日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

いいみらい

2022年11月30日 | 社会 政治

 頭髪をかき上げながら「100年安心」と大見えを切って宣言した厚労大臣、その年金制度が発足したのは2004年の年金改正だった。あれから18年、100年どころか常に年金の問題は議論となり安心という状況にはない。定年まで真面目に勤めれば老後の生活は何とかなる、若いころはそう思い給与からの引き去りも苦にならなかった。

 2014(平成26)年度から、毎年11月30日(いいみらい)を「年金の日」としましたと厚労省のHPにある。年金100年宣言から10年という節目年に始まった。HPでは「ねんきんネット」等を利用して年金記録や年金受給見込額を確認し、高齢期に備え、その生活設計に思いを巡らして欲しいと呼びかけている。

 「年金見込み額を確認し」とあるが年金額の減額はあっても増加は容易に見込めない昨今、厚労省の呼びかけに応じるなら、生活維持のために目減りをいかに補うかを模索しなながら、高齢期の生活設計に思いを巡らせる。だが、明るい日差しは浮かんでこない。

 目減りを補うには節約を第一に思いつく。このところの物価高騰は少々の節約では補えない。都心の議員宿舎に安価な家賃で入居し、歳費以外に領収証のいらない毎月100万円が自由に使える議員にはわからないだろう。ここにきて与党からは増税の声が大きくなっている。とにかく若い人らの生産意欲を高める政策をとり、若い人らに「いいみらい」の日が来ることを願う。

 (今日の575) 年金の増額願う高齢者
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お茶うけ

2022年11月29日 | 生活・ニュース

 小春日和の日だった。訪ねた家で「少し時期遅れですが」と出されたのは、箱に並べられた秋の草花や果実をかたどった和菓子だった。その美しい出来栄えにしばし見とれる。「お好きなのをどうぞ」と勧められるが、どれも口にすることを遠慮したくなるような姿だった。県央部からやってきた人の土産という。

 自分は食に詳しくないことはよくわかっているが、それでもこれほど秋の自然を模して並んだ菓子を写真でも見た記憶がない。栗も柿もススキも菊も、とにかく色合いも形も手が込んでいることから、鑑賞するという雰囲気になる。

 見ていると食べ物ではあるが「食欲の秋」ではなく「芸術の秋」を感じさせる。見惚れていたのか後で気づいたが箱に並んだままを撮っていないことが残念でならない。

 私は洋菓子、ケーキ類はよほどのことない限り口にしなしい、自分からは注文したことがないくらい、どちらかといえば和菓子派になる。これらがなくてもお茶でもコーヒーでもしっかり頂ける変わり者のようだ。頂いたもみじは落ち着いた和の味はお茶の渋さとつりあってよかった。

 (今日の575) 秋すがた和菓子に寄せたたくみ技
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育ちすぎても

2022年11月28日 | 地域

 「出る杭は打たれる」ということわざがある。意味を復習してみるとこうなる。「才能豊かで頭角を現した人や、出すぎたふるまいをするものは、他人の妬みを受けて憎まれたり、邪魔にされたりするものだということのたとえ」。平凡な人間なのでこうした経験はないが、したことがあるかもしれない、と反省する。

 同じようなことわざに「大木は風に折られる」がある。ある神社にたたずまいする数本の銀杏の木を見ながら、さすが神のもとに育った神木かと思い、高さ根回りの大きさ、葉が緑から黄色に変わる姿を眺めていた。ところが、何年振りかに訪れたそこには神木かと思っていた銀杏の木がない。風ではなく人によって切られたという。

 樹齢は知らないが、大きくなりすぎ倒木の危険が増したことから地上数㍍のとこで伐採されたようだ。切り残された幹を覆い隠すように黄色に色変わりしかけた新芽から出た葉が茂っていた。これだけの枝葉が子孫として姿を見せていることに、次世代に生き延びる自然の力強さを感じながら、もう一本の同じような運命の大樹を思い出した。

