日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

メジロ4 威嚇姿勢

2018年02月28日 | 自然 季節

 メジロを呼ぶため庭にミカンを置き始めて3週間余りたつ。初めのころはヒヨなど大型の小鳥を恐れて姿は見せるが餌は眺めていた。それも次第に慣れ、朝7時ころには前日の残りをあさている。いつも2羽揃ってやってくるところからつがいだろう。2組目のつがいが現れたとき、短時間だが空中戦を演じ追い払った。その後、4羽が並んでいる場面も見ているが、見分けが出来ず詳細は分からない。つがいの1羽が見張りをして1羽が一心に食べる、しばらくするとその行為を交代する。時には頭を揃えて餌をつむぐ。

 毎朝、ミカンを2個輪切りにし、前日の皮と袋だけになった食い残しと取り換える。取り換えをどこかで見ているのか終わるとまもなくやって来てついばむ。毎日続くと可愛くなる。

 スリムなメジロだがついばみながら膨らんでいる時が有る。先日は監視役の1羽が玉のように丸く膨らんで一方を見つめている。その先に何か気になる生き物がいるのかもしれない。何年もメジロを呼び寄せるが、これほどおおきくなって威嚇する姿勢を見たのは初めて。メジロの見つめる先を確認したいが、戸を開けて庭に出れば威嚇ドラマは終わるので膨らんだメジロを眺める。しばらくしてスリムな身体に戻った。

 ヒヨがやって来ると2羽は左右の2方向に飛び去り、すぐに右方向から左へ句かって飛んでいく。これは待ち合わせ場所が決まっているかのように思える。そのヒヨを脅かして逃がすのは私の役目、いじわるするようだが仕方ない。3月になると来なくなると聞いた。その3月は明日から、ミカンが切れるか、それとも来なくなるか、どちらが先だろう。
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パイロットの視力

2018年02月27日 | 生活・ニュース

 雲一つない真っ青な空、機影は見えないが直線の飛行機雲が勢いよく伸びていく。雲の様子から上空は無風の様で、これほど一直線に伸びる飛行機雲は久しぶりに見る。ブロック塀に背中をつけ、手のひらサイズのデジカメで真上を向いて撮る。真上を撮るというのは難しいが何とか撮れた。液晶で確認するとうっすらと機影が写っている。

 「地上から肉眼で見える飛行機の姿は高度どのくらい」の問いに答えは幾つもある。機体とその時の気象状況により異なることは分かるが、これが正解だと納得出来る高度は見つからなかった。真上に見た場合おおよそ10㌔から12㌔くらいの間にありそうだと感じた。視力でいえばどのくらいだろう、視力検査表の最下段が2・0と覚えている。私はそこまで見えたという憶はない。視力2以上の人はいるのだろうか。

 勉強しすぎると目が悪くなる、子どものころの勉強逃れの言い訳に記憶がある。齢とともに視力は落ち、老眼に乱視だと付け加わる。いやでもメガネの世話になり始めて何年だろう。薄くなる頭髪と合わせ加齢を感じる一因になっている。通知表には視力が絶対値で表示されていたが、最近はAからDまでの4段階になっているとか、どんな意味があるのだろう。

 平和な空を飛ぶ自動化された飛行機では操作はないだろう。しかし、最近の国内で自衛隊や米軍飛行機の墜落や部品の落下、不時着など事故発生が多い。そんな時、視力は地上が見える、運動場が見える、危険回避には欠かせない身体機能、最善の状態を保治して欲しい。
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平和の祭典たれ

2018年02月26日 | 生活・ニュース
 

 走っても投げても飛んでも、瞬間的にその力を発揮する運動能力は小さいときから苦手だった。まじめに挑んではいるが結果が周りの皆に遅れたり劣っていた。それが運動は苦手だと自身で思い込み、今もそれは変わっていない。ただ、持久走のようにそれなりの練習を積み重ねて対応出来る競技では、それなりの成績を残した。

 そんな自分だから冬季オリンピックは感心してTV観戦している。氷上、雪上を問わず飛び跳ねる、それも高く舞い上がって幾種類もの回転を演じながら態勢を崩さず降りたち、瞬時もおかず次の演技に移る。昨日閉幕した平昌大会はこれまでになくそのことを強く感じた。スピードと瞬発力、正確な判断力とそれに沿った技術力にも感じ入った。

