日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

鐘撞き

2019年12月31日 | 生活・ニュース

 大晦日の夜は一年最後の行事として「除夜会」で寺参り。今夜も、このブログをアップした後で本堂へ向かう。夜の本堂は昼間とは違う厳かな感じがする。その中での除夜会は、読経、法話、除夜の鐘つき、ぜんざいのご接待と続く。

 「寺の釣り鐘は梵鐘という。梵は古代インドの言語でプラフマンの音訳で『最高原理』を表し、特に仏教では慾のない清浄を意味する言葉とされる。濁った社会に警鐘を鳴らす清浄な鐘の音は、寒い夜空を隅々までさえわたってゆく」。これは購読紙から送られてくる洗心メールの第175話「世が直るやら鐘さえる -除夜鐘ー」より学ばせてもらった。

 「鐘を撞くとき、心を込めて一年を振り返り、来る年への思いを込めてお撞きください」こんな心得を聞いた後で撞く。ゴオン~オンオンと除夜の空へ伝わる。毎年のことで慣れているけれど、毎年鐘の響きにジンとしたものを感じ身が引き締まる。

 今年の世の中は自己中心的な政治や社会だった。私のこの1年、いいこと、忘れたいこと、幾つも幾つもあった。みんなこれからの生活の糧としての積み重ねに役立つ。そんな中でブログは一日も欠かさずアップできた。我が身もパソコンも気合を入れて年初の思いを遂げたことになる。毎日が休日で時間があるからと言われそうだが、私的には努力を誉めたい。来る年もご訪問お願いします。
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餅つき

2019年12月30日 | 自然 季節

 餅、今は食べたいと思えばいつでも食べたい種類のものが食べれる。昔むかしというほどではないが、餅つきは正月前の一大イベントだった。わが家も親戚など数軒分の餅つきで、朝から夕方まで続いた。蒸篭でもち米を蒸し、石臼と杵を使って搗くという古くからの方法だった。印象に残っているのは祖母の手並み、両手で揉んで2個同時に作るが形が同じになっていた。

 そんな祖母がこだわっていたことがある。歳末の29日、9の日に餅つきはしない、それは頑固だった。9は「苦」に通じるという、何か記憶に残っていることがあったのだろう。しかし、その「苦」を丸め込めるからこの日に搗くという家も多い。

 昨日、そんな苦餅つきが名勝・錦帯橋の袂で行われた。町興しグループ恒例の行事で何度か出くわしている。帰省途中の家族連れを含む観光客が大勢見守る。撞き手は観光の人ら、手水する人の掛け声に合わせ杵を打ち下ろす。搗く人も見る人もみんな楽しいそう。撞き終わると一口大に切って見物の人らに振舞う。観光客に交じって私も撞きたての「ぬくぬく柔らか餅」を口にした。子どもころの楽しかったこの日のことを思い出す。

 錦帯橋は老朽調査と手直し工事中で、5連の欄干はシートで覆われていている。その姿に東京から車で来たという年配ご夫妻から「これはなに」と聞かれた。説明すると「仕方ないか、でも餅つきに出会えてよかった」と楽しまれていた。来年が餅のように丸い良い年となりますように。
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虫が良すぎるか

2019年12月29日 | 生活・ニュース

 新聞社のネット公開記事(電子版)をパソコンで読んでいる。何紙も購読できない者には大助かりだった。ネットの便利さ、公開社の懐の深さに感謝しながら数紙を購読料無払で愛読?させてもらっていた。一部でID登録の要求をされたが、特別に疑義は無かった。やがて全紙がそうなった。

 いつからだろう、記事の途中で有料会員かID登録者でないと閲覧できなくなった社もあるがそれは仕方ないだろう。その後、有料会員以外は閲覧できなくなった社もある。たまたまネットで読んでいた新聞だけかもしれないが、記事が佳境になるころ「ここからは有料会員限定」となる。残念だが進めない。

