日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

落ち葉

2015年10月31日 | 自然 季節


 「おちば」を変換すると「落ち葉、落葉」と二通り現れる。どちらが好みかといえば落ち葉がいい。落ち葉は晩秋の光景には欠かせない役者になる。公園の落ち葉を狙って写真作品を作りたい知人が「掃き清められ写真にならない」と嘆く。別の人が「落ち葉には風情がある、履き清めないで」と自治体に申し出たら庁内をたらい回しされたのか回答なしと書きこんでいる。放置すると雨などで思わぬ溢れや詰まりの原因になるとか。

 JR北海道では落ち葉等による車輪空転が見込まれるため通常経路をさけ運転距離の長くなる迂回路を運行する日があるという。空転を避けるために遠回り路線があるというから、公共交通機関とはいえあっぱれという路線だろう。それにしても想像の出来ない落ち葉の山とはどのくらい積もるのだろう。雪もあるだろうから北の苦労を瀬戸内では想像できない。

 通路とその周辺の落ち葉は箒だけでなくブロワ―を使って根こそぎというくらい1枚も残さずに除かれる。実に爽やかな光景になるが、この季節の落ち葉は格別な風情を演出する脇役でもある。カメラマンではないが、あまりに綺麗になりすぎると造形美のようで公園という自然の趣が失われる。

 でも道を一歩外れるとそこにはそれまでとは対照的な落ち葉の積もった場所もある。そこは踏みしめられた跡もなくふわっとしていて、静かな枯れ葉の歌でも聞こえて来そうだ。このまま静かに自然へ還っていくのだろう。それが後世への役目のように。落ち葉焚きも出来なくなり秋の風情も大きく変わる。風情は変わっても時は過ぎる、今年も残り2カ月となった。
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姉ケ山

2015年10月30日 | しっちょる岩国


 購読紙に「ちゅうごく山歩き」という企画記事が毎週1回掲載される。登山という意味で登った山はない。そんな素人でも登山道の紹介を読むと、こうだろうかああだろうかと想像させられる。そんな書き方が面白く掲載を楽しみにしている。掲載される山の名前の大かたは知らない山ばかり。ただ、どの山もハイキング、日帰りできる山の紹介だ。

 先日は「錦帯橋眼下に尾根歩き」と題して「城山」が登場した。入山の場所は、錦帯橋下流500メートルにある龍紅(りゅうこう)そばに立っている巨大スギそばの「展望台登山口」の標識からスタートになっている。ここから登り始めるグループは何組も見ているが、記事を読んで、山登りというからにはそれなりの険しさが必要なのだと教えられた。健康志向で舗装された山道を登る事との違いを知った。記事はいつもより身近な山なので読み方にも実が入る。

 その記事に「城山は別名、姉ケ山(あねがやま)」と載っている。今はどうなっているかわからないが、子どもころには登山標識の下流地区かも何本か城山へ上る道があり、その中には城山オリエンテーリングのコースもあった。そんなことでお城山は身近な遊び場の一角だった。ある時「お城山へ登る」と話していると「あそこは姉ケ山」と古老から教えられ不思議に思ったことを思い出す。当時、岩国城はまだ再建されていない。

 もう一つ思い出した。いつの台風だったか思い出せないが「姉ケ山が崩れた」と聞いた。子どもの遊び仲間の一人に同じ名前がいた。驚いて見に行くと家は変わりなく建っている。崩れたのは裏山だった。そこはお城山から続いている。姉ケ山は地域では定着した呼称だった、そう思い返しながら城山の掲載を切り抜いた。それにしても城山でなく敬語で「お城山」と呼んでいたのは何故だろうか。
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殺虫剤効かず

2015年10月29日 | 生活・ニュース


 我が家に1本だけ頂もののバラがある。我が家に来て数年以上かもしれないが、その時期には真っ赤な花が咲く。水は欠かさないように、肥料は思いついたときに根元に埋める。剪定はできないが枝切りは新芽が出るかな、と思うあたりから切る。古い小枝も除く。横に広がれば麻ひもで邪魔にならないようにまとめる。

 こんな、手入れとは言えない手入れではバラ愛好家の方の「こりゃダメだ」とう声が聞こえる。それでも消毒はしっかりやっている。その殺虫剤はプランター野菜にも使える「野菜にも花にも」効くという市販品、これは使用方法が簡便なことがすべての理由。虫が寄り付く前に施すのがいいのだろうが、いつもそんな訳にはいかない。

