goo blog サービス終了のお知らせ 

日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

うなぎの厄日

2025年07月19日 | 回想

 今年の土用の丑の日とは7月19日(土)と7月31日(木)。なぜこの日はうなぎを食べるのか、高価で縁の薄い私にも現役のころの思い出が一つある。ある年の土用の丑の日、熊本市の関係先へ出張で訪問していた。用件が済んだとこで訪問先の社長から「今日は丑の日、熊本でうなぎが一番美味い店にご案内しましょう」と社有車で案内された。

 店内は満席だった。運ばれてきた重厚な器の蓋を開ける。そこにはこれまで見たことも、もちろん味わったこともない身の厚い大きなうなぎがご飯を覆ている。箸を使うのを躊躇するくらいその豪華なうなぎ、ふわっとした箸触り、その味など以降こうした機会はなく、もう少し記憶に残しておけばよかった、とは後の祭りだ。

 我が家は丑の日、ホテルのうな重を届けてくれる人があり居ながらにしてホテルの味を頂いだける幸せ夫婦でいる。今年も程よい時間に届き夕食で頂いた。日ごろ晩酌はしないが、今日はうなぎに敬意を表して日本酒を冷酒でぐい飲みで1杯、チビチビと頂く。ああ日本人だ。

 うなぎの稚魚が獲れなくて養殖が思うに任せないという報道を見ると思い出す。小学校へ通う橋の上から、うなぎ籠を川舟に引き上げて、うなぎを取り出す光景を欄干にもたれかかりよく眺めていた。まあ食べた記憶はないが、環境の変化が川舟で天然のうなぎを獲れなくしたのだろう。もう元には戻せないだろう。

 (今日の575) うなぎには源内の知恵疎ましい
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蓋の寿命から

2025年07月12日 | 回想

 万歩計とは、(1日に1万歩ほど歩くことが健康に良いとすることから)腰につけて、歩いた歩数を数える計器で商品名。歩数計とは、歩行の際の振動によって、歩数を自動的に記録する計器。どちらの説明も広辞苑から教わる。

 これを常用し始めたのは定年退職してからなので間もなく25年になる。きっかけは早朝のウオーキングを始めたことだった。次第に距離をのばし往復で約6キロのコースが固定した。このコースを歩く人は多く、いつの間にか挨拶だけは交わすようになった。朝刊の配達時間帯で、各紙の配達員のかたとも言葉を交わす楽しい時間になった。勿論四季の移ろいも楽しんだ。

 記録した歩数に歩幅を掛けて1年間の運動距離を楽しんだ。何年目だったか、孫の住む京都まで達し楽しんだ記録を思い出す。現在使用しているのは電気量販店で購入したものだが、いつの頃か思い出せないが、使い過ぎなのか蓋の閉じがゆるくなり、歩いていると蓋が開きキャンセルボタンに手などが触れて、気づけば歩数が消えているなど用を足さなくなった。長いことご苦労でした、ありがとう。

 この小さな記録計、何個も見てきたが販売はどれも日本の会社、そして「MADE IN CHINA」の文字が続いている。これは歩数計に限ったことではない普通のことになっている。今、トランプ関税で世界中が混乱しているが、この関税を課しても国内品より安く手に入る、これで世界が回っているのだ。

 (今日の575) 万歩出た明日の分も済んだ気に
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祖母の73回目命日

2025年07月06日 | 回想

 私が人の死に初めて接したのは祖母の臨終だった。それは昭和27(1952)年の7月6日、小学校6年の時になる。当時は自宅葬、葬儀は当時の相互扶助組織だった講うちの人が取り仕切る。祭壇は近所の指物大工の人が作成し、食事も講うちの皆さんの手作り、食器は講うちの用具として大人数ぶん揃えてあった。今では思いもつかない近隣の支えで進んだ。

 村八分、現在は許されないことだが、たとえ隣家でも地域の申し合わせ違反などで地域が申し合わせた交際や取引は断つという制裁があった。それでも、その対象家で火事と葬儀が起きたときだけは地域が助けたと聞いている。そんな事から亡くなった人を敬うということは古くからの仕来りとして大事にされたことが分かる。

