日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

日陰の立ち話

2016年07月31日 | 生活・ニュース


 昨日は土用の丑の日でウナギの厄日、日ごろの数倍の仕込みという店主の満足そうな笑顔がいい。ウナギが獲れなくて値段は右上がりという。代替に近大産のナマズ、山陰では養殖のドジョウ、サンマもいいが今年は高価なのでイワシなどを蒲焼にするそうだ。我が家はいただいたウナギの蒲焼を美味しくいただいた。

 しかし、1回くらいウナギを食べたからと言って簡単に暑さに耐えられるものではない。そんなしょうもないことを思いながら歩いていると、小柄でかなり年配の女性が、日陰に立ち止まって汗を拭いている。「こんにちは、暑いですね」と声をかけ通り過ぎようとすると、「暑いです。暑いですがあの木ではセミがよう鳴いとります。どのくらいるんですかのう」と向かいの大きな木を指す。

 高さは2階の屋根を超えそうな木から何種類ものセミの鳴き声、まさに蝉しぐれ。セミは葉陰で姿は見ないし見えてもその数は分からない。そこで足を止めたのが失敗だった。あの声は何セミ、こんなに鳴いているのは何セミと蝉しぐれのように話しだす。セミに学があるのだろうが話題を変えた。「暑いですがどちらに」といらぬことを聞くと「お見舞いに」と近くの病院を告げる。

 お見舞いに行く人とは、今度は入院している人の話になりかけたので「急いでいますので、お気をつけて」と強引にその場を離れた。初対面の人でどんな境遇の人かわからないが話し好きな人なのだ、アスファルトの照り返し道を歩きながら思う。しかし、初対面で知らない人に知らない人の話をされても話にならない、いや独り暮らしの方かな、とりとめのに事を思い振り返ったが姿は見えなかった。7月も晦日、暑さはこれから、ひと雨欲しい。
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ヘルメットで安全に

2016年07月30日 | エッセイサロン
2016年07月30日 中国新聞「広場」掲載

 近くの小学校の学校便りに、「児童が自転車を運転するとき、ヘルメットの着用を義務化します」というお知らせが載っていた。

 指導の成果だろう、近くで見掛ける児童らは着用している。色彩も形も豊富なヘルメットを見ながら、児童はどんな気持ちだろうかと思っていた。

 その答えが、「けが防ぐヘルメット」として25日付のヤングスポットに載っていた。

 「ヘルメットをかぷっていると、事故にあっても、少しのけがですむかもしれません。安全のため、面倒くさがらず、年齢に関係なくかぷりましょう」と呼び掛けていた。

 ヘルメットは、保安帽や安全帽と呼び、保護具として重要な役目を担っている。現役の頃、これを着用していてけがにならなかった経験がある。

 今は夏休み。子どもらの行動範囲は広がり、自転車に乗る機会も増えよう。万一のときに、頭部を守ってくれるヘルメットをきちっと着用して、楽しく自転車に乗ってほしい。 
(注:ヤングスポットは児童・生徒の投稿欄。25日付の投稿は12才の男の子)
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中村紘子さん逝く

2016年07月29日 | 生活・ニュース


 ピアニストの中村紘子さんがガンで亡くなられたと知った。音楽にはからっきし能力のない私、歌うことはもとより楽器を扱うことも、その場の秩序を乱してはと遠慮している。そんな身だからピアノ演奏会を含め音楽会に誘われたことはあるが、丁寧にお断りしてきた。今になれば多少の後悔は感じるが身から出た錆、刀身の錆は落とせない。そんな音楽系だが中村紘子というピアニストは世界で通用する奏者と知っていた。

 定年退職後、数年間契約社員として勤務後に完全リタイヤ。門戸をたたいて入会したエッセイサロンで薦められブログを始めたころ、放送で中村紘子の演奏ではなく対談を聞いた。豊富な話の中で「技能と体力の維持には常に緊張が必要、そのためには毎日が受験前日です」と話され、対談相手は驚いた。プロとして日々の姿勢を律することが必要性だと言う風に解釈し、稚拙でもブログを続けてよう、そう決心したようにメモしている。

