湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/24の講演会はアクシデントをすり抜けて行われた

2009-03-25 08:32:52 | 引きこもり
長い一日だった。24日は、父が2泊3日のショートステイに出かけていき、午前中いっぱいに、地元の眼科に眼圧を押さえる点眼薬と神経眼科への紹介状をもらって、講演会の配布資料を仕上げ、その日の18時半から就労支援の講演会が控えていた。加えて、講演会に使うパワーポイントが使える会場持ち込みPCを確保するか、講師の方のPP資料とStar Suits Impressとの折り合いをつける必要があった。

母は27日金曜日に、大学病院の最後の定期検査の結果を聞きに行く。合格すれば、かかりつけの地元医に、治療が引き継がれ、年1・2回の定期検査のみになるのだった。この日にちを、前月治療日の16日と母が混同して、「26日大学病院」と、ケアマネさんに伝えてしまった結果、27日までのショートステイが1日ずれて、26日帰宅の、意味の薄いショートステイが確定してしまったのだった。地元医にはMRI画像のコピーも含んでカルテの要約が引き継がれることになっていた。地元医の要請だった。

生活指導があるから、食事担当の家族も病院に来るようにと指示されていた。家族指導とは、結局、食事の説教と、定期検査管理を家族も忘れるなという話だが、27日は母の勘違い申請の結果、父を母の留守中、介護している必要が出来てしまった。しかもホームの空きベッドの関係で変更不可能と言われていた。大人しく寝ていればいい。しかし、この間転倒が派手になり、元気なとき徘徊がひどくなっていたから、目が離せないのだった。

ごたごたの状態の中で、父に今回のショートステイの説得が破綻していた。父は基本的に外泊は拒否。母の治療のために「我慢する」というスタイルをとった。ホームには、入浴と顔見知りとなった職員さんとの話の楽しみがあった。ただ、家族に指示されて出かけることが嫌であり、ホームの食事の量が足らないから嫌がったのだった。

23日就寝時、説得が奇妙な形で破綻した。実際の日程は27日なのに嘘をついて、父を今回が母の最後の検査であり準備もいるからと説得したのだったが、父は「手術はいつなのだ」と言い出し、「俺はホームには入らんぞ」と「厄介払いの拒否」に、暴れ始めたのだった。つまり、この間の通院治療の事情を全く理解していないか、ホーム入所を指図されたと勘違いして、午前0時過ぎまで大騒ぎだった。

父は興奮したまま、部屋を転びながら歩きまわって、水をこぼしたり、衣類の山を崩して汚したりと午前3時近くまで、寝付かなかった。

その反動は、送り出しの目覚めの悪さとなっていた。まさに子どもだった。父の顔をおしぼりで拭くと、黙ってそれを払いのけた。結局出発の10時半まで、ほとんど講演会の準備は出来なかった。

鬼のような顔をして、父は車椅子に乗せられて出かけて行った。

夜間、PP資料のエラーに取り組んでいた。PPで閲覧したときと異なり、画像の枠から文字がはみでて、図版が乱れてしまうのだった。Macの文字らしきものが入っていたが、最後に気付いたのは、画面設定の違いという馬鹿馬鹿しいことだった。

次に、2009/02~3の障がい者雇用をめぐる地域就労の必要性が分かる新聞記事の紹介を書き上げておく必要があった。これは5時前に完成。印刷はサポセンで行うことに。

父が出かけたあと、ホームから父の薬が、引継ぎ袋の中に入っていないから持ってくるようにと電話が入った。午前中は地元の眼科に行って、薬の補充と、今日東京の神経眼科に行くための紹介状を書いてもらう必要があった。その後の印刷の時間を考えると、手痛い過ちだった。結局片道2千円の出費で往復タクシー、診療締切時間には間に合ったものの、父はホームでも職員さんが目を離した瞬間に、車椅子から立ち上がり派手に転倒していた。指示に従ってくれないと帰宅もあるとの話に、うんざりしていた。階段単独昇降禁止のひとつの約束さえ、数分後、約束を忘れて私の後を追うように階段を降りようとする虚しさ。車椅子からの転倒も同様な経過を通っていた。父が排尿などの理由を持っていたかと職員さんはチェックしたが、明確な理由は浮かび上がらなかった。

眼科診療は、すべりこみ。その場で紹介状を書いてもらい、次はPPの入った個人所有のPC受け渡しをキャンセルすることだったが、この混乱の中で電話連絡をしていなかったので、携帯電話を持たない彼と待ち合わせの場所にした平塚図書館(彼は伊勢原の人間だった)で合流。丁重に断って、ついでに図書の更新。昼食を書き込んで、茅ヶ崎サポセンに飛び込んだ。

プロジェクタ接続テスト、A4で33枚、約1千枚の印刷と帳合、機材の搬出が待ち受けていた。そこに講師からの電話が入った。戸塚駅で人身事故。東海道線が1時間近く動かないというアクシデントが起きた。動揺の中で、会場の机椅子などを設営。駆け込むように会が始まった。

初めに私たちの側が、前年度の報告をして、時間をかせぐことになった。やがて参加者の方々が徐々に増え、最終的には20名強。予測の半数の会となった。

間もなく八木原氏が現れ、なんとか講演が間に合ったものの、追加画像のUSBメモリがウィルス汚染しており、PCの警告音。結局画像は使えない事態になった。

JHC板橋会の解説と、明学大社会学部の取り組みの紹介をしてもらったが、今回は支援者をめぐる2点が新しいところとなった。ひとつは「ジョブサポーター養成」の必要性、もうひとつは「関連学部学生さんとの連携」という視点。これについては、後日考えを書いてみる。

元町コミュニティセンターは、時間厳守。21時には、部屋の清掃を終えて会館外に出ていなくてはならなかった。めまぐるしい展開を終えて、食事がてら、PJレギュラーたちの総括がはじまった。これも後日。

終バスが出てまたタクシーで帰宅。母はぽつねんと椅子に座り、約束の夜食を待っていた。ふたりで茶を飲み、自分の部屋に戻ると、夜間傾聴の申込が入っていた。こうしてこの件を請けて、一日が終わったのだった。

朝、灯油共同購入の車が8時に入ってきた。これから眼科に出る。

夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正1回目済み)

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