日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

平成を継ぐのは

2019年03月31日 | 社会 政治

 今年は何かにつけ「平成最後の」が枕詞に使われた。そんな平成も残り一カ月となった。明日は平成の次の元号が発表される。元号は「大化」から「平成」まで247、明日は248番目の発表になる。報道される推測元号は幾つもあるが「安」の1字を含む元号が上位とされるが、政治臭を感じさせない元号を望みたい。

 なじんできた元号であるが、西暦との関係で戸惑うこともある。元号にいくらプラスすれば西暦になる、そんな暗算を何度もして来た。国内でも西暦が主体になっているが官庁関係とNHKは元号で表示される。併記してもらうと、解りやすいと思うのだが。マイナンバーカード所持者によると、交付年は元号、有効期限は西暦となっているとか。

 先日、「昭和は何年」と問われ、計算して「2019-1926で93年かな」と答えた。問い違い勘違いで「昭和は何年続いたか」、64年はパット答えた」たら、答えは62年という。よく確かめたら昭和は何年と何日か」という。そこで指折り計算して「62年14日」で正解を貰った。元号の計算は私には難しい。

 昭和天皇崩御の報を受け休日だが社命で出勤、いろいろと対応をしたことを思い出す。その日は静かに小雨の降る日だった。元号は静かなうちに変わった。新しい元号にあやかる商法が報道されている。新元号の意味するところを熟慮し、それにふさわしい新しい形を考えてはどうだろうか。
(ここまで書いたところでPCがストライキ。アップが遅れました。)
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ホウかカメか

2019年03月30日 | 自然 季節

 「ホウムシは悪臭を発する」という話から標準語では「カメムシ」と訂正された。子どものころから「ホウムシ」で通じていた。この呼び方は西日本で使われるという。ちょっとクリックしてみると色んな地方で色んな呼び方をされている。ということはその地に、そう呼ばれる由縁があったのだろう。

 とこから飛んできたのか、何かにくっついてきたのかわからないが部屋に4匹もいることに気づいた。幸い悪臭を発していないので助かった。窓を開け静かにお引き取り願った、と面白くブログに書かれていた。この虫は触ると悪臭を発するから、そうならないように追い払うコツがいる。田舎の冬に多く発生し風物詩にもなるいうが何か根拠があるのだろうか。

 どうして入り込んだのか我が家の車にも侵入していた。車で出かける。走り始めて少し経ってかすかではあるがホウムシの悪臭がする。走る振動に刺激されて悪臭を発し始めたのだろうと断定したが、居場所を探すのは大変と割り切った。帰宅してとった対策は、エンジンをかけたまま、ドアを全部開けておくことにした。ガソリンの無駄遣いにはなるが、背に腹か変えなかった。対策は効果ありでよかった。

 よく見るホウムシは緑か茶系の色で形は六角形をしている。先日、出かけた先のある公共施設の部屋にいるはいるは、数えなかったが「どうして施設に」と思った。触らないので悪臭は発しないがさぞ居心地のいい施設なのだろう。そんなムシの背中は芸術的で、きっちり左右対称に文様が描いたようについている。その芸術的さに感心し1枚撮っておいた。このブログのネタ以外に用途がないか思案中だ。
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助手席から

2019年03月29日 | 地域

 あるお手伝いで岩国・和木地区を車でほぼ一周した。走行距離は約160㌔、昼食やトイレ休憩を含めて約8時間、助手席に座りづめだった。運転はプロ級の人で何も気にすることなく座っておれる。お陰で車窓からいろいろな光景をみた。

 桜は市内北部、中山間地の方が市街地より咲き具合が良い。4分5分咲きで丁度見ごろな風景が連なる。市街地の桜の方が山間部に比べ早咲きと思っていたが違った。菜の花もいたるところで咲き誇っていた。圧巻は根笠の山つつじと桜のコラボ、何度か撮りに出かけたが、微妙な時期のずれで残念が多かったが今日はラッキーだった。