 後期高齢者に仲間入りするなど時間の経過とともに、毎日が受験前日という緊張感は失せたが、小さなことでも続けるという心持は失せずにきたつもりでいる。ブログは今秋から11年目に入る。毎年、1年分を印刷し製本したものは9冊、今秋には10冊に達する。2001年秋から作り始めた孫新聞も間もなく15年目を終える。たまにページを繰ってみると、両方とも時々のことを載せていて小さな自分史にも思える。

 たまたま聞いた対談、その飾り気のない話し方が妙に印象に残った。それは何事も試験前日の姿勢が醸し出しているのかもしれない。これまでの演奏会は3700回という。その何れもが試験前日の姿勢で演奏されとしたら聴衆の心に大きな感動を与えた、音楽の分からない者にもそう思える。ご冥福を祈ります。
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夏休み

2016年07月28日 | 地域


 夏休みになって1週間、6時を合図にラジオ体操会場へ急ぐ子供たち。通学とは全く異なった服装に夏休みの開放感を感じる。首にかけた体操の出欠表は私らの子どものころと変わりないが、道々の話題は大違いで面白い。マジックはいつつくのか、というのは広島東洋カープの成績を気にする子。新井に菊池、丸に任せとけとは優勝を信じ切っているような別の子、カープ選手に聞かせたい。

 子どもたちも行事で忙しい、土曜日は2週続けて地域の夏祭りを兼ねた盆踊り。練習や本番に参加すればご褒美がもらえる。踊りが始まるまでは親が店員になる屋台は大賑わい。子どもが多いということは若いお父さんお母さんも多い、その話声を聞いていると、校区内の人口増が実感として伝わり、高齢者もしっかりせねばと気を締め直す。

 8月の第1土曜日は錦川水の祭典で錦帯橋の花火大会。毎年、10万に近い人が錦帯橋界隈をうずめる。雨が降らず川上から少し風が吹いて煙を運んでくれると花火大会は盛り上がる。次の第2土曜日は岩国藩のころから伝わる錦帯橋界隈の辻踊り、こぬかの盆踊りが行われる。昨年から新たな取り組みで復活、太鼓と三味線の囃子に合わせた音頭にのって踊る、待っている人も多い。

 それが終わると盆。帰省した人の他県ナンバーも増えるが通りの静かさは変わらないが今年はどうだろう。甲子園の県代表が決まった。その前にインターハイ、市内ではフェンシングとカヌー競技が行われる。選手もその家族もゆっくりしてはおれない夏、健闘を祈る。
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三人展

2016年07月27日 | 地域


 9回目になる三人展が始まった。これは錦川の源流近くから瀬戸内海までの流域に棲息する野鳥を作品にする写真同好会の定期発表会。もともとはカワセミを被写体として発足した3人グループだった。野鳥について研鑽を重ねるうち、流域の野鳥だけでなく渡り鳥も含め作品化されるようになったという。今回は一人のメンバーが亡くなり、その遺作展の意味もある展示だった。

 遺作の一つにカワセミの雛5羽が水際の枯れ枝に1列に並んだ1枚がある。これはカワセミの観察をし尽くした1枚で非常に珍しく貴重な作品と教えられた。

 毎回、展示作品から自然界の厳しさを教わる。今回のその一つはオオタカがコガモを捕食、それを食する数枚。無残に食いちぎるオオタカ、その側でこぼれを狙うカラス、それを追い払うオオタカ。こんな格闘が市内で繰り広げられているなど知る由もなかった。大方は被写体から数十メートルも離れての撮影、「好きだからできる」と苦労は見えない。

 珍しい野鳥も数々。NHKの放送で「世界で2700羽」と紹介された絶滅危惧種のクロツラヘラサギ、同じく絶滅危惧種のヒクイナ、飛来も珍しいが地上でどんぐりの実を何個も丸呑みするという姿も珍しい1枚という。シマアジという鯵と迷いそうな鳥の羽模様の美しさには見とれる。真黒なパンの写真はほかでも見ているが、子のバンが親鳥の口に頭を突っ込み餌を食べる親子の1枚はほほえましく情愛を感じる。次回はどんな作品が並ぶのか楽しみにして会場を後にした。
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宮本常一展

