日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

雨の日は雨の日の

2014年06月30日 | 生活・ニュース


 ある小学校の大きな校内行事の前日、「明日は雨でしょう」という気象台の予報が出た。素人の経験観測でも予報は当たっていると観念していた。そんな重い気持ちを抱く中で、若い男の先生が「もしも、明日、雨が降っても、天に向かってブツブツいうな。雨の日は雨の生き方がある」と児童らに言い聞かせていた。思わずその言葉に耳を傾けた。実際は翌日、全く不思議なほどの快晴になってくれたのでした。これは元小学校教諭の方が書かれた文章の一部。

 「雨の日は雨の生き方がある」、考えれば分かるようでもあるがその逆の思いも浮かぶ。与えられた状況をブツブツ言わないで素直に受け止めろ、そして、それを自分なりに活かせということだろうか。そうすればどんな雨でも恵みの雨になるかもしれない。

 梅雨前線は北上を始めた。この地方の本格的な梅雨はこれから、報道される各地のゲリラ豪雨は「雨の日は・・・」の心境で受け入れるのは無理だろう。目の前の水流とその恐怖から愚痴は出る。でも、これで夏場の水不足は緩和されるかも、そう思えばちょっとは雨を受け入れたことにもなるかと勝手に思う。

 東京で雹が積もった翌日の同好会で「雨という字のつく文字をいくつ知っているか」、この季節にふさわしい話題がでた。5つ7つ12と増えいく。20数個は書きだされたように思う。帰宅して復讐、何か方法はないかとマウスを握りながら思案していると、簡単な方法に気付いた。それは「パソコン  IMEパッド  部首  8画  雨」をクリック。雨を含めて65字が瞬時に表示された。これも「雨の日は雨の日の過ごし方」かとひとり納得させる。明日から今年の後半、11月末の大行事が待っている。
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購入記録から

2014年06月29日 | 回想


 正式な名称は知らないのだが、子どものころからその用具を「とおし」と呼んでいたように思う。作りは簡単で、我が家の物は木の板で作った円形の枠に金網が取り付けてあるだけ。

 使い方、例えば収穫したあずき。乾かして莢(さや)をたたいて破る。すると莢と小豆が混ざり合っている。その混ざり合ったものを「とおし」に乗せ両手で左右や円形に動かす。すると、とおしの中央部分に莢が集まるので、大まかな分離はできる。網目の大きさは何種類かあり、作業に合わせ使い分けていた。小学校も高学年になると手伝っていが、そんな手伝いは思い出の中の一つになった。

 今も、たまに使っている。花を植えるたびに新しい花の土を買うわけにはいかないので、古い花を抜いた後の土を使う。その土に残った根を取り除くために「とおし」を使う。揺すると土は「とおし」の網目から落ち根だけが残る。作業を終え、久しぶりに水洗いをした。ふと網目の大きさが気になり測ってみると5メッシュと11メッシュの2種類だった。

 5メッシュの方を洗っていると「昭和45年 10月」とマジック書きがある。並べて20年前まで住んでいた住所を小さく書いているのは私の字だ。この年は大阪万博が開催された。その前夜、北海道に住む叔母の連れ合いが亡くなり、葬儀参列のため満員の大阪行夜行列車に乗った。どんな思いで購入日を書いたのか、5メッシュをどうして選んだのかなど全く記憶していない。

 もう一つの11メッシュの方も確かめると何やら文字らしきものがある。よく見ると、薄くなったそれは「昭和二十八年」と読め、50年近く前に住んでいた住所もその横に墨で書いてある。それは小学校を卒業した年だと思い出し、妙に懐かしさを感じる。

 ちょっとした走り書きでも、そこから懐かしい事柄が浮かんでくる。もの覚えは難しくもの忘れは進むこの対策として、ちょっとした覚え書きを残すようにしよう、と思い直す。それを忘れるな、戒めの声が聞こえる。
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落梅