 文字離れが社会問題化する世になり、新聞の購読も減っている。2000年には1世帯あたり平均で1.13部発行されていたが、現在は0.66部で、4割も減少、新聞社の苦しい経営状況は素人ながら推測できることから、無料購読のサービスには限界がある。読むなら読者になってよ、ということになる。購読紙では一切の制限なしに電子版記事が読める。

 月に2度か3度くらい図書館へ行っている。その時、新聞・雑誌閲覧室で購読紙以外を読む、というより目を通すくらいだが開いている。空調のきいた閲覧室の利用者も多く、私と同類の方もおられるのではと思っている。「家で新聞を取っていないので時事問題が解けなかった」という中学生の声を読んだが、将来に不安を残す社会問題のひとつではなかろうかと危惧する。くる年も忖度や偏向の無い紙面を待っている。
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落葉の終生

2019年12月28日 | 自然 季節

 紅葉する木は冬になると葉を落とすとこらから落葉樹と呼ばれる。これは日光が少なくなったり気温が低下して、葉が作り出すエネルギーより消費するエネルギーが上回ってしまう。すると光合成活動を低下させ、大きな役目を終え枯葉となって地上に舞いおりる。人はこの枯葉も落葉も季節の風景としてめでる。

 枝を離れて地上に降りた葉、そこで楽隠居というわけにはいかず、森や山という自然の生態系の中で重要な役割を持っている、と先日学んだ。要約すると、落ち葉には炭素や窒素、リンなどの栄養素があり、その養分は微生物によって年月をかけて分解され、再び樹木などの植物の生育に循環していく。地面を乾燥から守る役目もあるなど、土壌の生物多様性が高まるという。

 桜並木の落ち葉を持ち帰る人から「これを堆肥にします」と聞いたことがある。落葉は腐食してやがて土に還るとは思っていたが、単純な話ではなく、自然の複雑な営みの中で重要な役割を担っていることになる。落葉を集めて燃やして焼いも、冬の光景としては絵にはなるが、もしかすると自然に迷惑をかけていることになる。残った灰は畑に戻そう。

 人は通れるが通る人はまれな道、先細りで車は通り抜け出来ずほとんど進入しない道、そんな坂道が落葉に覆われている。風に乗って飛んでいったり、雨に流されて坂を下たり、行く先は未定だ。でもどこかで自然循環の流れに乗るだろう。枯葉は地面に降り落葉となってから、人知れず自然へ還る長い長い一生が始まる。
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9連休始まる

2019年12月27日 | 回想

 令和初の年末から令和初の新年へ、多くの人が9連休になるという。報道が交通機関の混雑予想を早々と報じている。高速道の一部ではAIを用いた渋滞状況が出るという。高速道の開通しなかったその昔は一般国道が大渋滞した。通勤で普段は20分ほどの所要時間だが、マイカーブームと相まって2時間余り要した記憶がある。高速道の開通でそれは収まった。

 「主人の実家へ帰省するのはいや」という声が多いとTVは報じる。顔出しで嫌な理由を話しているが、結婚後親と同居してきたものからすると、「なるほどそうなのか」と納得させる話はなく、手前勝手なことしか聞けない。息子は帰省するがその嫁も子どもらも何年も来ない、と話す人を知っている。嫁の親はどう思っているのだろう。

 古い話になるが寿退社する女子社員に「旦那の親元へ行くときはエプロンを持って行って、お母さん(お姉さん)何か手伝いましょう」と話しかけるといい、経験からそんな話をしたのは大昔になるが、今なら大変なことになりそうだ。新幹線で帰省する子どもらのマイクに向かって「爺ちゃん婆ちゃん」という声を聞くと何か安堵している。

