湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

4/6 ヘルパーさん夫妻と夜桜ドライブとなりました

2024-04-07 05:35:00 | 地震津波災害ボランティア
2024/04/06 記
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ハッカーさん、ご苦労様です。
今日、ちょっとした偶然から、母を連れて夜桜ドライブしてきました。
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今日は母の生活支援のヘルパーさんが入る日で、私は,その時間を利用して、外出します。今回は、母のベッドのマット交換のため、ニトリに行って,空振りして帰ってきたのです。スプリングマットではなく、その上に敷くシーツ状のクッションマットだったのです。これは布団屋かなあと思案しつつ帰宅したのですが、家の様子がおかしい。ヘルパーさんがまだいて、母と談笑していたのです。
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話を聞くと、次の巡回先のお宅が外出でお休み。我が家が最後とのこと。

話によると、ヘルパーさんのご主人は自衛官で、その赴任先が、私の父が若い頃、同じく発足したての自衛隊にいたことがあって、その赴任先と一緒だったという話。どうやら回された赴任先が全部一致したという偶然で、話が盛り上がっていたのだった。

いま夫が休暇で家にいて、今晩夜桜ドライブするのだが、一緒にいかないかと、おさそいをうけたのだ。

母は躊躇なく賛成。私は明日の自閉症の自立生活している青年の生活見学zoom会議参加のため、かさなった災害ボランティアの珠洲市避難所体験会議の調整があった。第一、前日、母は夜間トイレ通勤事故があったばかりで、母に体調不安があったからだ。
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今,母のトイレ通勤がありました。5:17
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しかし、母の強い意向があって、突然、夜桜ドライブが決まった。

市内の近場、松尾近辺ときき、少し安心した。2時間ほどのドライブだったが、問題は私の方だった。

夜間,私の目では、足元が見えない。そして、離れた桜は見えないのだ。悲しい現実。

母は車内のおしゃべりを満喫したようだが、今夜のトイレ通勤、興奮の影響が心配だった。

笑顔の母の懐かしい昔話、ドライブの余波のおしゃべりを聞きながら、帰りにコンビニで買ったシャケおにぎりに、お茶を出していた。
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ダブルブッキング、完全ではないが始末した。

(校正1回目済み)

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4/5 春は残酷な季節でもあります〜通じないことをめぐって〜

2024-04-07 03:28:00 | 地震津波災害ボランティア
2024/04/05 記
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ハッカーさん、おはようございます。
季節が戻ったような時雨た一日。母の体調が芳しくなく、ふしぶしの痛みを訴えるので、趣味の会参加中止。用だけ済ませ、帰宅。寿町行は中止。
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昨夜、トイレ通勤時、母、へたりこむ。感心なことに,父の時とは違い、もらすことはない。女の意地というか。ここ数日の花冷えが、密室のマンションに影響する機序、それは漠然と春先に知人の死が増す感覚的傾向の背後への不思議へとつながっている。入院中の病棟の変化へと記憶がつながっていく。ひとは生き物なのだ。

書き込み再開しますが、この転換期、ステレオタイプに半分うんざりしてもいるのです。
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個人が体験することが、類似体験があるようなことであれば、響きあうこともある。しかし事件や事故に現れやすい特殊性、ときには当人の思い込みによる錯誤がひそむ世界だが、最近は時代や環境と世代の断層のあり方が、一層気になってきた。

戦争•被災体験など、それでは同じ立場の者同士がわかりあえるかと問えば、心許ない。体験は個的というより同時代人の心性を孕みそうなものなのに、ズレていく。別人だから当たり前といえば、当たり前であるのだが。

社会運動のなかで、通じない言葉があることは承知しているが、生老病死に立ち会ったり、差別を噛み締めたりするとき、私の判断は共感を求めたりする内容を引きずる未練から距離をおくべきという気持ちが濃くなって来た。まず成すことが大事なのだ。

路上で出会った方の死を書いていく最中、再起の道すらみえない谷間が浮かんでくる。骨を拾う者としてではなく、活路を探すお節介でありたいと願って来たことは、私の中の通じない言葉が百万と見えるからだろう。納得していない私があるからだ。
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見えることと見えないこと。以前、倉敷真備の豪雨災害の中で,亡くなった知的障害があった母子の溺死の背後に、生活圏の人間関係の偏りが潜んでいた。福祉の関係者の中でいきてきたが、隣人と地域のつながりがなかったがゆえに、避難の道がわからず孤立。死に至った。

いろいろな人と生きて来たから、そこの人間関係に偏りをみいだす者はまず、いない。ところが災害のような極限では、それさえも剥き出しにしてしまう。

だが私らの日常が偏っていることを誰が気がつくだろうか。通じない言葉は、ここに生成する。懇話会の呼びかけをかいていて、ため息を噛み殺していた。

だが危ういことなのだ。
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蒲田の学童の防災パフォーマンスのその後の話を聞いた。

私の液状化実験の感想をこどもにきいた。

ビル(模型)が傾き、ピンポン球が浮き上がるのが

面白かった
こわかったから注意しようと思います

ああ、先験的な関わりは、こんな状態なのだなと思いつつ、今後の災害にであったとき、現場理解に思い起こされれば、意味があったという程度で考えるべきだろう。

友人に報告の感謝を述べつつ、むずかしかったかなという彼に、長い目でみようよと告げた。
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(校正1回目済み)







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