 祖母の50回忌は平成13(2001)年に執り行った。これに集う祖母の流れをくむ者はいない。住職を招き妻と二人で営んだ。妻は母から祖母の好物を聞いて覚えており、毎年命日はそんなかの一つをお供えしてくれる。意外に思ったのは祖母は天ぷらが好きだったらしいが、私には全く記憶はない。

 葬儀の様子も変わり、特に新型コロナ以降は家族葬が一般的になったようで、知人の訃報も遅れて届き、その時は一切のお志はないようにが合わせて伝えられる。父の死から60年近く経験した数多くの葬儀の姿はすっかり変わった。自分の葬儀をどうするか、これも終活の一つだとあるがまだ手をつけていない。

 (今日の575) 本当は喪にある人を訪ねたく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラジオ深夜便300号

2025年06月23日 | 回想

 毎月20日ころに発行される「NHK ラジオ深夜便」が今発売中の7月号が通巻300号に達したという。1996年5月の創刊以来、当初は季刊から隔月を経て月刊に成長したとある。この雑誌を始めて知ったというか手にしたのはあるスーパーの開店日だったことで記憶している。それは2009年11月、大混雑の店内だった。

 「こんな雑誌があるんだ」と思いながらパラパラと見ると「アンカー エッセイ」にNHKアナウンサーの随筆が載っている。ちょうど、エッセイ同好会へ入会して3年目のころで、こりゃあ面白そうだ、値段も手ごろと思い購入したのが第1号でそれから今まで毎月購入し200冊まであと少しになっている。

 ラジオは車の運転中か嵐の日の夜間の気象情報収集に利用するくらいで、「ラジオ深夜便」という放送があることすら知らないのに読者になった。驚いたのはこの放送を聞きながら床につくという人の多さに驚いた。また、車の長距離運転車の疲れを癒したりほろっとさせたりなど、夜働く人の友達のような務めなどを投稿で知った。

 この雑誌は行間が広め、文字が少し大きくて読みやすく、聞き逃した番組の再録、エッセイーなど楽しめる。連載の「ぼやき川柳」「介護百人一首」で表現のしかたを自学習しているが、進歩がみられない。編集からは「本誌が日々の楽しみの一つに、そして心や暮らしが少しでも豊かになるヒントになっら」と結んでいる。期待する。

 (今日の575) 読みやすさ高齢者には向いている
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

傘の日

2025年06月11日 | 回想

 車を起動したら「今日はかさの日」ですと案内する。さて、かさの字はいくつかあるがどれだろう思いながら出先で聞いた。「雨降りに使う傘」ですと即答をもらった。もしやと思っていた字だが「ありがとう」と礼を言った。「傘の日」は初めて聞いたものでちょっと検索した。

 6月11日が暦の上で「梅雨入り」を意味する雑節の一つ「入梅」になることが多いことから、この季節の必需品である傘の販売促進と傘の使い方などモラルの向上と傘の重要性や魅力を広める目的で日本洋傘振興協議会(JUPA)が1989年(平成元年)に制定したという。

 小学校生のころの傘の思い出。傘は番傘という竹の骨に油紙を貼ったもので重たい傘だった。傘を差せばパンパンという響きのある音がした。登校時雨で下校時晴れて持ち帰る、その時は大きくて重くて邪魔くそだったが、絶対に置いて帰る訳にはいかなかった。蝙蝠傘を差す人がうらやましかった。

 今は折りたたみ式など便利になった。またファッションの一品にもなっている。天気予報も「折りたたみ傘を持参ください」と指示している。傘は雨具ですが、これを絶対に使わない職業があるそうで、それは警察官。制服着用時に支給品以外のものを持つことができないため、勤務中は傘をさせない決まりになっているそうだ。雨の中ご苦労様です。