 3日前の夕方、バラの葉が食されているのを見つけた。葉裏に糞らしきものがついており早速常用の殺虫剤をバラ全体に散布し、ひと安心と決め込んだ。ところが今朝のこと、また葉が食されている。見ると緑色で体長数ミリほど、頭部だろうか粟粒ほどの黒い物が数匹いる。その葉をもぎ取り殺虫剤を吹き付け放置した。

 しばらくして虫らを見ると何事もなかったかのように動きまわっている。常用の殺虫剤は効かないと分かる。気の毒だが圧殺になる。虫も殺虫剤に負けない新種となって登場する。次には花専用の物を購入しなければ繰り返しになりそうだ。野菜は野菜専用を虫には虫専用を備えよと数ミリの虫に教えられる。日なたにいれは汗ばむようなよい日和だった。
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これから

2015年10月28日 | 生活・ニュース


 昨夜は仲秋の名月、雨は止んだが我が家の上空は雲が多い。それでもと確かめに庭に出た。運よく雲の切れ間から名月が見える。急いでカメラを持ち出し数回シャッターを押したころで月は雲の向こう側に姿を隠した。正直なもので庭にあった影も消えた。月明かりの夜道というが、街灯のない時代の夜道に月明かりは貴重だった。

 今朝早く、京都に住む孫から「お誕生日おめでとう」のメールが届いた。「寒くなってきましたが元気で過ごしてください」と気づかいもしてくれた。誕生日を祝う歳ではないが、今日から国の制度上では後期高齢者へ仲間入りすることになる。古希や還暦とは少し趣は異なるが、一つのハードルを超えることになる。

 「あなたは見たり聞いたりするときどこでされますか」と問われ「見るは目、聞くは耳」と答える。すると「見たり聞いたりは心でするものです」と凡人に対してえらく難しいことを言う。目をつむって、耳を塞いでは何も見聞きできないことを伝えると、それは心の問題です、とまた難しいことを言う。見聞きしたことをどのように受け止め心に思うかなら凡人にもできるが、かの人の忠告は理解できない。
 
 とはいえ、ここまで宗教的にいえば生かされてきた。人生の分類も後期になったことだし、これまで以上によく見てよく聞いてそれを心で整理することは心がけよう。月明かりのようにはなれないが、これまで通り人に迷惑を掛けない普通の人として生活していこう。「〇は大きく×は小さく人に接する、そうすれば喜ばれる」という。寛大な心が必要になる。

 今日を祝うかのように八代になべ鶴の第1陣3羽が飛来、華を添えてくれた。
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2015年10月27日 | 生活・ニュース


 「渋」、使い方や使用される場所などで誉めたりけなしたり意味が変わる。「あいつは渋ちん」、あいつ、に面と向かっては言えないが「あいつはけちだ」とののしる言い方。渋い男、渋い役者などは一目置かれるいい男の部類になる。決してイケメンという条件は必要ない。

 渋、これは「まだ熟していない柿などを食べた時の、舌を刺激する味(広辞苑)」とあるように渋と柿は切り離せないつながりがある。知り合いの棟梁は「木の家をつくる ~ 土に還る家づくり」をモットーに仕事をしている。彼は柿渋を用いる。これは渋柿の実から採取した液で、木や麻、紙などに塗って防水や防腐剤としている。臭いは強烈だが石油系防腐剤と異なり、その効力は長持ちし、年数が立つにつれ色あせしないで落ち着いた渋い色合いに変わる。

 有用な防腐剤を提供してくれる渋柿も、そのままでは人の口には入れられない。渋を抜く方法、柿の種類や家々によっても渋の抜き方はいろいろ。シンプルで簡単な方法は干してドライフルーツ風に仕上げる。これは皮をむき、紐に吊るし、風通しのよい軒下で陰干しする。我が家では渋柿が手に入ったときはこの方法で渋を抜いている。渋が抜ける理屈は知らないままに。ほかに焼酎やドライアイスによる方法もあるようだが、経験していない。

 祖母の渋抜きは熟すまで待つ方法だった。木箱に硬い渋柿を並べ、それをもみ殻で覆い隠し蓋をしてそのままにしておく。年が明けた寒い朝が来ると、柔らかい熟し柿になっている。もみ殻にどんな力があるのか不思議、この間手を加えることはなかった。祖母流の渋抜きを思い出しながら、今年もいただいた渋柿をドライ風に加工した。仕上がるまでにいくつか減ってしまうがこの味も格別だ。
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無双の月

