日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

待合室の3話

2009年07月31日 | 生活・ニュース
               

町の医院の待合室。そこでは大きく言えば社会の縮図のような患者同士の会話が聞かれる。

その1
「あんた元気じゃったかね」「この前主人の49日を済ましたね」「どうね」という会話から主人をなくした方の話。
その前日、娘が孫を連れて「顔が見たくなったのでちょっと寄った」と汗をふきながら久しぶりに来た。主人は「用もないのにぶらぶらするな」と大きな声で娘にどなったがいつもの通りと娘は笑っていた。久しぶりに晩酌をし夜のニュースを見て床についた。そのまま起きてこなかった。

その2
「手を上げたら痛いけえ電気をかけにきよるんよ」と旧知らしい人に話し、続けて悔しそうにそして反省をこめたひと言。
信仰で治るちゅう誘いを信用して少々痛うても我慢しよったんよ。なんぼう信仰してもようならなんだ。信仰じゃあ病気は治らんちゅうのがようわかった。

その3
「あんた変わらず姿勢がええね」と言われた婦人、社交ダンスを続けているからよ、と答えたその続き。
レッスン料は10分間が千円、発表会のドレス代が年に100万円くらいかかる。サラリーマンの人はついてこれんのでどんどん辞めていって。

その1、昔からいう虫の知らせ。私にも経験がある。
その2、まだそういう世界があることに驚き誘った人の信仰心に疑問を持つ。
その3、ええ加減にせい。1番嫌なタイプ。

(写真:その1の娘さんとお父さんは強いとも綱で繋がっていた)
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ミステリアス

2009年07月30日 | 生活・ニュース
               

1週間ほど前「セミの一生」についてアップした。そのためでもあるまいが、朝刊を取りに出たとき、車庫で千切れたセミの羽が散らばっていた。足や頭や胴などの一部分でも残っていないかと見回したが見つからない。

前日の夕方には見かけなかった羽。すると昨夜この場所で何かに襲われ、羽の他は襲った生き物の餌さとなったのかもしれない。それは何物かは分からないが、羽4枚だけを残すとはちょっとミステリアスだ。

以前ならフィクションの世界として楽しんだことを今は日常の生活で目にしたり聞いたり視たりしている。いま地球へ帰ってきている若田さんのような姿は小学生のころにはファンタスティックな世界だった。

それが現実となり普通になってきた。それでも火の玉となる何分間かの交信不能な時間を通り抜けた時の喜びの交信再開は何度聞いてもいい。帰還という言い方にぴったしだ。ミステリーな空間から抜け出した感じだ。こうした科学が切り開くミステリーの世界は幾つになっても興味がある。

一方では理解に苦しむミステリアスな事件や事故や災害が多い。人の残忍さ自然の驚異的な力、ミステリーではくくり切れない未知の解明に科学の力を信じたい。

集めたセミの羽は明日、庭木の下に埋めてやろう。

(写真:車庫に散らばっていた羽)
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災害と情報

2009年07月29日 | 生活・ニュース
               

記録的な大雨、竜巻、突風などこのところ気象に係わる恐ろしい現象が多発し、多くの死傷者を初め家屋・施設、道路などにも多大は被害をもたらしている。今回の大雨の原因は天気図的には説明されているが、なぜこうなるのかの説明をまだ目にしていない。

温暖化は通り越しすでに日本は亜熱帯地帯になっているのではないか、私の推論です。あの雷と土砂降りは映像でみたスコールに似ている。数10年以上も経験したことのないという、各地の被害に遭われた方の話からその凄さと異常な広がりを知ることが出来る。

災害に遭わない、遭っても被害を小さくする方法のひとつに「災害に関する情報の」早い段階での入手がある。今回の災害で大きな被害となった一因に情報の伝達が真っ先に挙げられていた。幸い住居地では希望者に「自然災害情報配信サービス」が携帯電話に送信される。

