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ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

ダム上の文化学習…境川ダム

2020-09-09 07:08:04 | 富山(ダム/堰堤)
富山県南砺市新屋と岐阜県白川村の県境にある庄川水系の境川ダムに向かいます。これは富山県土木部が手がけた13番目のダムで、実は昨年12月に行こうとしたのですが、ダムへの道が11月中旬から翌年5月まで通行止ということで行けなかったのです。それを思い出したので今回再チャレンジしたという次第。

お〜、見えてきました。あれですね。



到着です。下流側から見たダムはこんな感じ。



貯水側から見たダムです。



では、ダム上を歩いてみることにしましょう。



1993年11月完成のダムなんですね。



貯水湖は「桂湖」だそうで。



ダム上の欄干は「自然と文化のプロムナード」と題する周辺文化を紹介するコーナーになっていて、セラミック・アート(美術陶板)で飾られています。



順に見ていきます。

合掌造り


しゃくなげ


民謡 麦屋踊り


キセキレイ


民謡 筑子(こきりこ)踊り


ぶな


旧桂集落(ダムの湖底に沈んだ集落)


ダム中央から見た桂湖の様子。



ダムの真下の景色です。



下流側の遠景はこんな感じ。



ダム中央が富山県と岐阜県の県境なんですね。



セラミック・アートの続きです。

旧加須良集落(ダムの湖底に沈んだ集落)


いわな


民謡 古代神(こだいじん)


ニホンカモシカ


どぶろくまつり


犬わし


獅子舞


対岸(右岸)へ来ました。振り返るとこんな感じ。



右岸、下流側から見たダム。



右岸、桂湖側から見たダムの様子。



元の側(左岸)へ戻ります。境川ダム周辺の案内図です。



ダム横のこの建物が管理事務所かな…と思ったら「取水口巻上機室」でした。





その壁に貼られているのは水利使用標識。



近くには「境川ダム」と記されたセンスの良い石碑。



その裏側には諸元表。ダムの高さは115mもあるんですねえ。



で、管理事務所は?というと少し上流側のこの建物。なんと公衆トイレの横に…。





ダム上でこの地域の文化が学べるとは思いませんでした。素晴らしい!
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国道から見学…赤尾ダム

2019-12-09 08:19:33 | 富山(ダム/堰堤)
国道156号をさらに南下すると、やはり庄川水系の赤尾ダムがあります。最初国道沿いに「ああ、ここにダムがあるな」と通過してしまい、止むを得ず対岸側の方へ回ってみました。管理事務所がそちらにあると思ったからです。

庄川と並行して走ると再びダムが現れました。



しかし、ここはちょっと高台で事務所すらありません。面倒臭いですが、また国道側へ戻ることに…。

で、やはりこちらが入口のようです。



そして、入口の横にあるクリーム色の建物が事務所らしい。



ところが関西電力が管理するダムに共通の「立入禁止」の壁に阻まれ、近づけるのはここまで。仕方ないので道路からダム上を撮影。



上流側から見たダム。



上流側の景色です。



他に見所がないので、これで終了。

次に富山県が管理する境川ダムへ行こうとしたら交通整理のジイさんに止められました。

「どちらまで行かれますか?」
「ええ、この先のダムまで」
「あ〜、ダムへの道はもう閉鎖です」
「えっ、マジですか?」
「はい、来年の5月まで冬季通行止なんですよ」

見れば、看板に「11月中旬から翌年5月まで市道通行止」と書いてありました(写真を撮り忘れましたが)。(参考

ええ、来年春にまた来ますよ。


(お知らせ)

味噌川ダムの竣工年を追加しました。よろしければコチラをご覧ください。
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庄川沿いの小原ダム

2019-12-08 08:22:37 | 富山(ダム/堰堤)
次に目指すは南砺市にある庄川水系の小原(おはら)ダムです。国道304号を南下し国道156号を右折し五箇山方面へ進みます。庄川沿いに走り、目ぼしいところを右折すると…



ジャ〜ン、見えました。あれですな。では、もう少し近くまで行ってみましょう。

到着です。これがダム上。



上流側から見たダム。



下流側から見ると、



貯水側の景色です。



一方、下流側の景色はこんな感じ。



ところが、管理事務所らしき建物が見当たりません。ならば元来た道を戻り、対岸へ行ってみました。対岸の下流側から見たダム。ゴツくカッコいいですね。



何となくそれらしき建物はあるのですが立ち入りは禁止のようです。





せいぜいズームして撮れたのが水利使用標識。



そんなわけで、探検はこれにて終了。最後に、対岸の貯水側から見たダムの写真をどうぞ!

