うまい、うまい」と食う姿を見るほうが遥かに価値があったのだろう。

カネに執着しない点ではワシも同じ。だからか、今でも交流が続いている。まさに「類は友を呼ぶ」である。

いや、そんなことはどうでもよい。ワシが言いたいのは、あまりにサラリーマン化した医者が多いなかにあって、いまでも「赤ひげ先生」のような情のある医者もいるということなのだ。きっと効率の悪い診療をしていることだろう。しかし患者にしてみれば本当はこうした医者に診てもらいたいと願っているのではなかろうか。
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