湘南オンラインフレネ日誌

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協働スペース夢たいカフェの事務所利用を降りました/セカンドブックアーチの講演会

2009-07-27 10:15:09 | 引きこもり
大きな転換をくぐった。事務所展開を振り出しにもどし、候補を降りた。
なんともしんどい日をくぐった。シジフォスのような気分。次の展開へ。
書きこみ中断、陳謝。

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夏期講習の関係で家の母との介護担当の割り振りに問題が起きている。ともあれ夜の巡回前にと、14時から企画されていたサポセンの市民カフェ企画に出席し、NPO古書店ブックアーチの山本高大さんのNPO起業話を聞いた。この件は後で書く。

会の終了後、夢たいカフェ準備会のスペース構成団体から、「わーく」編集部は降りることをMさんに伝えた。長い夢だったけれど、終わりである。

協働スペースに地域活動の大きな意味を持たせようとしたが、協働スペースから、共同オフィスに至るまで、自宅作業と大差なくなってしまった以上、意味が無いのだ。

ふたつの点で、活動の構造が違っていた。

1)地域未組織の当事者の磁場というか網掛けの結集促進活動と比較し、従来の知的・身体障がいの活動にその傾向が強い「育て上げ就労」とを結びつける折衷構想に対しても、参加者に前者の発想が全く伝わっていないこと。

2)当事者(本人)活動の育成、つまり当事者相互の協働の発想自身がないこと。

この点が「わーく」編集部活動の核であって、例え活動自身がお互い違っていても、スペース自身が相互利用できるという状態が崩れた。つまり相互活用できるスペースではなくなってしまい、今後も地域交流の対象が明らかに違っていく。そういう接点を望めないことが、構造的に浮かび上がってきたからだった。

このスペースを「社会的困難な若年者」の地域就労を拓くセンター的な発想の目標を持つ私と、伝統的なコミュニティ・カフェの主婦層を中心とした地域住民交流スペース作りの構想目標とがずれてしまった。設計上もその発想のずれが反映していた。障がい者が「定形の就労体験」が出来る場にはなっても、困難を抱えた青年達が集い、仕事を生み出す場にはならないという、根本的に固い構造が見えてきたからだった。

私の構想が、しんどさを背負った青年達が仕事を通じて社会参画していくという、いわゆるノーマライゼーションを考えていることに対し、店舗展開参加(たい焼き屋さん・小箱ショップ)という受け皿を通じて」、当事者が「従業員として地域に社会参画していく」という形を取る。こうした場合、すでに幼いときから地域ネットワークに組み込まれている障がい者以外は、考慮されていないに等しい。「育て上げ就労」と私が呼ぶのは、そういう活動のことだ。

自閉症スペクトラム・神経症・中途発症精神障がい・社会的挫折・社会的不合理(路上生活・外国籍・差別等)などの青年たちへの働きかけと、彼らを組み込んだ就労支援構想がないことは初めからわかっていたが、彼らと出会う事務所や多目的スペース自身も、次第に無理ということになって、折衷案も成り立たなくなった。

スペースのお客さんとして交流利用前面に立つのが主婦層であって、もともと差別の中にある者どおしは、何らかの働きかけがないと集うことは難しい。やはり異質なのだ。若者が「来てもいい」スペースでは若者は来ない。商品選択の問題ではなく、企画の質が違うのだと思う。

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こんなことから、山本高大君の古書店活動のような若手の活動に、人材が枯渇して関心が向いたのは正直なところだった。しかし、私の活動とその提案はもう何年も障がい者畑の関係者にもまれて、傍観放置の状態に晒されている活動である。政党傾向の谷間にあるしがらみに、もまれてきた活動である。それが若手と合流を図るなどと先方には迷惑千番。だから、しがらみのない高齢者介護関連等のアイデア提供をすることで、私はあくまでも山本さんの活動の外側にいることにした。彼のように勢いがある活動には、社会活動の戦略性うんぬんを吹きかけることに無理がある。

私の活動は他人の活動に頼ることなく、自分の足で立つことが大前提。今必要なことを有効な形で提案している自負はある。吟味してもらえばわかることだ。電子メディアを組み込む活動ゆえに、不本意なことに「非人間的」というようなレッテルにきりすてられてしまう。ダニエル・グラハム・ベルが電話を発明したとき、交換手の女性と話をするから風俗を乱すとか、出歩かなくなるから「足が萎える」という批判の歴史があった。今、電話を使うから「いのちの電話」を非人間的というだろうか。私は活動にゲタを履かせる(中邑賢龍氏)ことによって、活動の質と出会いと仕事の可能性を拡張することを考えている。