大雨や洪水の注意報に警報、強風や雷といった情報が発令直後に届く。土砂災害警戒の情報も早かった。この雨続きでは何度か避難勧告や避難場所の連絡があった。情報過多に惑わされてはいけないが、気持ちの準備が出来る。

こうした情報を全家庭末端まで届ける方法はないようだ。台風で避難勧告が出されそれを知ったのは2時間も過ぎたということもあった。雨や大風の日は戸締りをする。音が大きいと広報車の声は聞こえない。まだまだ課題はある。

(写真:受信した災害情報と国道262号線の土石流の写真)
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カラオケ人形

2009年07月28日 | 生活・ニュース
               

「カラオケ」の本当の意味は何かと聞いたら「から(空)のオーケストラ」と教えられた。続けて「カラオケ」の歴史は古い、飲み屋で流行るずーと前から有ったそうだ。

地方巡業する歌手は金がかかるのでオーケストラを連れて巡業(どさ回り)は出来ない。舞台に1人立って歌う歌手の楽屋裏では、空のオーケストラが回っていたという。真意は知らないがなんとなく納得できる。

そんなカラオケのない時代のこと「歌のない宴会大好き」人間でした。無理やり歌わされる、上手ければいいが聞いてもらうほどの歌唱力のない者には苦痛だった。ところが、カラオケが登場すると好きな人は歌いつづけ、聞いていて拍手すればよくなった。

歌唱力がなくてもオーケストラの演奏が流れているので「時には気安くマイクが握れる」と話したら、カラオケ趣味の人に怒られた。ゴルフが趣味の人は1打でもスコアをよくしたいとガンバル。

カラオケ趣味も同じで、どれだけプロの歌い方に近づけるか頑張っている、という。。楽しむのではなくそこまで一生懸命、必死に歌っておられのか、これからはもっと真剣に聞こう、そして趣味とは深いものだと思い直した。

「カラオケ人形は口に特徴を持たせると面白い」そのひと言でどんな口形にすればよいか特に悩むことなく、思いっきり大きく開いた口にした。顔中が口になった。モデルはいないから作者似なのだろうか。

(写真:歌いまくるカラオケ人形夫婦)
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ひさしぶり

2009年07月27日 | 生活・ニュース
               

メモしている起き掛けの空模様では2週間ぶりくらいの晴れ、それもさわやかな青い空と一緒にやってきた。重たくどんよりとした昨日までの空気と違い戸を開けると冷たい風が流れ込んできた。深呼吸をする。長く降り続いた雨上がりの朝。

運転が再開されたローカル線のジーゼルカーがノロノロと動く。人が1歩1歩確かめるような進み方でトンネルに入った。あんな速度ではいつもの数倍くらい時間がかかるだろう。欽明路トンネルの中でちょっと不安にならないかな、車を運転しながら見送った。

気持ちいい、とにかく嬉しい、太陽のありがたさをしみじみ思う、洗濯が出来たなどなど「久しぶりの青空」について放送局に寄せられる視聴者の嬉しさがカーラジオから次々に流れる。通りがかりに見たアパートのベランダの満艦飾からも嬉しさがよくわかる。

山の上にはまだ育ちきらない入道雲が並んだ。彼らも青い空をバックに来る日に備えて久しぶりのトレーニングだろう。梅雨明けは8月になるかもと自信なさそうな予報士。君たちの出番はもう少し先になる、久しぶりの汗を拭いながら子ども入道雲に言い聞かせた。

(写真:真青な空に白一直線)
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かたつむり

2009年07月26日 | 自然 季節
               

梅雨の時期になんとなくにあう生き物のひとつ「かたつむり(蝸牛)」。子どものころ「ナメクジに殻が付いたのがかたつむり」とその区別を教えられた。そんな純なころには歌っていた。


