日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

2週間目の掲載

2016年09月30日 | エッセイサロン

 2週間前の岩国エッセイサロン9月定例会の日、2006年1月の活動開始以来、会員が投稿し掲載されたその総数が1000編に達したことで、中国新聞社の取材を受けた。5日過ぎても10日過ぎても載らない、掲載はいつかいつかと待っていたら、今日の朝刊県内版に「いい記事といい写真」で載った。「いい活動をこれからも続けて」と紙面が呼びかける。記念に転載して残す。

「エッセー投稿1000編達成」「岩国の同好会11年目で大台」 
 岩国市のエッセー創作同好会「岩国エッセイサロン」の会員が新聞や雑誌に投稿し、掲載された作品が千編に達した。2006年1月の発足以来、 11年目での大台。会員は「日々のさまざまな出来事に興味を持ち、楽しく活動を続けた結果」と喜んでいる。

新聞・雑誌「大きな喜び」 
 会員は50~80代の男女18人。昨年までの10年で、新聞各紙の投書欄を中心に計947編のエッセーが掲載された。今年も順調に掲載数を伸ばし、地域に伝わる踊りを題材にした片山清勝さんの作品が、千編目として今月14日付の中国新聞広場面を飾った。
 
 同好会の主な活動は、市中央公民館で月1回開く定例会。各自で持ち寄ったエッセーを批評し合ったり、新聞で見つけた優秀作を読んだりして、書き方や感性を磨いてきた。会員の力作を収録した同人誌「花水木」も07に創刊。年1回の発行を続け、ホームページでも公開している。
 
 16日に開いた定例会ではこれまでの活動を振り返り、大台達成を喜び合った。片山さんは「千編目はいい記念になる。見たり感じたりしたことが新聞に載るのは大きな喜び」と笑顔を見せた。
 
 沖義照代表は「サロンの名の通り、定例会は会員にとって談話室のような場。今後も和気あいあいと活動を続けたい」と思いを新たにしている。           
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予報士の責任ではない

2016年09月29日 | 自然 季節
 
 日照時間が短く長雨で農作物に影響、そんな小さな記事に出会う。6つの台風上陸を始めとして異常気象の影響は台所に響き始める。来月初めには台風18号が九州から紀伊半島の間に近づくか上陸しそうな予想進路になっている。こうまで自然から痛めつけられるほど我が国は何か犯しているのだろうか。そういえば世界温暖化対策のパリ協定、日本は批准が遅れ具体的な基準作りに参加できなくなるとか。

 気象情報の放送は気象予報士が登場する。調べてみると2006(平成6)年に気象予報士制度が導入されている。気象庁から提供される予測データを適切に利用出来る技術者で、気象予報士試験に合格し登録された人。試験合格率は低く超難関という。気象予報士登場のTV画面、在京局とローカル局とでは仕掛けの違いからか、説明や解説では在京局に軍配が上がる。

 気象予報士は気象だけでなく自然界の動きも相当な知識を求められるようだ。例えば季節の花、「咲いた」ではダメでは花ことばに花の名前の由来、薬効があればそれを伝え、花と自然との関わり、それにまつわる言い伝えなど、百科事典のごとく伝える。被災防止の注意事項伝達も大きな任務になっていると昨今は感じる。

 秋雨前線が停滞、これに南から湿った風が流れ込み雨、TVの天気図を見ると説明を聞かなくても分かるほど固定した天気図の日が続く。予報士に責任も罪もないが何とかしてよ、そう思いたくなる秋日和のない秋の毎日。そんななかパリーグで日ハムが4年ぶりリーグ優勝、北海道は晴れだろう。無料配布のハムを受け取るファンの顔見ながらカープ優勝のあの日を思い起こしている。
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目を転ずれば

2016年09月28日 | 社会 政治

 首都のお話だから在京局の番組は豊洲と都議会の話し満載。小説としては面白い内容だろうが石原元都知事の「都庁は伏魔殿」のひと言に尽きるのかもしれない。都庁職員の多くはそんな発言に迷惑をこうむっているのだろう。豊洲で思う、問題の一つ一つを5W1Hの手法で整理すれば、報道を受ける側も理解しやすい。あれもこれも混在した報道の仕方、映像慣れした若い記者は5W1Hを習っていないのかと心配する。