2016年07月26日 | しっちょる岩国

 民俗学者宮本常一(1907~1981年)は山口県周防大島出身。柳田国男に師事して民族学を学ぶ。全国を隅々まで歩き、そこに生活する人々の日常や仕事、街並みやその風景などを愛用のオリンパスペンSで撮りためた。その写真は10万点に上るといわれる。周防大島には記念館がある。8年ほど前にそこを訪れ膨大な資料に驚き見入ったことを思い出す。

 「宮本常一が見た錦川流域」として、宮本常一が撮影した錦川沿いの写真展が徴古館で開かれている。撮影は昭和38年から同41年頃に撮られたモノクロ25枚が展示されている。それぞれ同じアングルで撮った現在の写真も並べてある。南桑隧道や本郷口バス停周辺、広瀬商店街など往時を語るにふさわしい写真。岩高の校門、旧出会橋などは時代の変遷を感じさせる。

 大島の記念館に展示されていた写真は庶民の生活が撮られ、戦前戦後の生活実感が伝わる写真だった。それはプロ写真家のようにある部分を強調するようなものでなく、両目で普通に見える風景や光景だったことが印象に残っている。残念なのは、今回の展示には錦川沿いで暮らす人の姿が1枚もなく、風景から息吹が伝わらなかった。

 興味を誘ったのは「生見川ダム水没地域民俗資料調査の予備調査記録」。生見川ダム(通称 山代湖)は1985(昭和60)年春に完成した。県土木の知人が責任者として建設に携わっており苦労話も聞いたが、民族学的な事柄は記憶していない。予備調査には筏流し、山仕事、川舟、カニ漁、日稼ぎなど今は聞かれなくなった仕事の話、各集落の変遷など、手書きで青焼きの資料は生見地域の記録だ。青焼きを全頁撮った。ゆっくり読んでみよう。
 最終頁に載っている歌の一つ。「高イヤマカラ 低イヤマミレバ ウリヤナスビノ花ザカリ アレハヨイヨイヨイ」
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ソリティア

2016年07月25日 | 生活・ニュース
 
 かなり前、パソコンに保存したことを思い出し探していたら懐かしいゲームが現れた。その名はソリティア。これはパソコンのマウス操作の練習に使った。クリック・Wクリック・ドラッグの練習に最適なゲームと教わったことが発端だった。その後、講座でもこれを用いたことを思えば古くから存在しているものかと改めて思う。

 ジョーカーを抜いた52枚のトランプを使い一人で楽しむゲーム。場札と山札のカードをルールに従い並べ組札のスペースに並べる。1度教われば、ルールを間違えると先へ進めないから後はゲームの感を養うだけ。ゲーム所要時間は1回数分と短いことで繰り返し楽しめる。点数が上がるつれゲームにのぼせた。それでマウスの使い方が上達したと人もいた。

 ガラケイ使用の私には縁のない「ポケモンGO]、世界中で話題になり日本でも配信された。その操作について国が注意事項を発するなど尋常ではないゲームらしい。ゲームに熱中し、国内でも多様な魅惑行為が数多く発生し指摘されている。不法侵入し警察官の出動、ポケモン追跡しながら車の運転、夜間の公園占拠、危険地域への接近で警報の作動などなど、諸外国に見られたと同じ行為が起きている。歩きスマホは今も危険禁止行為、他人には絶対迷惑をかけない楽しみかた望む。

 ソリティアも度を越して指や肩を酷使してはいけない。過ぎたるはなお及ばざるが如しという。何年振りかにゲーム開始をクリックしたら、すべて黒のカードだが現れた。回数は覚えていないがかなりの回数楽しんだが、赤と黒の混合で単色のカードはなかった。自分流には珍しく記録として撮っておく。さて上がりになるか試してみよう。
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強気が武器

2016年07月24日 | 地域

 今日の地元紙、1面トップ見出しは昨夜の号外と同じ「黒田 日米通算200勝 野茂に続き2人目」。記事は熱狂を抑えた控えめな記述がいい印象を醸し出し、黒田の業績を際立たせている。スポーツ面の捕手・石原の「多彩な変化球を内外角に散らして的を絞らせなかった」好リードを評価した小さな記事と「節目で受けさせてもらってすごく幸せ」と感慨深げに語ったというベタ記事もよかった。

 黒田の広島入団は1997年ドラフト2位で専大から入団、というからバブル崩壊の影響が顕著になっていたころ。当時の私は現役で、企業強化のため与えられた目標を達成しようと、定年前の身に檄を飛ばし東奔西走していたころになる。経済界は厳しいころの入団だった。初勝利は同年4月25日の対巨人戦、当時の新聞写真はモノクロ、今ではこれも記念になる。