♪ かたつむり 作詞・作曲者不詳

  でんでん虫虫 かたつむり お前のあたまは どこにある 角のだせ 槍だせ あたま出せ

  でんでん虫虫 かたつむり お前のめだまは どこにある 角のだせ 槍だせ めだま出せ

今朝、鉢植えのチロリアンランプの葉にどこから移ってきたのか1匹のカタツムリがいた。昨夜の雨を避けるためにブロック壁から渡ったのだろうか。湿ったところを好むカタツムリだが雨は苦手なのか。

カタツムリは通っていった跡がわかるように粘っこい行跡を残す。雨に流されたのかそれは見つからない。別にカタツムリが珍しいわけではないが、今日のそれはちょっと違って見えた。

身も触角も思いっきり延ばしいや出して、触角の先端の目は獲物を捉えているように見える。なんだかファイティングポーズ。いつもの寝そべって殻を背負い、だらけた姿とは違った。

そして、普通は殻の後ろ側に見られる腹足が前の方に見える。ファイティングポーズとあわせて思うに、何かの外敵に立ち向かっているのか、それとも追い払った後なのか、と観察していたが大粒の雨に促されてやめた。


(写真:カタツムリのファイティングポーズ)
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レインブーツ

2009年07月25日 | 生活・ニュース
               

各地で記録的とか滝のような、ある方はスコールのようだとも表現されるすごい雨が降り、土石流を初めとする各種の被害が発生している。被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

我家も何年か前から「いざというときは避難」、あれとこれを持ち出してとそのきわになると揃える。「自然災害情報配信サービス」という携帯電話への市からのメールは、出かけていても情報が届き参考になる。各種の注意報や警報などの情報にあわせ、昨夕には避難所開設の知らせもあった。

避難の時の履物は長靴に決め玄関に揃えておく。今日、薄日がさしはじめ使わなかった昔ながらのスタイルのそれを片付けながら「長靴のファッション」という流行のあることを思い出した。

カラフルで奇抜なデザイン、そして呼び名はレインブーツという。長靴は重くちょっと暗い感じをイメージするが、若い女性から子どもまで楽しんで履けそうな姿に変えられている。生産が追いつかないほどの需要とか。

長靴はレインブーツに、レインコートという言葉も聞かなくなり、雨の日の過ごし方楽しみ方が変わった。学校の帰り、道の窪みの水たまりで長靴で泥水を蹴ってかけあいしたことが懐かしい。家に帰って叱られたかどうかは覚えていない。

(写真:避難はレインブーツでなくやっぱり長靴で)
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キュウリの独り言

2009年07月24日 | 生活・ニュース
               

今年初めてプランタンに植えたと主人はブログに書いている。何人目の兄弟になるのか知れないが私は2週間あまり前に生まれたキュウリ。主人は朝夕の2回、渇きを癒せとタップリ散水してくれる。そして必ず「大きくなれよ」と脅迫する。

早く生まれた兄弟たちは主人夫婦には余るほどの成果を与えたと申し送りが残っている。今朝も「ちょうど食べごろ」と弟1本が収穫された。そして「お前はどうしたんだ」といつものように声をかけられた。

主人は私のことを姿に合わせて「まが玉キュウリ」と名付けた。喜んでいいのかどうか迷っている。曲がって横幅が5センチくらいから成長が止まった。他の兄弟はそれなりの姿に伸びているのに私はそうなれない。その訳は最近分かった。

他の兄弟たちと同じように伸び始めた時、先端がゆらゆらする何かに触れた。小さいながら力いっぱい一生懸命にぶら下がっていたのが少し楽になった。それは大きな葉が寝床のように支えてくれたのだ。

身丈は伸び胴回りも太るにつれ、兄弟の重そうにぶら下がる姿を気にしながらも、ゆらゆらする寝床の楽な住み方になれた。気がつくとまが玉のような姿になり成長が止まり、しばらく経つ。

食卓に乗れるかどうかは「どうしんかね」と眺めてくれる奥さんしだいと思うが、まだ収穫されないでいる。主人にブログネタを提供できた、そう思えば少しは気が楽になる。少しうとうとすると葉っぱの寝床はゆっくりと揺れる。