 気になることもあった。報道や話で知っているつもりの廃屋、その多さに驚いた。崩れた家、屋根が抜け落ちた家、雑木や雑草に囲まれた家、そこまでは至っていないが明らかに住民の居ない家、いろんな姿で荒れ果てた姿をさらしている。廃家とも表現するそうだが、なにか締めつけられる気がしながら、過疎や限界、消滅などという集落の姿を垣間見た。

 山間部に入ると離合もままならぬ道も多いが、それでも舗装されており走行は助かる。昨夏の西日本豪雨被害そのままの跡もあり、次の災害が起きないことを祈るしかなかった。助手席でいろいろなことを学んだ一日だった。
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花のことわざ

2019年03月28日 | 生活・ニュース

 花にまつわることわざがいくつもある。この桜の季節に聞かれそうなのが「花より団子」。花をめでる人の方が多いが、花見となると各々が花見弁当を楽しむ。その瞬間は団子のことわざ通りに見える。美しい花を見るより、団子を食べるほうがよいということ。風流より実益、名や外観よりも内容を選ぶ、と説いてある。人の或る内面を表す。

 「花も実もある」、美しい花が木に咲き実もなることをいう。これは外見が美しいだけでなく、実質、内容も備わっていることをいう。名実ともに優れており、義理も人情も良くわきまえ配慮が行き届くことをいう。こんな人ばかりなら世の中の争いやいじめは少なくなるのでは、そんな反省を促す。

 「花も折らず実も取らず」という。花を折ることも実も取れない。これは人間の欲の結果、結局はどちらも得られないことを言い表す。二兎を追う者は一兎をも得ず、虻蜂取らずと同じで、一挙両得や一石二鳥などの対になる。

 新しい社会人や学生が桜とともに世に出る。これまで苦労したり不遇でいた人が、時節に巡り合って世に出ることを表すのが「花咲く春にあう」。思わぬ出会いがヒットに連なるかもしれない、桜はそんな希望を感じさせる。自分の老けゆく歳を思いながら、新しい巣立ちの人らの夢や希望に「花に嵐」が邪魔しに来るだろうが、苦の先に本当の実が生るので努力を期待する。
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咲き誇る陰で

2019年03月27日 | 自然 季節

 在京キー局のテレビ関係者は桜とその下での花見が大好きなように思える。連日、ニュース番組で開花状況を長時間放送していた。桜を嫌う人はいないが、度が過ぎるとうんざりする。ある人「地方は在京のTVの放送を見させてもらっているから文句は言わない」と寛容な精神を持てと諭された。今日、日本で一番早い満開宣言が出たというから少しは静まるのだろうか。

 といいながら、快晴の下で同好会の花見。思い思いそれぞれの弁当を広げ乾杯。3人だけが本物のビール、断酒した人もありノンアルコールビールがその数倍、度数は無関係に宴は盛り上がる。桜の花びら散る中の宴と言いたいが、錦帯橋畔は咲き始め、桜ちらほらの下で親交を図る。明け方の冷え込みが嘘のような日和に恵まれた。

 ところで写真、ちょっと悩ましそうな樹体は高齢化した染井吉野。一帯には幹が空洞化した老樹も多く見かける。空洞を通り抜けた竹は緑の葉を茂らし、それを囲むように桜が咲く風景もある。また、公園には樹皮だけの木に桜が咲く。支柱に支えられたその姿は痛ましい感じもするが、翁桜の風格を感じる。

 数十年を超える長き、自然の風雪に耐え、短い開花期間に国中をよろこばせる桜、自然のありがたさや大切さを教えてくれる一つではなかろうか。パット咲いてパッと散る短い命の桜、それでも国中の人に感度を残していく。そんな老樹の姿に人格化を感じる。自分もそうありたいと思い続けていよう。
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初夏???

