日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ほめる

2011年09月30日 | 生活・ニュース
           

先日、施設でのリハビリ中の映像で知ったほめ方。同じ距離の歩行訓練で、昨日より1秒早かった、歩数が1歩少なかった、という具体的な結果でほめる訓練に、リハビリを受ける人の笑顔は喜びに満ちていた。ガンバレというだけの訓練では、その成果が見えないということを改めて教わる。

「彼岸花は稲田の畔に咲くものとばかり思っていた。こんな雑草の中にも咲くのか。はじめて知った。勉強になった」。これは私が写した写真を見た人の感想。撮ったところは川の法面、そこはあらゆる雑草が茂っていて、その緑色の茂みの間に咲いていた彼岸花。

話は彼岸花が咲いている場所に驚いたということだで終わった。ネットで拝見する上手い人の撮った彼岸花、夢の世界のようなまどろみの背景に輝くように花だけが浮き出ている。そんな背景に浮き出た彼岸花の鮮やかな姿にみとれない人はいない。

せめてマクロレンズがあれば、そんな贅沢は望めないこの頃のふところ具合。手持ちのカメラを使いこなすしかない。そしていつか、感想を口にしてもらえるように精進しよう。パソコンのホルダーを繰りながらそんなことを考えていた。

9月も今日で終わり。明日からは「ぐぐっと冷え込む」とは気象予報士の話し。秋本番、国体も始まる。創作の秋、外へ出てみよう。

(写真:見てもらった彼岸花の1枚)
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マツタケが届いた

2011年09月29日 | 生活・ニュース
           

今年は程よい雨量があったので涼しくなればマツタケが見られるかも、と話すのは山を持たない自称マツタケオジサンの話し。今年はマツタケのニュースはあまり見ないように思うが、この季節になると思い出すことがある。

大きな道路が作られた。田や畑を埋めつぶし、山にぶち当たるとそこにトンネルが刳りぬかれる。人々の生活は便利になり、田畑時代には見られなかった新しい産業や設備がはびこる。都市化され近代化されたように見える。

刳りぬかれる前の山はマツタケの山だった。子ども心にも記憶しているが前後のほぼろに山と積んで持ちかえられていた。畑仕事をしていると父の知人のその人は何本か置いていってくれていた。トンネルが刳りぬかれてその山はマツタケの名を捨てた。

秋の味覚としては1番だろうが、最近は高値の華で買って食するということはなくなった。そんな貴重品をいただいた。聞けば山形県産という。東北産のその香りは地元産とかわりない。よ~く味わっていただこう。

(写真:届いた今年1番の秋の味覚)
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日本列島は長い

2011年09月25日 | 生活・ニュース
           

23日の「夏仕舞い」というブログを読まれた方からコメントを貰った。北海道と鹿児島県からのそれで、その地域差に思わず列島の長さ教えられた。

<北海道の人>
 我が家の夏じまいと云えば何だろう・・
扇風機は勿論だが 緑のカーテン・鉢花を
片付けるなどだが それより冬支度の方が多い
 床暖房の点検・上下水道の凍結防止・庭木の
冬囲い・車の夏タイヤから冬タイヤへの履き
替え・住宅前の除排雪作業の依頼・窓の
すきま風防止対策・落雪防止・漬物の準備
などなど上げればキリが無い・・
それほど北海道の冬への備えは大変な作業だ。

  <鹿児島県の人>
   我が家は夏になると、建具を全部外します。
  南国ですが、高台の我が家ではリビングに、エアコンは、いりません、
  というよりないんです。自然の風が吹き抜けてとっても涼しいんですよ。
  我が家のエアコンはお客様専用。
   今朝は鹿児島でも13度、夜中に毛布を引っ張り出しました。
  例年10月下旬に建具を入れますが、今年はちょっと早いのかも…と思われます。

書き込んでもらったコメントはこうして残し、何かの折に参考にさせて貰っている。同じ季節の地域で異なる様子もリアルに知ることができる。これもブログのいいところだろう。

北海道の方のお宅ではストーブが活躍中と、過日の記述にあった。鹿児島県は暑いだろうという先入観を覆された高台の夏に驚いた。その北海道の人とも鹿児島県の人ともお会いしたことはない。

(写真:夏日が帰って来た秋分の日の公園)
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いつ頃咲くの

2011年09月24日 | 生活・ニュース
           

今朝の寒さに富士山は初冠雪とか。3連休の中日、朝方の寒さを日中は忘れさせる暖かさ、というより少し動くと汗ばむほどの暑い日だった。それでも錦帯橋と公園は多くの人で賑わっていた。

