ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

性善説…かなあ

2006-04-20 10:23:34 | 脳みその日常
「おかあさ~ん、は~や~くぅ~」(大声で)
「は~い、は~い、ちょっと待ってねぇ~」(遠くで母親の声)
「んもぉ~」(がっかりする子供)

家の前は幼稚園の通園路。毎朝決まった時間に上のような会話が聞こえてくる。なんとも微笑ましいやりとりだ。

こんな卑近な例を前提にして語るのは無謀かとも思うが、子供のこうした無邪気な発言を聞いていると人間はそもそも性善説に基づいているのではないかと思えてくる。

幼稚園児の脳みそのレベルなんて動物よりちょっと賢い程度。まだ知的レベル云々の段階ではない。もう少し大きくなると知恵がついてくる。すると良い意味でも悪い意味でも賢くなる。

つまりこの段階では知性が邪魔をして人間本来の純粋さが失われていることを意味する。小賢しい子供になると、すでに「計算すること」を身につけていたりするからタチが悪い。後天的な「悪」を得てしまった結果がそのような形で出るのだろう。

自らの記憶と年長者の話を総合すると、大人たちにとってワシは扱いにくい子供だったようだ。幼少の頃よりヘンに小賢しかったため、いわゆる子供らしいところはなかったそうである。また妙な羞恥心があったのか、上の会話のように大声で肉親を呼ぶなんてことは絶対にしなかったし、できなかった。

もっとも、理詰めで話をされればちゃんと理解したので、その意味では扱いやすい子供だったのかもしれない。でも、そんな小賢しい子供は個人的には好きではない。かつての自分をそこに見るからだろう。だからなのか無邪気にキャーキャー叫ぶ子供は嫌いではない。なんかね、それが本来の子供の姿だと思うから。あくまで個人的な意見だけど。
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