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日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

運転中のくしゃみ

2025年05月09日 | 回想


 花粉症を罹っている人の苦しみや対応の困難さはよく聞くし、周りにも困っている人は意外と多い。それに同情はすれど、私にはその経験が無いので話を聞くときに、そうかと頷いたり相槌を打ち同情を表すくらいしか応対の術がない。親身の無い奴と思われるかもしれないが。

 複数で雑談をしているときだった。花粉症の一人、症状の厳しさは天下一といいながら、みんなも注意せよと話し始めた。予防はしているが花粉症注意報の出ている日、欠かせない所用で山間地へ車を走らせた。車の窓は閉ざし外気もシャットして走行したが、途中で運転出来ないほどのくしゃみに襲われた。片道一車線の狭い道路の端に車を止め薬を飲むなどして大変だった、最後に「みんなも気をつけろよ」と話しを終えた。

 運転も出来ないほどのくしゃみ、それも慣れない山間地の道でどんな思いだったろう、思いながら花粉症ではないが風邪などで似た様なことも起きるだろう、気をつけようと思った。ふと思いついた。花粉症について今年の花粉症シーズンの始まるころ、JAFのお知らせにあった「運転中のくしゃみ・鼻づまりを防ぐ! ドライバー必見の花粉ブロック術&厳選グッズ」のコピーを送った。

 幸いなことに花粉症を知らないで来ているがいつ侵入してくるか分からない。年間を通してしている予防策は新型コロナ以降だが、マスク着用と手洗いの二つ、お陰で風邪もひかず頑張っている。

 (今日の575) 花粉症子どものころは知らなんだ
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旧くても新しい

2025年04月28日 | 回想

 写真の本は昭和54(1979)年2月発行の「創作から応用まで 新レタリング事典」、全頁モノクロだがいつもパソコンから手の届くところに置いている。この本の購入の動機、ある部のスッタフとして仕事をしているとき、配布資料にちょっと工夫をこらしたらどうか、そんな思い付きを何とかしたいと選んだ一冊。当時は写し取る方法はなかったが役立った。

 それから1年半くらい過ぎたときだった。異動でこれまでとは筋違いの職場へ移らされた。結局その職場で定年までの20年余勤務した。終の職場となったところでは、それまで以上にこの小さな本を活用した。それは誰にも話していないので、結果は自己満足でしかないが、仕事は楽しんで出来た。

 今はこんな本を見なくても、エンターキーを叩けば世界中の最新のあれこれが、カラーで登場してくる。英文字に弱い私にはこうした漢字と仮名でまとめた1冊は参考資料としては参考になる。退職後にある会の会報を10年くらい手伝ったが、旧くても新しい形に変えるように応援をしてくれた。版画での賀状作りには強い味方だった。

 今はときおり開いてパラパラとめくるくらいだが、レタリングされた文字の変わらない面白さは感じている。著者は「気軽に、楽しくレタリングを初めて見ることをおすすめ」と書かれ、繰り返し練習すれば創作文字もかけると続く。私はそこから進むことなく楽しんだだけで終わっている。

 (今日の575) 書道家はアートの文字をひと筆で
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最長11連休とか

2025年04月25日 | 回想

 先日、まさに初夏という爽やかな日に出かけた先で「連休はどこかお出かけですか」と青空を見上げながら問われた。「予定なしです、お宅は」と問うと「同じです」と笑う。今日、昼のニュースでは外国に出かける人の数は明日が最高とか。トランプ関税恐喝騒動での円高はまだ落ち着いていないが愉しんでください。

 今年は暦通りだと連休が中断されるが有給休暇利用などで11連休になるという。有休に余裕のない人は困りますね。一カ月の勤務で見れば半月ほどは仕事をしない計算だが、連休明けに仕事が溜まっているかも、楽しみの度が過ぎると大変だろう。というのはそうした経験がないから。

