日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

1円切手の話

2021年01月31日 | 生活・ニュース

 100枚で3等は切手シート3枚が当たる確率の年賀はがき、今年は4枚当たる。届いた賀状の数にまあ見合いということで良しとしよう。念のため1、2等の番号も確認するが該当なし。数年前、2等が1枚当たったことはあるが毎年3等ばかり。出すも届くも定年から20年過ぎて3割がた減りあたりもそれに比例する。

 現行の郵便料金への値上げは、消費税率アップに合わせた2019年10月1日だった。82円が84円、92円が94円、62円が63円など1通当たりの値上げはわずかだった。翌年からお年玉年賀状の3等切手は63円と84円にアップした。これまでのお年玉切手は四角だったが、今年は丸い切手に変わっている。何か意味があるのだろうか。

 4月に新しい切手が登場する。切手の図柄は日本郵便の公式キャラクター「ぽすくま」を描いた1円切手。販売枚数は1億枚限定という。50枚シートで売り出すらしい。郵政事業が始まって150周年の記念切手という。なぜ1円、消費税アップ後の新旧料金差額埋め合わせのための需要が増えているそうだ。

 私も消費税アップにあわせ差額埋め合わせ用の1円と2円を購入した。1円は郵便の父といわれる前島 密の肖像、2円は左を見ている白うさぎの図柄2種類。1円切手のデザイン変更は70年ぶりとか、私が10歳のころから続いていたことになる。70年前、そのころは電話は普及しておらず郵便が伝える手だてだった。半世紀半、使われてきた1円切手、去るにあたって前島 密は何を思うだろう。
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コロナ入国から1年

2021年01月30日 | 社会 政治

 昨夜は今年初めての満月だった。写真はその月が今朝西の山の端に隠れる少し前、午前5時半ころにスマホで撮った1枚。スマホのカメラをナイトモードに切り替えると「撮影中は端末をしっかり保持してください」と表示、よくできている。さて、薄曇りの空のおぼろげな月あかりを見ながら、コロナのこの1年、月の鏡に地球はどう映ったのだろうか。

 1年前の1月29日、コロナ禍で都市封鎖中の中国・武漢からの日本人救出の第一便が羽田空港に降り立った。その後も合わせ都合5便でおよそ800人の邦人が武漢を脱出できた。一方、2月3日にクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が紆余曲折の末横浜港に入港し本格的な日本のコロナとの戦いが始まった。そのころ今ほどの厳しい状況を予測した人がいただろうか。

 あれから1年、世界中に蔓延し1億人以上の人が感染し200万人以上の人が亡くなっている。予防の優等生といわれるワクチン接種が始まっているが世界への平等な頒布は見通せず、コロナ収束の見通しは誰も発していない。国内でも感染予防の策は進められているが、高止まり傾向のまま推移している。こんな中、世論調査では8割の人がオリ・パラの中止か延期を求めているのに、推進者は安全安心な開催を掲げるが安全安心はいかなる内容か説明がない。

 緊急事態宣言の一カ月延長か、という観測記事が複数報道されている。中途半端に解除をして、みたび緊急事態宣言などという恥ずかしいことは起きないと信じたい。安心して経済活動が可能になるまで不便さを我慢したいものだ。政治は動かな信念を持った決断をして欲しい。
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玖西盆地の雲海

2021年01月29日 | 地域

 雲海に浮かぶ城や雄大な山、有名なところは映像でよく紹介される。それは写し方も上手いが確かにほーとする水墨の光景に見入る。近辺の雲海写真で感動した1枚がある。それは市内の阿品弥山から城山方面に広がる雲海を撮ったもので、岩国城、裏側ではあるが雲海に浮かんだ写真だった。

 目にした雲海もある。同じく市内の松尾峠を越える時、小瀬、大竹方面を覆っている雲海に何度か出会っている。いづれも運転中で写真のないのが残念だが、雲上に居るのだ、そんな錯覚を覚える。この峠、横山千石原地区から見上げると、雲に覆われて見えないことが、早朝ウオーキングで何度も経験したいる。その時、頂から見れば雲海が見られたのだろう。