2014年06月28日 | 自然 季節


 最近は生りものをとらない家が多い。柿やイチジク、ビワなどが枝や地面で哀れな形で残されている。いくら美味そうでも人さまの家のものを無断ではとれない。とるのは撮るだけにしている。今日も落梅というそんな光景を目にした。落梅の意味は、散る梅の花と落ちた梅の実の二つ。店頭には沢山の梅が積まれ、シロップや塩漬け用の関連商品を売っている。悲しいかな落梅にはそうしたチャンスはやってこない。

 毎年、八朔を玄関まで届けてくれる人が「何もかも今年の生り具合は悪い」とは畑の果物類の不作を話す。それでは今年は八朔が届かないか、すると自家製のジャムは食べれない、と思案する。そういえばビワも届かなかった。別の知人のブログに剪定、肥やし入れ、雑草刈りと精一杯手を入れたのに、経験したことがないほどと梅の不作を嘆く記事が載っている。こうした現象は他にも話す知人がいる。

 原因を聞くと「なんでじゃろうか」というのが答え。仏教的には「因果応報」といい、過去における業に応じて現在の果報がが生じるということだろうか。しかし、不作を嘆く人には過去の業は思い当たらない、となると無責任だがその原因は自然界にあるのでは、と思いたくなる。

 今、自然環境に業を与えているのは人類ということは広く一致するところ。その自然は受けている業のために苦しみ続けている。その許容が限界近くなり、不作や異常気象など何かを報せているのかもしれない。自然は学習している、落梅がいつまでも続くと、日本人は梅不要人として学習し着果させなくなるかもしれない。遊んでいると「落ちた梅は口にするな」、子どのころには周りの大人から注意されていたことを思い出す。
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救急医

2014年06月27日 | 地域


 手術の速さをその技量の優劣として問うたのは山崎豊子の「白い巨塔」の財前医師だったように思う。今、流行の医師ドラマではそうした筋書きはなく、先進高度医療をどう展開するか、そこに医師間の争いや様々な人間関係を交叉させている。必ず神の手といわれるような若い超スパー医師が存在し、どんな救急患者でも救命できる筋書きになっている。

 そんなドラマをたまに見ると、スーパードクターもスーパー医療機器も簡単に誕生しているような錯覚に陥り、救えない命はないと思わせる。科学技術の進歩で機器開発のスピードは速まっているだろう。そうした機器操作は若い医師ほど習熟速度は速いだろう。そこに己がすべてに万能と思いこむ落とし穴がある。ドラマではエリートと呼ばれる医師の「町医者が」というニュアンスがよくある。

 地方で昔の救急医は町医者と呼ばれる人たちだった。雨でも雪でも、夜中でも、木枯らしが吹いていても黒かばんをさげて往診。一人で診察し必要な処置をする。見守る家族はもとより苦しんだ患者に安心感を与えて帰る。そんな個人の努力の積み重ねが町の多くの住民を救った。

 毎日、遠くで近くで鳴る救急車のサイレンを聞かない日はない。今日も片側1車線の道を逆走で病院へ急ぐそれに出合った。すべての車が救急車を優先させている。当然といえばそうだが、見ていてたやはり爽やか。サイレンの音が、ありがとう、に聞こえる。
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雑草の力

2014年06月26日 | 自然 季節


 年2回、6月と12月に近くを走るJR線路の法面の雑草刈りがある。チィーンチャーン、そんな音で仕事の始まりが分かる。大方は朝ドラの始まるころから。梅雨のこの時期、仕事は雨で予定通りには修了しないのだろう、予定外の日も草刈機の音が聞こえる。春ころから伸び始めた雑草は作業員の腰のあたりまで伸びている。雑草の成長は早い。

 JRといってもローカル線、1日の運行は上下合わせて26本、三セクの列車が上下で20本ほど。車社会の進展に伴ってこちらは全体では減便方向に進んでる。1便の車両は朝夕を除いてはジーゼル車1両、窓越しに見える乗客の数は数えるほどの時が多い。