(写真:まが玉キュウリと葉っぱの寝床)
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備えあれば

2009年07月23日 | 生活・ニュース
               

総選挙の投票日まで今日を含めて39日。突然降って湧いた投票日ではないが、踏ん切り悪く、今年の梅雨のようにずるずると伸びに伸びた。昨秋といわれた選挙、立候補予定者は準備に怠りはないだろう。

いくら準備万端と言っても当人には1票しか与えられない。それ以外の票は家族・親族を含めた有権者の胸の内にすがるほかない。気の毒と言えばいえない事ではないが、日ごろの評点が下されるのだ。結果が悪ければ弁明することなく受け入れざるを得ない。

先日のこと。増水した錦帯橋周辺にはたくさんのカメラ愛好者がおられた。そのグループ、沈みかけた川舟を指して「まるで麻生丸じゃのう」といいながらシャッターを切り続けていた。どんな麻生丸に撮れているか見たい気もしたが、私の持っているのは手のひらに入るほどのデジカメ、そっと1枚撮った。

そういえば何かの折には日本のことを「日本丸」と呼び、誤ることなくその舵をとると表現する。目の前の川舟は1本の延びきった綱で流失は免れているが、その浮沈する様子はカメラ愛好家の表現を納得させる。選挙という流れが終わったとき小舟はどうなっているだろうか。
              。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

今日23日はごろ合わせで「文の日」。数通届いた中の1通は絵てがみ。大きく切ったスイカ、甘さが伝わってくる。大胆なんなタッチの絵に比べ落款のひと文字は優しい。2通目は今月9日に毎日新聞「みんなの広場」へ掲載された投稿への感想が川崎市から。過ぎたお褒めに少し気恥ずかしいが嬉しい。かってものすごく仲よく仕事をした人から「2回目の海外勤務」としてタイ赴任の挨拶が届いた。バンコクでお会いしましょう、とある。行って見たい。

(写真:麻生丸と呼ばれた川舟)
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セミの一生

2009年07月22日 | 自然 季節
               

県内に大きな被害をもたらした昨日の大雨は通り過ぎた。開けた車の窓からセミの声がいつもより大きく聞こえる。梅雨明け間じかを知っているようでもある。この季節に放送されるラジオ子ども科学館、様ざまな子どもの質問に専門家が答える。いつ聞いても教えられる。

「セミはどうして1週間しか生きれないのですか」と男の子が質問。「人の目にふれてから1週間くらいですが、土の中で6年も7年も生きています。カブト虫の1年に比べたらずいぶん長い。セミは昆虫の中でも長生きする仲間です。1週間の間で卵を生みます」というような先生の答えが流れた。

セミは土中に長く生きていることは知識としては知っている。その命は1週間ということも知っている。短い命だからセミを捕まえても観察したら逃がしておやり、子どものころに教えられた。そうか、セミの一生は土中から通して考えるのか、教えられた。

メスは枯れ木の中に産卵するそうだ。翌年の梅雨のころに孵化し、枯れ木の表面で1回目の脱皮をしたあと土にもぐりこみ長い地下生活に入る。地下では口吻を木の根にさしこみ、道管より樹液を吸って成長する。モグラ、ケラ、ゴミムシなどは地下での天敵、命を落とすこともある。

木に登って羽化を始めるがこのときは無防備状態になる。天敵のスズメバチや蟻から身を守るため、周囲が明るいうちは羽化しないという。夕方に見なかった脱け殻を翌朝見つけた経験は何度もある。

この夏、まだセミを目にしていないが鳴き声は毎日聞いている。捕りそこねてかけられた「セミのおしっこ」。本当は・・・、と解説してあるが「セミのおしっこ」の方が思い出らしい、とそこは読み飛ばした。

(写真:天敵からみを守るように残っていた脱け殻)
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