日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

スーット過ぎる

2012年01月31日 | 生活・ニュース
           

1月が終わる。年金生活の夫婦2人暮らし、日々の暮らしにそれほど大きな変化はない。いや起きては困る。高齢者優待証なども届いており世間様に置いてきぼりされないようにと、新聞紙面は眼鏡を正しく架け直して目を通す。カタカナ文字の多さを時々嘆きながら。

98歳で詩人デビューされた柴田トヨさんは、今、100歳。こう話しておられる。「楽しいんです。若いときより今のほうが幸せです。今、花が真っ盛りに私の前に咲いているような気がします。皆さんのおかげです」。そして「あんまり苦しいことは考えないで、いいこと考えて、元気にね」と言われる。

そうか、そうだろうと思いながら、国家予算の時期になると年金額や医療費の個人負担はどう変わるか、そんなせせこましいことに気が回る。ケセラセラとはなかなかいかない。トヨさんなら「今を支えてくれる人に感謝し」「いいことを考えて元気にやっていきましょう」となるのだろう。

トヨさんは「毎日きれいに好きな化粧をする、用はいっぱいあるんです、やると疲れるから夜はよく眠れる、まあ百までがんばりました」「息子が怒鳴るときは私がばかになります」と百歳までスーット来られたような話し。そこに作品を愛でる多くの人を引きつけるところがある、そんな感じがする。

(写真:世の中こんない上手くは滑れない)
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お斎と母の味

2012年01月30日 | エッセイサロン
2012年01月30日 中国新聞「明窓」掲載

 毎年、年の瀬に「親鸞聖人報恩講」が営まれ、退職後は欠かさずお参りしている。昨年も寒い朝だったが、参拝者で堂内はいっばいだった。法座が終わるとお斎を頂いた。野菜や穀類を中心とする精進料理。この日も地元でとれた新鮮な材料がおいしく調理されていた。このお斎を頂くと肉や魚をそれほど口にできなかった終戦直後の食卓を思い出す。

 わずかな広さの畑で両親が作る大根や玉ネギ、ジャガイモなどがおかずの中心だった。保存できるサツマイモやサトイモもよく並んだ。これらが煮しめや、おひたしになって食卓に上った。キュウリやカボチャ、トマトなど色鮮やかな季節野菜が加わると食欲が増した。

 同じ食材を使いないながら、毎日の食事を工夫していた母はすごかったんだな、とつくづく思う。こうした親の愛情のおかげでひもじい思いはしなかった。

 豊かさが当たり前のようになっている現在、私たちの命をつないでくれている食べ物と、それを作ってくれる人たちへの感謝を忘れてはいないか。お斎を頂き、しばし懐かしい思い出に浸りながら、わが身を振り返らせてもらった。

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桜の開花予測

2012年01月29日 | 自然 季節
           

東北地方を襲っている記録的な積雪、「38(さんぱち)以来の豪雪では」という記事を読んだ。38豪雪とは「1963(昭和38)年の1月から2月に掛けて新潟県から京都府北部の日本海側を襲った記録的な豪雪」をさす。隣の広島県でもこの時の豪雪が機となっ住民が離村し集落が絶えたところもあるとか。

映像でしか豪雪の様を知らない。白く広がるそこには手をつけることの出来ない幽玄ともいえる味わいをの深さを感じる。しかし、カメラがズームするとそこには豪雪と日々戦う人らの厳しい姿を知ることになる。数センチの積雪に転び滑るさまをかの地の人らはどう感じられるだろう。

積雪こそ見ないが瀬戸内もこの地にしては厳しい寒波に見舞われている。最低気温が氷点下4度くらいまで、内陸部では氷点下6度にも達した。こんなに寒いと上を見る、空を見上げることが少ない。冬空といえば曇った灰色の空を思いうかべる。豪雪地帯の人はそんな空さえ見えないのだろう。

そんな寒さの真っ只中、桜の開花予測が出された。その日は2ヶ月近く先で例年の開花時期とほぼ同じ。見ごろは4月中旬と付け加えられた。陰鬱な冬空を背に桜のつぼみはまだ答えを見せてくれない。気温差の大きいほど見事な桜が咲くという。今年の桜に期待が膨らむ。節分まであと少し。

(写真:陰鬱に見える冬の空)


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変わり身

2012年01月28日 | 生活・ニュース
           

1年を通して「何々の日」と名づけのない日はない。法で決まったもの、商魂から生まれたもの、大きな反省を伴う忘れてはならない日、心に刻むメモリアルの日などその成り立ちは社会や人、国や世界でと各々違いはあっても大切な日となっている。

