日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

明日から値上げ

2017年05月31日 | 生活・ニュース

 数日前、ビールの安売りと合わせポイント3倍デーの日のあるドラッグストアで見た光景。缶ビール350㏄24本詰めの箱を数箱購入している人を何組も見た。買い物車を押すのは主人だろうが、いやな顔は見かけなった。店内では店員がケースを積み上げている。売り上げは平日の幾倍にもなろう、感心しながら眺めた。

 町の酒屋さんを守る、そんなキャッチフレーズで酒税法が改定され、庶民の楽しみである量販店などの安売り競争に待ったがかかった。度を越えた安売りで一般の酒販売店の経営が圧迫されていという。量販店などで安価販売が可能なのは、メーカーから販売奨励金が支払われるからと報道される。今後は奨励金は廃止されるのだろうか。ということはメーカーの経費は削減となり価格に反映さるのだろうか、素人は単純に思う。

 ところで適正な価格はいくらなのだろう。我が家で飲むのは私一人、24本入りを一箱買えば3カ月あまり持つ。在庫減になるとチラシを見た家内の指示で購入するのはドラッグストアかスーパー。だから価格はほとんど記憶していない。メーカーは浮気することなく何十年も同一で、メーカー各社が競う新しい味に挑戦していない、進歩していないことになる。

 販売店は原価割れ、大安売りのビールを売れなくなる、かといって反則して販売免許をダメにするわけにはいかない。適正な価格で適正な利潤、その中でメーカーが競いあって欲しい。それにしてもビールの季節到来を前に値上げ、今夏のビールは一段と苦いことになる。そういえば投稿用のはがきも10円アップします。
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梅雨前の家事

2017年05月30日 | 自然 季節

 新築する前の家から数えると家庭庭師を半世紀近く続けている。初めのころは松が3本あった。近所にお住まいだった本職が庭師の方に手ほどきを受け、年に2回足場板に上がり一枝ごと丁寧に手入れした。師匠はふらりと観察に見え、素人なりに丁寧に手入れしている、との評を貰っていた。数年ご指導頂いたが永の別れになった。

 新築時に5本庭木を植えたが、手入れの大変さから松の木は除いた。1本は毛虫の猛攻撃に音を挙げ3年目に撤去、ほかの1本は枯れて自ら辞していった。残り3本、春になり暖かい日差しになると待っていたかのように小枝は伸び、葉も茂るなど日に日に様子が変わる。このままほっとくわけにもいかず、3本の散髪を毎年の恒例作業として梅雨入りまでに済ます。

 私ら夫婦も、初めのころはまだ若く元気でもあるし私が枝葉を切る、家内が落ちた枝葉を集める共同作業で1日で済ませていた。最近は切るも集めるも私の一人作業となり、最近は足掛け3日間くらいかかる。それでも脚立に上がっての作業は通りから見えるので「綺麗になります」と声をかけてもらえる。悪い気はしない。

 毎年、梅雨入りまでには済ませる予定で取り掛かる。暑さが梅雨を追い越して来たのではと思われる真夏のような青空の下で今年も作業を済ませた。日記には「剪定」とメモしているが「切った、切り落とした、摘んだ」が仕上がりの姿で庭木には申し訳なく思う。これで、梅雨はいつやってきてもいい、見上げる真っ青な空に飛行機雲が2筋、梅雨を迎えに行くのか西へ延びていく。
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虫、受難の季節に

2017年05月29日 | 自然 季節

 ドラッグストア正面の自動ドアが開くと目に飛び込んでくるのは虫除けコーナー。天井から実物の何万倍もありそうな大きな蚊や蠅が吊り下げられ見下ろしている。その怖そうな目つきを見ると商品棚につい手を伸ばしそうになる。そこが発売元や店の願うことで、コーナー設置の効果はありそう。TV-CMも殺虫効果を自慢しあっている。 

