ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

在家坊主の話

2006-04-15 11:47:00 | 脳みその日常
近所に個人経営の文房具店がある。大きな声では言えないが、ここでワシは学生時代に大学の図書館から借りた楽譜をコピーしまくった。何せ当時はコピー1枚10円の時代に、この店では8円でできたからである。もちろんこの時の山のようなコピー譜が現在どれだけ仕事に生かされているかは言うまでもない。

当時店は老夫婦が経営していた。おばあさんは温和で優しかったが7年前に病気で他界。その後、おじいさんがひとりで店を切り盛りしていた。今年88歳になるこの人、戦時中は満州に配属され、筆舌に尽しがたいほど苦しい目に遭ったという。戦後は民間のバス会社に就職し、定年まで勤務。

ワシは老夫婦とはなぜかウマが合い、コピーに行くたびに彼らの話を聞いた。特におじいさんとはクルマや道路の話で花が咲き、汗まみれでコピーしたあと汗が完全に引くまで長話をした。現在その店は次男が受け継ぎ、父親は時々店に出る程度になった。ちなみに現在この店はA3までのモノクロ・サイズのコピーなら、ナント、1枚7円に値下げされている。カラー・コピーだって1枚30円!

さて、その次男ともワシは話をする。ところが最近まで彼が店を受け継ぐ前のことは全く知らなかった。たまたま昨日店に行き、話をしていたら以前の仕事の話になる。聞いて驚いた。彼の前職は坊さんだったのだ。それも真言宗の総本山である高野山で修行したという。

こう書くと、さぞかし禁欲的で厳格な生活をしていたんだなと思うかもしれない。確かに彼は高野山の金剛峰寺に「住み込み」のような形で修行していた。しかし驚くなかれ、宿泊施設の中にはカウンター形式の「Bar」があるそうな。何だよそれ、俗っぽいよなあ。これじゃあ、高野山を興した空海も彼岸から嘆いていることだろう。いや、カウンターの向こうでツマミを用意しながら、

「これでも食うかい?」

なんてオヤジ・ギャグはさすがに言わんだろうけど。

坊さんの業界はまるで開業医と勤務医のようなもの。つまり実家が寺だったり、檀家数が200以上の寺を任される住職ならば生活はウハウハなのだとか。しかし特定の寺の住職でない、いわゆる「フリー」の坊さんは生活するのも苦しいらしい。なるほど、どの世界もフリーでやっていくのは大変なのか。わかるなあ、その気持ち。

苦労した人の話は聞いていて驚くことばかりだ。次男はフリーで活動していたため、あちらこちらから「お呼び」がかかり、様々な業種の人と知り合いになるのだという。知り合う人がすべてカタギならワシも驚かない。

しかしフリーの坊さんということで、カタギでない人々からお誘いを受けることも多いのだとか。つまりカタギでない人たちの葬儀はなかなかマトモな僧侶は受けてくれない。そうなるとフリーの坊さんが呼ばれることになる。こうしてカタギでない人々と顔見知りになるというわけだ。だから彼は今でも自ら進んで歌舞伎町などには行かないそうだ。そういえば、亡くなったポール牧とも彼は歌舞伎町でよく飲んだらしい。その時に「指パッチン」をしてくれたかは不明だが。

最後にどうでも良いネタを2つほど。

近年ではあまり行なわれていないが、カタギでない人たちは何かあればよく小指をつめた。実はこの「儀式」は仏教に由来するそうだ。昔の僧侶は何かの不義を犯した時、その戒めのために小指を歯で噛み切ったのだそうである。これが本当であれば、「なんだ、指詰めはマネじゃん」ということになる。この世界も仏教の影響を受けているというわけか。

もうひとつ。坊さん、特にフリーの人が必ずといってよいほど取得している資格。それは宅地建物取引主任者の資格である。不動産業を営みながらフリーで活動する坊さんが多いのはそういう理由だ。なぜ不動産業なのか。それは土地を売却したり地上げする際に彼らは伝家の宝刀である「宗教法人」の特権を生かすのである。つまり商売する土地をいったん宗教法人所有とするのだ。そうすれば税金はかからず土地を売却することが可能というわけ。

これが現実なのか…。うーん、なんだかなあ。
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