 これほどの黒田投手も優勝経験がない。昨年、黒田の復帰もあり広島の優勝を心待ちした人は多かった。結果は結果で今年に夢をつなぐ。今年のカープは何かが違う、先行されても試合終了時にはという信頼を持たせてくれる。地元紙は「チームは1989年以来の貯金22とし、マジックナンバー点灯は最短で26日」と載せている。26日と言えば明後日のことになる。

 試合中は打たれても打球が当たっても表情か変えないという黒田、「変えると相手チームが盛り上がるから」という。勝負に徹するこの強気な根性が200勝に連なったと思う。責任を担う41歳の現役は、目標に向かって努力するという新たな克をチームに植えつけた。次の目標は野茂に並ぶ「201勝」だそうである。
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和製英語 GOAL IN

2016年07月23日 | 生活・ニュース
 

 リオ五輪のメダル獲得を目標に日本選手団も続々と現地入りしている。選手たちの自信みなぎる意気込みやいい笑顔を映像で見ていると心強さを感じる。大会の様子はNHKと民放が協力し総勢30名のアナて日本に伝える。NHKアナの声が民放に民放アナの声がNHKに流れるという。放送技術だけでなく言葉も絶叫型でないレベルの高さを期待する。

 元NHKスポーツアナ島村俊治氏の懐古。無理だ危険だといわれた女子マラソンが初めて行われた1984年のロス五輪、マラソン放送も終わるころスイスの選手がふらふらと競技場へ入ってきた。10万近い観衆は総立ちとなり「ゴー、ゴー」、競技場は大歓声に包まれた。映像は選手を見事にとらえている。よけいな言葉はいらないただ「もう少しです。ゴールは見えているはずです。入りました、ゴールイン」と全身全霊でゴールそのものを伝えた。今は使わなくなった「ゴールインという言葉はとてもいい和製英語だと思う」という。

 オリンピックの特徴の一つに「この舞台で自分のすべてを出し切る、見てもらう」という気持ちが選手に働くという。だから、勝者はもとより立派に競技し破れたメダル以外の選手の姿もしっかり伝えてほしい。

 懐古を読むまで「ゴールイン」が和製英語とは知らなかった。確かに辞書には和製と注記がある。今は「フィニッシュ」という。ゴールに張られたテープにもそう記されている。リオでも各選手、いやアスリートの活躍と末永く心に残る和製英語の誕生を願っている。
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父のそろばん

2016年07月22日 | エッセイサロン

 2016年07月22日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載

 朝刊の「こだま」に掲載された杉山恒子さんの「赤いそろばん」を拝読した。そろばんを使いながら家計簿をつける楽しみが伝わった。わが家にも小さなそろばんがあったと思い出して探すと、引き出しから13桁で五つ玉のそろばんが出てきた。玉は少しくすんでいるが滑らかに動いた。

 父は、このそろばんを使い、夕食後に自治会の会計簿を付けていた。その任期の途中、50代半ばで急逝した。使われなくなった五つ玉を、古い物として何度も片付けようとした。そのたび、父が使っていたからと捨てきれなかった。しまい込んでもう50年になる。

 自治会の会計は、20代半ばだった私か引き継いだ。初めて会計簿を開いた時、字は上手ではないが、丁寧な記帳に驚いた。やるからには同じようにと、心を決めた。高齢の会長を補佐する一員として数年間務めた。

 そろばんは苦手だったので、愛用の電卓を使った。父も電卓を使ったなら、もっと早く帳簿付けができたろう、と考えたものだ。

 「郵便貯金80億円記念」と銘がある。問い合わせると、それは昭和16年ころという。父は地方の郵便局に勤務していたので持っていても不思議はない。 

 丁寧に使ったのか作りがいいのか、ゆがみもなく、玉の動きも申し分ない。長さは20センチほどだが、父の仕事ぷりを伺い残すただ一つの品になった。

 昨年、父の五十回忌を済ませた。急逝から半世紀、赤いそろばんのおかげで久しぶり日の目を見た五つ玉、父の享年を大きく超えた私に驚いただろう。
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