年明けでお歳暮コーナーが消え、その解体セールが大繁盛の内に終わる。解体セールの価格は半額ほど。目にしたその人は食用油とインスタントコーヒーをワゴン上下に積み上げてあった。「1年分です」と笑いながらレジに並ぶ。何人家族だろう。

そのコーナーに今度はバレンタイン用の商品がずらり。購買意欲をそそる色に包装、もちろん本命の商品も多彩。想う人への贈りもだが、女性が自分向けに買うマイチョコの需要が増加しているという。売る側はそこが狙いと策を練っているとか。

このチョコレート、2月14日が平日だと義理チョコの売り上げが伸びるという。曜日に関係なく義理チョコを受取っていたのは遠くへ過ぎ去った。ちらりと見るだけでまだ品定めの人は少ない。この寒波が遠ざからないと足を止める人は少なかろう。お店の季節先取りの代わりに身にいつも時期到来を教えられている。

(写真:登場したチョココナー、客足はこれから)
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老いを忘れて

2012年01月27日 | 生活・ニュース
           

古希をむかえるころ、5年先輩の人が「70を超えると、気分は若くても身体はいつまでもそれに同道してくれない。よく気をつけないと失敗することがある」と自分の体験をしみじみと話してくれた。

300年ほど前、尾張藩の重臣で御用人、大番頭、寺社奉行などの要職を53歳まで務めた横井也有(よこいゆうや)という人がいた。職を辞して82歳でなくなるまで風雅な隠棲生活を送られたという。要職歴任のかたわら学問と武芸にも秀でて俳句や和歌などにも通じた多芸多才な人だった。

その也有の「老いを忘れて、老いを忘れず」という書についてこう解説してある。「年を忘れて若々しい気持を保つことはいいことです。ただし、現実に肉体は老いて、行動にも不都合が出てくる。だから、体の老いを忘れてはいけない。その兼ね合いが難しい」。

もう一人、江戸末期の儒学者、佐藤一斎の「清忙は養を成す。過閑は養に非ず」と残している。「気持ちよく忙しいのがいい。あまり暇すぎるのはよくない」ということだろう。老人が心と体の健康を保つ要件、古今、かわらぬテーマだったことを知る。

「イライラしない」「自分が自分がとあせらない」「自分の現状を受け入れる」「執着せず、柔軟に行動する」も大切という。自分が生き生き出来る世界、そんな社会を見つけ、そこに自分が満足し充実していれば、老いの生活として十分だ。現役時代の名刺はそこにはない。
(ラジオ深夜便 2月号参照)

(写真:万年の命を持つ彼らが老いを知るのはいつだろう)
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日向ぼっこ

2012年01月26日 | 生活・ニュース
           

           穏やかな冬日がさす校庭   
           休日でだあれも居ない
           いつもはひと時も目をそらさず 
           児童らを見守っている
           その緊張をほぐして
           休んでいる校庭周りの植木
           その長い影からくつろいでいる
           気持ちよさが伝わる。

           起こさずにそっとしておこう
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冬の空

2012年01月25日 | 自然 季節
           

盆地を北上するように走っているとき小雪混じりの雨が降り始めた。降りかたはワイパーを普通に動かすくらい。上空は時計の針よりひと足早く夕暮れを呼びそうな黒い雲が低く垂れこめている。帰宅を急ぎながら、もうひと山越えるまで雪にならないでくれと誰にともなく願っていた。

東向きにハンドルを切った。視界が変わり雨を降らせている黒い雲の向こうに明るい青空が見える。視界のせいか錯覚か、その青空が妙に高く見える。しばらくすると雨も小降りになり、やがて黒雲の覆いから抜けだしワイパーは役目を終えた。

爽やかな秋の空も「何とかと秋の空」と浮気心を面白く言い表す。冬の寒々とした空はさてなんと表現するのが面白いだろう。目の前の空の様子はどう言い表したものか、そんなことを思いながら信号待ちをした。

雨が上がると少し風が出た。寒気団が南下しているという。次は雪雲の番かもしれない。冬空も忙しそうに冬を演出するため変化している。明日はどんな空模様を見せてくれるのだろう。

