湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

4/10 @@さんと出会いを求め空振りのライブ参加

2024-04-12 05:24:00 | 地震津波災害ボランティア
2024/04/10&11 記
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4/10
ハッカーさん、おはようございます。
今日,母を近所のかかりつけ医に連れて行きました。食事はたべられているので点滴は無しで、またまた睡眠導入剤と得体の知れない漢方薬のみ。母の季節病は、時期をうまく避けて過ごせというもの。通院が運動になった程度という話です。

まあ、帰宅後昼食を食べたら,静かに寝てくれたので、外出すんですことができましたが。
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4/10
今日は、身体障害の方を親族に持つ洋楽演奏者@@さんに会いに,近くのライブハウスにいきなり、飛び込んだのですが、場違いもいいところ、しかも@@さんは欠席。奥に案内され暗いので、途中抜け出すこともできず、ポップス演奏を聴いて来ました。

聴きながら、あることを思い出しました。私は隅田川の辺り、玩具•花火問屋街に育ったので、持病の喘息に悪いと知りながら、花火が大好きでした。火花の炸裂の美に魅せられていました。何がきっかけかわかりませんが、転居先から古巣に戻った小学生高学年のころ、あの興奮は見事に失せて、特に美と異なる打ち上げのスリルのような、もともと異質な関心は全くなくなっていました。手持ち花火も天空の花火も、見え方が違う。好きにはちがいないのですが、花火に感情移入できない距離が見えたのです。好きだが夢中になれない感覚。さらには、火花に物質の燃焼が美の背後に見えているのです。この好みとしらけの感覚は、音楽にも現れていました。

私は朝鮮特需を源泉に復興に向かう終戦東京の米国風流行歌の洗礼をうけていました。幼児の私が口ずさんでいた曲が
Tennessee waltz
On The Sunny Side Of The Street
It's been a long long time
などでした、ブギではなく。

だから、中学生頃、アメリカンポップスをきくと、幼い頃の記憶の断片がよびおこされて、馴染みを感じていたのです。

ワグナーを聴こうとショパンを聴こうと、
曲は眉間で聴いていて、ジャズとおなじくメロディーを口ずさみ、反芻を通して響き合っていた。幼児の頃と同じく。ああ、頭できいていたなと思う。じわり涙ぐんだり、歯を噛んだりすることはあっても、曲に飲み込まれたり、身体がリズムに揺れたりする同期は起こらなかった。しかし、曲に集中することはできた。

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ところが、今回演奏を聴いていると、曲は知っているが、つまらないのだ。ともに演奏する者同志の酔いのようなものを感じ取りつつ、ああ私は外側だわと、わかってしまう。私は20数年前、自戒のため買い溜めていたレコード・CDを断ち、東日本大震災の支援の中古車を陸前高田に送るため,8割方を売り払った。

その後、曲無し生活をしていたせいか、今年初めて、@@さんとの出会いを求めて,今回で2回ここのライブに参加し、花火の時と同じ違和感を感じて、休憩時、そっと退出した。どうしようもない虚しさがわきあがってきた。

遠くが見える曲がいい、身体から離れないのはいやだ。これは、前回思ったこと。曲断ちの干物の感覚なのだろう。
(続く)
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2024/04/10&11 記
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4/10 続き
ライブから抜け出し、サポセンへ。
高校生防災紙芝居の学校宛招請状が消されてしまったので、メモをもとにsiriの口述再現。このベタテキストを成形してもらい、文書はなんとか間に合った。そこに百万の不合理がある。しかし、互いが蝕まれる悲しさ。

打ち出しをしてもらい、家に戻ると米が切れたと食パンを焼いている母。

米を買いに再度買い出しに出る気になれず、まてまてと、お好み焼きを焼いた。こんなに食べられないという母は上機嫌となった。成功である。

しかし、母は昼間寝ていたから、一層夜間トイレ通勤が増えた。お好み焼きを食べながら水を飲む。これが祟った。サポセン作業で時間がかかり、夕食が遅くなった。飲んだ水が深夜に影響したのだ。明日は倉敷真備の新年度会議。提案書まにあわず。

(校正1回目済み)





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