今回のことで「わーく」編集部事務所(出会いの定点)は、失うことになったが、「わーく」再刊と企画活動はこの夏から再開していく。ブックアーチの活動とは、接点のある企画提案はしていくが、50をまもなく終えるおっさんの活動は、ひとりで試合をやるようなものではあるが、まず隗から活動を生み出すことで賛同者を募る以外ないのだ。

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山本高大さん(NPO古書店ブックアーチ主宰)の市民カフェ講演会は、若手が6割の、いつもとは調子の違う講演会となった。山本さんが古書販売を始めた経緯とその体験が、就活との葛藤のなかでリアルに語られたので、聴衆は話に引き付けられていった。この辺は天性のものがある。見事だ。

私にとって面白かったのは、起業時点の経過。基礎になる友人知人の輪が出発点となり、次第にやりたいものを「絞り込み・発見していく」様子だった。更には古書が届くようになって、「不用な本をください」ではないぞと気付く、そういう質の転換点に彼が到着したこと。「あなたの大事な本をください」へと活動を切り替えていくところは、実践が持つ重要な意味が隠されているのだった。「成長」という怪物のことだ。彼はそのことに気付く。

この活動は、iPS細胞のように様々な変容の可能性に満ちている。同時に話題の傍流のような質問も、気軽にかわすことの出来る雰囲気が出来上がったことは、活動を行う人の個性の力だとわかる。

野口宇宙飛行士を激励する会・ほのぼのビーチなどの重複する企画の中で、十数名が会を楽しめたのは、自分なりの目的を持った方が多かったということがあったのだろう。返ってこの悪条件は、よかったのかもしれない。

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「あすなろ会」のBig Issue 湘南販売再開が難航していることは、前にも書いた。理由は「支援組織が路上の方を支える形で提供する」のが Big Issue 誌の流儀だった。「あすなろ会」は「自助組織」だ。だから代表も元販売員さんのTさんだ。これでは販売活動が安定しないということ、そして前回の販売の支援者に借金をしているという道義的責任がT氏にはある。けじめが必要であり、それを曖昧にして販売再開は出来ないという、一般的には納得のいく判断のようにも思える。しかし、金がなければ返済できないことも事実。最大のことは、販売員Tさんへの人格の誤解がある。

この件で8・20に関西からBig Issue の佐野代表が上京されるときに、もう一度面会を求めたいと思っている。

ただ8/20までにはかなり日がある。偶然、同じ地域のBig Issue 販売希望者のNさんが、東京事務所経由で知るところとなり、地元のカトリック教会系の支援団体の施設でTさんは面識があったということで、Nさんの販売も考えていくという事になった。ただこれがキャパ一杯である。

先週の水曜日、Tさん、Nさんのふたりと話をして、「あすなろ会」として、Nさんの販売もサポートすることになった。だかTさんすら承認がペンディングされている状況では、Nさんが20日まで待つという事で、数週間日干しとなり、その後も認可の保証がないのでは、せっかくの販売参加希望の芽を摘んでしまうことになる。

そこで横浜・寿町のNPO「さなぎ達」の販売活動に研修として2日ほど販売体験をしてもらえまいかと提案した。Tさんの横浜販売は8/20までは販売は無理だが、Nさんの研修とそのコーチとしてTさんがつくこと。Nさんの研修販売認可を東京事務所出してくれれば、考えてくれることになった。つまりNさんのモチベーションを落としたくなかったことと、万が一、20日、破談だったとき、Nさんを「さなぎ達」さんに支えてもらおうと、顔つなぎをしておきたかったのだった。私達の波乱にNさんを巻き込むべきではないからだった。

東京事務所には、夏期講習の新規巡回が町田にある日、今週の火曜日にNさんの件を確認しに行こうと思っている。

この間いろいろなことが起きている。4~5日前、茅ヶ崎駅前に止まっていた60代の男性が、所持品と自転車を残して忽然と失踪した事件が起きていた。この件は、彼が当日、行政窓口に出かけているので、持病の関係で強制入院させられている可能性が大きいのだが、身辺に何事か起きている可能性も消し去れなかった。カトリック教会が自転車を預かり調査しているが、私達に出来る協力は何かと考えた。行政との仲立ち調整や関係団体への協力依頼をカトリック教会の応援補完出来るかも知れないのだ。