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まぁ、一般的かな…城端ダム

2019-12-07 09:54:03 | 富山(ダム/堰堤)
南砺市にある小矢部川水系の城端(じょうはな)ダムは富山県土木部が手がけた12番目のダムで、1992年7月竣工。前回の臼中ダムから行くには県道289号から県道292号へ一旦下って行く道と、臼中ダムの上流に進み、林道城福線経由で行く道があります。さあ、どうしましょうね。結局、一度下ってまた上がるというのも何だか馬鹿馬鹿しいように思えたので林道経由で行きました。

到着です。またまたワイルドなダム碑がお出迎え。



すぐ近くにシンプルなデザインの管理所があります。





管理所の定礎は1991年10月。



管理所付近から見たダム。



下流側から見たダム。キリッとしてますね。



ダム上です。軽自動車が見えますが、これは工事関係者のクルマで、一般車両は進入禁止です。なので、歩いて渡ります。



下流側の景色。



上流側の景色。



対岸に来ました。振り返ると、



そして下流側はこんな感じ。



貯水側からはこんな感じに見えます。



おっと、水利使用標識を忘れてました。このダムの目的は「灌漑」と「ダム管理用発電」なんですね。



まあまあ一般的なダムという感じですが、管理所は地味な色彩でなく目立つ色を使っているのが印象的でした。
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臼中ダムのドラマ

2019-12-06 10:54:55 | 富山(ダム/堰堤)
南砺市の県道289号を走り、トンネルを抜けたところにあるのが小矢部川水系の臼中(うすなか)ダムです。まずはダム管理所がお出迎え。





なんとも味のある字ですね。



管理所の定礎は1989年12月。



そして、臼中ダムと記されたワイルドな石碑。



臼中という地名の由来は1183年の倶利伽羅峠(砺波山)の戦いに由来します。この戦いで木曽義仲の軍に破れた平家の武士たちはこの地に辿り着き、隠遁百姓として住み着きます。そしてこの地がまるで臼の中のように窪んだ地形だったことから「臼中」と呼ばれるようになったそうな。

臼中の里はこうして集落になりますが、1975年、この地にダム建設計画が発表され、1990年のダム完成とともに集落は湖底に消えることに。臼中ダムと命名されたのは単に地名というばかりでなく、臼中の里で暮らしていた人々がいたことを記憶に留めるために付けられたものだそうです。これが下の写真の伝承碑に記されています。



近くには「相刻」と書かれた碑が…。
「人は石を刻み 地を刻みて世を整え 天の時の刻みを観る」
う〜ん、なんか深いなあ。



このダムは「灌漑」「防災」「発電」を目的とした多目的ダムだそうです。



詳細な使用目的が記された水利使用標識。



管理所のある貯水側から見たダム。



では、ダム上に向かってみましょう(車両通行可)。まず見えてくるのは排水口。水はここから流れ出て、



ここを通り、



下流へ向かいます。



ダム上です。



下流側の景色。



上流側の貯水池。美しいっす。



対岸まで来ました。振り返ると…。



下流側の様子。



上流側の様子。



ここから貯水池を一周できる道があるので進んでみます。貯水池を半周したくらいのところに林道城福線が通っています。



そこには見晴台があり、ダムを見ることができます。





さらにクルマを進めると見晴らしの良い場所に石碑が。この場所に学校があったんですね。



その横には大森儀松(おおもりよしまつ)なる人物の胸像。どのような人なのでしょうか。





大森儀松(1888-1968)はこの地の臼中分校で47年間教鞭を執り、教育者としてだけでなく村の発展に尽力した方だそうです(参考)。

それぞれのダムにそれぞれの歴史が必ずあります。この臼中ダムにも知られざるドラマがありました。ちょっと感動。
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ふと見ても見えない…太美ダム

2019-12-05 09:05:21 | 富山(ダム/堰堤)
前回の刀利ダムから小矢部川沿いに県道10号を下ってくると、道沿いに小屋のようなものが…。見れば、そこには太美(ふとみ)ダムと書いてありました。