2019年03月26日 | 自然 季節

 昼過ぎのこと、青空駐車場の車内は22度を表示していた。市内のアメダスの最高気温は14時過ぎに21度が観測された。桜の開花も勢いづくのではなかろうか。錦帯橋畔のチラチラ模様の開花の写真がアップされている。明日は同好会の花見、天気にも花にも恵まれそうだ。

 朝8時すぎ、せわし気な小鳥の鳴き声が聞こえる。「もしやツバメ?」そう思い見上げると2羽が並んで電線に止まっている。2羽とも背中を見せているのでツバメだろうと思いながらしばらく見ていた。そのうち1羽が飛び立ち、付近を旋回し戻って来た。今度は白い腹を見せて止まり、今年はじめての出会いとなった。

 少し早めかな、そんな思いでツバメを見たことを知人に話すと、蓮田のあたりでは群れで飛んでいると教えられた。ツバメが渡ってくるということは気温はそれなりに高くなっているということになる。日本列島は荒れ模様の天気だが、自然は夏に向かっているようだ。

 最近の温暖化関係の報道では、今の抑制策では温暖化は進み続けるという。すると越冬ツバメならぬ、何年か先には、渡り鳥を返上したツバメということになりはしないだろうか。四季があっての日本の良さもともいえる。ツバメの飛来は嬉しい、いつまでも続くよう地球の老い支度はどこかで止めよう。
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日本の祭写真展

2019年03月25日 | 地域

 退職して市内に帰省されたアマチュアカメラマンの「日本の祭 第7回」展が開かれている。作品は、在職中に全国の祭り巡りをされて撮られた作品が主に展示される。ニュース映像で見ている全国に名の知れた祭、静止画ではあるがゆっくりと祭の雰囲気を味わうことが出来る。今回は月末まで、西岩国駅構内ふれあい交流館展示室で観覧料無料。

 今回は「灘のけんか祭り」「周防國二井寺山極楽寺火渡り大祭」二つの祭。前者は、数ある「けんか祭り」の中でも最大規模で天下の奇祭。姫路市白浜町の松原神社の秋季例祭で300キロを超す神輿のぶっつけ合いが撮られている。大迫力写真からは男衆の熱気が伝わる。祭を取り巻き喜ぶ人らの顔も写真展だから見れる。

 後者は当市の周東町にあり、厳島や大宰府と並ぶ霊場と言われる二井寺。由緒ある寺に1度上ったというか参ったことがある。源氏に由来する梵鐘もあり霊を感じる。年間行事として数種の祭のうち「天狗の火渡り大祭」が展示されている。圧巻は、山伏が帯の様に続く炎を渡る4枚、思わず祈りの姿勢で鑑賞していた。旅姿の外国の人も見入っていた。

 祭り、テレビの無い時代には今の様に全国の祭を映像で観ることは無かった。地域や町内の氏神様の祭礼が中心だった。住んでいた町内の中心に小さな社があった。秋の祭礼には屋並に御幣を張り屋台も並んだ。演芸用に架設された舞台では幼児から高齢者まで舞いや歌、手品などで喝采を浴びていた。思い出せば、藩政のころの屋並が薄くなるにつれ懐かしいかってのような賑わいは薄れていくように思えるのは独断だろうか。 
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撮られてる

2019年03月24日 | 社会 政治

 ドライブレコーダー、フルに呼ぶのは時代遅れ「ドラレコ」が普通の呼称だという。音声だけではどら猫と聞き間違いしそうだが、目まぐるしい変わり目に従うとしよう。ドラレコが交通事故の解明やその予防に寄与しているという。今だに装着していないのでその実感はわかないが、早々に取り付けた知人は。事故防止には効果があると感想を書いている。

 信号で停車した。前車の後部に「後続車録画中」という手作りのステッカー(写真は無関係)が取り付けてある。録画中のステッカーはこれまで何例も見ているが、前車のその大きさは半端な大きさではない。撮れらても問題になる運転はしていないのだが、信号を待つ間にステッカーの大きさと文字から妙な威圧感を感じた。誰に断って撮っているかと大人げないこともちらっと頭をかすめる。

 信号が変わり前車の右折について私も曲がり再び撮られる側になった。ところが、前車は猛スピードで走りだし車間距離は開いたが先方渋滞ですぐに追いつく。トンネルに入ったが無灯火で進む。私のライトにステッカー光る。ドラレコは自分の運転の反省資料になるという知人の書き込みを思い出し、前車にそうあれと念力を送っておいた。