2015年10月26日 | 自然 季節


 明日は中秋の名月、ということで昨夜は十三夜、雲ひとつない夜空に十三夜の月が輝いていた。十三夜は旧暦9月13日の夜、豆名月、栗名月などといって月見の行事を行うとある。後醍醐天皇の月見の宴に始まるとも、宇多法皇がこの夜の月を無双と賞したともある。無双は「ならぶものがない、二つとない」など右に出るものがない月ということだ。

 月見、その記憶が乏しく特別な思い出は浮かんでこない。日々の生活が手一杯で両親にそんな余裕はなかったのかもしれない。市内北部の錦町に古くから伝わる「♪ お月さんなんぼ 十三七つ まだ年ゃ若いの あんな子を産んで この子を産んで ・・・」という「お月さんなんぼ」という題名の寝かせ唄がある。歌詞が少し異なるが歌は口にしていた。
 
 「じゅうさんや」といえば生意気に「♪ 河岸(かし)の柳の行きずりに ふと見合わせる顔と顔 立ち止まり 懐かしいやら嬉しやら 青い月夜の十三夜」を知っている。この歌を人前で声に出して歌ったことはないが口に出るがいつ覚えたのだろう。これは1941年の作品というから開戦の年、戦前戦中派には懐かしい。 戦時とはいえ勝ちの続くころだから許されたのだろうか。

 人類が初めて到達した地球外天体は月、その月を撮る。13日らしい姿だ。液晶画面で観察すると月が移動していることが分かる。どのくらいの移動速度か、ある計算では秒速約1キロという。時速換算すると3600キロ、成層圏での飛行なら可能だが、地表近くでは無理なこと。この月を周回する衛星を打ち上げ、そこを基地して火星へ向かうという計画が報道された。年がいもなくこんな噺に興味をもつ高齢者がいる。
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日曜参観の日

2015年10月25日 | 地域


 朝から、注文の一つもつけようのない秋晴、絶好の行楽日和を思わせる。道行く児童らの元気な声が聞こえる。何かの行事へ参加する途中かと聞いていた。外に出るとみんなランドセルを背負いポットをもっていつもの登校姿に何事かと尋ねた。数名で登校していた上級生が「日曜参観です」と笑顔で教えてくれた。

 参観日には運動場が仮駐車場に変わるから体操の授業はなし。広い運動場も授業開始のころには車で一杯。自分らの小学時代と校区はそれほど変わっていないと思うので、家から学校まで車を使用するほどの距離ではないように思う。子どもらは徒歩で通学しているのだから。さすが「車時代」と実感する。

 小学時代、車どころか自転車で参観日に来る親も多くはなかった。親は大方が母親、参観日は母親のものと決まっていたように思う。戦後の混乱が続くころの小学校、間もなく朝鮮戦争が勃発、基地の町は穏やかではなかった。一クラス50数名、どのくらいの親が参観に見えていたのだろう。学校ドラマにあるようなアクシデントは記憶していない。

 参観終了の時刻に所用で出かけた。徒歩で参観され子どもと一緒に下校する親子連れ、これが今風の参観日という光景に出合う。子どもは両親に手を繋がれ、ランドセルはお父さんが嬉しそうに肩にかけ歩く。何組も似たような下校スタイル、微笑ましいとのだろうが、見せられる方はくすぐられる感じがするのは年代差だろう。行楽絶好の日曜日、両親揃っての参観、子どもは忘れないだろう。
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美味い豆腐

2015年10月24日 | 生活・ニュース


 ひと月ほど前に「パ~プ~」という音色を流しながら豆腐販売をしている車のことを書いた。その時、車は通過後で買えなかった。それからも何度か「パ~プ~」の音は聞こえたが何れも遠くで聞き流した。今度はその音が近づいてくる。大人気無いがサイフとカメラを持って飛び出す。ちょうど我が家の横を通過する時で運転の青年と目が合う。

 箱型の軽自動車、後部のドアを開け「何にしましょうか」と青年の売り子。見ると絹と木綿の豆腐以外に豆乳や厚揚げ、卯の花におからコロッケなど可なりの商品が揃っている。手書き風のおしながき、これがスーパーの値札とひと味違い、懐かしい。2014年度モンドセレクション「金賞」受賞の写真がある。対象は保存料・着色料無添加の豆乳と分かる。

 「売れてますか」、「はい、何とか商売になっております」、そういえば商品の入ったケースは可なり空いている。豆腐1丁を試しに購入する。「醤油など使われずにそのまま食べてください」と自信ありの説明に少し首をかしげる。こんな人のためにだろう、自慢する製法がおしながきの横に並んでいる。遺伝子組み換え無しの国産大豆、豆乳の濃度、保存料添加無しなど安心させるいくつかが目につく。「パ~プ~」が聞こえたので探していたと知り合いが自転車で駆け付けてきた。