 殺虫剤のCM、その年に新しく企画され登場した作品に交じって、昨年いや一昨年前など以前のCMを継続ドラマ風にしてその効き目路をPRする。効能を控えめに他社製品との違いを出すには、商品名を視聴者の脳裏に留まらせておくことが大切だ。55年間続いたヤン坊マー坊は今でも思い出せる。

 子どものころほど回りの虫が気にならないというか、少なくなった気がする。家の内外を問わず防虫剤が普及し排水路整備など効果が出ているのかもしれない。蚊帳を張り渦巻き状の蚊取り線香を焚く、乾燥させたミカンの皮をいぶして庭の草むしりをしたなど、半世紀以上も昔の経験を思い出す。

 虫といって侮ってはいけない。数年前、共同農園で「マダニ」に出会った。5㍉ほどの大きさだったが、かまれると重篤にもなりかねない。雑草や雑木の中で行動するときはとにかく注意が必要という。蚊に刺された、毛虫にふれたことはあるが、マダニは最近になって知った。犬や猫にも寄生するという。山間部で半袖半ズボンなどで過ごすときは特にご注意を。
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生徒数が減少して

2017年05月28日 | 社会 政治

 若者の車離れが言われ始めて随分と時間が経過したが、この傾向は今も続いている。ディーラーの懇意な営業マンは苦笑しながら若者に勧めるより高齢者に的を絞ると話しながら、新型車のパンフを差し出す。年金生活の身では数年したら、はい新車、というわけにはいかない。次の買い替え予定は有るのか無いのか、その関門は免許更新時の痴呆検査突破が必須要件になる。

 市内には自動車学校が2校ある、といっても兄弟校。50年前に開校した弟校が閉校するらしい話は風の便りで聞いていたが事実となったようだ。生徒数の減少が原因らしいが、広い跡地はどうなるのだろう。3月になると新卒者の免許取得で賑わっているが一時的な現象かもしれない。関係者は若い人は自からというより、親に言われたり仕事で必要になり取る傾向という。

 生徒数は1966(昭和41)年がピークで減少一方という。そのピークの年に兄弟校の兄側で免許を取得した。入校待ちもあったようで学校も強気だった。指導員が「仕事の合間に来て免許を取るなんて甘いことを考えるな」と話す。仕事を止めては来れない、と返したのがいけなかった、それ以後、教えなくなり当然だが指導員は交替になった。

 少子高齢化が進む中で、若者は車離れ、高齢者は生活の足として車が必需だから高齢者の事故率が増加するのは当然だろう。しかし、当然で済ますわけにはいかない。高齢者対応についての自動車学校の新たな役目を生み出してほしい。
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野暮用も

2017年05月27日 | 生活・ニュース

 集まりに遅れたり催しに参加できなかったりするとき「野暮用で」と言い訳する。何が忙しいのか、と聞き返されたことはないが、なにかごそごそ動き回っている。翌朝、昨日は何をしたかいのう、と思い出そうとするもののすぐには出てこない。そろそろ物忘れの度合いが進んできた、いや痴呆の気が現れたのか、そんな連想が先に出る。

 野暮用をカッコよく言うと「取り立てて言うほどのものではない、つまらない用事。趣味や遊びに関わらない仕事のための用事」と載っている。だから印象に薄く思い出しにくいのかもしれない。しかし、つまらない用事は他人の視点から見ればそうだろうが、当人は、真面目にこそこそと体を動かしている。

 今朝6時、「パアン、パアン、パパーン、パン」と十数発の花火が近くの小学校から上がる。「運動会でーす」と校区内に報せるのは、子供ころから続くお知らせ。その小学校は60数年前に卒業した母校で自宅から数分のところ。7時過ぎから紅白の帽子に運動着姿の児童らの登校が始まる。あとで覗いてみようと思いながら、野暮用のせいで結局覗けなかった。

