湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

7/25茅ケ崎市産業振興課・障害福祉課との意見交換会の感想

2006-07-26 06:25:05 | 引きこもり
 昨日は茅ケ崎市の産業振興課・障害福祉課が場を作り、私が経過報告をするというような設定の意見交換会が開かれた。茅ケ崎市勤労市民会館の1F会議室。話はろくでもない申し入れかと思っていたので、少々意外でもあったのだが、私たちの活動がヤングジョブスポット湘南誘致を核とする方向へシフトして初めての話し合いとなった。

 ここではっきりしておかなくてはならないことは、目的と実現の手段とは異なるということだ。私たちの目的は「就労がむずかしい青少年の就労支援活動」であり、社会から押しのけられようとしている不合理(差別)に屈せず、社会に十全に生きていく「道と友」を見出していく活動であるということだ。私たちはそこにピア・サポートを基礎にした活動をおこうと思う。就労が徹底個人の社会配置活動として展開されることに対置する人のつながりとしての就労とくに、ケアを媒介したパートナー活動の積極評価を行いたいと思う。インクルージョンの中に「働くこと」を焦点化していきたい。社会的引きこもり、軽度発達障害の人々の出番を地域社会に作ることによって、障がい者の社会参加と就労を促して行きたいと思う。その活動の公的な支援を発現する制度的媒介としてヤングジョブスポットを生み出したいと思うのだ。

 会合は既存の常識の上に仕切られて議事が進行した。産業振興課はホストと行政の活動の秩序と段取りについて語り、障害福祉課は就労相談窓口設置の社会的効果への疑問を語った。とくに後者は、障がい者就労にとって就労相談自体が現状を踏まえない非現実的なことという語りとなった。これは、特に身体や知的障がいの方々の生れ落ちたときからの障がいを前提に、社会参加(就労)への個人特性を踏まえた指導を就労支援と呼び、現状として企業就労は宝くじの幸運に近い状況を踏まえて主張されたものだった。しかしこれは、私たちの構想が引きこもりと軽度発達障害の方の支援を軸にした無業若年者の就労支援であることを忘れている、というより、彼らの実像をご存じない。従来の福祉就労のイメージで事態を解釈しようとしている過ちから来ている。

 もうひとつの怖さは、これからの市民活動は収益性をしっかりと身にすえたものでなくてはならず、収益活動を伴わないボランティア活動であってはならないという主張だ。地方交付金の大幅削減の中で、行政にぶらさがらないでくださいねという話。ここで私たちの活動の公益性は無視される。背景を理解しない言論の鵜呑みは危険であると、私は協働まち研の中でも主張してきた。資本をもち、あるいは企業体として行政との間にあるいは市民に対して商取引を行う。その手堅さをもって市民活動と呼ぶという過ちだ。公益性の高い仕事は行政が成す本来の仕事であった。その部分に民間の分かち持ちの道をつくること、これは正しいと思う。ただそこに収益性の縛りをいれることは、自然発生的な市民活動の自発性の芽を摘むことであり、私企業の行政代行ビジネスによってボランティアを遮断・排除していく露払いをしかねいからだ。ボランティアがなしうることの正統な評価がなければ、誰が金を出すかの議論に話が歪んでしまう。市の政策はどこに行ってしまったのだろう。

 産業振興課からは、ヤングジョブスポット誘致の際、委託は湘南子どもフォーラム懇談会が受諾するのかという話が、今回もまた質問として出た。私は地元関係団体のサイドガードの中ではじめて活動が実を結ぶと考えている。引きこもり支援関係団体であったり、障がい者親の会や支援団体であったりする。これを就労支援湘南実務者ネットワークとして提案しているが、ここに行政や社会貢献を志す企業が参加し運営委員会が支えてもいい。ただ実際のところ、活動の実務は誰かが積極的な活動(私はここにボランティアの意思的活動をおく。フォーラム懇談会が出てもいいし、実務者ネットから派遣してもいい。)を担わなければなるまい。指導責任者のついた学生の支援を求めてもいい。そういう発想を夢物語と切り捨てるのは、誰かが出資し利益取得を認めるから代わりにやってくれという、原点を見失った委託論が跋扈しているからではないか。無業若年者の問題は、社会問題なのであり、政策という価値判断がはいるところだし、またそれは公益性のある活動なのだ。

 こうした空転は、実務者ネットの中にもある。いわゆる「軽度障がい」「社会的引きこもり」について、それは障がい者支援団体の従来の発想の対象外のものだからだ。重篤な障がいの方の支援を優先させることはわからなくはない。ただその施策が行き詰っている現状の中で、障がい者の社会的認知を高め、インクルージョンへの道を踏み出すためには、「軽度障がい」や「社会的引きこもり」の若者の活動を育てることによって、底上げを図る必要がある。同時に手帳を取得できない公的支援の隙間に落ちている軽度発達障がいの人々への公的支援を拓くものとして、デザインしていくべきだろう。

 映画「able」が有り、活動「浦河べてるの家」があるように、ことは想像力の問題なのだ。そこを踏まえずして段取り論議に流れ込む行政の公正客観とはなにか、私は始められるところから、ことを始める。「わーく」も苦戦は目に見えているが始められることのひとつだ。月に一度のYJS窓口を開設し支えることも、お互いの信頼のすり合わせのために始められることだ。そこを支える人材をまずは探し出すこと。これが今の私の仕事になっている。

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