日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

富士山柿

2022年11月27日 | 回想

 「頂き物ですがお裾分け」といただいたのは「富士柿」のラベルがついている柿。子どものころに富士山柿と呼んでいたと同じもの、店頭では見ていたが手にするのは久しぶり、いや何十年ぶりかになる。手のひらに乗せるとどっしりした重さが懐かしい。祖父母の大好物でもあったので仏前に備えた。

 前に住んでいた家には渋と甘い柿木があった。渋の方は正式な名前かどうかは知らないまま「富士山柿」と祖母が呼んでいたのでそのまま使っていた。ちょうど、今ころにもぎ取り、収穫の終わった稲のもみ殻をもらい、それで柿をすっぽり覆い、年明けまで 覆いを外さずにしておく。

 年明けに開くと熟柿になっている。口に入れるとトロリとした感触、おやつのない時代なので何よりの物、待ちどうしかったことを思い出す。熟柿の色は茜色で、その一つ一つは霊峰富士山の夕焼けのようで、まこと富士山柿とはよくつけたと、今でも思い出す。そんな富士山柿の木を譲ってから何十年も経つ。あの木はどうなっただろう。

 毎年、もらった柿で作っていた渋柿で干し柿を作っていた。「ごめん、今年は不作で届けられない」ということで見送った。自然のことゆえ仕方ない、来年は豊作でと願った。秋は果物が豊富、食べたいときには買っている。祖父母は味わって満足しただろうか、勿体なくてと眺めているかもしれないが、明日にはいただこうと思っている。

 (今日の575) 身の渋を抜ければまあるくなれるかな
コメント
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