日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

はなびら

2012年04月30日 | 自然 季節
           

東北地方は桜が満開でGWを利用しての観光客に期待をしているという。もうすぐ桜前線は北海道に上陸というお昼のニュースがあった。桜はひと月かけて本州を北上したことになる。雪解けで被害も出ている豪雪地帯、桜は皆さんの気持ちを癒してくれると思う。

桜がちらりほらと散り始めたころのこと。ひとひらひとひら、と散っている桜の花びらは風などに誘われ自然に散った花びら。ところが5枚の花びらが付け根から落ちているのは小鳥の悪戯、という内容のブログに出会い、桜の散り方に違いのあることをした。

それからは小鳥の落とした花を見つけようと、散歩のとき桜の木の下を注意しながら探したが、そう簡単には目に付かなかった。あきらめかけたころ、それらしき桜を見つけた。その日はカメラを持っていなかったので持ち帰った。

散り際という言葉がある。思いがけない散り方をした桜の気持ちは分からないが、花が終わるとすぐに次の花を咲かせる支度にとりかかる。今は柔らかそうな若葉が育っている。誰に教えられることもなく繰り返す自然に敬服する。比喩的に人の終わりにも使われる散りぎわ、さてどうなることだろう。
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GWはじまり

2012年04月29日 | 地域
           

長い人は9連休というGWがスタート。昨年の震災による自粛ムードは薄れ、多くの人々の移動が見込まれている。大きな被害を被った東北地方の桜は今が見ごろと、観光客誘致に努力されいる。訪れることが震災復興の一助に寄与するという。

ここ岩国では4月29日は「錦帯橋まつり」の日、今年は第35回という。毎年、行われる南条踊り、奴道中、大名行列、火縄銃演武など吉川藩時代の歴史を偲ばせる行事が1日続く。今日は吉川家第16代吉川重幹(しげもと)当主も特別参加されたという。家老に姿を変えた知人は「満更でもない」顔で練り歩いていた。大名行列には基地の街らしく、米兵やその家族らが昔ながらの姿で武士や腰元に変身して行列に華を添えている。

4月29日は昭和天皇誕生日として祝日だった。1901(明治34)年の4月29日、皇太子嘉仁親王(大正天皇)の第1王子として裕仁親王が誕生。1912(明治45)年、明治天皇の死去とともに皇太子となり、1926(大正15)年に第124代昭和天皇に。1989(昭和64)年に死去された。4月29日は、昭和時代には天皇誕生日、平成になって「みどりの日」、2007年から「昭和の日」と改められた。

GWになると賑わう反面、事故も多い。映像で知るしかないが、今朝早く、痛ましいバス事故が起きた。その原因はこれから究明されるだろうが人ごとではない。孫たちは帰省を終え帰って行った。無事帰宅、連絡あるまではやっぱり心配する。事故の起きないGWであってと願いたい。

(写真:奴道中の出番直前まで練習を繰り返す)
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個性ある急須

2012年04月28日 | 陶芸
           

ブログ訪問で「お茶しました」という情景によく出会う。読んでみると、自販機のペットボトルの茶で喉を潤すなんてものではない。添付の写真で見るとそれはそれは贅沢な中身と長時間過の会話が載っている。話の中味は、詮索しない方がいいだろう。

このお茶しませんか、男性サラリーマンが終業後の「ちょっと一杯どう」ということに似ているのかもしれない。現役時のこの一杯は社員用クラブをよく利用した。金額の手ごろさが何といっても気にいっていた。また他職場の人とのコミニケーションの場でもあった。

少し欠席が続いていた陶芸教室に出席した。指導員の何人かが交替で若い指導員さんの張り切っている姿が第一印象だった。その日のテーマは急須製作の2回目。初回が抜けた私は自由テーマ。テーマ製作メンバーの作品を見る。大小はあるがいい姿に出来上がっている。注ぎ口や取っ手の取り付け、蓋の製作などが進む。

次第に出来上がる。それぞれ個性ある急須に「安いお茶葉では使えない」ような立派な作品になっている。しばらくの間に腕の上がった仲間を思いながら、自作の皿を薄く薄く仕上げることに努力した1日だった。  
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はとぽっぽ

2012年04月27日 | 生活・ニュース
           

鳩、と言えば思い浮かぶのは童謡の鳩。 
♪ ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ、豆がほしいか、そらやるぞ みんなでなかよく食べに来い♪
次は伝書鳩。これは鳩が人のために働いている、役立っていることを教えてくれる。軍事用に使われたことはよく知られた事実。戦後には報道用にも活用された。記者は鳩を抱えて現場へ向かったという。山ぶかいとこらでも中継映像が届くこの頃、若い人には信じがたいかもしれない。

市立中学校へ入学したのは1953年春。校歌の最初に鳩が飛んでいた。「空に鳩の群れは静かにまわり 鮎は集い上るのぼる・・・」。最近の歌は全く頭に残らないが、何故か60年近く前の校歌は残っている。

