1918(大正7)年生まれ、戦時中は衛生兵としとして南方諸島へ、戦後復員し農業のかたわら昆虫や農村の風景を本格的に描きはじめる。描く事が好きで戦時中は衛生兵だったので赤チンで描かれた。
この2月、90歳を迎えられた山田 靖さんの昆虫画が信州昆虫資料館から一時里帰りし展示されている。その数は千いや2千匹、とにかくすごい数だ。広い市民会館の展示室は子どものころの野山を彷彿させる。描かれたいっぴき1匹は飛び立ちそうで思わず手を出したくなる。生きている、これが実感。
山田さんは、採取は虫の命をとるからと観察して描かれたという。この慈しまれる気持ちが「虫が生きている」と思わせる作品に連なり、見る人を惹きつけさせている。描かれた中には絶滅したり見かけることの少なくなった昆虫も含まれている。
昆虫といえば昆虫標本、子どものころの夏休み作品の定番だった。遊びながら採取した昆虫は毎年同じ種類、それでも空き箱の底に厚紙を敷き虫ピンで止め、樟脳を入れてセロファン紙をかぶせるとそれなりの作品になる。学年が進むにつれ上手く出来る。そのころ慈しむ気持ちはどこにあったのだろう。
「じいちゃんの子どものころはこんな虫が家の周りによけいおった。それを捕って遊んだが、いろいろなことから今は見んようになった」とお孫さんに話しながら見入っておられた人の目は大きな蝶の前だった。お孫さんが「いろいろ」の意味が分かるころ虫たちの世界はどう変わっているだろう。
(写真:作品の一部、蝶や甲虫の画)