 沿線の利用客の数とは関係なく草刈が行われている。以前に住んでいた地域では地区住民それぞれが鎌や草刈機持参で法面の雑草刈り奉仕をしていた。そこでは今も続いているようだ。運行便数は少ないとはいえ、作業開始前には通過列車への注意を受けていたことを思い出す。刈り取られた雑草は線路わきに積まれている。大きな河川ではこうした雑草を農家の人などに無償で配り、処理費削減を図っているとか、JRさんはどうされるのだろう。

 雑草の消えた法面、髪は少なくなったが散髪した後の頭の様でさっぱりしている。咲いていた野の花はすべて失ったが、その時期になると例年顔を出す。雑草のたくましさを見ていると、刈られるたびにDNAが強靭な型に変わっているのではなかろうか、そんなとりとめのないことを思いながら散歩を続ける。
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緑の提灯

2014年06月25日 | 自然 季節


 苗が良かったのか、育て方が良いのか、その両方の効果なのか、今のところ鉢植えのピーマンは順調に収穫出来ている。ブログで教わった「毎朝、揺すってやると受粉が進む」というコメント実行の効果も効いているかもしれない。

 ピーマンを食べ始めたのは息子が園児のころ。「おばあちゃん美味しいね」と言いながら食べる様子を見て「好き嫌いは子どもためによくない」、そんな殊勝な心掛けからだった。終戦後の我が家の畑、大根にニンジン、玉ねぎやジャガイモ、里いもにサツマイモ、牛蒡などしかなかった菜園でとれたものを食した子ども時代を言い訳しても通用しない。そう、キュウリや茄子、カボチャもあったが、ピーマンはなかった。

 農産物の旬、大方の品が年中店頭に並ぶ。これは、消費者が求めた、生産者が経営のために図った、いや、その両方の相乗効果がより高まり今の姿になったのだろう。さらに、農産品には「工場生産品」となっている品もあるとか。そんな中、鉢などで育つ野菜は旬の物。

 鉢植えしたピーマン、収穫ができるかと茂った葉の下を覗く。そこの緑の空間に同じ緑の提灯を掲げたようなピーマンがぎ取られるのを待っている光景が。一幅の絵のようで、もぎ取るのを一瞬、思い止まらせる。これが地産地消ならぬ自産自消ならこそ体験できる喜びと思う。収穫記録に今日は4個、と記入した。
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晴れ間

2014年06月24日 | 自然 季節


 梅雨前線が屋久島の南側で停滞しているころの県内の梅雨の勢力はそれほど強くない。やがて北上し、鹿児島付近まで近づくと、前線が消えるまでのんきなことはいっておれなくなる。特に、梅雨末期の豪雨は大きな被害を伴う。その前線とは別に東海から北の日本は雨に竜巻、ヒョウなど異常気象が居座っている。これに、梅雨前線が北上すると更なる被害が起きないかと案じる。

 朝の通学路、今朝は傘を持たないで登校している。ランドセルを背負い、傘の代わりに手提げ荷物に大きな水筒、1年生は引きずる寸前の子もいる。とにかく登校時の持ち物が多い。私の子どものころに、遠足以外で水筒を持って登校などという覚えはない。水筒の中には何が入っているのだろうか、聞いてみたくなる。

 梅雨の晴れ間、こんな日は気象予報では「洗濯を、布団干しを、紫外線対策を十分に」など気温や風、天気以外のことも熱心に力を入れて伝える。ラジオで「雨でしょう、晴れでしょう、風が強いでしょう」といった昔の「でしょう」予報の時代には考えられない親切丁寧な予報になった。そのことが情報への頼り癖となり、経験や体験を伝えられなくしている。ちなみに「でしょう」は「だろう」の丁寧語。

 屁理屈を言っても晴れると気は爽やかになる。動きだしそうな満艦飾のようなアパートのベランダ、お日様も微笑んで熱い、いや暑い日差しを送り出している。週末の予報は下り坂とか、貴重な晴れ間、庭の草抜いた。
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ミツバチの聴聞

2014年06月23日 | エッセイサロン
2014年06月23日 中国新聞「明窓」掲載

 地元の寺で5月下旬にあった「親鸞聖人降誕会」。本堂でのお勤めの後、聖人の話を聞いていた。すると、後ろのほうから羽音がした。私の横を通り過ぎて、前の席へと飛んで行った。