 それは、錦帯橋近くにある吉香公園にある山口県天然記念物「エンジュの木」、枯れ死の危険性があり、そばの国指定重要文化財の吉香神社や園内通路があるなどから地上3㍍のとこで伐採された。すぐに新しい枝葉が生まれ、今は茂っている。私はこの枝葉が2代目エンジュの木として育つことを願っている。

 (今日の575) あまりにも育ちすぎたか銀杏の木
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富士山柿

2022年11月27日 | 回想

 「頂き物ですがお裾分け」といただいたのは「富士柿」のラベルがついている柿。子どものころに富士山柿と呼んでいたと同じもの、店頭では見ていたが手にするのは久しぶり、いや何十年ぶりかになる。手のひらに乗せるとどっしりした重さが懐かしい。祖父母の大好物でもあったので仏前に備えた。

 前に住んでいた家には渋と甘い柿木があった。渋の方は正式な名前かどうかは知らないまま「富士山柿」と祖母が呼んでいたのでそのまま使っていた。ちょうど、今ころにもぎ取り、収穫の終わった稲のもみ殻をもらい、それで柿をすっぽり覆い、年明けまで 覆いを外さずにしておく。

 年明けに開くと熟柿になっている。口に入れるとトロリとした感触、おやつのない時代なので何よりの物、待ちどうしかったことを思い出す。熟柿の色は茜色で、その一つ一つは霊峰富士山の夕焼けのようで、まこと富士山柿とはよくつけたと、今でも思い出す。そんな富士山柿の木を譲ってから何十年も経つ。あの木はどうなっただろう。

 毎年、もらった柿で作っていた渋柿で干し柿を作っていた。「ごめん、今年は不作で届けられない」ということで見送った。自然のことゆえ仕方ない、来年は豊作でと願った。秋は果物が豊富、食べたいときには買っている。祖父母は味わって満足しただろうか、勿体なくてと眺めているかもしれないが、明日にはいただこうと思っている。

 (今日の575) 身の渋を抜ければまあるくなれるかな
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名勝「錦帯橋」

2022年11月26日 | 地域

 山陽新幹線新岩国駅の待合広場に市内の観光施設の紹介がされている。その一つに国・名勝の錦帯橋の模型が置かれている。大きさは錦帯橋の橋長193.3㍍、幅員5㍍の30分の1の縮尺という見事な造りで、その寄贈は県内在住者の方とある。そこには趣のある文字でこう記されている。

 「錦帯橋は、岩国を二分する錦川に掛けられており、上級武士が居住している横山側(城山側)と、下・中級武士や町民が住む錦見側とを結ぶ城門橋として延宝元年(1673年)岩国藩三代藩主吉川広嘉公によって創建された。

 初代の錦帯橋は創建翌年の洪水であえなく流失したが、構造の不備を徹底的に強化し、翌延宝二年十月に二代目錦帯橋が完成している。その後橋脚保護を目的とした敷石の施工や、橋体に改良を加えながら大切に保存されて来た。ところが、昭和二十五年のキジア台風により再び流失した。翌二十六年から再建工事に取りかかり昭和二十八年一月に三代目錦帯橋が完成」

 この模型は工夫されていて、橋板の一部をはがしその内側や(写真)、敷石の個所に鏡が置いあり橋の裏側が見えるよう工夫されている。2001(平成13)年から04年にかけ平成の架け替えが行われた。橋の木材は主として赤松とひの木、そのほかケヤキ・ヒバ・クリ・カシなどが使われている。来岩の際はぜひご覧いただき、錦帯橋へお運びください。

 (今日の575) 太鼓橋カランコロンと下駄の音
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黄唐辛子

2022年11月25日 | 生活・ニュース

 「綺麗でしょうが、どうぞ」と一握りの唐辛子をもらった。黄色の唐辛子、聞いてはいたが手にするのは初めて。赤と混ざって鮮やかな秋を演じているようだ。黄色は赤色に比べ、その辛さは10倍くらいと聞いているが、口にしたことがないので試すしかない。