 寒い日だった。市内の海抜500㍍に在る施設から市内西部の玖西盆地に雲海が見えた。雲海の向こうに見える山はどこかと施設の人に聞くと盆地にある高照寺山という。もう少し高いとこら撮りたいと思いながら何枚か撮った。初めて撮った雲海だが霧のただよう日で鮮明でないが、私の腕ではどうしようもない。

 雲海の解説の一つに、山頂や飛行機などから見下ろした時に海のように見える雲、とある。そんな雲海発生の条件は5つある。季節は春や秋というが今は冬、時間帯は夜明けから早朝だが発見したのは昼前、気象の湿度が高く無風は合っているが気温は不明。残る一つは場所、これは山間部や盆地というから条件適合。いくつか条件から外れているが、見た目は雲海、ということでファイルは「玖西盆地の雲海」として残しておく。
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単純がいい

2021年01月28日 | 生活・ニュース

 病院の待合室で聞こえて来た会話。「お店の薦めるエアコンを買った。いっぱいいっぱい風量やらその向きやら、エコ運転をするとか、掃除をしてくれるとか、ようわけの分からんものがついとる。本当はスイッチを押したら温うなって切ったら止まるだけでええのに」と、聞く人はうまく相槌を打っていた。

 そんな会話を聞きながら思い出した。我が家も確かな動きをしなくなったエアコンを取り換えた。取り付けに来た人が「よう持ちました」と発するほどの時代物になっていた。新しいそれは、CMでは聞き流していた新機能がこれでもかというほどついている。我が家風の使い方にするためあれこれと試し運転をしてみた。

 早朝ウオーキングを始めたのは十数年以上前になる。今は家庭医の指導で昼間に変えたが、歩き初めに買った歩数計を最近取り扱い方が悪く壊してしまった。長年の友を腰につけていないと寂しいこともあり新調した。腕時計型の形式が陳列を圧し、備わっている機能は消費カロリー、歩行距離など数項目に及ぶ。私は歩数だけ表示の歩数計の原形のような品を求めた。最近の品は感度調整が必要なくなっている。

 「シンプル イズ ベスト」、これは慣用語のように使用しているが日本語にすれば「単純が最良」、英語に素養のない者の思いつきだが、エアコンと歩数計からそう思った。これでは新しい世、国の方針で変わろうとするデジタルの世に取り残される。三十数年以上前、手を出せなかったパソコンのことを思い出し頑張ってみよう。継続すれば何とかなることを信じて。
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南天の実

2021年01月27日 | 自然 季節

 散策中、花は少ないがこの時期ならではの南天の赤い実がそこここで見られる。手入れされたものから、地下茎がどんどん伸びて株を増やし、束ねたような密になって茂っているなど多様な姿を見せる。南天は難を転ずるという語呂から縁起のいい木として聞かされてきた。祖母は障子の引手部分に南天の葉を封じ込めていた。空で返す器にも南天の葉が入っていた。

 あの赤い実を弾に見立て、細い竹を銃身代わりにした南天鉄砲遊びをしていた。スギの実の場合は杉鉄砲として遊んでいた。南天の実を口に含んで銃身に詰めていた。年長者から「実は絶対に飲み込むな、毒だから」そんなことを教わりながら遊んだ。南天などどこの家にも道沿いにもあり弾に困ることはなかった。

 そんな南天、我が家の狭庭でも思わぬ所に南天がひとり生えしていることがある。小鳥が残していった土産から芽が出た、と聞かされてきた。南天の実を小鳥が口にしていることを知っておりなるほどと納得する。南天の実に毒、あれは本当だったのだろうか。

 白壁に囲まれた大きな屋敷と歩道の隙間に、葉が赤くなった南天の木、といっても背丈は1㍍あるなしだが1本生えている。それは根性南天と呼ばれて不思議ではない姿。しかし、白壁の屋敷によく似合っている。それにしてもこの隙間にうまく覗けたものだと感心しながら「難を転じたのか」と思う。この場所でいつまで伸び続けていけるだろうか、いやいや、再び難を転じるだろう、そう思いながら「頑張れよ」と別れ言葉を残して立ち去った。
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公衆電話 2