 「野暮用も重ねりゃ家内ビール出す」。外目には意味なく見える小さなことも、一家の主ならば黙々とこなす。日ごろ口うるさい家内も感謝し、ありがとうの気持ちをビールに託す。作者は知らないが、微妙な夫婦間を感じさせて好感する。野暮用に暮れ気づかなかったがサツキに仕事ぶりを見られていたようだ。
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咲いてくれ

2017年05月26日 | 自然 季節

 知人のブログにも「朝顔を植えました」という書き込みがちらほら載り始めた。そんな朝顔、奈良時代いや平安時代に渡来、と説はあるようだが、古くから存在する夏の花の一つだ。江戸時代になり売買されるようになり、一般庶民も栽培するようになったという。グリーンカーテンとしてヘチマやゴーヤと組み合わせて一挙両得を狙った植え付けもよく見かける。

 昨年採種した種から育てた苗がプランターで競うように背を伸ばし、早く植え替えと急き立てている。準備していたプランターもひと雨浴び程よい湿りになっている。植え替える時には必ず新しい土にすること、と注意書きにあるが気持ちだけ新しい花の土を加えるだけだが、それなりに咲いて楽しませてくている。よく育った苗を選んで例年どおり植えた。

 秋まで、日課として朝夕の水やりと適当な追肥を欠かさないように守ってやろう。今年はこぼれ種が大きな苗になった。これがどう咲くか楽しみだ。近所からのもらい苗も元気がいい。あとは咲いてくれるだけ、楽しみに待とう。

 朝顔は脇芽を増やして花数を増やすという。それを知らずに、ツルがあまり伸びすぎると処理に困るので、適当なところでツルの先を切切り取っていた。ずいぶん昔になるが、花を多く咲かせるにはそれが正解、と詳しい人から聞いて苗の数は少なめにしている。葉の形と色や種類の見分けはできないが、咲かせて楽しもう。
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結婚50年

2017年05月25日 | エッセイサロン
2017年5月25日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載

 私ら夫婦は先月、金婚式を迎えた。両親は達成できなかったと思うと、何かしら感慨がある。
 父は50代半ばで急逝した。病身の母とまだ高校生の妹を含むきょうだい4人が残された。
 弟は遠地で働いていた。
 私は長男。20代半ばで何の準備もないまま、家族という重荷を背負うことになった。三交替勤務の身だったので、思うように家事をこなせなかったが、妹2人と協力して母を助けた。
 父の死から3ヵ月が過ぎた頃、結婚の話が持ち込まれた。仲に立つ人は、わが家の状況について「先方に伝えてある」と言った。話はまとまり、母、妹たちと同居する形で結婚生活がスタートした。
 父の亡くなったショックもあり、母の病状ははたで見るより厳しく、手のかかる状態が続いた。妻は専業主婦として母の介護をしながら家事一切をこなした。
 食事療法で母の症状は次第によくなる。長男が園児の頃には怪獣ごっこを楽しみ、趣味で菜園も始めた。妻と多少のすれ違いは生じたが、いつの間にか「嫁にみとってもらう」というのが母の願いとなった。
 結婚・同居から20年がたったある日、母は救急搬送された。面会謝絶の中、妻に手を握られて逝った。
 今年、妻は母の享年に並んだ。年齢とともに変わる体調、特に足腰の変化が母に似てきている。
 一昨年は父の五十回忌、来年は母の三十三回忌。法事を続けられることが小さな幸せかと思う。
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川柳は意味深い

2017年05月24日 | 生活・ニュース
 
 
 第30回サラリーマン川柳(サラ川)のべスト10を新聞紙面で見る。今年のトップは「ゆとりでしょ?そう言うあなたはバブルでしょ?」。30代女性の作。若手とベテランの世代間の衝突をコミカルに表現し5822票集めたという。ゆとりとバブル世代の調整役たる上司の苦労をユーモアの中に感じさせる。君の名は、ゆとり、高齢などのはやり言葉も今を表す内容が多い。