 ゴールデンウイークや年末年始などは帰省する職場同僚のカバーで休みにはならず、子どもから不平を聞かされていた。ただ、出勤すれば倍給に近い手当てがついて給料日が楽しみだった。帰省する方も遠慮が多少は薄まっていた。待機が業務になることもあり、会社貸与のポッケトベルや携帯電話(ガラケイ)の鳴らないことを祈ったこともある。

 5月5日は男の子の節句だが、終戦直後の昭和23年「国民の祝日に関する法律」で男女ひっくるめて「子どもの日」とし子どもの人格を重んじ幸福をはかる日とされた。男女ひっくるめて、こんな表現は今ならちょっと揉めそうな気がするが、どうだろう。ウクライナイで中東でミャンマーで武力で命を落とされる子どもがいる。一日も早い解決を願う。

 (今日の575) 連休もうちの父さん3交替
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4月10日という日

2025年04月10日 | 回想

 あることをしていてふと思い出した。今日は当時、それは昭和34年で、皇太子明仁親王ご成婚の日だと思いだした。その前年ご成婚発表の日、私は高校3年だった。授業中突然、朝刊を配達している一人が「先生、号外配りがあるので退出します」と立ち上がった。「何の号外か」と教師、「皇太子ご婚約発表の号外です」に「よし行け、但し号外を持って来い」と教師。号外を教室で見たのは始めてだった。

 ご成婚の日、結婚パレードがテレビで中継された。私は就職し3交替でこの日は15時からの勤務だった。自転車で出勤する途中、街頭のテレビでちらっと見ただけだった。全国の視聴者は千五百万人と推定されたが、当地ではTVがようやく視聴できるようになったばかりのころだった。

 この日はご成婚以外にも歴史に残る出来事がいくつかある。戦後第1回総選挙(昭和21年)で婦人参政権を認めた新しい選挙制度のもとで総選挙が実施され、女性代議士が39人選出されたと記録がある。また、瀬戸大橋開通(昭和63年)で本州と四国が結ばれ、日本の技術力が世界に知れ渡った。ほかには日本商工会議所設立(昭和3年)や生物兵器禁止条約に世界47カ国が調印した。

 新聞を読む、本を読むという文字との接点が薄れ、全国平均すると毎日書店が1店消えている計算という。電波の飛びかう中で毎日を過ごしキーを押せばなんでもわかる今の世も、文字で伝え合って来たからこそ今がある。便利な世の中が突然出現したのではない、たまには振り返ってみると発見があるかもしれない。

 (今日の575) 変遷や興亡ありて今がある
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復刻料理で語る

2025年04月05日 | 回想
 

 現役最後の職場、製造部スッタフから人事課への異動内示に驚いたことは、退職から今秋で25年になるが今もはっきり記憶している。それは40歳になる前だった。それから20年余、60歳の定年まで勤めた。最後の職場での仕事はやりがいもあったし、やったと思っている。定年のとき、「君が思いっきり仕事ができたのは内助の功があったことを忘れるな」と色紙に書いてあったことも忘れてはいない。

 その間に期間の長短はあるが7人の課長と4人の係長に仕えた。後半は組織改正で係制は消えた。そんな4人の係長の一人とは別れて30年余になるがいまも交流が続く。10年前には、私の75歳の節目にと、在京しているかつての同僚との懇親会をアレンジ、10年ぶりの上京で楽しい思い出の一日を作ってもらった。

 それ以降も所用でこちらに来られる時は事前に声がかかり、一杯やりながらあれこれ語りあう。今日は3月初旬に昼食をと連絡があって待ち合わせた。昼食をとりながら懐旧談やかつての同僚の今などを語り合った。入社間もなくで若手だった同僚の活躍を喜んだ。昼食はかつては何度も利用したことのある店の「25年目に復刻した」という定食と、地酒の数種類を味わった。

 会社・工場はすっかり様子が変わり、いくつかの話題には驚きと、現役の時もそうであったように、時代や社会の変革にあわせて企業も変化し進化していくことを改めて思った。退職をした工場は日本初の石化工場として稼働から67年になる。安定安全運転の続くことを祈っている。