2021年01月26日 | 生活・ニュース

 山あいで数少なくった憩いの場でもある小さな喫茶店。東京からみえて長期滞在されるという婦人が「毎日コーヒーを飲みに来ています」と愛想いいママの顔を見る。店の前の通りはこの町の中心街で人通りは絶えなかったというが、過疎化とコロナ禍もあってか、車が3台止まっているだけで人の姿は見えない。

 暖房の聞いた店でマスク越しの会話をしている時、定かではないが、いつか聞いたことのあるような呼び出しというか、お知らせというか、単調な音が聞こえる。ママが音のする方へ急ぎ「はい、もしもし」と応対している。その音はカウンターの端に置かれた公衆電話の呼び出し音だった。

 何度か訪れている店だが公衆電話が置かれていることには気づかなかった。この型の公衆電話は初めて見た。ママは「ピンク電話です」と話すが知っているこの色の公衆電話とは型が違う。この電話はNTTの「675P-VBピンク電話」で特殊簡易公衆電話とある。プッシュトーン方式で1985年から20年間生産された。赤ボタンを押すと緊急通報は無料とある。

 多くの人がスマホか二つ折りの携帯電話を所持するこの頃、この電話を利用する、ここから掛けるお客さんがあるのだろうか、そこは聞き洩らした。喫茶も食事もそしてカラオケも出来る店、ローカル色豊かな人情ドラマの舞台になりそうな店内、隅っこの公衆電話がそれを引き立てる。どなたか使ってみませんか。
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葬送の歌

2021年01月25日 | エッセイサロン
2021年1月25日 中国新聞洗心「明窓」掲載
 昨年8月に参列した、86歳で亡くなられた方の葬儀が心に残っている。精進落としの静かな食事が始まると、白樺、青空、南風-。会場内に、こぶしを利かせた歌声が音量を落として流れ始めた。そう、千昌夫さんの「北国の春」たった。
 故人は息を引き取る少し前、かすかな声で「歌が聴きたい」とつぶやき、「北国の春」など、いくつかの曲名を挙げたそうだ。家族は最後の望みと思い、すぐにその曲を探して聴かせた。目を閉じて聞いているその顔は、遠い記憶を呼び戻し、喜んでいるようだったという。
 葬祭場で流れた曲はどれも情感と哀調を帯びていた。故人の人柄を思い出させるような曲ばかり。仕事での喜怒哀楽などを乗り越えた証しの曲にも思え、在りし日をしのびながら聴くことができた。
 ほかにも心に残っている出棺の光景がある。それは登山を趣味としtいた知人の葬儀でのこと。山の仲間かダークダックスの「山男の歌」を合唱し、故人を見送った。友情に満ちた葬送の調べだった。
 胸の奥深くに流れていた曲だったはずだ。働く力になった曲、家族、周囲への感謝を表す曲でもある。彼岸でもぜひ歌い続けてください。
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確定申告の時期到来

2021年01月24日 | 生活・ニュース

 秋深くなると生保会社から確定申告用の保険料控除証明書が、1月20日前後に公的年金の源泉徴収票が日本年金機構や企業から、社会保険料納付済確認書が自治体から届き確定申告の資料が揃う。私の申告は過払いしている所得税の還付請求として手続きをする。ちょっとしたミスでした、と政治資金報告書の修正届を出す議員がやたら多いが、届けにミスは許されない。

 電子申告(e-Tax)が推奨されているが、私は頭の運動も兼ねて手計算で内容を確認しながら還付額を計算してみる。その後PCで国税庁HPから申告書を作成し提出する。手計算で資料をまとめているので、入力は短時間で済む。手計算と申告書の還付額が一致すれば納得するし、わずかであっても嬉しいものだ。

 めんどくさいやり方を続けているのには自分流の訳がある。高齢者層に入った時のことだった。年金からの控除額が引き下げとなり増税になった。それからは税の仕組みが知らないところで変わっていることを知るために手計算をしている。今回提出分でも「公的年金等の控除額」の計算式が変わり10万円引き下げとなっている。このままだと増税になるが、「基礎控除額」が10万円引き上げられている。私の計算ではほぼ帳消しになった。

 デジタル庁設置が決まっており、国も地方も業務がデジタル化される勢いになっている。世界でも遅れているという日本のデジタル化であるが、英文字と数字、そしてキーだけで事の足りる世界になることに不安と恐ろしさを抱く。マイナンバーがあれば住所も氏名も書かなくて済む時代、高齢だからでは言い訳がつかなくなる。確定申告の相談にAIが自動応対するとある。デジタル化に備えなければと思うのは何度目だろう。
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コロナ対策

2021年01月23日 | 陶芸

 海抜500㍍にある県の施設、そこの利用者は園児から高齢者までと幅広く、年間万を超える人が訪れる。そこは自然を取り入れた環境のなかで野外活動、物づくり体験、各種のイベントなど楽しめる。野外炊飯や天体観測などは市街地の喧騒を忘れることができる。職員の皆さんは活動内容のリニューアルと新規アイテム発掘に努力されている。

 昨年は新型コロナウイルス禍で一時期クローズの時期もあったが今は換気など配慮して開かれている。教室に入ると手書きの感染症予防策がチョークで簡潔に書かれている。前回の教室では「マスクの着用 咳エチケット」「常に換気」「手洗いアルコール消毒」、最後が我が同好会で最も気をつけたいことで「近くでおしゃべり 大声で」。どの項目にもさわやかなタッチでイラストが添えてある。イラストもなかなかの腕前に思える。

 世間一般の感染拡大防止策で必ず見かける一つに手洗いがある。教室には数カ所の流し台があり温冷水が使える。もちろん創作で汚れた器具や手などを洗う。その流し各台に「さあ、みんなで手をあらう!!」のPRがされている。これも手作りらしいが、見ていると思わず真似ている。園児らの手洗い映像を見ていると上手く丁寧に洗っているのも、このような指導のたまものかもしれない。

 もう一つの感染防止策。国の名指しで感染する最悪のケースは会食ということで、飲食関連の企業が音をあげ倒産や閉店も多発している。ということもあって食堂での昼食は仲間の背中を見ながら箸を運ぶ。背中を見るのは親のそれであって、仲間とは言え後期高齢者の背中ではより歳を感じさせることになるが、感染防止では仕方ないだろう。
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枯れバショウ

2021年01月22日 | エッセイサロン
2021年01月22日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載
 

 散策する道沿いには夏の間、バショウの葉が青くみずみずしく茂っていた。だが、秋が深まるにつれ葉脈に沿って裂けていった。幅が細くなった。この「破れバショウ」の頃になると、何とはなしに昔を思う。
 祖父母は、庭に植わるバショウの葉がちぎれ始めるのを見て、冬支度に取り掛かった。 
 たどんや炭を使うこたつは3世代の人数分だけ、祖母が準備した。また一冬、家の暖を担う火鉢用の新しい灰作りを始めた。
 当時の家庭燃料はまきだった。これでご飯を炊き、風呂を沸かした。水が冷たくなると使う量が増える。だから祖父は、まき作りに頑張った。軒下に高く積み上げていき、家族を安心させたものだ。
 現代では、想像もしにくい冬本番への備え。自然の営みから季節の変わりを学んでいた。人と自然が共存する、いい時代だった。
 わが家の燃料がまきからLPガスや灯油に変わったのは、昭和30年代半ばである。祖父母は既に他界していた。気楽に冬を迎えることはついに一度もかなわなかった。母は冬になれば、祖父母の苦労を思い、感謝していた。
 冬、寒さ冷たさが増していく。バショウの葉は姿を消す。「枯れバショウ」となる。じっと寒さに耐え、春を待つ。やがて陽光の下、新葉がのぞいてくる。
 私は幼い時分からその変化を見てきた。時代が移っても変わらない大切なものを感じる。目の前の枯れバショウにそう話し掛ける。
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