 (今日の575) 雨の量稲の生育左右する
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出しの列車

2025年05月12日 | 回想

 私は飲兵衛ではないが旅番組でよく見るのは「乗り鉄、撮り鉄、いろいろあれど、我が鉄道の旅は『呑み鉄』」。これは俳優・六角精児が“酒”と“鉄道”という偏った視点により日本を再発見する旅番組。鉄道に乗り自由気ままに途中下車しながら、沿線の酒蔵や鉄道遺産を巡る大人の旅を、六角オススメの音楽に乗せて放送される。飾りっ気のない一人旅がいい。

 酒蔵のある土地で下車し必ず試飲、そして地元の料理を食す。試飲した酒や地元料理の奥深い味の表現にいつも聞き入る。酒蔵はお店の宣伝に使いたいのでは、といつも思う。他局も食レポという名の番組も味のうま味の表現を「飲み鉄」からぜひ学んでほしい。

 現役の後半は出張が多く各地へ出かけた。TVドラマのように、出張先で時間があき、その地の観光名所などをめぐるなどの余裕はなかった。それだけに、ふと回したチャンネルが出張で利用した新幹線以外の鉄道や列車が登場するとTV局は問わず見るようにしている。途中下車して巡っておかなかったことを残念に思いながら。

 先日は九州の久大線が放送されていた。ここは久留米駅から大分駅まで何度か利用した。列車はいつも「特急 ゆふいんの森」、メタリックグリーンの色彩は今も記憶にある。放送は久留米発で大分に向かって九州を西から東に移動する。あんな景色、そんな街や地域の話しなどを列車に揺られる気分で見ている。こんな回想もいいもんだ。

 (今日の575) 出張じゃ駅食食べて乗り換える
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運転中のくしゃみ

2025年05月09日 | 回想


 花粉症を罹っている人の苦しみや対応の困難さはよく聞くし、周りにも困っている人は意外と多い。それに同情はすれど、私にはその経験が無いので話を聞くときに、そうかと頷いたり相槌を打ち同情を表すくらいしか応対の術がない。親身の無い奴と思われるかもしれないが。

 複数で雑談をしているときだった。花粉症の一人、症状の厳しさは天下一といいながら、みんなも注意せよと話し始めた。予防はしているが花粉症注意報の出ている日、欠かせない所用で山間地へ車を走らせた。車の窓は閉ざし外気もシャットして走行したが、途中で運転出来ないほどのくしゃみに襲われた。片道一車線の狭い道路の端に車を止め薬を飲むなどして大変だった、最後に「みんなも気をつけろよ」と話しを終えた。

 運転も出来ないほどのくしゃみ、それも慣れない山間地の道でどんな思いだったろう、思いながら花粉症ではないが風邪などで似た様なことも起きるだろう、気をつけようと思った。ふと思いついた。花粉症について今年の花粉症シーズンの始まるころ、JAFのお知らせにあった「運転中のくしゃみ・鼻づまりを防ぐ! ドライバー必見の花粉ブロック術&厳選グッズ」のコピーを送った。

 幸いなことに花粉症を知らないで来ているがいつ侵入してくるか分からない。年間を通してしている予防策は新型コロナ以降だが、マスク着用と手洗いの二つ、お陰で風邪もひかず頑張っている。

 (今日の575) 花粉症子どものころは知らなんだ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧くても新しい

2025年04月28日 | 回想

 写真の本は昭和54(1979)年2月発行の「創作から応用まで 新レタリング事典」、全頁モノクロだがいつもパソコンから手の届くところに置いている。この本の購入の動機、ある部のスッタフとして仕事をしているとき、配布資料にちょっと工夫をこらしたらどうか、そんな思い付きを何とかしたいと選んだ一冊。当時は写し取る方法はなかったが役立った。

 それから1年半くらい過ぎたときだった。異動でこれまでとは筋違いの職場へ移らされた。結局その職場で定年までの20年余勤務した。終の職場となったところでは、それまで以上にこの小さな本を活用した。それは誰にも話していないので、結果は自己満足でしかないが、仕事は楽しんで出来た。

