中野市にある中山晋平記念館に来ました。中山晋平(1887〜1952)はたくさんの童謡や流行歌を書いた作曲家です。
記念館の入口。深夜なので、さすがに真っ暗。
門を潜るとご本人の像がデーンと現れます。
記念館の入口。
ご案内の看板。
記念館の脇には愛くるしいタヌキが。
これはたぶん彼が作曲した《証城寺の狸囃子》(1925年発表)に因むものだと思います。さらに因むとこれの作詞者は野口雨情(1882〜1945)ですが、野口が千葉県の木更津に行った際、證誠寺に伝わる狸囃子伝説を知り、歌詞はこれに基づいて書いたそうな。
豆知識ですが、この曲の出だしの部分はハイドンの《交響曲第89番》(1787)の第1楽章冒頭の主題とそっくりです。また、ベートーヴェンが1801年に書いた《ピアノ・ソナタ第12番》(通称:葬送ソナタ)の第4楽章にも度々この出だしが登場します。これは悪くいえばパクリなのでしょうが、まあそこは大目にみましょうか。
実はここ、ワシのとっては縁のあるところなのです。というのも子供の頃といってもかなり昔の話ですが、中山晋平記念作曲賞というのがあって、それに入選したんですよね。その証拠がこれ。
はぁ〜、あの頃のワシは神童やった…(遠い目)
記念館の入口。深夜なので、さすがに真っ暗。
門を潜るとご本人の像がデーンと現れます。
記念館の入口。
ご案内の看板。
記念館の脇には愛くるしいタヌキが。
これはたぶん彼が作曲した《証城寺の狸囃子》(1925年発表)に因むものだと思います。さらに因むとこれの作詞者は野口雨情(1882〜1945)ですが、野口が千葉県の木更津に行った際、證誠寺に伝わる狸囃子伝説を知り、歌詞はこれに基づいて書いたそうな。
豆知識ですが、この曲の出だしの部分はハイドンの《交響曲第89番》(1787)の第1楽章冒頭の主題とそっくりです。また、ベートーヴェンが1801年に書いた《ピアノ・ソナタ第12番》(通称:葬送ソナタ)の第4楽章にも度々この出だしが登場します。これは悪くいえばパクリなのでしょうが、まあそこは大目にみましょうか。
実はここ、ワシのとっては縁のあるところなのです。というのも子供の頃といってもかなり昔の話ですが、中山晋平記念作曲賞というのがあって、それに入選したんですよね。その証拠がこれ。
はぁ〜、あの頃のワシは神童やった…(遠い目)