二階の屋根に大きな鳩の巣箱が置かれている風景が見られなくなったのはいつ頃からだろう。飼われた鳩が群れをなして街並みの上空を高く低く旋回していた。のどかで平和な空だった様子を思い出す。

伝書鳩の大会へ出場する鳩を飼っていた知人がいた。ある時、列車事故で帰りが遅くなるので、その旨を鳩を使って家に知らせたと話してくれたことがあった。家庭用の電話は大きなお店にあるくらいのころ。

庭に来る鳩はペアだ。2羽だからそう決めている。役割が決まっている。1羽は必ず監視役となり残りの1羽がその間に餌をついばむ。飛び去る時は時間差なしの同時、まるで号砲が鳴らされたような見事さにいつも感心する。息が合っている、というのだろう。

庭に来る野鳥はかすかな物音だけでも瞬時に飛び立つ。だから、鳥たちはみんなそうだと思いこんでいたが違った場面に出くわした。横一列に並んだ3羽の鳩が、地面をつつきながら散歩している。なんと手の届くあたりまで近寄っても飛び立つどころか、我が姿に全く関心なし。無害な人間と認めているらしい。しゃがんで観察すると足輪が付いている。人に慣れているはずだ、こちらが退散をしたというお粗末でした。
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11件目の登録有形文化財

2012年04月26日 | しっちょる岩国
           

市内の国登録有形文化財は、岩国徴古館、錦雲閣、水西書院、旧岩国税務署、國安家住宅、旧吉川邸厩門、旧西岩国駅駅舎、宇野千代旧宅、岩国徴古館第一収蔵庫、岩国徴古館第二収蔵庫(市教委文化財保護課資料)の10件がある。このたび市内で11件目が誕生することになる。

国登録有形文化財(建造物)とは、平成8年10月1日に施行された文化財保護法改正によって、保存及び活用についての措置が必要とされる文化財建造物で「近年の国土開発や都市計画の進展、生活様式の変化等により、社会的評価を受けるまもなく消滅の危機に晒されている多種多様かつ大量の近代等の文化財建造物を後世に幅広く継承していくため」という(文化庁HP参照)。

「国土の歴史的景観に寄与している」「造形の規範となっている」「再現することが容易でない」などを国の文化審議会が答申する。4月20日の答申で市内にある「岩国錬武場」が含まれた。基準は歴史的景観に寄与となっている。6月ころには正式に決まるという。そこは自宅から徒歩2分、徒歩1分のとこには旧岩国税務署があり、文化財の地に住まいしていることが誇れる。

建物は陸軍元帥・長谷川好道の死去1924(大正13)年の翌年、岩国市に寄付されたその誕生地に、有志者によって記念道場として建てられたもので、1927(昭和2)年落成した。広さは約325平方メートルで、現在も剣士を目指す子どもたちの剣道場として使用されている。

木造平屋建寄棟造りに下屋(げや)を葺きおろし、正面に唐(から)破風(はふ)の玄関を設けている。外壁は杉板の下見(したみ)板張とし、回転式の天窓をもつ引き違い窓を開ける。正面基礎は人造石洗い出し、その他はセメントモルタルとするなど和洋折衷様式となっている。内部は主体部に演技場および正面の師範台を、右側の葺き卸し部分に観覧席と支度室を設けている(報道発表文)。

道場の中を見たことはないが、地域に根ざしたこの道場の前を通りかかると、気合いのこもった子どもらの声が聞こえ、元気を貰っている。
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おしゃれな食材づくり広がる

2012年04月25日 | エッセイサロン
           

2012年04月25日 朝日新聞「声」掲載

 健康づくりを兼ねて自家用菜園を楽しむ人が多い。定年後に借地して野菜づくりを趣味で始めた知人もいる。近所のホームセンターには緑濃い多種類の苗が並び、トマトなども数種類ある。プランターは斬新な色や形で種類も多い。これらを買う人たちの年齢は意外に幅広い。

 その光景に終戦後の思い出が脳裏をよぎる。郵便局職員だった父は毎夕、母と連れだって畑仕事に出かけた。食糧難の時代、サツマイモやジャガイモ、大根、自菜、豆類などをたくさん栽培し、5人の子どもの空腹を満たした。私たちもよく手伝い、何でも食べたものだった。

 「地産地消」が言われる昨今、家庭やプランターの菜園は安心安全、そしてちょっとおしゃれな食材作りの場が広がっている。大小の差こそあれ、今後は「自作自消」の方向に進むのだろうか。

 そんな思いを抱きながらピーマンとミニトマトの苗を購入し、早速植えた。種苗コーナーを訪れる人が途切れることはない。

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それでも後始末を

2012年04月24日 | 生活・ニュース
           

晩春から初夏へかけて味わえるタケノコ、その本格的な季節になった。食用になる竹は孟宗竹に淡竹などがこのあたりでは普通に見られる。雨後のタケノコという。物事が相継で出てくることのたとえだが、雨上がりの後は静かに土から顔を出す。

祖父から教わったタケノコの掘り方。のぞいた穂先をよく見ると少し傾いている。その傾いた側の土を掘り起こし、根の部分へ斜め下へ向けて鍬を打ちおろす。これで鍬傷つけることなく上手く掘れる。山が買収にあうまではこれで収穫をしていた。何年も実践から遠ざをかっているが、手ごたえだけは残っている。

