日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

新聞の出会い

2007年03月31日 | 生活・ニュース


桜の花がようやく桜らしく見え始めた。開花時期がいつかと騒がなくてもその時期になれば美しい姿を見せてくれる。

3月31日は年度末。辞書にこの言葉は載っていなかった。年度は「暦年とは別に、事務または会計決算などの便宜によって区分けした1年間の期間」(広辞苑)とある。暦年でいえば大晦日だ。1年を振返り次への思いを決める節目の日になる。この日、良い出会いをした。

先日の「孫への新聞」をご覧いただいた方から「新聞を見せて欲しい」と丁寧なメールが届いた。号数だけなら一応自信がある、そんな気持ちでお受けした。その方が自作の新聞を持って来宅された。

孫への新聞すべてに目を通していただいた。稚拙な新聞へ「孫の成長がよくわかり、良い記録になる」と賛辞をいただき恐縮した。

持参された新聞は、ボランティア活動をサポートされる創刊号と、子供さんの駅伝選手としての姿を「感動する母親」の目から作られた3部作の新聞2種類。
ひと目みて「えっ」と驚いた。初めての新聞作り、とは思えなかった。

話を聞くうちその素人離れした出来栄えに納得した。
ある新聞社の「実践的新聞整理講座」に採り上げられ絶賛された新聞だった。新聞に興味あることからその講座は記憶にあった。そのことを目にし記憶していたことを喜んでいただいた。私とて同じこと、作成のご当人と話していようとは。

家内も混じり、四方山話もしながら良い時間を過ごした。新聞作りでいろいろ交換することを約束した。家内は「良いご家庭、良い子供さんでしょうね」、夕食時の初対面の感想だった。
(写真は素晴らしい子供さんへの新聞の一部分)
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予定外

2007年03月30日 | 生活・ニュース


朝から妻の運転手役の予定で準備していたら、電話があり予定変更、妻は妹たちと出かけた。
時間ができた。やりたいこと、手を付けたいことは幾つもある。どれから、いや何からするか決まらないままパソコンの前に座った。

思い出した。以前から時間ができたらパソコン裏面の掃除をしよう、と考えていたことを。掃除機はゴミサインを点滅させながら大小の埃をジャバラの奥へと納めた。その後を柔らかい布で乾拭きした。心なしか快調な動きになった・・。

積み上げていた本や、ボランティアの資料などを整理整頓するうちにお昼時になった。いつも妻だけが出かけるときは昼食の準備がしてある。が今日は突然、それも本来なら外食の予定だったから準備なし。

冷凍庫を探索すると熱湯で8分間暖めると出来上がる中華丼の素が見つかった。我家では非常用として茶碗1杯分のご飯を幾つか冷凍している。非常用ご飯と中華丼の素で昼食は満足した。

午後は10日後に担当するパソコン講座の新作テキストの最終チェックをした。講座の進め方をイメージし、講座どおりの画面操作をして仕上げる。数箇所を修正、補助教材も作成し完成させた。運転手役免除のおかげで予定より1日早く完成した。金銭の余裕も欲しいが、時間の余裕も良いものだ。

夜半の激しい雷雨、春の嵐は桜にどんな悪戯をしただろうか。1歩も家から出なかったので知る由もない。錦帯橋畔の桜はこれからだろう。
頼んでおいた「はがき随筆」が届いた。ユックリ読んで学ぶことにする。
(写真は埃がとれ気持ちよくなったデスクトップ)
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街道

2007年03月29日 | 生活・ニュース


江戸時代の街道を復活、旧街道を歩こうなど最近よく耳にし目にもする。村や町の活性化の一助、往時を偲ぶなど様々な形で昔の人の生活の知恵や工夫を教えられるという。

近在では「萩往還」は有名。関が原の戦に敗れた毛利氏が萩城へ居を移した後の慶長9年(1604年)、城下町萩と主要街道である西国街道(山陽道)を連絡する参勤交代道として整備された。人の往来はもとより通商の重要な役割をになった。萩から防府までの53キロ、毎年多くの人が参加しこの街道を往くイベントがある。萩紹介のHPには幾つも紹介がある。

錦帯橋から竹林と城山を左右に見ながら緩やかな曲がりで上流へ通じる道がある。ここは桜並木の名所として観光マップにも紹介されている。この道は「錦帯橋いざない街道」と名づけらている。街道筋4キロほどには、錦帯橋のアーチを模したフプレートへ、街道名と錦帯橋からの距離を示した標識が立てられている。

「いざない」は「誘い」であろう、と思う。さそう、みちびくそんな意味がある。錦帯橋へようこそ、こんな意味で立てられた、優しい良い名付けだと思う。これから桜並木が賑わう。ようおいでませ岩国へ、観光に訪れる人へ挨拶しているようだ。
命名のいきさつやその時期を県の担当者に伺ったが即答は得られなかった。観光協会でも同じだった。