 東京の一点から目を宇宙に移してみよう。「木星衛星に巨大噴水か」という話。米航空宇宙局(NASA)は木星の衛星エウロパを覆う氷の表面から、水とみられるものが高さ200㌔まで噴出しているのをバッブル宇宙望遠鏡で観測した」と発表した。同じ現象は以前にも観測され間欠的に噴出するらしい。生物探しの手掛かりになるかもしれないと期待が高まる。同じ地下からの水とはいえ豊洲とは比較にならない。

 もう一つ宇宙といっても月にまつわる話。最近CMで見かける「月面の探査能力を競う民間のコンテスト」に参加する日本チームの話。このチームが無人探査車の性能テストを鳥取砂丘で始めた。探索車は縦58㌢横54㌢高さ36㌢、炭素繊維強化プラスティック使用で重さわずか4㌔、秒速10㌢という。月面と砂丘の環境が非常に近いことが試験地の理由。何十年か前に砂丘に上り日本海を見下ろしたことを思い出しながら、よちよち進む探索車に年甲斐もなく夢を託していた。

 その探索車は2017年初めに完成し4台のカメラで360度撮影する。完成した年に月へ打ち上げられる。月面着陸後、500㍍以上を走行し映像や画像を地球に送る。小さな小さな車がもしかしたら1位になるかも。豊洲よ、盛り土の闇から早く抜け出し空を仰げ。
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盛んなフェア

2016年09月27日 | 生活・ニュース

 ローカル局のTVでよく放送される中に「北海道フェア」「九州フェア」など全国各地の紹介番組がある。大方の番組は、各地の美味い物の紹介でレポーターが食べ歩く内容。産地ならではの珍しい一品、フェアのための特別メニューなどレポーターの「ウン美味しい」で始まる口車に乗ればいくらでも食べれそうな気になる。

 よく通うスーパーでも各地のフェアがたびたび催される。試食もしっかりできるようでそのための列も見かける。応対する人は産地の人だけではないようで、話していると岩国弁らしきニュアンスを感じることもありなんとなく微笑む。遠くから大勢の人を伴っていてはフェアの経費がかさみ大変なことはよく分かる。試食せず、有名な銘柄名だけを信用して購入したら、好みでなかった経験がる。有名品でも試食があれば試食してみる、今はそうしている。

 フェア、の意味は字引によるといろいろある。フェアプレーは子どものころから聞いた言葉、特に運動についてはその大切さを教わった。スーパーのフェアは字引から引用すると見本市、品評会、あるいは市などが載っている。市には展示即売会、博覧会などの意味がある。フェアも市も似たようなものだがフェアの方がなんとなく都会的に聞こえる。

 最近は祭りと言わず、カタカナやアルファベットを頭に付けてフェスタと続ける。フェアもこんな流れと似ているのだろう。歳の市や羽子板市をフェスタと置き換える日が来るのだろうか。地方創生という大政策を進めるという。地域には地域のよさがある。単なる文字の置き換えでなく、祭や市の根付く地域の心を興して欲しい。
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こいびと

2016年09月26日 | 地域

 リオ五輪、卓球女子団体で銅メダルリストの一人石川佳純選手が、母校の小学校を訪れたのは運動会の日。サプライズに運動会場は歓声に包まれていた。児童の一人が質問した。「付き合っている人がいますか」。どぎまぎした石川選手「4年後には結婚を報告したい」と福原 愛選手にあやかりたい答えだった。無難に交わしたようだがちょっと戸惑いがあり、試合のスマッシュのようには切れのなかったことが楽しみを増す。

 福原選手ではないが日本中に「こいびと」が増えているという。それも日本人の良さであるおしとやかなお披露目ではなく、自薦他薦でメディアによって拡めているという。芸能関係者の「こいびと」宣言にも似た話に首をかしげたらあんたもその一人と言われた。その答えは「鯉人」だった。

 今年、カープが勝ち進んだことで新しい鯉人になった人、他球団からくらがえした鯉人、真赤激に賛同しての鯉人などその理由は様々だろう。「こいびと」は「おもいびと」いう。鯉の日本一をおもう人の一端、CS戦の入場券獲得としようとパソコンで2時間粘った知人、手に入らずがっかり。その間にネットでは倍以上の金額でオークション成立とか、やりきれない鯉人多し。