タケノコは何度も盗られた。掘って路べりに置いていたのをそっくり持ち去られたこともある。声をかけてくれればいやな思いをしないで持ち帰れたのにと気の毒に思ったものだ。そんなタケノコ泥はいまもいる。竹藪の続く道沿いにその跡が幾つも残っていた。

タケノコを盗りました、と言わんばかりに穴をそのままにしている。山の持ち主なら、掘った跡の穴をきれいに埋めて来年へ備える。盗るという急ぎの仕業では穴をふさぐ余裕は無いのだろう。何としてもタケノコが欲しかった、でも盗ってはいけない。
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武家屋敷の中身は

2012年04月23日 | 地域
           

島根県との県境に野性味あふれるお店「山賊」がある。そこに武家屋敷風の建物が作られたことをブログで拝見していた。読んだ時、次に通る時に寄って見ると決めていた。先日知人とドライブした。知人はその建物を知らないという。ついては使途を明かさないで県境へ向かった。

忽然と姿を表す、という表現がある。その武家屋敷の存在を知らなければそんな感じがするだろう。門構えの見えるその建物へハンドルを切る。駐車場の「下馬」の大きな立て札が目を引く。下馬は「様々な状況下で敬意を表して馬から降りる」こととある。下馬する状況のひとつに貴人の門前がある。確かにそれを思わせる。

ひと抱えもありそうは門柱と高い天井を見上げながら内に入る。細長いその武家屋敷がなんと「厠」であることに驚いた知人は、笑えそうで笑えないような、不思議な顔で眺めていた。山賊の関連なので、外見は豪華な和食でも商うかのように思えた、という。

通られる機会があったらお立ち寄り見学して見られてはどうだろう。山賊とは、山中に根拠を構える盗賊(広辞苑)。近場に3軒の山賊があるが峠の頂きに近いところが共通している。店の名、山賊にちなんだ料理は試す価値あり。ちなみに20年ぶりに東京から来た元同僚は山賊への案内を申し出た。
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小梅も遅れた

2012年04月22日 | 生活・ニュース
           

この春はいろいろな花の開花が遅れた、そんなニュースや情報が多かった。例年より厳しくそして長引いた冬のせい、大方の思いだった。それでも入学式のころに桜は満開で、平凡だがこの地方では門出を祝ってくれた。桜が咲き始めると促されたように次々と開花がはじまる。

八重桜やシバサクラ、ツツジの開花情報が写真と合わせてブログを飾っている。徴古館庭園の膨らみはじめたボタンもアップされている。ここのボタンは例年GWころが見ごろ、ツツジと競いながら咲いてくれるだろう。

そんな世間に見習ったのか、数年前に知人から貰った小梅がやっと咲いた。寒さで枯れたのか、針ほどの細い枝の先を折ってみたら生きていた。日当たりのいいところに置き観察し続けた。その気持ちが通じたのか、しばらくして新緑の小さな芽が出たときはほっとした。米粒ほどのこれまた小さなつぼみはしだいに膨らみ、数日前から開きはじめ、今、数輪の小梅が咲いている。

淡いピンク色の花の大きさは1センチにも満たないが、10センチほどの手作りの鉢で春の日を浴びている。根もとの苔が厳しかった寒さを守ってくれたのだろう。その深緑の苔も瑞々しい色で小梅を見上げているようだ。小さな鉢に春はまだ続いている。
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横に並んだ鯉のぼり

2012年04月21日 | 地域
           

桜が終わり青空にたなびく鯉のぼりは晩春を彩る風景のひとつになっている。子どものころのそれは和紙で作られていて、風に吹かれるとガサガサ、という何か壊れるような音をたてていた。最近のそれは柔らかな布や不織府布などで作られ、色も鮮明で吹かれる姿は静かな舞いを見ているようだ。

鯉のぼり、と言えば口に出るのはあの歌しかない、いやそれしか知らな。

  ♪ やねよりたかい こいのぼり  おおきいまごいは おとおさん
     ちいさいひごいは こどもたち  おもしろそうに およいでる ♪

子どものころは長い竿に大きなまごいから順に下がって小さい鯉が一番下につけられる。歌の通り飾ってもらっていた。長い竿は立てられると高くなる。竿を立てるのは大変な作業だった、と見ていたころを思い出す。

この歌とは違う鯉のぼり風景が目につく。それは鯉のぼりを立てるのではなくて横一列に並べる。地域興しなどで川を横断する数多くの鯉のぼりは見かけていたが、個人の家でもあちらこちらで横並びを見かける。高かく泳ぐ鯉のぼりを降ろすのはかなりの力仕事になる。横並びなら縦に比べれば容易かもしれない。いろいろな事情があるのだろう。でも、飾ってもらえることは幸せだ。眺める者も元気をもらう。

飾りはどんなでも五月の空を泳ぐ鯉のぼりは力強くたくましい男子の印だ。
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