 こうした9連休を支えるために多くの人が働いている。仕事だといえばそうだが、働く人の家族はいくらかの辛抱をされているだろう。連続操業の職場で3交替勤務を経験したので、こうした時期に働く人とその家族の気持ちが分かる。思いやりの心で穏やかな年末年始が過ぎることを願っている。
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それは突然に

2019年12月26日 | 生活・ニュース

 あるスーパーの駐車場。やっと止められたということが多いが、たまたまだろうがこの日は混雑していなくて、隣を気にせずいつもの様にバックで「スー」と止められた。こういう日は何となく気分のいいものだ。と思いながら降りようとドアを開けたとき、正面から普通車が入ってくる、「やられた」と思い思わずクラクションを鳴らした。

 クラクションに気づいたのか相手さんがハンドルを動かすのは見えなかったが、衝突せずに私の車の左斜め前で止まった。確認すると30㌢ほどの隙間だった。相手さんは、私の歳と前後するくらいの女性、なかなか降りてこない。驚いて動転しているのだろう、そう思い暫く声を掛けずにまった。「すみません」とひと言、断りがあった。

 このままでは接触されると思い、誘導して私の車から遠ざけた。いくらも空きスペースはあるのに、と思いながら報道で見る駐車場の事故事例を思った。小雨だったが、視界が悪い状態ではない。踏み間違い、ぼーっとしていた、考え事をしていた、あれこれ思いながら私は店に入った。

 買い物を終えて自車に戻った時、ヒヤリとさせられた車は運転席にかの女性が座ったまま止まっていた。見るとスマホを使っている様子。まあ、事故にならなくて良かったが、不注意や怠慢などが引き起こす人災にいつ見まわれるかしれない。人災は対策を講じておけば防げる、人ごととせず教訓としよう、そう思いながらハンドルを握った。
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降誕祭

2019年12月25日 | 生活・ニュース

 近所の方が「今夜は孫たちがやってきます」と嬉しそうな笑顔。孫は小さいから当然その親らも一緒だろうから、賑やかなクリスマスになるだろう。クリスマス行事の喧騒から遠のいてどのくらい経つだろう。わが家の孫がクリスマスに欲しいという品を探して市内の店を渡り歩いたことが懐かしい。若かったから出来たが、今なら通販かもしれない。

 子どもが小さいころのクリスマスの飾り、工夫しながら狭い玄関に飾っていた。いつの頃からかそれは遠のき、お印だけのそれらしい物を並べて来た。今年は一転、陶芸教室で作った硬い硬いツリー飾りをシンプルに置いた。葉の緑はなんとか狙った色に近い仕上がりになったけど、角ばってごつごつのツリーから何がやって来るだろうか。

 カトリック教徒の方のブログを読んでいて知ったことがある。疑うこともなく12月25日はキリストの誕生日と思い込んでいたが、それは違った。その方は降誕祭でキリストの生まれに感謝する日という。続けて「与える精神 そして 許す精神」がクリスマスの精神と身をもって体験したことを綴っている。信徒でなくても感じるところがあった。

 クリスマス、静かに祈る人も多くあるだろう。与えるために忙しく立ち回る人も多くあるだろう。しかし、飲んで、食べて、歌って、騒いで、たくましい商機が我が国クリスマスの中心かのように報道にされる。教徒でなくても違和感を抱く。夫婦で洗礼を受けた知人は静かに祈る、と話していた。
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岩国の歴史学ぶ連載

2019年12月24日 | エッセイサロン
2019年12月24日 中国新聞「広場」掲載

 私は10年ほど前、岩国の「ご当地検定」実現に関わった。検定は5年前に終了したが、郷土の歴史に強い興味を持つようになり、防長路版に月1回掲載される「岩国史探訪」を楽しみにしている。12月は20回目「広家築城の横山」。これからも続いてほしいと切り抜きしながら思った。
 連載は、関ケ原合戦の後、岩国へ移された吉川広家が手掛け、現在の岩国の原型となった干拓事業から始まった。統治、通商、交通など岩国の成り立ちを知る貴重な資料になった。また、キリシタン弾圧、農民の名字、足軽や鉄砲組の悲哀、祭礼など歴史読み物としても面白く読んだ。
 14回目は、岩国という地名の由来が書かれ、市民として必須の内容と思う。
 少子高齢化などで市の人口は減少し、活力の低下を感じている。取り戻すには自ら生み出すものを持ち、定着させなければならない。連載には、岩国藩が城下町を繁栄させた工夫が多々示してあった。市勢回復のヒントになるかもしれないと思う。
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春へのそなえか