いざない街道、何年も毎朝歩いている。四季折々道沿いの草木の変化、虫や鳥の鳴声、吹く風も星も飽くこと無い自然を見せてくれる。朝歩きのコース、何年も続けさせてくれる街道だ。この街道の定連さんは幾人かいる。

街道は「各都市間を結ぶ主要道路(広辞苑)」と説明されるとなんだか違うことのように思え情緒が薄れる。
(写真は錦帯橋から1,100メートルの場所にある標識、桜はこれから。AM4時30分ころ)
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感謝

2007年03月27日 | パソコン講座


パソコンの普及活動を趣旨にしてNPO法人になって半年、今年度の事業活動が終了した。
計画通りの講座開催やイベント参加が達成でき、法人化スタート初年度としてはそれなりの成果を収めることが出来た。

特に、設立の趣旨に置いた「広域化市域の中で旧町村でのパソコン普及活動」が地域皆さんのご協力で着手できたことは大きな喜びとなった。これは、地域皆さんのパソコへの関心と熱心さによるものでした。

国主導のIT講習以降その機会に恵まれなかった、その時期購入したパソコンがそのまま手元にある、パソコンの機能アップに追従できないでただの箱になってるなど、中山間部の皆さんの悩みは多い。インターネット基盤整備の無い地域の皆さんの声を行政へ届けることも活動の一環と考える。

こうした受講者皆さんの熱意に支えられる一方で、地域企業から運転資金や消耗品など暖かいご支援をいただけたことも大きな支えになりました。
改めて感謝申し上げます。

公的支援が望めない現状を認識し、ボランティアとして何処までやれるか、来年度の事業計画へ挑戦している。関心ある方はゼヒ支援をお願いします。
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桜の性

2007年03月26日 | 自然 季節


錦帯橋横山側にある桜の標準木「今日あたり開花では」、「あと2、3日」ブログ開花予報士の説は様々だ。

錦帯橋上流の錦城橋から1.5キロの桜街道、早朝歩行の時は幾本かに花が見られたが、開花の状態にはほど遠い感じだった。横山干石原地区、道沿い右側に竹林が始まるあたりに1本、5分近く咲いた樹があった。昨日の朝は気付かなかったが、20度あまりの気温に促され一気に開いたのだろう。

『ソメイヨシノの「両親」判明=オオシマザクラとコマツオトメー遺伝子解析で』、夕方のINニュースのタイトル。
ソメイヨシノの起源をは諸説あったが、「伊豆地方に固有の野生種オオシマザクラと東京・上野公園などのあるコマツオトメの交配で生み出された可能性が高い」、遺伝子を解析した結果が近々学会発表されるそうだ。

染井吉野は接木でしか増やすことが出来ないと聞いた。美しい花で楽しませる桜そのものには子孫を残す術がない、自然界のままでなく交配で生まれた染井吉野の性なのだろうか。

今日も暖かい1日だった。明日はどのくらい桜が楽しめるだろうか。
(写真は先行して咲いた桜、AM4時40分頃)
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何処へ

2007年03月25日 | 自然 季節


ひさし振りの雨上がり。夕方、隣家との境界のブロック上を2センチほどの殻を背負った3匹の蝸牛が縦列移動していた。その進み具合は思いのほか早かった。夕食に急いでいたののだろう。

蝸牛は世界では2万、日本では700種類が生存しているそうだ。食用のエスカルゴは良く知られている。食したことは無い。
童謡でいう角と槍に当る2本の触角、その大きいほうの先端に眼があり明暗を見分ける。殻は右巻きの螺旋形で大きくなると5~6階にもなるという。湿気を好み夜に樹や草の若葉などを食う。これからその若葉の茂る時、梅雨明けまでは蝸牛のシーズンだ。

この境界のブロックでは蝸牛を良く見る。何処からきて何処へ行くのだろうといつも思う。隣家も我家もブロックの側には若葉は沢山ある。今日は兄弟なかよく夕食にいく途中なのかも知れない。

1番後ろの殻に触ったら角も槍も納めた。写真を撮る間出さなかった。1階部分の濃紺の縞が印象的な殻だった。

出よ出よに由来して「でんでんむし」となったそうだ。蝸牛もでんでん虫も同じ、そういえば彼らは「雌雄同体」と解説してあった。
(写真は夕食に急ぐ蝸牛の兄弟たち)
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水墨画風景

2007年03月24日 | 自然 季節


久しぶりの雨。日頃見慣れた川沿いの風景が、雨の日のそれは水墨画風景へと変わる。谷間の霧は濃く、遠くの峰を覆う霧は淡白く、風景全体は薄いシルク透して見るよう。カーブを曲がるごとに違った光景が表れ、そのたびに濃淡も変化し長尺の屏風画を見ているようで飽きることは無い。

こんな錦川沿いには国や県市指定の無形民族文化財や天然記念物が数多くある。これは錦川の神秘な力が長い歴史の中でなせた技だろう。
文化財はその伝統が守られ引き継がれている。天然記念物は地域住民が協働でその保護に当っておられる。

そのうちの1つ、7年に1度行われる国指定重要無形民族文化財「行波の神舞」は4月7日から行われる。近郊近在から多勢の見物の人が訪れる由緒ある行事だ。1度訪れたことがあるが、ユックリと腰を落着けて見る神舞、そんな記憶が残っている。

菜種梅雨、桜のころはよく雨が降る。意地悪なもので土、日曜日が多い。週間予報では来週末も下り坂の予報だ。せっかくお見えになった方へ、錦川上流の素晴らしい水墨画をご覧いただきたいものだ。

このところ少雨で乾燥続き、先日見たダム湖の上流は湖底が表れていた。このままでは夏場の渇水が心配される、話しながら湖面を覗き込んだ。湖底となる前の庭石様の並びが見えた。今日の雨が慈雨となってくれれば良いが。

錦川の力を知らず、自然という画家が描いた水墨画の一角を、レンズを通して持ち帰る。この屏風絵はTVのお宝鑑定では幾らの値が付くだろうか。
(写真は車窓から見た錦川支流の風景)
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選外

2007年03月23日 | 生活・ニュース


数通の郵便物の中に「市教委」からの封書がある。何だろうと開封した。
「第50回岩国市美術展覧会審査結果について」の通知だった。審査結果は「選外」に丸がつけてあった。

ボランティア仲間のデジカメ同好会、恐れを知らず市美展へ出品することとなり仲間と挑んだ。何れも初挑戦者ばかり。出品の要領も受付の担当者へ問いながら済ませた。搬入したとき10数点の作品が並んでいた。それらの作品を見て「持ち帰ろうか」と話し合った。作品の価値は一目瞭然だったが、参加することに意義あり、と提出した。

同じ内容の審査通知が届いた仲間から、『入選作品をよく観察して「作品か」「アート芸術か」をよく検討しなければ到底入選しないと感じましたのでよい勉強になりました』とメールが届いた。同感の二字のみ。

その市美展は明日から開かれる。
(写真は市美術展の審査結果通知書)
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孫への新聞

2007年03月22日 | 生活・ニュース


 それは嫁のメールから始まった。京都の孫が3歳になる少し前、「ひらかなが読めるようになりました」と届いた。

 孫とのコミュニケーションを図ろうと思い、パソコンで新聞作りを始めた。孫の名前と同じタイトルで、B5判片面の小さな新聞。季刊のつもりで作り始めたが、面白くなり、いつの間にか月刊にー。ふと数えたら今月で70号、私の年齢を超えた号数になっていた。

 紙面は、たわいない日常のことを、デジカメで撮った写真と一緒に載せる。誕生月や季節の節目などには力を込めて作る。今月は庭に来るメジロの写真を大きく載せた。
斬新な紙面を心掛けるが、難しい。ネタ薄の時は、大きな活字で手抜きになる。でもいくつかは自己満足の紙面もある。

 孫は新聞を楽しみに待っていてくれる。しかし、いつまで興味を持って読んでくれるだろうか。加齢とともに孫の成長へついていけなくなり、休刊になる時は近いかもしれない。

 小学校卒業まであと4年、頑張って続けたいと思っている。そうなれば私も古希70歳になる。

 嫁は綺麗にファイルし、時折孫の顔を見に訪ねてくる実母へ見せているという。うれしいこと、この上ない。ここまで続いている理由の1つに、嫁のこの心遣いがあるように思える。

 (中国新聞 投稿広場掲載 「孫への新聞続けたい」 07年03月22日)
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字そろばん

2007年03月21日 | 生活・ニュース


退職後はじめた早朝歩行、苦も無く起床し軽い準備体操をして出かける。
放射冷却の予報が当ったときの空、勿論雲は無く一面濃紺の頭上には星が輝く。その星は凛々たる寒気に耐えているかのようにも思えるが遠くて伺えない。

早朝歩行で出会う天体ショーと言えば流れ星。アッというものからウワァーと思える長い時間、と言っても1か2秒のものまでいろいろ出くわす。気象条件が放射冷却のときは特にその輝きを美しく思う。

子供のころ流れ星を見たら「字、算盤」を3回唱えろ「それが出来たら字と算盤が上手くなる」と言われたことを思い出す。歩きながら何度か試みた、というより試みようとした時に流れ星は見えなくなっていることが多い。3回唱えることは出来ず仕舞いだ。

その算盤だが、引出しに五玉の算盤がある。父が自治会の会計簿をつけながら使っていたものだ。
父が亡くなり私の机に納まってから40年以上経つ。1度も算盤として使ったことは無いが、古いものとして片付ける気にはなれない。

長く使われてないから全体がくすんでいるが、13桁78個の玉がある算盤の中ほどあたりは、玉の角が少し丸みがみえ良く使われたんだな、と思わせる。
今は電卓、苦も無く加減乗除が出来て検算もいらない。これを父に使わせていたらも少し長生きが計算出来たかなと思う。ガチャガチャと振ってみたがその返事は聞こえなかった。
(写真は父の残した5玉の算盤と私用の電卓)
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