水利使用標識です。発電用のダムらしい。



ところが肝心のダムが見当たりません。川が流れる音のするほうを見ると、どうやらこれのようです(下の写真中央部あたりに見えるブルーのもの)。



ダムの実体は残念ながらわかりませんでした。それにしてもあの「小屋」はなんでしょうね。職員が常駐する設備もないし、単なる道具置き場なのでしょうか。無人駅ならぬ無人発電ダムみたいなもの? この小屋が太美ダムの場所だよ〜、来る時はここを目指して来てね〜…なんてね。

ちなみに太美とはもっと下流にある地名のことで、このダムはそこから命名されたのだと思います。
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ストーリーのある…刀利ダム

2019-12-04 09:34:18 | 富山(ダム/堰堤)
刀利(とうり)ダムの名称は、地名に由来します。つまりこの場所が富山県南砺市刀利だからです。1966年3月、当時の農林省の管理のもとにダム本体が竣工しました(全体が完成したのは翌年3月)。



管理事務所です。ちょっとオシャレな感じの建物ですね。



2種類の水利使用標識。





下流側から見たダム。



上流の貯水側の景色。



下流側の景色。



対岸に来ました。こちらには見晴どころや、このような展示物(ダム放流バルブ)があります。





こうして見ると、このダムがドーム型アーチ式であるのがよくわかります。



対岸側には、他に刀利ダムについての概要が記された案内板があります。





さらにその隣にはダム竣工記念碑と松村謙三なる人物の胸像が。







松村謙三(1887-1971)は福光町(現在の南砺市)出身の政治家で、厚生、農林、文部大臣を歴任。当ダムに関して言えば、1946年に小矢部川水系総合開発期成同盟会を結成し、その会長に就任。そして長年に渡りダム建設の陳情に尽力したことで刀利ダムは完成をみるに至ったという。

立派なダムの背景には立派なストーリーがあったんですねえ。
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文化の香りがする…子撫川ダム

2019-11-27 08:11:39 | 富山(ダム/堰堤)
小矢部市にある小矢部川水系の子撫川(こなでがわ)ダムは富山県土木部が手がけた6番目のダムで、1978年6月竣工。



ちょっと奥まったところにダムの碑があります。





おなじみの水利使用標識。このダムは水道用水確保のためなんですね。




ダムの入口側には見所が色々ありますが、そのご紹介は後ほど。とりあえずダム上を歩いてみましょう。



貯水側です。早朝のせいか、水面にモヤがかかっています。



下流側の景色。



対岸近くの排水溝。水はここから流れて…



ここから下流へ向かっていきます。



対岸に来ました。



管理事務所はこちら側にあります。





元の側へ戻ります。やや高い場所に慰霊碑がありました。25歳の若者がダムの建設現場で亡くなったとのこと。合掌。



ダムについての説明板がありました。



でも、子撫川の名称の由来は記されていません。気になるので調べてみました。昔、この川の上流に一軒の家がありました。ある時その家に若い僧侶が訪ねたそうです。家の娘は僧侶にお茶を出してもてなします。僧侶が立ち去った後、娘が僧侶の飲み残したお茶を飲むと妊娠してしまう。身に覚えがない娘はそのまま女児を出産し、子供が3歳になった頃、あの僧侶が再び現れます。そしてその子を見るや呪いの文言を唱え全身を撫でると子供の身体はみるみる溶けて泡になってしまった。そして僧侶がその泡を川に流したことからこの川は子撫川と呼ばれるようになったそうです。(参考1参考2

いやいや、結構切ない話じゃないですか。

さて、ダム入口側には色々なものがあります。まず上流側には作者不詳の碑と銅像。





ダム入口近くには、やはり作者不明の歌碑と銅像。





そして下流側には







いやいや、まさしくアングルの代表作の「泉」の3D版やん。



まあ、是非はともかく、このダムには文化的な香りがしたのでした。
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順序じゃないよ…五位ダム

2019-11-26 08:21:51 | 富山(ダム/堰堤)
五位(ごい)ダムは富山県高岡市にある農水省管理の小矢部川水系のダム(直接の管理は北陸農政局)。なぜ五位なんでしょうか、二位じゃダメなんでしょうか…いえいえ、これはこの場所の地名なんです。そういえばおかしな質問をした議員がいましたね、その昔。

冗談はさておき、ここで言う五位は順位のことではなく、昔の貴族の位階の名残のようです。簡単に説明すると、昔は役人の中で五位以上の位階を与えられた者が貴族と呼ばれていました。五位は貴族の中でも最低ランクの下級貴族なのですが、貴族には違いありません。

で、このダムのあたりは室町時代には「越中五位荘」と呼ばれていたようです。つまりこの地が室町幕府の御料所となり、臨済宗相国寺の荘園として幕府に寄進されたところから貴族のための荘園とみなされていたのです。一応貴族のための荘園ですから、名称も「じゃあ、最低ランクの五位でもつけといてやるか」ってなノリで付けられたかどうかは知りません。でも、意外にそうだったりしてね。いずれにしても当時呼ばれていた名称がそのまま地名として残っているのは実に興味深いではありませんか。

ダムへの入口にはわかりやすいように看板があります。



到着しました。竣工は1992年10月なんですね。





明快な案内板。



管理事務所です。





お約束の水利使用標識。



では、ダム上を歩いてみます(車両通行不可)。夕方のように見えますが、実は早朝。



貯水側の景色。水があまりありません。また、水害の影響でしょうか、壁面が所々崩れています。



下流側の景色です。朝焼けが凄い。



対岸に来ました。振り返ると、



対岸から見た下流側の様子。



同じく貯水側の様子。



ダム下に来てみました。貯水された水はこの水路を通って流れていくんですね。

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通称なのかな?…千束ダム

2019-11-14 19:57:06 | 富山(ダム/堰堤)
南砺市利賀村を通る県道34号を北上していたらダムらしきものを発見。



その近くにある建物にはダムの管理所のプレート(関西電力 利賀川第二発電所ダム管理所)が。



そして水利使用標識もありました。



上流側の様子。



下流側を見ると、



下流側から見たダム。



2つ上の写真にある赤い橋から見たダム。



その橋を渡ったところにある建物を見ると、そこにもプレートが。





あれれ、同一名称の管理所が2つ…。どういうことなんでしょうね。理由がわかりません。わからないといえば、このダムの名前です。念のため有名なこのサイトで確認してみると庄川水系の「千束(せんぞく)ダム」であることがわかりました。でも、なぜ千束ダムと言うのでしょうね。たぶんここの地名(利賀村大勘場千束)に由来するのだと思うのですが、それなら「通称:千束ダム」とすべきではないでしょうか。管理所の表記に従うのなら正式には「利賀川第二発電所ダム」と呼ぶべきだと思うんですけどねえ。

な〜んか、しっくりこないなぁ。
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威風堂々の小牧ダム

2019-11-14 08:50:30 | 富山(ダム/堰堤)
砺波市庄川町小牧にある庄川水系の小牧ダムに来ました。アクセスは国道156号からでも国道471号からでも可能です。このダムは前に訪れた庄川合口堰堤の上流にあり、1930年に関西電力の発電用ダムとして作られました。そして2002年には有形文化財に登録されています。





国道156号側の貯水側から見たダムの景色。



同じ国道の下流側から見たダム。



管理所は国道156号側に面していますが、敷地内に立ち入ることはできません。





では、ダム上を渡ってみましょう。まず目を引くのは発電を目的とした水利使用標識。



上流の景色はこんな感じ。



下流側の景色。勢いよく落下する水。迫力満点!



遠くに目を転じると…



対岸の国道471号側に来ました。こちらには灌漑を目的とする水利使用標識。



もう、庄川はワシが守ったる!ってな感じの堂々たる御姿です。

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国の有形文化財…庄川合口堰堤

2019-11-13 08:18:47 | 富山(ダム/堰堤)
砺波市庄川町にある庄川合口(しょうがわごうくち)堰堤(別名:舟戸ダム)に向かっています。地図によれば庄川水記念公園の近くらしいのですが…

庄川沿いを進んで行くと…ああ、あれですね。
 


到着です。



国の有形文化財なんですね。





下流側から見たダムの様子。



魚が川を遡ることができるように作られた「魚道」。



上流側から見ると…



ダムの横には砂土居行雄なる人物の胸像が。説明を読むと庄川沿岸用水土地改良区連合の理事長として活躍された方らしい。





水道用水供給のための水利使用標識。



管理所はダムの上流側にあります。それにしても、気になるのはダムの名称です。管理所にプレートには「庄川合口堰堤」とあるのに、上の写真では「庄川用水合口ダム」とか「庄川用水合口堰堤」とか、もうバラバラ。名称の統一はできないもんですかね。