 私の知人にも川柳を趣味とする人が複数あり、新聞紙面で拝見している。そんな一人から「川柳推敲にあたって留意すべき15のポイント」としたためた資料を貰っている。スキャンし画面でいつでも見れるよう保存している。内容は、川柳に限らずエッセイやブログを書く場合でも共通する項目が多くある。そんな知人の川柳作品が新聞1面下のコラムに名前入りで載っていた。

 それは、朝日の天声人語、毎日の余録にあたる中国新聞の「天風録」。年度代わりの風物でもある転勤を題材にしたコラム。ある食品大手の調査で、夫の3割は単身赴任がうれしいと喜んでいる、羽を伸ばせる暮らしにあこがれるのが理由という。そこで知人の一句「単身赴任妻のリモコンかいくぐる」という名句が登場した。、サラ川に応募していたら、と大変残念に思った。

 15のポイントの1は「句意を明確に」、2は「余分な言葉の省略」とある。何を言いたいのか書きたいのか、余計な修飾語を使わずにそれを表せたら、確かに簡潔で分かりやすい内容になるだろう。いつだったか川柳についてこんな話を聞いた。「17文字で表現されるが、時には1編の短編小説にも匹敵する内容をもつ」。今日の購読紙の一句「川柳も自由に詠めぬ日が来るか」。
コメント (4)
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金婚式 妻の支え感謝

2017年05月23日 | エッセイサロン
2017年05月23日 中国新聞「広場」掲載 

 先月、結婚50年の記念日を迎えた。京都に住む孫から届いた花を挟んで、ささやかな二人だけの祝宴をした。
 
 幾日か過ぎ、本棚の整理中、退職時の寄せ書きや手紙を読み直した。何人かが 「君が思いっ切り仕事ができたのは内助の功のおかげ」と書いている。

  「お父さんは仕事ばかりで遊んでくれない」と、息子が不満を妻にもらしたことを思い出す。

 父の急逝後に結婚し、病身の母と同居。母は妻の作る食事で回復し、息子とよく遊んでくれた。

 そんなこともあり、仕事に打ち込めたのだが、家族には「すまない」と心でわびていた。会社人間と専業主婦、それで通せた時代だった。

 母と20年ほど同居した妻は、母の享年に並んだ。年が並び、母と同じような体の動きになってきたという。 

 来年は母の三十三回忌。父の五十回忌は一昨年済ませた。両親が達成できなかった結婚50年。これからも充実した日々を楽しく積み重ねていこう。
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余り物に福がある

2017年05月22日 | 陶芸

 陶芸教室自由制作の日の私の制作風景は「今日は何を作る」と問われ「完成してみんことには」と、しばしば返事をしている。小鉢のつもりが皿になったり、コーヒーカップをと始めたが茶飲みカップに、ラーメン丼がごはん茶碗へと、指先が、意図しない形を作り出す。たまには面白い形になり、まあいいかと納得するなど無責任なこともある。

 1塊500㌘の粘土を使う。これを使い切って作品にすることはない。なめらかな仕上がり、形を整えて見かけ良くする、肉厚なので薄くするなど形になったものを美容整形のごとく削る。茶碗などの脚部を整える時には「ごっそり」削り落とす。すると1塊の使い残し、余りが出る。これで小物を制作するか次回つかうなど粘土を無駄にしない。

 そんな余り粘土で作った小さな花入れと皿が我が家で大事に使われている。恰好よく言えば即興的に作った作品、余ったからその場の成り行きで作ったもので、皿の大きさは10㌢ほどしかない。制作日は異なるが色合いが偶然同系色で組み合わせが可能になった。押入れに仕舞いこまれずに日の目に触れている。小品も喜んでいるだろう。

 「残り物や余り物に福がある」、「人が取り残したものや余ったようなものに思いがけない幸福や利益が潜んでいる。人と争わない遠慮深い人に、思いがけない福が訪れる」ということ。1度だけあみだ籤でことわざ通りの経験をした。先を争うことを戒める時にも用いるという。とは言っても遅れて皆さんに迷惑をかけないよう歩んでいこう。
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