 それは1匹のミツバチ。どうして本堂へ入り込んだのかと思っていると、女性がすぐ、「話を聞きに来たんじゃけえ殺生しちゃあいけんよ」と、聴聞の人たちに静かに優しく呼び掛けていた。降誕会の会場にふさわしい声掛けで、心根の優しい方だろうと思った。羽音が近づくと、本堂にいる誰もが優しい手つきで払っていた。

 ミツバチは作物の受粉、蜂蜜の生産と、人間の生活とも深い関わりがある。最近、その減少が著しいという。自然環境の変化で大きな問題になっている。このミツバチもどうしたものかと困り果て、お寺を頼って来たのではないかとも思えた。

 講師は、近年、過疎や高齢化の影響もあって寺へのお参りが減っていると話していた。寂しいことだ。私にとって、お寺は身近で、生きていくヒントを教わることができ、心も安らぐ場所。ミツバチの聴聞をいいヒントに、ふらりと訪ねて見る人が増えれば、お寺が再び活気づくのではないか。
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3時間の間

2014年06月22日 | 自然 季節

 2週間前の菖蒲まつり、40分くらい配布開始を待って無償で花ショウブの苗をもらった。一緒に配布された育て方をちょっと参考にしながら、来年の開花を楽しみに大事にしていた。ところが、数日前くらいから開花を予知させる膨らみが見え始めた。もしや、と心待ちしていた。

 今朝、梅雨らしい雨の中、殻を閉じたハマグリのようになっていて開花まじかのように見える。雨に濡れ重くなった花びらは哀れを乞うようなので、鉢植えのピーマンの茂ったを葉の陰に移し、雨のあたりが和らぐようにした。この移動に感謝したのか、音もなく咲き始め、お昼には小さいが「花ショウブ」となった。

 咲いた菖蒲は、菖蒲池のその背丈の比較にもならない30センチほど、樹脂製のポットは配布時のまま。新しい住処となる我が家に敬意を表しての開花だろうか。もの言わぬ花心、早く定住の場所を決めてやらねば、と思案し始める。

 と、いっても狭い庭での安住の地は大きめの鉢になりそう。今年、鉢植えの皐月が年老いたかその役目を終えたので空きができる。今日の花が終わったら移してやろう。雲間から日差しが漏れ始めた。咲いたばかりの花には少し眩しいかも。
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幸先よし

2014年06月21日 | エッセイサロン

 「載っているよ」のメールで出かける途中新聞を買いに立ち寄る。はがき随筆より少々字数の多い記事がローカル面を飾る。記事はエッセイとは異なり、発足から100回例会に至る歴史を淡々と、しかし要領よく、また、毎月の例会の研鑽内容も短く的確にまとめてある。会員17人全員が創作エッセイを発表したこと、講師の毎日新聞山口支局長の講演の内容も記事になっている。

 写真は若手会員(?)の席側の笑い顔が大きく載っている。いい記念になることだろう。そのほか記事には、毎日新聞に掲載された会員作の「はがき随筆」「女・男の気持ち」「みんなの広場」は計494本とある。これは、100回を記念して手作りした新聞「花水木」の記事が引用されたと思う。実は、花水木新聞を記者にそっと渡しておいた。

 私の新聞投稿は秋になると9年目に入る。掲載の何倍もの投稿が掲載の陰にある。それらは削除することなくパソコンの中でじっとしている。たまに、呼び出して読み直してみる。大方は書き直して投稿しても時期を逸した内容で到底掲載には至らない。これは、その時々の感動や気づきをを書いた証だろう。投稿には向かないが、自分史が書ければ役立つはずだ。

 宝塚歌劇は今年100周年、感謝を胸に挑戦を続ける、とある。当会も定例会100回、これまでの経験を生かし創作への挑戦を続ける。100回記念の宴で感じた。早速、今日、会員の作品が掲載された。幸先よし。
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