2019年12月23日 | 自然 季節

 北海道で雪がなくて農家が困っている、という短い文に出会った。読み進むと畑の野菜を自然冷蔵することが出来ないそうだ。積もった雪の中から野菜を掘り出す映像が思い浮かんだ。「暖冬はひと冬の平均的な状況で、寒い日もあります」気象予報士が説明していたが、寒い日が多くないと北海道の農家は困ることになるのだろうか。

 夏は猛暑より涼しいほうがいい、冬は寒いより暖かいほうがいい、この感情が人情だろうがそう上手くはいかない。その昔は「冬は寒くないと畑の虫が死なない」と殺虫農薬などない時代の話にある。四季に沿ってそれに見合った作物を農家の人は作る。それを頂いて人は営みを続けている。雪がないと保存できない、本当に困ったことだ。

 暖冬予報ではあるが冬らしい寒さ冷たさの続くころになった。川沿いの風はひときわ冷たさを感じるようになり、欄干に取り付けた交通安全の幟がパタパタと音を立て揺れる。寒い寒いといっているのかもしてれない。歳やインフルエンザ予防のことも考え、散歩にも多少の防寒対策をするようになった。

 そんな地上の様子を知ってか知らずか、草らは春への備えをしているように思える。積もった落葉の隙間を縫ったのか、あるいは押しのけたのか分からないが、緑濃い草の葉がのぞいている。そこだけ見ると春が近くまで来ている錯覚を起こしそうだ。冬至は過ぎたばかりだか、自然の生き物らはその先へ備えている。人もおちおちしていては自然に負ける。
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情報発信の心得

2019年12月22日 | 生活・ニュース

 中国山脈西方の麓から瀬戸内海に流れる流路110㌔余の清流・錦川がある。ここには日本三名橋の筆頭で三奇矯のひとつでもある名勝・錦帯橋が架かっている。日本を代表する木造橋で、市の観光にとって重要な役目を担っている。276年間不落を誇っていたが、1950(昭和25)年キジア台風で流失したが1953年春に再建された。

 平成の掛け替えとして2001年から3年にかけ渇水期に掛け架け替えが行われた。橋は5連の太鼓橋が特徴になっている。しかし木造、定期的に老朽調査と保全工事が行われる。その調査工事が今月始り、2020年の3に終わる。いつの工事もこの時期、渇水期に行われる。

 工事のため欄干が灰色のシートですっぽり覆われている。そんな様子を写した2枚、1枚は5連全体、もう1枚は石組みの橋台を中心に配置し第3橋と第4橋(掲載写真)の2枚をフェイスブックにアップした。訪問された人からはいろいろな評が届く。その中にコメントもある。2枚目の写真について「まるで翼を広げた鳥の様で、今にも飛び立ちそうな感じがします(笑)」(千葉県男性)、「わしもこんなに羽ばたけたらな~~(笑)」(市内男性)という類似のコメントを貰った。

 撮るときもアップしてからも「飛び立ち、羽ばたく」という表現は思いもしなかった。コメントを貰って見直し、そうも見えると気づいた。何かいいことをしたような気になった。しかし、たとえ私的な情報発信でも、どう受け止められるか分からないことを改めて教えられ、注意することを学んだ。報道で知るSNSのトラブルに巻き込まれないようにも要注意だ。
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