 (今日の575) 懐旧談苦い話しもふっと出る
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私の欠点

2025年03月28日 | 回想

 お寺の山門横の掲示に「人の欠点がよく見えることが 私の欠点なのです」とある。それを見つめながら、遠い遠い記憶がよみがえった。小学校6年の時だった。ある悪戯(現在の虐めに似ている)に注意したら、私にいじめられたと担任に告げたらしい。私を呼んだ担任は「出しゃばりが君の欠点だ」と私から何も聞かぬまま告げた。なぜ抗弁しなかったのか、できなかったのかは思い出せない。

 欠点てなんだろう。「不完全な所。非難すべき所。短所」と広辞苑には載ってる。そのほか、「やりそこないや失敗、合格点に達しない」などとある。欠点の無いのが完全、今日から始まったプロ野球公式戦、「完全試合」を達成すると、特に投手については報道の扱いも広いスペースが与えられ大絶賛の声で埋まる。世間は欠点は叩くが完全はほめちぎる。

 自分で分かっている、あるいは思っている欠点を列挙しても始まらないが、あの人の欠点を書き出せと言われれば出来ると言える。しかし、それは己の欠点と思う内容と似たり寄ったりで、わが身の反省材料にほかならない。短気を起こすな、立腹したら一息ついてから言え、相手を誹謗するな、そんな事を思いながら欠点を探す。

 「良いとことだが欠点だ」と言われたことがある。それは「困った」と相談を受けたとき、すぐに対応して解決した。その結果についてある先輩から「ひといき考えさせてから助けを出すべきだった」と一言あった。独りよがりは欠点にもなる、注意がいるんだ。

 (今日の575) 欠点を補う術は我にあり
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山火事の怖さ

2025年03月26日 | 回想

 岩手県大船渡市で大規模な山林火災が発生して今日で1ヵ月になる。昼のニュースでは、完全な鎮火に向けて残り火や熱源の確認や取り除き作業が続いていると報道された。避難生活を余儀なくされている人も多く、始まった仮設住宅建設の完成を待たれているという。

 しかし、大船渡から岡山市、今治市、宮崎市と立て続けに山林火災が発生しどこの市でも避難指示が出ている。乾燥と風の強さが火災を大きくし鎮火作業を難しくしているという。夜間や強風下ではヘリでの消火は出来ず、地上での消火作業は危険を伴い満足には出来ない。早期の鎮火は、災害を伴わない降雨を期待するしかないのだろうか。被災された皆様にお見舞い申し上げます。

 いつ頃だったか思い出せないが山火事の記憶がある。夕方近くだったが火災のサイレン、見ると隣町の方角で煙が見える。特に気にもしていなかったが、床についたころ親戚から「山火事で避難するので手伝って」と緊急要請。外に出て見ると直線で2㌔くらい離れた山が燃えている。そこには親戚がある。急いで出かけた。規制線が張られていたが、応援に来た旨を伝えて親戚に向かった。すでに自衛隊の姿も見えた。

 夕刻に見た煙の火がふた山越えて迫っていた。火のついた燃えカスが斜面を転がり新たな火源となり燃え広がる様が今も目に残っている。山火事の危険と消火の困難を思い出す。親戚は近くに勤務先の独身寮があり、入寮者の応援で素早い対応で事なきを得た。

 (今日の575) 乾燥と風の強さが火勢ます
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米を量った桝

2025年03月21日 | 回想

 物置の隅っこに珍しい物が残っていた。子どものころというか、昭和39年にガス炊飯器を常用し始めたころまで重宝に使っていたもので、ご飯を炊くときに炊く米の量を量っていた物で「ます」と言っていた。写真の大が1升、小が2合5勺の計量に使っていた。子どものころから見ており祖母の代からすると100年を超える代物と思う。

 桝を見て、母が留守の時は、言われた通りに米を量り釜に入れ、水洗いし仕掛けてかまどに掛けておく、という手伝いをしていたことを思い出す。ガスや電気炊飯器で炊くようになってからは、樹脂製の計量カップがついており桝を使うことはなくなった。それでも2回の引越しでも処分しなかったのは父も私も何か思いがあっただろう。