 ドラレコ取り付けの狙いは何であれ他車に対しては無断撮影だと思う。現に、私は前車に何の遺志も示していないが撮っている。撮る方法については無知だが、その映像に手を加え洩れることは無いのかなど気になることもある。純粋な安全運転のためだけに使われることを願ってやまない。他県ナンバーだったが不快にさせるステッカーは外したほうがいい。
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統一地方選挙

2019年03月23日 | 社会 政治

 統一地方選挙について教科書ではこんな風に習う。地方公共団体の首長や議員の投票日を可能な範囲で全国的に統一して行う選挙で、4年ごとにめぐって来る4月に集中して行われる。開始は1947(昭和22)年というから70年以上の歴史になる。今年の統一選は19回目、都道府県議選を除くと統一という形は崩れているように思う。

 まずは知事選挙から始まった。と言っても大阪府知事が突然加わっても11道府県、統一の名が泣きそうだ。我が市では県議選が対象、市長選は来年初め、市議選は昨年秋に行われたばかりで2回目の市議会が先日終わった。年々、地方だけでなく国政選挙でも止まらない投票率低下が懸念され問題提起されるが、目に見えた解決策がないようだ。

 県議選は29日告示で始まる。県内では15選挙区のうちで無投票選挙区が複数と報道されているが、始まるまでは予想でしかない。立候補者が少ない、これは議員になりたい人が少ないというが、その中でこの人と思う人を選ぶ。今県議選挙から遅ればせながら選挙公報が発行され新聞折り込みされる。これまでのポスターでの候補の比較が手元でたやすく出来る。

 公報は発行されるがこれまでのポスターは継続され、各所で掲示版が貼られるのを待っている。掲示板は見えやすいところへの設置が望ましいと思いながら首を傾げた。道路から20㍍くらい奥まった個所に立てられた掲示板がある。ポスターの名前はおそらく判読できないだろう。道路沿いに設置出来るスペースはある。せっかくの設置だから見やすいとこに一考を願いたい。
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春の息吹

2019年03月22日 | 自然 季節

 芭蕉と言えば俳人の松尾芭蕉と間違えられそうだが、ここでは植物の芭蕉の話し。吉川藩時代の横山(川西を含む)錦見(現在の岩国、錦見)地区には芭蕉の姿をよく見かける。この地区に多いのは、数段に重ねる岩国寿司の仕切りに芭蕉の葉を使用したことにいわれがある、と古老に聞いている。全段が芭蕉の葉では切りづらいので、中ほどに木の板を仕切りにしていた。子どものころ我が家にもあり、寿司を作る頃には近所の人が取りに見えていた。

芭蕉の葉は、祭の幟の様に大きく瑞々しい濃緑で、春から秋まで存在感を示す大型の植物で目を見張る。それがどうだろう、冷たい風が吹き始めると、幟のような葉は葉脈に沿って裂けていく。裂けた葉もやがて枯れ落ちる。定めと言えばそれまでだが、夏場の姿を思えば哀れを感じさせる。これを破芭蕉と呼ぶが子孫を残す営みと思えば哀れも救われる。

 そんな破芭蕉が10数本一塊になって山の斜面で日を浴びている。よく見ると塊に中央近くの複数本に淡い緑色の新しい葉が覗いているのを発見した。次の世代が生まれ来ているのだ、そう思うと寒さに耐えて枯芭蕉の働きに自然の掟の不思議さを感じる。人ならあれほど枯れると枯人間にはなれない。

 芭蕉は破れ姿から別名で「庭忌草」と呼ばれ庭には植えない植物と言われた。一方で、茎から繊維を採り芭蕉布という織物にした。夏の着物や座布団地、蚊帳などにも使ったという。古くは文字を書いたともある。破芭蕉に抱かれた新葉を、引き継がれるDNAの不思議さを思いながら眺めた。昨日買った岩国寿司の仕切りは芭蕉葉が使われていた。
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