 とは言っても、使う前に乾かす必要があり、短い冬日にあてている。赤よりも乾きが遅いようだ。乾かすなら赤よりもよく乾かすようにとくれた人の話。我が家にある赤いのもよく乾燥しているが、これよりも乾燥度合いを上げるには策があるのだろうか聞き洩らした。

 私はどちらかというと味は辛党(この使い方は俗用らしいが)の側になる。醤油や塩がその代表的な調味料だろうが、血圧上昇を抑制している生活では使いずらい。唐辛子は体内脂肪を酸化分解させる働きがあり、エネルギーを燃やし肥満防止に役立つという。ただし、食べすぎると胃の内壁を荒らすので良質のたんぱく質を一緒に摂れという。

 高血圧には減塩食が良いことは分かっている。毎食ではないが時には味気なさ薄さをかばうため七味や一味を振りかけて美味しく食べている。減塩食と脂肪を分解させる唐辛子で食を進めるのは成人病対策になるのではなかろうか。黄色唐辛子の乾燥仕上がりが楽しみだ。

 (今日の575) 唐辛子黄と赤辛み競い合う
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COCOA終了

2022年11月24日 | 社会 政治

 新型コロナの感染が第8波といわれるが国からの宣言はなく、経済活動に目が移っている。当県の知事は第8波感染拡大防止を図るよう県民へ複数回呼びかけている。一方で、自民党幹部の一人は「国際会議でマスクをしているのは日本人だけ。世の中は変わっている。コロナ対処の仕方を考えなければ」という主旨の認識を示された。ちぐはぐな様子がよくわかる。

 鳴り物入りで利用を勧めていた「新型コロナウイルス接触確認アプリ:COCOA」が17日以降中止された。このことに詳しい記者は「担当の河野デジタル相もCOCOAはダメだとわかっているのですが、あえて失敗という言葉は避けています」という。結果として機能しないアプリだったということになる。

 報道ではこのアプリ削除について17日から、通信機能を削除するアプリを送信するとあるが、1週間たっても届かない。単にアプリを削除するだけでは根本的にな削除にはならず、いつまでもバッテリーを消費するという。これからは、利用者に負荷のかかる国のアプリの利用について慎重になる。

 マイナンバーカードについて「ポイントが付いたから娘の勧めで作ったが、さてこれをどう使うのかさっぱり」、これは病院待合室での話。ICチップの読めるカードリーダーを使ってパソコンに読み込む、それ以降も素人では操作が難しい。大きな文字で、カタカナを少なく、わかりやすいイラスト入りの説明書をカード取得者には配布すれば少しは助かるのだが。COCOAのように簡単に廃止はできないだろうから。

 (今日の575) コロナ菌みとし経ちても成長し
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久々の雨に思う

2022年11月23日 | 地域

 向かいの家の雨どいから流れ出る雨を久しぶりに見た。先月市内の降水量は平年の2%と降らなかったに等しい。農家の人や菜園を楽しむ人から「一雨欲しい」という話を聞いていた。昨夜9時ごろに静かに雨の降っていることに気づいた。今夕までの降水量は30㍉ほど、畑の潤いになっただろうか。蓮根農家の人の今年は雨が少なく収量が落ちた話も聞いていた。

 雨が少なく心配している錦帯橋の掛かる錦川上流の話を聞いた。いったん建設中止となった県営ダムが用途名目を変更して作られ、湛水(たんすい:水田、ダムなどに、水をいっぱいに満ちたたえること)が始まった。降水量が少なく予定の期間内に満水とならない。満水となり異常のないことが判明してダムの完成となる。