お堀の鯉に覗きこんで餌をやる小さな子供を後ろから引っ張ているお父さん、ご苦労様と見て通った。噴水で水遊びの子ども多い。そこにズボンの裾をまくったお父さんの姿があった。どちらのお父さんも、きっと仕事のできるお父さんだろう、なぜかそんな気がした。

黄色や茶色になった桜の葉が散り始めてその周りを模様替えしている。すっかり落葉した木もある。桜の木は春へ向かう準備を始めた。誰に教わるともなく何十年何百年と続く自然の営みを改めて思う。

バラ園は夏姿から、剪定され背が低くなりサッパリとした姿に変わっていた。新しい芽も育ち始めている。バラが咲いていないのですね、というご婦人の質問に「ひと月もすれば秋のバラがきれいに咲きますよ」と説明した。管理人さんよろしくお願いします。

(写真:秋の日ざしを浴びながら開花準備中のバラ園)
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夏仕舞い

2011年09月23日 | 生活・ニュース
           

今日は秋分の日で国民の祝日。春分と同様に、秋分も昼夜の長さがほぼ同じになる。そして太陽は真東から昇って真西に沈む。ハッピーマンデーのため、定められていた祝日が第3月曜日に変えられているが、秋分の日はそんな変更は出来ない。今日からの3連休は偶然の出合いでそうなった。

2009年9月21日は敬老の日、同23日は秋分の日でした。さて22日はどういう日だったかというと、これは祝日法でこの日は休日でした。敬老に掛けてシルバーウイークと言いながら、第2のゴールデンウイークとして観光地は賑わった。2015年にも2009年と同じ連休が待っているそうです。

暦と季節が重なり合ってやって来た。今朝も爽やかを通り越し少し寒さを感じる11.3度。そんなこともあり、この夏はエコだ節電だと世話になった扇風機、しばらく休ませていたがここに来て暇を出すことにした。取り外せる部位は水洗い、本体は水ぶきしてひと夏のご苦労に感謝をした。

夏、必需品のスダレ、日ざしが柔らかくなったころにこれも水洗いをして物置の隅で眠らせている。朝顔もトマトも来夏の夢を見ながら根っこから抜いた。次の出を待っているのはストーブ。今年は電気式でないストーブが売れ筋とか。暖かい炎は心身共に暖まる。

(写真:水洗され気持ちよさそうな扇風機の羽など)
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台風過の秋

2011年09月22日 | 自然 季節
           

何日か続いた天候不順は、台風15号とともに遠くへ去った。15号は強く大きな勢力のまま東海から関東、そして東北から北海道までまきこんで暴れた。雨による被害は今回も多くの人たちの生活を覆した。大都市の交通機関の混乱混雑解消には大きな改善が見られなかった。

今朝は少し寒さを感じたが、やはりこの秋一番の冷え込みだったようで、最低気温は県内最低の15度までさがった。その分、昼間はこれが秋空だと久しぶりの雲のない青空を見せてくれた。近所の小学校の運動会練習の音楽が、いつもより音高く聞こえたのは青空のせいだろう。

信号待ちで停車した時、ひょっと見たアパートのどのベランダも洗濯物に布団、俗にいう満艦飾が思いっきり秋の日を浴びている。スッキリした乾きが期待できる、主婦のそんな期待を担うように台風の置き土産の少し強い風が洗濯物を揺らしている。

急ぎの用事があり市内を動き回ったが、窓から入る自然の風の心地よさはエアコンのそれに勝っていた。この秋日和は長く続くのだろうか。収穫の済んでいない稲田もある。週末までこの天気が続くといい。今日、家内の実家から新米が届いた。孫のところへもこの香りを届けてやろう。

(写真:青空に映える岩国城)
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新聞作り10年

2011年09月21日 | 生活・ニュース
           

「良く続いたとご褒美を出したい」、そのくらい嬉しかった新聞作りが今月で満10年。孫が3歳になる少し前から作り始めた新聞、10年目は124号。その孫は今年、希望の中学校へ入学した1年生。

私は、新聞といえるほど大それたものではないが「孫への新聞」と呼んできた。それはB5版片面の小さな新聞で印刷は2部。続けられたのは孫が読んでくれたことが一番大きな要素だろう。それが嬉しくて楽しく作れた。楽しいから面白く作り続けられた。

ファイルを繰ると月並みだが成長した跡が思い出される。平仮名と写真ばかりの紙面が普通の文章にかわり、写真も進級につれそれらしくなっている。大きな病もなく成長してくれたことを改めて嬉しく、感謝する。

離れて住むと、孫のことを思ってもなかなかしてやれないもどかしさを家内はよく口にする。そのことが帰省した時に帳消なるよう張り切らせているのかもしれない。その孫は昨年は受験準備で今年は部活でふた夏帰省しなかった。