 日本選手団は史上最多となるメダル13個(金4個、銀5個、銅4個)を獲得した。メダルだけでなく、これに勝るとも劣らない国際親善を果たしたことも報じられている。何れも一朝一夕になせるものではない。競技を競うばかりが五輪の精神ではない、世界中の人をより強く、固く、結んでいく礎となることだと思う。

 カーリング女子銅メダル決定の瞬間、選手は喜びを発しなかった。「カーリングでは相手のミスで喜んではいけない。内心、よしっと思ってもいい。でも、それを感情で表現してはいけない。カーリングは相手を思いやるスポーツ」と指導しているという。手袋を外し握手の後、体中で喜びを表す、これがカーリングの奥深さと関係者は語る。ブームになった「そうだー」「もぐもぐ」は楽しいが、相手を思いやる、小平選手の李相花への姿勢もそうだろう。五輪は平和の祭典であれ。
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防災行政無線の設置

2018年02月25日 | 地域

 現在、市の防災行政無線の放送内容は、緊急通信として避難勧告、災害情報、火災情報など、普通通信として時報や市からのお知らせが屋外拡声局(スピーカー設備)で流されている。わが家では風の向きによっては3カ所のスピーカーの音声が共鳴し内容が聞き取れない。風や雨が強いと戸を閉め切っており聞こえない。

 一番怖いのは火災、従来の消防サイレンではなく行政無線のサイレンは何かの振動音の様で、初めての時は火災とは気付かず、無線のサイレン音を「電気ノコ」と思った近所の人がいる。聞き洩らした時は電話応答機能があるが、これはガイダンスに従って確認したい地域の番号を入力するなど手間がかかる。

 そんな不便解消のため防災行政放無線戸別受信機の設置が進んでいる。昨年の春に設置申請していたがようやく設置された。わが家は地元TV有線放送契約で、受信機設置に伴う負担は無し。設置希望が多く市からも遅れているとの連絡が2回ほどあった。「殺されそうになるほど忙しい」と設置担当者は笑いながら5分ほどで済ませた。

 試験放送は無くぶっつけ本番の放送を待つしかないが、地域のAMとFMのラジオ7局がセットされておりいつでも聞ける。これに頼って行動を起こすことがあっては困るが、高齢夫婦なので特に夜間の情報を補ってくれるだろう。
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バス路線の廃止から

2018年02月24日 | 地域

 公営の市営バスは民営化され、便利になるどころか利用者には不便になっている。経営維持のためには合理化が欠かせないことは理解できるが公共性が失われないように願いたい。幹線道路を外れて運行されていた循環バスは歓迎されていた。市政の変化とともに不便になり、知りあいの高齢者は買い物難民になったと無理やり笑って見せた。最近、折込やポストインで新たなバス路線の廃止のチラシが複数回届く。

 散歩する道沿いの幾つものバス停時刻表にその知らせが張ってある。廃止に伴い代替になる近くのバス停が案内されている。そこは300から500㍍くらい遠くなる。バス利用の高齢者は寒かったり暑かったり、雨や雪の日には出かけることを見合わせるようになろう。

 人口減それも若年層の減少、空き家の増加、商店や商業施設の相次ぐ閉店や撤退など、幾つもの要因が絡み合い路線バスの減便や路線廃止に連なっている。地域再生や過疎化対策など策は聞こえるが実っていない。高齢者にはさほど関係のない箱物行政は進んでいるが、交通弱者が住居の近くで買い物ができるなどという市民の足元を強くする策は聞こえない。

 ある製品が成長を続け右肩上がりで伸びていく。それはある時点で放物線の頂点に達する。達すれば以降は右下がりで下降する。頂点に達する前に見極め改良改善を施すのが経営者の力で、従業員は安心して働く。少子高齢化が言われて久しいが歯止めがかからない。バスは便数減でなんとか対応できるが人の生活にそんな手はない。箱物だけの自治から早く脱して欲しい。
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今日はプレ金

2018年02月23日 | 生活・ニュース

 若い人には知られていないだろうが、昔「花金(はなきん)」という日があった。週休二日制の導入で土曜日の出勤を気にせず夜を楽しめるところから由来している。現在は1年前に導入された月末金曜日の「プレ金」。こちらは、経済産業省と経済界が一緒に旗振りしてスタートした。サラリーマンの留飲を下げる花金と違いプレ金は早帰りして消費を促す日のこと。

 経済産業大臣が先頭になってその実行を促しているが、その定着は思わしくないようだ。15時という肝心の早帰りを実施している企業は少なく、個人消費を期待した店舗も暇なようで、担当大臣も笑顔でなく、現段階では苦笑の状況らしい。経験から月末の金曜日は月の仕事の締めにかかる時期で、早く帰るには相当の勇気がいる。せめて第2金曜にしてはどうだろう。

 定年前「三金会」として職場の同僚と終業後の一杯の会を続けていた。毎月、第3金曜日は工場年間計画で上司不在が決まっておりこの日になった。場所は職場から数分のところにある社員クラブ。テーブルをくっつけて乾杯をした。飲み物は幾通りもあり、料理は専任の調理人が和洋を問わず手作り、そして会社施設なので安価、言うことなしの場所で有意義で楽しい時間を過ごした。

 働き方改革と称して国会では論戦が展開されている。その基になるべき資料が無様な内容として質されている。現役時代、役職に昇格すると時間外手当はなく自己裁量で仕事をした。当然、そこには効率を考えてこなす。役職以外もそうで、好んで超勤をする同僚はいなかった。働き方改革で、残業を減らし仕事の効率を上げるいう理由付けが今一つ理解出来ずにいる。プレ金、杯を傾け今夜は論じて欲しい。
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紙齢200号

2018年02月22日 | 生活・ニュース

 辞書には見当たらない新聞用語の「紙齢」という言葉を知った。意味は、創刊からの発行号数で昨日から今日、今日から明日へとつないで姿を現す。購読している中国新聞の紙齢が先日「44444」というぞろ目をむかえた。創刊は1892(明治25)年5月5日というから、4つの元号をまたいで126年目、地域紙として歴史をつむいできた。
 
 中国新聞社は被爆都市広島に本社をおく。その経験から編集方針に一貫しているのは「核兵器のない世界平和」だと伺える。原爆投下の8月6日の紙齢は18401号だったという。本社全焼、社員の3分の1が命を落とし、ほかに印刷機能も通信機能も失った。そんななかで3日後の8月9日付で発行を再開、紙齢を今に繋ぎ、元号で4つの時代をつむいできたことになる。休刊日を除いて1日1号を積み上げて達する次の第55555号は31年あまり先になる。
 
 あるとき、発行済の孫新聞をふと数えたら70号だった。そんなになるかと驚きながら、それからは記事を書く前に欄外へ号数と発行月を記入するようになった。毎月、わずか「1」の積み重ねだが、先月、それが200号に達した。ちりも積もれば山となる、ということわざのような力は小さな新聞にはないが、パソコンが使える間は続けていこうと思っている。

 大昔、ラジオが普及し始めると新聞はそれに押された。すると「ラジオで弁当箱が包めるか」と一括した上司がいたという。今もそれに似て新聞や書籍も文字離れに押されている。新聞各社は1面下のコラムを書くことを薦めている。今後、低学年から英語が必修に加わる。英語を否定はしないが、母国語が満足無くして本意は伝わらない。書いて読んで理解、これからも実践しよう。
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宇宙の謎 解明を期待

2018年02月21日 | エッセイサロン
2018年02月21日 中国新聞「広場」掲載

 宇宙の記事が載ると繰り返し読み、ロケット打ち上げの成功は、わが事のように喜ぶ。それで宇宙を理解しているのかと問われると、宇宙と同じ暗い空間に漂っているようだと答えるしかない。
 10日付セレクトの「ブラックホール ベール脱ぐか」の記事を面白く読んだ。ブラックホールは、非常に強い重力と高密度を持つ天体で、あらゆる物を吸い込み光も逃げられないという。
 そんなえたいの知れない天体の影を捉えるかもしれない。もし成功すればノーベル賞級の快挙になるという。
 その天体は天の川銀河の中心にある超巨大ブラックホール。世界6カ所の観測拠点で、高性能の望遠鏡を使って同時に観測し、成功すれば、ブラックホールの 「影」が真っ黒な穴として写り込むという。
 日本の画像処理技術の貢献で、今秋以降にはその姿を捉えた画像が見られるかもしれない。宇宙ファンの夢は膨らむ。
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冬の季語

2018年02月20日 | 生活・ニュース
 

 先日の同好会で、今の季節の季語について幾つか紹介され、その言葉の意味を教わったそんなことから子どもの頃を思い出す季語を拾ってみた。寒さといえばまずは氷。今冬、豪雪地域では凍結による水道管破裂で生活に大きな支障が起きた。この地では氷は氷でもうす氷の経験しかない。最近は見かけなくなったのが氷柱(つらら)、水の滴りが凍ってできる、その様子から垂氷(たるひ)ともいう。暖房の普及で家の軒で見かけることがなくなった。

 寒くなると聞かれたのが霜焼(しもやけ)に皹(ひび)にあかぎれだった。寒さのために血管が麻痺して皮膚の下にくりくりとした塊ができる。幸いこれに罹った経験はない。手や足の皮膚に細かなひび割れが出来るのが皹、これも血行障害の一種で皮膚が硬くなって皹割れが起こる。祖母らは熱くしてどろっとした黒い皹薬を落とし込んでいた。軽い皹は記憶にある。

 今は寒いといえば食卓にのる一つに寄せ鍋がある。魚、肉、野菜など好みに応じてなんでも入る。この冬は野菜高騰で主婦を悩ませたことだろう。子どもころは湯豆腐を、醬油と薬味のネギで食べた。菜園で採れた春菊はたっぷり入っていた。春菊を嫌う人もいるが、鍋には欠かせない青物と思う。冬の料理に困った時には残り物を使って寄せ鍋をと記事には載っている。

 薄くても寒くない衣料が大はやり。身体を思うままに動かせなかった重ね着や着ぶくれを季語として詠む人がいるだろうか。寒さの厳しい中、恥ずかしいとか気どったりは無かった。こうしてみると季語も時代とともに更新されるのだろうか。カタカナ季語も多い。スキー、スケート、ラグビー、クリスマス、バレンタイン、古の俳人は何と思っているのだろうか。
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24節季の雨水

2018年02月19日 | 自然 季節

 立春が過ぎ暦の上では春になっているが、まだ春という実感は薄い。ただ、少しだけ春近くなってきたのか、そう思わせることがある。それが「三寒四温」を思わせる日差しの日が訪れてきた。また、今年は遅いと言われながらも公園の梅の開花も近くなったという写真愛好家の情報がある。

 今日から啓蟄までが暦の上で雨水。空からの雪が雨に変わり氷が溶けて水になる。その表現「あま水の肌に与える冷たさが和らぎ、草木が芽吹き始める時分、二つ目は「あま水がぬるみ草木が芽ぐむころの意」、もう一つは「太陽暦の黄経が330度の時で、正月の中(ちゅう)。太陽歴の2月19日の頃」 とそれぞれ違うが、最後の表現は科学的かもしれないが、節季を想うにはいささかそぐわない説明のように感じる。

 先日「最低気温を氷点下で表すとより寒さを感じる」と立ち話をしたばかりだが、このところ2度か3度くらいでひところに比べれば暖かい。家周りの片づけでごそごそしていると、冬用の上着を1枚脱いで丁度良い感じだった。車庫の寒暖計は8.5度で3月初めの頃の気温で暖かく感じ片づけもはかどった。

 まだ雪の予報も出されているが、まもなく土が潤って草木が芽を出し始める。公園の、こもを巻かれた松も啓蟄の取り外しまでもう一息と虫を閉じ込めている。先日、男の子がこもを指さし「腹巻みたい」と父親へ話しかけていた。そういえばそうも見える子どもの発見、そんなこもの中でぬくぬくとしている虫たちの行く末はいかにと気をもむ。
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