 満水予定は後にずらされたがそれでも遅れ気味という。そのため下流への流量を最低とされる流量の6割余りとして湛水を早めようとしている。流量低下で下流の水量減により川の生き物や植物への影響が出始めているという。その一つに、カジカガエルの生息地で藻がヘドロ状になって沈んでいる写真を示された。

 下流域では市の上水道、複数の大手企業が工業用水、工業団地用の用水など多くの目的の取水が行われている。ここでの水質の悪化はアユなどの生育などに影響するだけでなく、日々の生活への懸念も生まれる。清流といわれる錦川がその名の通り続き、河川沿いの人らの懸念がぬぐえるような方策を作ってほしい。

 (今日の575)  水量が減れば弊害起きますよ
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思いやりと気配り

2022年11月22日 | 地域

 海抜500㍍にある県の施設で、月2回ほど陶芸を創るというより粘土をこねて楽しんでいる。そこは「観る、泊まる、仲間と楽しむ、家族で楽しむ、学ぶ」がキャッチフレーズとなっている。年間では万を超える利用者があると聞いている。陶芸の日に園児に児童や生徒、新入社員教育や研修などの利用者を見かけることがある。

 2階には静かな瀬戸内海を見渡せる食堂がある。陶芸の日にはここで昼食をとっている。変遷はあったが今は「うどんとむすび」、一見質素に思えるがたまにはこれくらいの軽食もいいかなと、定着した。料金はコーヒー付きで550円、年金生活者には手ごろな外食と思う。粘土代を含めても千円に届かない。

 そんな施設のフェイスブックに載っていたある日の記事。「レストランのおひるごはん、幼稚園の遠足で、銭壺山の頂上まで登山しました。楽しみにしていたお子様ランチ、スープがついて、とってもおいしかったです」とある。添えられた1枚の写真が思わず絵顎を誘う。

 それはいかにも手作りらしい弁当。にぎりに目と鼻と口が作られている。話に聞くと「園児なのでおいしくするため、施設職員のアイディアであり合わせのもので顔にしたが大好評だった」という。園児らのはしゃぐ顔と声が聞こえてくるようだ。このくらい利用者に心配りしている職員さん、だから陶芸メンバーの子や孫のような年代の職員さんだが仲良く楽しんでいる。

 (今日の575) 3粒のグリンピースが笑顔呼ぶ
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ガクチカ

2022年11月21日 | 生活・ニュース

 「ガクチカが書けなくて泣きそう」、「ガクチカに書くことがない」。そんなイントロでそれぞれがパソコンに向き合う若い男女の後ろ姿の写真が載っている。これはある新聞の電子版で見た導入部分。「ガクチカ」が何を指しているのか全く想像がつかず、次を読まなくてはしゃんとしない。

 読んでこのカタカナ語は「学生時代に力を入れたこと」を略した就活用語ということで、それを「書けない、書くことがない」と悩む就活学生の悩みと知った。サークルやボランティア、留学などアピールするのだが、コロナ禍で大きな制限を受けるなどで、語れる経験や成果が乏しいからという。気の毒な反面、こうした環境下で何かを見つける努力をしたのだろうか。

 こうした略した新語や略語、読み替えが増えている。しかし、いつの間にか略語でなくても日常で使われる。運動選手はアスリート、菓子職人はパティシエ、ケーキはスイーツ、ズボンはパンツ、チャックはファスナーなどなどなどいくつもある。先日は「孫の作ったスパゲティ」と書いたら「今はパスタという」とコメントが届いた。

 こうして書くと年寄りの愚痴に聞こえるだろうが、いつの間にか受け入れているから自分でも不思議に思う。文章でも会話でもカタカナ語が増えている。先日は病院の待合室。TVは朝のワイドナショー、女性コメンテーターの話が早口でカタカナ語が連続する。「何を言いいよってんじゃろうか」は後ろの席の年配女性、同感するしかない。司会者いやMCの進行技術、いやスキルが問われるのではなかろうか。

 (今日の575) 日本語で話せばすぐに解るはず
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