その穴埋めに孫新聞は少し役立っているかも。孫から「新聞でおじちゃん、おばあちゃんのことがよくわかりかす。これからも長く続けてください」と10年にあたりメッセージが届いた。楽しく作れる間はパソコンで楽しもう。

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彼岸花のころ

2011年09月19日 | 回想
           


来春卒業の高校生の就職状況は厳しい、と報道されている。行政は各企業へ採用増を要請されているが、状況を改善するには至っていないようだ。そんななかで採用試験は16日から始まった。

試験の頃になると彼岸花が咲き始める。今年もあちらこちらで彼岸花が咲き始めた。この時期になると車窓から重い気持ちでそれを眺めたことを思い出す。

現役のころの採用試験にまつわる苦痛な思いでを「彼岸花のころ」というタイトルで投稿した。はじめての投稿だったが、幸いなことに掲載された。その日、なにか閊えていた気持ちが少し軽くなった記憶がある。

彼岸花のころ

  退職してから、彼岸花を見ると思い出す。高卒の就職試験で不採用とした訳を説明するために学校訪問をしたことを。

  重い気持ちで移動する車窓に、刈り取り直前の稲田の畦に群生しているその花をよく見た。

  赤色の花を外側にそり返し風に揺れている一輪ごとが、顔を紅潮させながら手を膝の上で握りしめ、懸命に答えてくれた受験生徒の顔と重なった。

  巣立ちの前に、厳しい現実に遭遇させる役目を恨み、新しいチャンスが与えられるように願いながら校門をくぐった。

  あの時の生徒たちが、いま次のチャンスを活かしていることを信じる。
 (2006年9月)
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橋の向こう

2011年09月18日 | 地域
           

ここ岩国に住んでいて「橋」と問えばすぐに「名勝 錦帯橋」と返ってくる。その昔、岩国城と城下町をつなぐ橋は、数回架けられているが、錦川の洪水により、たびたび流失した。吉川家3代藩主吉川広嘉は、洪水に耐えられる橋を造ることに強い思いを致した。橋脚を無くすことで流失を避けられるなど、架橋にあたって幾つもの知恵や秘話がある。

橋の起源を示す確かな証明はないという。偶然に谷間を跨いだ倒木などを渡ったことがその初めではないかという。素直に、なるほどと思える説明だ。それを学習し、丸太を倒して向こう岸へ渡ったのだろう。長い年月を経て海峡をまたぐ長大橋も完成させるようになった。

「橋がなければ渡られぬ」という。今年も地震や洪水で多くの橋や鉄橋などが流され、救助や救援活動に大きな支障をきたした。普段は何も考えづに渡っているが、橋は地域間の仲立ちをするという重要な役目を担っていることを改めて思い知る。

人と人の関係でも「橋を渡す」「橋を掛ける」「橋わたし」などという。双方の間にあって、それぞれの関係が通じあうように、渡れるものを見つけ出すことをいう。目に見えない橋で争いことが消えれば、自然倒木を渡って谷を越えて世界が広がったであろう古人は、思いもしなかった波及効果に驚いているだろう。

(写真:散歩の途中にある歴史を感じるシックな橋)
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6年目になります

2011年09月17日 | 生活・ニュース
           

「石の上にも3年」とは、 石の上でも3年続けて座れば暖まる、そんなことから、辛抱すれば必ず成功するという深い意味がある。そんな大それた想いから決してはじめた訳ではないが、長さだけは、明日からその倍の6年目になるこのブログ。毎日、多くの人の訪問をうけ、時にはランクインさせてもらい、喜んでいる。

ブログにはこの5年間の記録が残っている。今日まで1825日が過ぎ、載せた駄文が1731編、アップした写真は1825枚とある。写真は100枚ほどがお蔵入りとなっている。どれがそうなったのか、今となっては分からないが、この記録と一緒に残し続ける。ランクインした回数の記録のないのは幸いかもしれない。

ブログ専門サイトに登録すれば、言語や写真などを表示する技術的な知識がいっさない私でも、文章を書いたり、写真をアップロードするだけで、簡単にホームページを作成することができた。実にありがたいことだ。

毎日、多くの方のブログを訪問している。いろいろ教えられたり情報を得ることができる。未掲載が続くと旅行か病気かと顔も知らない人に思いを巡らす。ブログ開設を手伝った人のそれが続いているのは嬉しい。好みの写真が載っているとしばらく見ている。こんな文章が書けたらと思うのは毎日のこと。

こうして書いていることが私の健康法のひとつ、と思ってパソコンを開く。

(写真:ブログを続けていく上で欠かせない支援の具)




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