使用目的の違いによる水利使用標識が2つ。





堰堤の上流側と下流側で管理する役所が異なるようです。上流側が富山県、下流側が国土交通省富山河川国道事務所のようです。ふ〜ん。



これは水道用水を供給するための取水口。



堰堤の上を渡ってみます。



下流側の景色。



すごい勢いで流れ落ちる水。



上流側ののどかな景色。



対岸に来ました。振り返ると、



堰堤到着からあまり時間が経っていないのに、まるで夕方のよう(実際には午後2時頃です)。



近くには公園などもあって、散策を楽しむにはもってこいの場所です。
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城跡も楽しめる和田川ダム

2019-11-12 19:46:54 | 富山(ダム/堰堤)
砺波市にある庄川水系の和田川(わだがわ)ダムへ来ました。これは富山県土木部が手がけた3番目のダムで、1968年3月竣工。場所は山奥でなく比較的平地に近いところなのでアクセスは容易です。

まずは管理事務所がお出迎え。





2種類の水利使用標識。





貯水側から見たダム。



立派だけどヒビ割れが目立つダム概要記録。



フェンス越しに見るダム。



シブいプレート。こちらも年季が入っています。





ではダム上を歩いてみましょう!



またも水利使用標識。こちらは目的が発電になってます。



貯水側の景色。



下流側の発電所。



対岸に来ました。振り返ると…



すぐ脇にはちょっとした庭園があります。



流木やゴミは網場(あば)によって堰き止められています。



管理事務所側に戻り、ダムのベスト・アングルを探しました。ゴツいね。



なお、対岸側には国指定史跡である増山城跡があります。









興味のある方はこちらもお楽しみください。
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ノンビリとした古洞ダム

2019-11-12 08:13:19 | 富山(ダム/堰堤)
古洞(ふるどう)ダムは富山市三熊の富山市天文台の近くにあります。ダムの手前には管理棟がド〜ンとお出迎え。





建物の定礎は1987年8月。



管理棟の前には巨大なモニュメント。



恵水潤萬戸(けいすいじゅんばんこ:水の恵みはたくさんの家を潤す)と書かれています。



裏の説明によればこのモニュメントの建立は1989年10月。





奥のダムに行くとまず「概要」が。それによればダム本体は1982年3月竣工。ということはダム完成後に管理棟が、そしてモニュメントが作られたことがわかります。



では、ダム上を歩いてみましょう。



貯水側の景色です。写真右に見えるのは取水塔です(後で触れます)。



下方側の景色です。



対岸に来ました。振り返った景色はこんな感じ。



対岸の奥には野鳥の園。興味がないので行きませんでしたが。



先に書いた取水塔へ行ってみます。管理棟側に戻り、貯水側から見たダムの景色。



取水塔の説明図。



ここを行くと取水塔の先端。行きませんでしたが。



ここで強烈な睡魔が襲ってきました。止むを得ず駐車場で仮眠しようとしていたら観光客らしき老夫婦がクルマに近寄ってきました。そして旦那が、

「おい、見ろ、長野県ナンバーのクルマがいるぞ!」(ん?なんだ?なんだ?)
「長野県からかあ…。長野県から来たんだなぁ」(何回言うねん!)
「そうか、そうか、長野県からかぁ…」(しつこいっちうねん)

そんなことを言いながらクルマの周りを行ったり来たり。車内にワシがいるのは見えるはずなんだから、そんなに珍しければ話し掛ければいいのに。もっとも、長野県は富山県の隣なんですけどね〜。決して珍しくはないと思うんだけどなぁ。
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几帳面な…湯谷川ダム

2019-11-11 19:22:23 | 富山(ダム/堰堤)
富山市山田にある神通川水系の湯谷川(ゆたにがわ)ダムに向かっています。

おおっ、あれですね。見えてきました。



到着です。ダム横の建物が管理事務所のようですが、それを示すプレートがありません。なぜなんでしょうか。



出ました! 墓碑銘みたいですが…違います。





21年の歳月をかけて2000年3月に竣工。



丁寧な諸元表と案内図。





ひゃ〜、取水量がここまで詳細に記されている水利使用標識は珍しいんじゃないでしょうか。



貯水池の水が自然に流れ出る「自由越流式洪水吐」



ダム上を進んでみます。



中央部分から見た下流の景色。



同じく貯水側の景色。



対岸に来ました。貯水量が東京ドーム1個分というだけあってダム上も堂々としたもの。



放流を目論んだ奴がいたんでしょうか…。



(おまけ)
下流側で見かけたアイスキャンディーのような木々。うまそう。

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