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7/25~26
父の方も異変が起きていた。老健ホームの入所審査に落ちたのだ。診断書に書き込まれていた糖尿病の数値から判断された。その診断書にアルブミンの記入漏れがあるとして注意をうけてしまった。選択肢の狭まりにがっくり来たが、その判断を追うように、父に異常が起きていた。

ベッドから足の力だけでは降りて立てなくなった。手によるつかまり歩きの比重が増え、ベッド下に腰が抜けたように座り込み、立てなくなった。

悪い方の手の企図振戦(意志に従わない、比較的ゆっくりとした振幅の大きな震え。)が始まった。以前から指摘されていた小脳まわりの萎縮が進んだ可能性があった。

結果、失禁と混乱による自己防衛の怒りが始まり、土曜日の夜は、父の静穏を保つ為に、明け方まで分散して4~5回階段を行き来した。4時前、睡眠導入剤を使用。双方神経をすり減らすような蹴り、迷いのある罵倒が続いた。夜間傾聴は中止。午前10時50分まで父は起きなかった。9時に母の出した朝食は冷めてしまった。

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7/26~27
0時40分、椅子ごと父が横転した。あと数cmで柱に頭を打つところだった。これほど繰り返し転倒を繰り返しながら、怪我をしないというのは驚異でもある。それと同時に、打撲の痛みがあまり出てこないのが異様。糖尿病の影響だろうか。膝の傷は触ると顔をしかめるので痛いのだろう。演技とは思えない。この違いをなんと説明したらいいのだろう。

一昨日から父の眼差しがおかしい。母が九州・関西の洪水・土石流被害の話をした直後、私と介護担当を入れ代わったとき、父は旧家の近所の浸水地点の話をした。数十年前の記憶である。その後、何回となく、介護中に父は同じ話を反復するようになった。ただ、お互いが間を保つ必要があるタイミングに話が生じているので、場面理解は損なわれていない。しかし、繰り返しが増えてきたところに症状の進行を感じている。

4時台は夜間傾聴にとっても、父にとっても魔の時間である。ある子の孤独に付き添っている最中、父のレム睡眠行動障害のベッドショーが始まり、ベッド下に派手に落ちた。電話を切ること自身がこの方の恐れにつながっていることはわかっていたが、トイレを装って一度電話を切った。急いで父の部屋に飛び込むと、湿った毛布に素巻きになった父が、毛布から脱出しようと周辺の家具につかまり、周辺の家具を次々に倒していた。

時間との戦いだった。父をベッドにあげて、作っておいた尿取りパッド入り紙パンツをはかせ、パジャマズボンを交換。照明を消して、階段を駆け下りた。案の定、専用携帯が鳴り出した。疲れたのだろうから寝るとの先方の電話。この先読みが危険なのだが、あえて夏期講習の疲れを理由に予測を認めて、傾聴中断した。呼吸ひとつまで先方は読み取っていく。だからこの切り替えはしんどかった。

再び父の元へ。ただ8時半には、ホームのデイサービスの迎えが来る準備ということで、階段介助と着替えにヘルパーさんが来る。だから睡眠導入剤を使うわけにはいかなかった。

7時すぎ、父が排尿に立った。サイドテーブル上の固定電話の子機・日めくりカレンダー・非常用ボタン・ティッシュなどすべてが床に落ちてしまった。これを拾っていると私の仮眠時間が保てなかった。電話子機と非常用ボタンの電源がいるものだけ拾って、30分仮眠を取った。朝食を作り、熱いお絞りと水を添えて父の部屋に持ち込んだ。なんと父はまた、椅子に腰掛けていた。眠らなかったのだろうか。

スイカを添えたのがいけなかった。振戦があるため、食事が遅く、食べこぼししてしまう。出発時間の迎えを待たせて、父は不安定な足運びで階段を降りた。

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夏期講習の取り出し指導と巡回が私の仕事。昨日は夜の巡回のみ。相模線の常連になっていた。日曜の夜間は若者しか乗っていない。ポメラでレポート下書きをやっていられるのは相模線ならではである。しかし奇妙な追従。下書きを始めると、みな携帯とゲーム機操作が始まった。伝染するのだ。そこにガードされた張り合う個人空間を感じるのだった。

今日は午後から取り出し授業、茅ヶ崎に戻って父の主治医のところに向かい、買物。16時半には父のデイサービスの帰宅受け入れ。夜1件巡回、塾の方で会議。帰宅予定23時半。タクシーは避けたい。

夜間傾聴:7/25~26 中止
     7/26~27 中央林間君(仮名)
          非公開(中断)

(校正2回目済み)

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