ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

臼中ダムのドラマ

2019-12-06 10:54:55 | 富山(ダム/堰堤)
南砺市の県道289号を走り、トンネルを抜けたところにあるのが小矢部川水系の臼中(うすなか)ダムです。まずはダム管理所がお出迎え。





なんとも味のある字ですね。



管理所の定礎は1989年12月。



そして、臼中ダムと記されたワイルドな石碑。



臼中という地名の由来は1183年の倶利伽羅峠(砺波山)の戦いに由来します。この戦いで木曽義仲の軍に破れた平家の武士たちはこの地に辿り着き、隠遁百姓として住み着きます。そしてこの地がまるで臼の中のように窪んだ地形だったことから「臼中」と呼ばれるようになったそうな。

臼中の里はこうして集落になりますが、1975年、この地にダム建設計画が発表され、1990年のダム完成とともに集落は湖底に消えることに。臼中ダムと命名されたのは単に地名というばかりでなく、臼中の里で暮らしていた人々がいたことを記憶に留めるために付けられたものだそうです。これが下の写真の伝承碑に記されています。



近くには「相刻」と書かれた碑が…。
「人は石を刻み 地を刻みて世を整え 天の時の刻みを観る」
う〜ん、なんか深いなあ。



このダムは「灌漑」「防災」「発電」を目的とした多目的ダムだそうです。



詳細な使用目的が記された水利使用標識。



管理所のある貯水側から見たダム。



では、ダム上に向かってみましょう(車両通行可)。まず見えてくるのは排水口。水はここから流れ出て、



ここを通り、



下流へ向かいます。



ダム上です。



下流側の景色。



上流側の貯水池。美しいっす。



対岸まで来ました。振り返ると…。



下流側の様子。



上流側の様子。



ここから貯水池を一周できる道があるので進んでみます。貯水池を半周したくらいのところに林道城福線が通っています。



そこには見晴台があり、ダムを見ることができます。





さらにクルマを進めると見晴らしの良い場所に石碑が。この場所に学校があったんですね。



その横には大森儀松(おおもりよしまつ)なる人物の胸像。どのような人なのでしょうか。





大森儀松(1888-1968)はこの地の臼中分校で47年間教鞭を執り、教育者としてだけでなく村の発展に尽力した方だそうです(参考)。

それぞれのダムにそれぞれの歴史が必ずあります。この臼中ダムにも知られざるドラマがありました。ちょっと感動。
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