(写真:冬空の模様)
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グラスの中の美

2012年01月24日 | 自然 季節
           

朝5時を少し回ったころ「冷えるな」と感じながら朝刊を取りに玄関を出る。と街灯が照らす明かりの中で小雪がひらりひらりと舞っている。見上げるが新月の夜明け、街灯より上は暗闇で伺えない。門灯の明かりに南天の葉が薄く雪化粧している。

先日からガラス製のぐい飲みへ水を張り、その中へ赤と黄の千両の実を入れ、庭石の上に置きっぱなしにしている。それはグラス内が凍ったとき実がどんな芸術性示すかを見たかった。「しめた、今日は完成だろう」と新聞を取り出しながらひとり言。夜明けを待った。

外が白みはじめるのを待って見に出る。今朝の最低気温はマイナス2.7度なのにそれを感じなかった。ぐい飲みの中に自然が作った美術品が完成していた。寒い寒いという日は何日もあった、最低気温がマイナスの日もあったが、凍ったのは今朝が初めて。条件が整なわないとこうならないのか、自然相手の難しさを知る。

赤と黄が上下に散らばった「アイスケーキ」になっている。世界でひとつのケーキが完成した。食べればひと口ほどの大きさだが、さすが口には出来ない。寒冷地ではなんでもない造作だろうが、ここでは条件が揃わないと作れない一品だ。

子どもの遊び、小さなこと、ばかげたこと、なんて笑わないでなんでも試してみると、面白さに出会える。やってみなければわからないことが分かる。今日の最高気温は3.6度。明日も同じような気温予測、もう一度アイスケーキが見れるのか、楽しみだ。

(写真:ぐい飲みの中のアイスケーキ)

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ご苦労様

2012年01月23日 | 生活・ニュース
           

電話とは電話機によって通話すること。では電話機とは何だろう、改めて説明をしようとしてもなかなかいい言葉が見つからない。離れている相手に直接話しかけて伝えたり聞いたり出来る物、くらいはわかるが電話機の説明になっていない。

電話機とは「音声を電波または電流に変えて送り、これを音声に再生することによって通話する装置」と広辞苑は説明している。身近にある便利な道具類、特に電気製品についてはその仕組みについては知らない、理解しないままに使っている。そのように作られているものとも思い込んでいる。

だから粗末に使っているかも知れない。ケースに覆われたその中が理解できれば使い方にも工夫や面白さを見つけられるかも知れない。そんな反省をしているのは、異常かな、とはなんとなく感じていた電話機、我が家に来て10数年になるそれが応答しなくなった。

「いくら掛けても通じない」ことを知人から知らされて買い替えに走った。ここ数年、ファックスは受信も送信も実績のないことからその機能のない機種にした。小型でかなり安くなるのは家計的には助かる。電話帳を作りガード機能を設定し受信を待っている。

時報に合わせて聞こえ始める「森のくまさん」。帰省した孫が、メロディーが始まるとディスプレーの動画をよちよちしながら覗き、園児になるとその時間前から電話機のところで待っていた。曲を変えると「森のくまさん」が良いと言っていた。その孫は今年中学2年。電話機は破砕ごみに変わるが、メロディーの思い出だけは、ここに書き残しておこう。

(写真:勤め終えた電話機、ご苦労様でした)
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風の音

2012年01月22日 | 自然 季節
           

北風が少し強く吹く日、川沿いの土手を歩いていると「ガラガラ」というような音が聞こえる。悪い癖で何の音、と見回すが目に付くものはない。よく見ると、川原の枯れススキが擦れ合って出している音とわかった。

枯れススキ、歌謡曲に歌われると物悲しいイメージに連なる。ぎこちないなく擦れ合うたびに聞こえてくる乾いた音にそれはなく哀れさを感じる。

風、その吹き方やそのときの音で風のイメージが変わる。どんな風の音を知っているだろう。ひゅーひゅーという冷たい風、ごうごうという怖い風、ビュービューというとても強い風などはあまり好まれないだろう。

そよそよというやわらかな春の風なら誰もが喜ぶ。大寒を過ぎてピューピューという強くて冷たい風はこれからやってくる。時には勢いよく人も吹き飛ばしそうな風もある。小説だとぶぉーっと表現してある。どの風も人力ではどうしようも出来ない自然のこと。

その昔は「子どもは風の子」と教わった。寒い風、ひゅーひゅー風の吹く冷たい風の中でも子どもうちだけの遊びがあり、外で活発に遊んだ。そういえば、流感で学級や学年閉鎖があっただろうか、思い出せない。子どもは風の子だったからだろう。

(写真:哀れさを感じた風に揺れるススキ)
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