 スーパーのカープコーナーが整理されすっきりした。ユニホームやTシャツの試着品も二十数枚並んだ。優勝もあってか、高齢のカープ女子も選手名を確認しながら購入グッズの検討、以前は見かけなかった新しい鯉人だろう。日本一になったら地元の経済効果は何百億円になるのだろうか。昨日は黒田・倉の復活、雨で水を差されたが「別れを惜しむなみだ雨」と記者は書く。鯉人達も同じ気持ちだろう。
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間引き菜

2016年09月25日 | 生活・ニュース

 8月末に蒔かれたという野菜が順調に育ったようで、大根とカブと白菜の間引き菜を、実家でとれたという立派なクリと一緒にいただいた。新鮮さが命の間引き菜、我が家の二人では食べきれないので姉妹やご近所におすそ分けした。シーズン初めてと喜ばれた。間引き菜なので小さな根が付いている。近所の人は「これを庭の菜園に植える」と作業始める。ユニークな増産方法だが実績があるというから楽しみ。

 間引き菜と言えば子どもの頃の思い出がある。家のそばの菜園には葉物に根菜など自家用の野菜が育っていた。菜園の作業は主に祖父母の作業だった。間引き菜は祖母がやっていた。畝の間にしゃがんで丁寧に抜いていた姿が記憶にある。今思えば、大きな大根や白菜を立派に育てる手段の一つだが、戦後の自給自足の小さな足しになっていたのだろう。そのためにも慎重な間引きが大切だった。

 季節感の薄くなった野菜、キュウリなどは四季どの季節にもスーパーに並んでいる。菜園だと夏のシーズンだけ、ナスビもそうだった。生活環境が時代の変化に合わせ変わっていく中で食生活も大きく変わった。外食が文化になり食料は農産物も含めて輸入の時代になった。そんな影響からかスーパーの店頭に間引き菜は並んでいなかった。

 今年は市内で熊の目撃情報が昨年の件数をこえたという報道に驚いた。増えた要因の一つに山中の木の実の生育が悪いため食を求めて熊が里山に出る、という。イノシシに熊、さらにサルにも悩まされていると聞く。イノシシ避けの柵が壊れ畑をごっそり荒らされた人が、「繕いました、これで大丈夫」と笑顔で話され畑に大根の爽やかな薄緑の葉が育っていた。
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お休み中

2016年09月24日 | 生活・ニュース

 ブログを始めて10年が過ぎた。毎朝、パソコンを開いてブログ訪問がその日のパソコンスタートにしている。たまに忙しくてそうできないこともあるが、予定が決まっているときは早めに起床して訪問をする。その数は伏せておくとして、いろいろな人からいろいろな情報が得られる。その種類は新聞の見出しの数に負けていない。

 更新が長くされないとまだ見ぬ人なのに旅行かな、病気かな、などいつのまにか気遣っている自分に苦笑することがある。それが半月いや1カ月にもなると詮索はしない。それからしばらくしても更新されないと作成しているブログ「お休み中」のフォルダへ移す。その数は何十件だろうか、それぞれに深いわけがあるのだろう。偶然、新しいブログを開設している人もある。休止や中断を書きこむ人は多くない。

 お休み中のなかに1件、記憶に残るものがある。ながいお休みの後だった。息子です、と自己紹介があり、「父を見送りました。楽しみに更新していたブログへのご訪問を父に代わり感謝します」、そんな趣旨の短い文章が載った。なんでもないことのようだが、こうした心遣いに触れるとホットし、人としての思いやりに触れた気がする。

 エッセイサロンで繰り返し指摘されるのは、題材は厳しくても最後はほのぼのとする、未来が見えるそんな明るい締めの書き方を言われる。ブログも日記とはいえ公開しているからにはエッセイと同じことがいえる。と思い気を付けているつもりだが、まだまだ自己満足から抜けられない。反省の先にご期待ください。
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実りの秋に

2016年09月23日 | 自然 季節

 近くの小学校のブロック塀の上に稲穂が出そろった。その長さは数メートルほどだが毎年この時期に楽しませてくれる。校内、ブロックの向こう側で、作業の様子は見たことはない。刈り取りが終わるとハゼ掛けで天日干されているのが見える。どういう授業の目的かは知らないが、近くに田圃がなければ校庭の一角で米作り、いいことだと思う。