 今はこんな本を見なくても、エンターキーを叩けば世界中の最新のあれこれが、カラーで登場してくる。英文字に弱い私にはこうした漢字と仮名でまとめた1冊は参考資料としては参考になる。退職後にある会の会報を10年くらい手伝ったが、旧くても新しい形に変えるように応援をしてくれた。版画での賀状作りには強い味方だった。

 今はときおり開いてパラパラとめくるくらいだが、レタリングされた文字の変わらない面白さは感じている。著者は「気軽に、楽しくレタリングを初めて見ることをおすすめ」と書かれ、繰り返し練習すれば創作文字もかけると続く。私はそこから進むことなく楽しんだだけで終わっている。

 (今日の575) 書道家はアートの文字をひと筆で
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最長11連休とか

2025年04月25日 | 回想

 先日、まさに初夏という爽やかな日に出かけた先で「連休はどこかお出かけですか」と青空を見上げながら問われた。「予定なしです、お宅は」と問うと「同じです」と笑う。今日、昼のニュースでは外国に出かける人の数は明日が最高とか。トランプ関税恐喝騒動での円高はまだ落ち着いていないが愉しんでください。

 今年は暦通りだと連休が中断されるが有給休暇利用などで11連休になるという。有休に余裕のない人は困りますね。一カ月の勤務で見れば半月ほどは仕事をしない計算だが、連休明けに仕事が溜まっているかも、楽しみの度が過ぎると大変だろう。というのはそうした経験がないから。

 ゴールデンウイークや年末年始などは帰省する職場同僚のカバーで休みにはならず、子どもから不平を聞かされていた。ただ、出勤すれば倍給に近い手当てがついて給料日が楽しみだった。帰省する方も遠慮が多少は薄まっていた。待機が業務になることもあり、会社貸与のポッケトベルや携帯電話(ガラケイ)の鳴らないことを祈ったこともある。

 5月5日は男の子の節句だが、終戦直後の昭和23年「国民の祝日に関する法律」で男女ひっくるめて「子どもの日」とし子どもの人格を重んじ幸福をはかる日とされた。男女ひっくるめて、こんな表現は今ならちょっと揉めそうな気がするが、どうだろう。ウクライナイで中東でミャンマーで武力で命を落とされる子どもがいる。一日も早い解決を願う。

 (今日の575) 連休もうちの父さん3交替
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月10日という日

2025年04月10日 | 回想

 あることをしていてふと思い出した。今日は当時、それは昭和34年で、皇太子明仁親王ご成婚の日だと思いだした。その前年ご成婚発表の日、私は高校3年だった。授業中突然、朝刊を配達している一人が「先生、号外配りがあるので退出します」と立ち上がった。「何の号外か」と教師、「皇太子ご婚約発表の号外です」に「よし行け、但し号外を持って来い」と教師。号外を教室で見たのは始めてだった。

 ご成婚の日、結婚パレードがテレビで中継された。私は就職し3交替でこの日は15時からの勤務だった。自転車で出勤する途中、街頭のテレビでちらっと見ただけだった。全国の視聴者は千五百万人と推定されたが、当地ではTVがようやく視聴できるようになったばかりのころだった。

 この日はご成婚以外にも歴史に残る出来事がいくつかある。戦後第1回総選挙(昭和21年)で婦人参政権を認めた新しい選挙制度のもとで総選挙が実施され、女性代議士が39人選出されたと記録がある。また、瀬戸大橋開通(昭和63年)で本州と四国が結ばれ、日本の技術力が世界に知れ渡った。ほかには日本商工会議所設立(昭和3年)や生物兵器禁止条約に世界47カ国が調印した。

 新聞を読む、本を読むという文字との接点が薄れ、全国平均すると毎日書店が1店消えている計算という。電波の飛びかう中で毎日を過ごしキーを押せばなんでもわかる今の世も、文字で伝え合って来たからこそ今がある。便利な世の中が突然出現したのではない、たまには振り返ってみると発見があるかもしれない。

 (今日の575) 変遷や興亡ありて今がある
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする