日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

岩国今昔 3

2018年05月31日 | しっちょる岩国

 鮮やかなカラー写真や動画が素人でも簡単に撮れ、それを多くの人に即座に開示できるこのごろ、写真は珍しいものではなくなった。子どももカメラを玩具のように取扱い傑作を投稿している。二つ折りの携帯使用中なので、スマホで写真が簡単に撮れるという様子は見ているが実体験していない。とにかく写真は庶民の芸術度を上昇させた。

 今日を繁栄させた写真にも歴史があり、白黒の時代があった。白黒写真は焼き付けからの年月を重ねるとその色が黒みをおびた褐色に変わる。それをセピア色に変わったと呼び始めたのはいつからだろう。耳ざわりはセピアがいい。そんなセピア色の古い写真が横山の徴古館に数十点展示されている。

 「写真で振り返る岩国」という展示で、明治から昭和にかけての岩国の変遷を教えてくれる。合併前の市町村別に展示されており、理解を深めさせる。古い写真の幾枚かには今の写真も添えられており、その変化に驚くものもある。今は見られない風景や街並み、人の動きなどセピアならではの感傷をさそう写真に見入った。河山鉱山の鉱石運搬の蒸気機関車、その第1便を川西駅で見送ったことを思い出し、写真の貴重さを改めて思った。

 8年前に岩国検定実行委員会の一員に加わり学ばなければ、セピア色の写真展を見には出かけなかっただろう。合併で大きくなった岩国の一部でも知ることができたた。セピアの写真からもあの時のあれだ、秘かに調べたなど思わぬ繋がりを思い出す。何でもいい、学びは何かに繋がる、いい歳をしてではあるが復習した。これからも新しいことに参加していこう。
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軍配はどちらに

2018年05月30日 | 社会 政治

 日本相撲協会理事会は全会一致で関脇栃ノ心を大関に推挙、この吉報を受けて「謹んでお受けいたします。親方の教えを守り、力士の手本となるように稽古に精進します」と口上を述べた。どんな4文字熟語かと期待した人も多かろうが、師匠の春日野親方と相談して決めた。親方は親方に反対されたが、自分は「親方」を入れたかった、という。12連勝した時、飛んで横綱にの声もあった。

 相撲界も幾つかの賭博や暴行などから公益法人見直しを迫られる事件が続いた。改革を強いられているが、良くなったと心にストンと落ちる回答は未だ出てこない。そんな中で新大関の口上で親方という言葉が使われたが、これは珍しいという。来日してゼロからの指導を受けた親方に信頼を寄せる気持ちはわかる。

 一方、連日派手に報道されるアメフト問題。昨夜、関東学生連盟は処分を発表した。その内容は事前に報道で予想された内容に一致しており、世間大方の感じと同じで納得だろう。驚いたのは、学連の迅速な調査に基づいて下された判断が、何れも断定型で述べられている。これだとストンと心に落ちる。スポーツを越えた一強監督の指導内容が否定された。

 一方で、一強と言われる霞が関はモヤモヤが晴れない。学連のように、日大アメフト選選手のように、霞が関全体が正直な話しを何故しないのか不思議だ。頭がいいといわれるが、隠すこと、庇うことに頭を使っているのでは「国の中枢」とは言えない。隠す、改ざん、破棄、記憶にないどれも正常な役人のすることではない。霞はぼんやりしている、ぼんやりしているから霞が関、こんなお笑いの落ちでは済ませられない。
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どうする免許証

2018年05月29日 | 社会 政治

 社会人になったころに知り合ったからかれこれ60年来の知り合いになる。出会った頃は、ある企業の中堅で人望厚い技術屋さんだった。仕事の話はあまりした記憶は無いが、勤め人一般のあれこれはよく話をしていた。その人が新築で移られ、出会えば挨拶するくらいで、若いころのような交流は無くなっていた。

 ふと出会い立ち話に。色々話すうち「昨夜からどうしようかとおもちょる」と深刻な表情。そのきっかけは昨夕から報道されている、神奈川県茅ケ崎市での高齢女性の起こした交通死亡事故という。知人が言うには、その女性運転手と同じ90歳になった。年齢的に免許証返納をチラリと思ったことはあるが、運転に不安を覚えたことは無いので返納はとどまっている。

 返納したら日々の生活への影響は大きく「大困りになる」と笑う。子どもらは離れて住み、今は夫婦二人の生活、ともに元気なので何とかしているが、車が使えなくなると通院に買い物、ちょっと出かける手段がない。ある高台の団地に新築されたのだが、そこにはバスの便はない、そんなことも返納を遅らせている。

 私も免許更新が近づいた。認知検査の予約に行くと1カ月以上も先が予約日になった。高齢者の運転免許の必要度の高さを表す尺度の一つではなかろうか。私も認知度1と判定されたら、知人と似たようなことになりかねない。そうならないように能力身体をどう維持するか、そんなことを改めて思う久しぶりの会話だった。
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筏下り

2018年05月28日 | 地域

 市内北部の山間部、所用が終わったところで「今、錦川で筏(いかだ)下りが行われている」と聞き、急いで錦川に沿って下流へ車を走らせる。前夜来の雨で若干増水のように思えるが、筏は下っていることもあり、途中川をチェックしながら安全運転で車を走らせる。  

 筏(いかだ)といえば、岩国検定の仲間と学習しているころ、合併前の玖珂群北部、錦川上流地域の交易の担い手として「筏」は重要な役割を担っていたことを知った。そのことは、山口県生まれの民俗学者・宮本常一の調査記録にある。その調査地点は、今、所用の終わったこの地、そんなこともあり下流へ向かった。
 
 錦帯橋上流、約4㌔ほどのところで姿を捉える。10本の材木で筏1連、それが10連、長さは目測で40㍍くらいだろうか、それを10人の漕ぎ手で操っている。材木は表皮がはがれ白い木肌、素人目には杉か檜に見える。道路から10㍍くらい下の川面をゆっくり下っていく。赤い字で「錦川筏下り伝承会 みかわ」と筏に張られた横断幕が風になびいている。

 眺めているだけだけなら気持ちよさそうに見える。ところが、材木の伐採、皮剥ぎ、運搬、筏作成と連結、終われば解体、残材運搬などの重労働が見えないとこに隠れている。それを思いながら、今回、実行された伝承会の継続を願い、思わぬシャッターの機会に恵まれたことをに感謝しながら、新緑の川畔を下っていく筏を見送った。
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読めなかった字 2

2018年05月27日 | 生活・ニュース

 書道展の入選を報ずる紙面、最高は文部科学大臣賞を始め上位賞の作品が大きな写真で載っている。どの作品も墨痕鮮やかで躍動感を感じる。しかし、それからが残念な思いに変わる。載っている作品にしたためられたほとんどの漢字が読めない。だから文の意味や趣旨も理解できない。立派な芸術作品を見ながら、墨痕鮮やかで終わるだけの我が無知無能を改めて知る。

 言い訳になるが、点画を崩さないで書かれた楷書であれば何とか調べる方法もあろうが、書体すらわからないのでは先へ進めない。書道とは「毛筆を使って文字を書く芸道、毛筆による書の美を表す芸術(明鏡国語辞典)」とある。そのためには、精神を集中し、心を込めて文字を書き習い形象美を追求する実技ともある。「道」と称することからが専門の学問や技芸であることを改めて知る。

 現役のころ同僚だった元女子社員、、現在、都内で書道教室を開いている。生徒は小学生から高齢者まで、教室の外では地域に溶け込んで着付け、祭り、句の創作、各種展示会、地域行事参加など多方面で活動中だが、それが書への感性を高める、ブログや作品を拝見しながら感じている。

 出先の施設でロビーに漢詩の書が掲げてあった。初めの2文字が「少年」と読めたことで、「老いやすく学成り難し」と何とか判読できた。老人になっても寸刻を惜しんで学べという教えであるが、書くといえばパソコンと電子辞書では学成り難しを地で行くような日常になっている。読めない嘆きから迷い道にそれてしまったが急がずに抜け道を探していこう。
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曇りのち晴れ

2018年05月26日 | 地域

 午前6時ちょうど、バンババンバ~ンと眠気を覚まされた人もあるだろう大きな音は「小学校の運動会は予定通り行いま~す」と校区内へ報せる打ち上げ花火。私はこの小学校を昭和28年春に卒業した独りだが、花火での報せはその頃と変わっていない。花火を合図にゴザを抱えて場所取りに何度か走ったことがある。

 いつもより早く児童らの登校が始まる。紅白の運動帽子、半袖の体操着に紺色の半パン、どの子も大きな水筒を持参している。カバンや手持ち荷物がないだけ軽快そうに見える。何人も徒競走の準備かと思うように駆けていく子もいる。日ごろ走って登校する姿はあまり見ない。運動会が嬉しいという表れかもしれない。

 運動会といえば秋の行事だった。現役時代会社行事も近隣の幼稚園から高校の予定を確認して計画したことを思い出す。最近は5月開催の小学校が増加しているそうで、母校の小学校も秋だったが昨年から5月開催に変わった。入学や進級などで、新しいい環境になじみ結束というかチームワークをよくするにはこの時期の開催が最適、と児童を持つ人から学校の説明ですと断って教えられた。

 運動会でテントが張られているのは本部席だけ、児童の待機兼応援席も、また家族の観覧席にもテントの無かったのは昔話になった。最近は、熱中症対策もあってだろうか、入退場門のところ以外はテントが張り巡らされ、俯瞰してみると、屋根のあるどこかの陸上競技場かと見間違える。午後から天気一変、青空で初夏の日差しとなり、テントはほっとしただろう。1年生、楽しかったですか。
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身勝手は止めよう

2018年05月25日 | 社会 政治

 「身勝手なエサやりは禁止です」の掲示が立っている。各所で見受けるが、個人住宅に立てられた以外は自治体や自治会、団体名が記入されているが、見かけた掲示にはそれが見当たらない。本当に困った近くの人が備えられたのだろう。「置きエサは止めましょう フンの後始末をしましょう 不妊、去勢手術をしましょう」と大きな文字で呼びかけてある。

 続けて小さな文字で「哀れみの気持ちだけでエサをやると、猫がどんどん繁殖して、飼い主のない不幸な猫を増やしてしまうことにつながりかねません。捨てられ行き場を失った不幸な猫をこれ以上増やさないようにしましょう」とあり、身勝手な行動を止めるよう易しい言葉で呼びかけてある。立てた人の優しい心根が伝わる。

 この付近は時々散策するが、この立て看板は初めて目にした。文字や汚れなどから設置されてそれほど経っていないようだ。野良猫と呼ばれる彼らが責めを受けることはない。この看板付近では猫の姿をよく見かける。この日も付近で木陰に寝そべっている数匹を見かけた。こうした猫は観光客によく可愛がられている。

 捨てられた犬や猫の殺処分が問題になっている。動物愛護法を受け多くの自治体で殺処分ゼロを目標に掲げている。その処分頭数は減少しているが、保護することでの問題も多く、ゼロには時間がかかる。こうした問題可決策の一つは、野外でのエサやりを止めることと、もう一つは最期まで飼うという飼い主の責任と自覚を果たすこと、これは難しいことではないから実行して欲しい。
 
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錦明館 3(義済堂)

2018年05月24日 | しっちょる岩国

 義済堂は「1875(明治8)年、旧岩国藩の貸付金の整理回収業務や困窮する旧家臣の修業資金の融通などを目的に吉川氏が創業した会社。やがて旧士族女性への織物技術の授産事業を開始した(岩国検定テキスト参照)」。その義済堂は錦帯橋下流の錦川沿いにあったが2005年3月倒産。現在は同類型の一般住宅が建ち、往事を偲ぶものは無い。

 その義済堂は通学路にあり煙突を眺めながら臥龍橋を渡った。工場の入り口には花崗岩の門柱が立ち、その側に守衛所があり立哨の人と話したこともあった。その義済堂が錦明館展示の大盃に描かれている。記憶にある2本の煙突は描かれていなくて、記憶にない掲揚台に「義済」と書かれた社旗のようなものがひるがえっていることから古い時代の姿と分かる。しかし、木造の外観は記憶とほぼ一致する。

 背景に城山とその麓を流れる錦川、それに架かる名勝・錦帯橋が描かれ、その立地の良さが伺える。吉川氏肝入りの策であったことがわかる。最盛期には、今は遊技場や宅地に変わったが、道の向かい2カ所に織物工場と作業場があり、フォークリフトが行き来して活況だったことを思い出す。

 今年は明治150年、華々しい姿だけが取り上げられ、観光客誘致に役立てようと大きな支出が図られている。明治となりその転換期で苦労しながらそれを乗り越えた人ら、特に庶民の姿を掘り下げて学び、そこから今の激動に向かう考えを見つけられないだろうか。濃青で描かれた建屋を眺めながら、シンボルの煙突が解体される様子を思い出していた。
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初物グリンピース

2018年05月23日 | 生活・ニュース

 スーパーで食品を買っての帰り、車中で「グリンピースが高いのに驚いた」と妻の話し。次に訪れたときチラリと値札を確認した。夫婦二人の食べ量はしれているが、それでも、さや付きで千円くらいは購入しないと「食べた感じ」とは言えないほど高値だった。走りの値打ちとしてはそんなものかと思いながら、またいつか、と横に見ながら通り過ぎた。

 それから数日過ぎていた。夕方、玄関ドアの外に段ボール箱が見える。それは、いつも野菜を頂く方からの定位置で知らぬ間にいつも置かれている。採りたての野菜の中にグリンピースが入っている。あの日、グリンピースを横目に見ながら通り過ぎたことを打ち明けたかのようなタイミングの良さに驚く。

 グリンピースは、「青えんどうの一品種で、完熟する前の緑色の実で、食用」、辞書的にはこう説明してある。さや(莢)から豆は男手でも簡単に取り出せ食準備の手伝いになる。この豆の取り出しは初めてではないのに、莢をむきながら、中の豆が大きくなるから莢が大きくなるのか、それともその逆か、など思いながら手を動かす。

 さて、莢か豆か、こんな時はネット。収穫までの長いその過程はあるが「前半では莢が成長し豆が育つ空間を作る。その後に豆が発達して莢を押して膨らませる」というのが調べた結論。この日は豆ごはん、仏飯はいつもの容器でなく小皿に盛って供える。初物は先ず先祖へお供え、子どもの時から続く習慣。その後で感謝しながらいただく、新豆の香りと甘みごちそうさまでした。
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錦明館 2(岩小)

2018年05月22日 | しっちょる岩国

 錦明館の展示場は和室でいえば20畳ほど、備え付けのスリッパに履き替えて鑑賞する。入り口に近いところに「盃 錦屏山焼 明治四十五年 岩国小学校建築記念」と記した表題の盃が1個ある。岩国小学校は60数年前に卒業した母校なので興味がわく。盃の底に描かれた桜の図案は小学校にふさわしい図柄に見える。花の中心の色濃い菱形とそれを3つに分けるかのような2本の白い線を見たとき、校章の原型ではないかと気づいた。

 顔を近づけてみていると「残っているのはこれ1個でしょう」と話す館長さんに促され裏返してみると高台の内側に表題と同じ記述がある。岩国小学校は明治2年に岩国藩学校として兵学校、同3年文学校を設立、同4年錦見小学校として発足した。その後変遷を経て大正2年に全校舎改築完成式挙行とある(岩小沿革史より)。明治45年は大正元年であるからほぼ一致する。

 岩小の校章は菱形で中央に「岩」の文字があり、これを〖〗で挟んでいる。色は金色、小学校の時は学生帽にこの校章を帽子の正面に取り付け、四季を通して冠って通った。帽子に穴を開け、校章のあしを通し内側で折り曲げて固定する。今は男女とも帽子を冠っていれば大方が野球帽、地元カープの赤が多い。

 かって岩国には志向焼、多田焼、皿山焼、錦屏山焼など、市民にもあまり知られなかった焼物が記録に残っている。作者の名前が残された作品もあるが、絶えてしまったものばかりだが貴重な作品を見ると、陶芸は分からくても残されていることに感動を覚えるし、悠久の時を過ごした焼き物にその時代を聞いてみたくなる。
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