 小学校2年の時に校庭で持ち寄った種つるを植えサツマイモを育てた。2年の時、担任の家を訪問したとき出てきたおやつはふかし芋だった。小学校時代には農繁休暇がありイモ植えをした。田の無い我が家はサツマイモを1年分食べつなぐくらい作っていた。どこの家の子どももそれなりに繁忙期の支えになった。
 
 相次ぐ台風被害で野菜の収量が落ち、当然のことだが価格は上昇している。家計を直撃する事態に消費者だけでなく販売する側も気をいら立たせている。といっても人工的原因でないだけに持って行き先が無い。肥沃な畑土の流失した地域もあるなど収穫の秋を楽しめない事態が各地で発生している。農家の気持ちを思えば粗末にはいただけない。我が家はよく野菜をいただく、作業の苦労をかみしめていただいている。

 この時期、毎年のことだが妻の実家から新米が届く。新米を味わうのはこの時だけでありがたい。京都に住む孫は米飯が大好きで帰省しても3度ともご飯を食べる。そんな孫にさっそくお裾分けの準備をする。秋の文化・体育行事に合わせ受験準備でも頑張っている、嫁から孫の様子を知らせてきた。新米を食べ思いっきり活動してほしい。
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秋の長雨

2016年09月22日 | 自然 季節


 秋雨前線との相乗ではあったが、台風16号は雨台風のように各地に洪水などの被害をもたらした。当地では、離れた洋上を進んだため影響は無かった。しかし、過ぎ去ってもすっきりとした秋の様子はやってこなかった。少々肌寒さを感じさせるのは雨のせいだろうか。秋分の日で彼岸の中日だがあいにくの雨模様、それでも傘をさして錦帯橋を渡る人も多い。

 大量に降る雨ではないが「秋の長雨」という。諸説あるようだが8月下旬ころから10月上旬あたりにやってくる停滞前線、梅雨のころに似た気圧配置がもたらす長雨を表す。秋霖ともよぶ。霖という字は長々と続く雨という意味があるそうなので秋の長雨のことになるが、この表現の方が何か風情があるように感じる。

 雨は「大気中の水蒸気が凝結し水滴となって地上におちるもの」。ただ雨と呼ばず時々の状況に合わせて呼ぶことで雨の情景を伝える。秋の長雨が過ぎ山茶花が咲く季節のぐずつく長雨は山茶花梅雨。時雨は晩秋から初冬にかけてザーッと勢いよく降りカラット晴れる雨。冬の冷たい雨は凍雨、氷雨は氷の粒が混じった冷たい雨。寒九の雨は、寒に入って9日目に降る雨で豊年満作の兆しと伝わっているそうだ。

 定期検診の日、聴診器を外しながら主治医が、「秋口は寒暖の差が大きい、気温の変化が激しいと体調を崩しやすくなるから気を付つるように」とひと言。私の年齢を加味しての注意喚起だろうが、肌布団が欲しくなったここ数日、主治医のひと言を思い出している。
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夏の花

2016年09月21日 | エッセイサロン
2016年09月21日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載 

 「来年もこの朝顔を咲かせたい」 
 体調を崩した妻の夏の一日は、起きがけにカーテンを開け、朝顔に話し掛けて始まった。早朝のすがすがしい空気と一緒に花から元気をもらうようだった。
 花が終わると、種を取り春にまく。苗を育てプランターに移植する。ネットを張って咲くのを待つ。これを繰り返して10年近くになる。
 今年の夏は、これまでにない、いやに大きな一輪がついた。不思議に思い、咲き具合を観察した。なんと、円すいでラッパ状に咲くはずの花が、らせん状に咲いた。もしや途中でちぎれたかと調べるが、自然にらせん状になっていた。花の周りに特に変わった様子は見当たらなかった。
 思えば、この春、種をまきながら妻と話したことがある。
 「そろそろ新しい品種と入れ替えるか」
 その会話を聞いた1粒が、驚いて変異したのかもしれない。いじらしくて、今年も採種を約束した。
 朝顔は夏の風物として古くから栽培されている。つるは細くても暑さに負けず、懸命に伸び続ける。そんな姿に人を癒やす力が備わっているのだろう。
 花は夜明けに咲き、日差しには逆らえず、夕方には花の形を保てていない。花びらを巻き込むようにして短い半日の生涯を終える。
 それでも、代え難い和みをくれる朝顔だ。私がしてやれるのは、今年も朝夕の水やりしかなかった。
 夏を過ぎて夏を思う。
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