総合雑誌 21世紀(Vol.106 2008)へ投稿・掲載された全文。ブログへの転載については編集者了解済みです。
ボランティア活動に思う
定年退職からほどなく「パソコンについてもっと知りたい」という動機からあるパソコンの会へ入会願いを出した。その会は、研修による会員のスキルアップを図ることのほかに、もうひとつ大きな目標があった。それはパソコン未経験者の指導を行い、その普及を図り利用層の底辺を広げるという高い活動目標が設定されている。
そしてその活動はボランティアとして行なうという、時世の流れに沿ったものであった。しかしボランティアは「無報酬でなにかの活動に参加し手伝う」というその程度の認識しかその時は持ち合わせていなかった。
会員を続け、先輩会員の活動補助をするうち、一歩進んで自分も講師として指導する立場になった。その回数を重ねるにつれ、それまで思っていたボランティアについての「無報酬で手伝う」という単純な考え方が変わった。
ボランティアには「自ら進んで行動する」という意味があり、そのことが地域や社会の活動と考えられるようになり、多くの分野で幅ひろい年代の人たちが活動されていることを改めて知った。高齢化・少子化に歯止めがかからないままで核家族・過疎化が進行している。こうした背景があり助け合いや地域興しなどそのニーズは増していると認識した。
こうして「単なる無報酬の活動」という認識では中味の充実したボランティア活動は出来ないと考えるようになった。
また、繰り返し活動を経験するうちにそこから得られるものに気づいた。
先ず「楽しく出来る」ボランティア活動は、さわやかな充実感が味わえることを実感した。
次に講座会場をごとに新しい出会いや発見をすることで、長い会社生活では味わったことのないソフトな感動を覚える。また、ボランティア活動はともに活動する仲間があり、お互いが助けあえることも知った。最大の収穫は、自分なりの目標や目的を持って取組めば、ボランティア活動の中で自己学習の場が見つけられることだった。
しかし、そこは素人の悲しさ、冷や汗と反省を何度か経験した。そんなことから「自分のできることを、自分の時間の中で始めないと、中味のある息の長い活動は出来ない」ことを学んだ。
言い換えれば、そこでは仲間と助け合うことが出来るから、決して無理とか大きな負担や責任感を負ったままで参加しないという事だ。今は気持ちに余裕を持って参加している。
ボランティア活動をする中では次のような事に気をつけている。
先ず、パソコン講座受講者の学習される意欲を損なわせない、自尊心を傷つけないということだ。そのため言葉遣いや表現には最大の注意を払う。
受講者の質問や疑問には否定的な態度でなく、自分がパソコン初心の頃を思い返し、それ特有のカタカナ語を易しい言葉にして説明する。そのため慣れた講座でも周到な準備をする。講座時間の倍ちかくあれこれ考える。これが自己研鑽に連なることを認識するのに時間は要らなかった。
ボランティアに限らないが、ブランド物でなくても、清潔感のある身だしなみ、受講者への元気な挨拶なども必要な態度と考えている。
所属している会は岩国市の広域合併を機に一昨年法人組織になった。それまでは任意のボランティア組織として旧市内で活動し、年間延べ千数百名の方にパソコンの指導実績を残した。この活動を合併後の旧町村地域へも拡大するには、信頼される組織が必要と判断し数年間の任意団体に終止符を打った。
しかし、法人とは名ばかりで資金も機材もゼロからの船出、その活動実態は任意時代のボランティアの域をまだ脱していない。いま真剣に活動を続ける中で、機材やスッタフの充実を図り、法人としての責任ある活動を果たし、設立の目的達成のため会員は努力している。
小さなパソコン普及の活動も、ゆっくりではあるが旧町村にも広がり、講座に出向く機会が増えた。対象は市教委を初め自治会・公民館・婦人会・PTA等の活動や、地域イベントへの参加などで、そのたびに機材を抱えて各地へお邪魔している。訪れるたびに新しい人と活動へのニーズに出会う。希望が寄せられる間はいつまでも続けよう、講座やイベントの帰り道に話し合っている。
こうした活動を続ける上でもうひとつ大切なこと、それは家族の協力を得ることだ。幸いわが家は家内との二人暮らし、突発の事情が起きない限り予定通り参加できる。仕事をお持ちの方は職場や周囲の理解を得た上で活動へ参加することがマナーだろう。
日の浅いボランティア経験だが、会社生活とは一味違った経験が無償で得られる、そんな思いで明日も出かけていく。
(写真:掲載された様子)