ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

じっと待ってみよう

2006-05-03 04:52:03 | 脳みその日常
人生にはうまくいく時とそうでない時がある。うまくいく時は大して準備していないのに「あれよ、あれよ」と事が進む。それに対して、どんなに努力してもダメな時はダメ。一体これはどういうことなのだろう。

運命論で考えるなら、それぞれの人生はすでに決められているのだから、その人が努力しようがしまいが決められた人生プログラムに変更はない。うまくいくとかダメだと思うのは本人の個人的な願望や感情であって、人生プログラムは淡々と進んでゆく。つまりうまくいった時というのは進行するプログラムと同じベクトルなのであり、ダメな時というのはそのプログラムが意図しない逆のベクトルを本人が望んでいるということなのだろう。

ワシは運命論の信奉者では決してない。しかし、今までの経験からすると、それぞれの人間には予め決められた何らかのプログラムがあるのではないかと思っている。分かりやすい例で説明しよう。たとえば誰でも子供の頃なりたい職業というものはあったはず。でもほとんどの人は希望通りの仕事に就いていない。それは本人の願望の度合いが弱かったからなのか? 確かにそういうこともあるだろう。しかし人々が羨むような仕事をしている人のなかには、本人が大して熱望していなかったのに今の仕事に就いたという人もいる。なりたいと思っている人からすれば何て羨ましい話だと思うに違いない。でも現にそういう人はいるのだ。

そうした事実を目の当たりにすると、それぞれの人には社会におけるそれぞれの役割があるのではないかと思えてくる。『金持ち父さん、貧乏父さん』という有名な話がある。これは意識をどのように持つかによって金持ちにもなれば貧乏にもなるというもの。この理論の提唱者によれば金持ちになるような意識を持ち続ければ自ずと金持ちになれるという。

まあ、理屈はそうなのかもしれない。でも世の中の人がみな金持ちになろうと思ったらなれるのか? そうなると世の中は金持ちだらけになってしまうではないか。 いやいや、そんなことはあり得ない。金持ちというのは貧乏な人が存在してはじめてその存在が認められるのだから。金持ちになる動機はどうであれ、現実として金持ちの人は金持ちの人生を送るのであり、貧乏な人はそれ相応の暮らしをする。もちろんすべての人は現状に満足しているわけじゃない。だから新たな欲を追い求め動き出す。

…で、最初の話に戻るわけだ。すなわち、うまくいく時にはうまくいくし、ダメな時には何をやってもダメということに…。

そろそろ五月病が発症する時期だろうから、ここでひとつアドヴァイスしておこうか。結果を出そうと頑張ってもうまくいかない人や無気力な人は、今現在ジタバタしてはいけない。機が熟すまでジッと待つべきである。そのほうが振り返ってみると良い結果だったりするのだ。

おそらく今うまくいかないのはバイオリズムで言えば最低のところにいるのだから何をやっても空回りなのだ。今焦って動いてもたぶん大した効果は出ないと思う。それに精神的にもイライラするだろうからね。ここはひとつ遠回りのようであるがドーンと構え、追い風が来るのを待ってみてはどうだろうか。
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