 調味料を使わずそのままを口にする。スーパー品より少し柔らかな感じだが香りがいい。確かに風味といい甘味といい申し分ない。次に来た時も買ってみよう、そう思わせる味だった。味の表現は甘い辛い、苦い酸っぱい、美味い美味くないくらいしか表現できない者の感想だが、本当に美味いと思った。イケメンの売り子、待っている人が多いかもしれない。
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秋の雑景

2015年10月23日 | 自然 季節


 10日あまり晴れの日が続いていることが天気予報でも町中の会話でも聞かれる。秋の天気は変わりやすいという「何とか心と秋の空」、今年の秋にはそぐわないようだ。それでも来週は気温が低め、体調に気をつけるように予報士は話す。長期予報では暖冬らしい。これが当たれば暖房費節約で家計的には助かるのだが。

 広い中洲を遠くから眺めると、いま盛りのススキの穂が風任せに揺れ白一色の波を送り続ける。ススキを漢字で書くと草冠になくなるを合わせ芒となる。穂が枯れ落ちると一見哀れな姿になり枯れ落ちていく。年が明けると中洲を緑一色で覆い尽し元気を甦らせる。例年同じ繰り返しを見ているが、野鳥のねぐらとしては欠かせない貴重な所、開発の名のもとで消え去ることのないよう見守りたい。

 このところの朝方の涼しさのためかスーパーの焼いもコーナーが熱い。石の並んだ窯も熱いが、焼き上がりを買い求める女性の列も買いそびれないかと熱くなって順を待つ。窯のそばに手書きで焼き上がりの予定時間が掛かっている。だから列ができるほどの人だかりになる。焼いもの回転率は売上に貢献しているかも。

 秋にちなんだことわざから。「秋茄子嫁にくわすな」、いろいろあるが「体が冷える、秋なすは種が少ないので子種がなくなるので心配」がいい。姑の嫁いびりではない解釈。「秋の扇」、夏のあいだ男性に重宝された扇は秋には不要になる。男性の愛を失った女性の例えという。限りなくセクハラの匂い。秋もこの時期になると「秋の日は釣瓶落とし」を実感する。27日は中秋の名月、晴れるといいが。
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ドラフト

2015年10月22日 | 回想
 
 
 今年、日本プロ野球機構に届け出た高校生のプロ野球志望届は日本高野連の一覧表を見ると78名とある。プロ野球は入りたいチームに入れるわけではない。この是非は論じられるが、ドラフトという新人選手獲得のためのに開かれる会議、正式には「新人選手選択会議」で決まる。指名選手を引き当てて喜ぶ監督と指名された選手の笑顔が文句なしに一致すると、見ていて「よかった」と思う。広島は1位指名の大商大:岡田明丈投手を獲得した(中国新聞 写真も)。

 毎年、ドラフト会議の報道を見ていると現役時代の高校生の採用活動の辛苦を思い出す。企業は採用数よりも若干多目の求人数を提出する。試験の後に辛いことが起きる、それは不採用になった生徒の学校を訪問し、不採用とした理由を説明することだった。将来ある高校生に、社会へ出る前に厳しい試練を与えることが非常に申し訳なく思い、校門をくぐる足取りは重かった。次のチャンスを活かして、そう願うしかなかった。

 ネットで企業や学校の状況が検索など不可能な時代の話し。高校生の採用には、学校と企業の繋がりの歴史と信頼関係が大事だと決めて採用活動は年間を通して行っていた。ある年だった、訪問した高校の若い進路指導の先生と面会した。「自宅通勤できない企業へは推薦しません」「海(瀬戸内海)の向こうへはお断りします」、何十年と続く関係を説明するが分かってくれない。他校へ依頼するのでと「求人票を返して」と話し持ち返った。翌日、「担当への指導が悪くて」進路指導部長から連絡があり、結果は優秀な生徒さんの推薦をいただいたことがある。

 9月16日が高校生の採用試験解禁日、遠路の受験者には前泊してもらう。夕食を一緒にする、箸を持つまでは緊張しているが料理が出はじめるとそれが解ける。ある年には料理を追加したこともあった。そんな明るい真面目な生徒への不採用通告、誰かがやらねばならなかった。あの頃の生徒らは、今、企業の中堅として活躍していると信じる。
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