 1升桝内側の底に「財守 黒本尊」という印で押したような文字、それは黒塗りされたような感じもするが明瞭ではない。枡の外側にも文字らしき跡があるが読み取れない。ネットで見ると「黒本尊(くろほんぞん)」について、 「黒本尊の名は、永い年月の間の香煙で黒ずんでいること、また、人々の悪事災難を一身に受けとめて御躰が黒くなったことなどによります。 やはり家康公の命名といわれています」。私には理解できない。
 
 計量器として桝が使われることはほぼ消えたのではなかろうか。ただ、日本酒の世界では残っている。まずは桝酒、木の香りとともに飲む冷酒は美味い。また熱燗2合なども使う。「ます」という音から、「幸福が増す」「益々繁盛」「益々めでたい」といった縁起物としても活躍しています、と載っている。

 (今日の575) 日本酒にゃ合が似合いで味もある
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JRのダイヤ改正

2025年03月15日 | 回想

 春恒例のJRのダイヤ改正は今日から実施される。今回の特徴は4月13日から開催される日本国際博覧会(大阪・関西万博)に出かけるに合わせた列車の増発や、山陽新幹線の臨時列車増設や在来線の有料座席サービスの拡大など、利便性と快適性の向上を図ったとされる。

 また近郊では3月24日にグランドオープンする新しい広島駅ビル(ミナモア)に合わせた増発や有料座席御サービスの設定など、広島近郊エリアへ出かけることが便利になる。また、土休日に広島~岩国間で快速「シティライナー」の増発もあり岩国からの利用が便利になる、などと公報されている。さて万博の入場者はどのくらいになるか、前評判がいまいちだがどうだろう。

 現役のころ、ダイヤ改正に合わせ新幹線は勿論のこと、関西以西のJR全線全列車のダイヤが、名刺を縦2枚合わせたサイズで新聞に折り込みで入っていた。それはそれは便利で、出張時には準備する資料のひとつにしていた。訪問先での予定時間が狂ったときなどには重宝していたことを思い出す。

 現役のころの東京出張。朝6時台に山陽新幹線新岩国駅発、 広島駅乗り換え、 東京駅着、 昼食、 午後から会議、 19時東京駅発新幹線 駅弁と缶ビール購入、 23時過ぎ広島駅着 山陽線普通列車乗り換え、 零時過ぎ岩国駅着、 タクシーで自宅。これが一番楽な出張パターンだった。

 (今日の575) 出張にゃ超勤手当つきません
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テレビ放送開始記念日

2025年02月01日 | 回想

 「2月1日はテレビ放送記念日」という案内を聞いた。日本のテレビは戦争による中断を経て1948(昭和23)年に戦後初の公開実験が行われた。そして1953(昭和28)年の今日、いよいよ本放送が始まった。これまで70年歴史を築いた。この間の進歩は目を見張るものがあり、残っている技術課題は料理番組の匂いと味をどう伝えるかという。民放では8月に日テレが本放送を始めた。

 70年前に住んでいた所ではテレビ電波は届かないと信じられていた。1960年の秋、電気店を営む父の知人が我が家は「高台にあるから映るかもしれない」と受信テストをしたら映った。それは瀬戸内海を超えたNHKの電波だった。だから近所では初めてのこと、次第に広まっていった。

 テレビを見始めて「もう少し早ければ」と母はこぼしていた。それはその年の5月に同居していた母の義父、私の祖父が亡くなっていたので、祖父に見せたかった、よくこぼしていた。テレビは東芝製、当時のテレビを検索したら写真の物があった。確かに右側のダイヤルを回してチャンネルを合わせた。1から12まであった。
 
 テレビを初めて見たのは中学3年の修学旅行で1955年、京都で泊まった旅館だったような記憶が残っている。この時ダイヤル式固定電話も初めて見たように思う。こうした見聞が修学旅行の価値の一つかもしれないが、時代錯誤と言われそうだ。最近TVをあまり見なくなったのは関心を引く番組が少なくなったからだろうか。

 (今日の575) チャンネルを手回しするため立ち上がる
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