日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

もうじき秋に

2017年08月31日 | 自然 季節

 朝夕は少ししのぎやすくなったようだが日中は夏日を超える温度と紫外線について気象情報は注意を呼びかけている。秋へ進もうかもう少し夏を楽しもうか、気象もそんな戸惑いの時期かもしれない。それでも狭庭の花への水やりはひところに比べ楽になったしその水量も減った。季節は移りつつあると実感する。

 朝顔の葉色は真緑から少し黄色味を帯びた色になり、向こうが見えないほど茂っていたのに見通せるようになり風通しも良くなった。毎朝、花の数を気にしながら黄色になった葉を何枚も取り除く。全く開花しなかった朝、そろそろ撤去するかと話した。この話が聞こえたかのように翌朝は見事に花を並べてくれた。梅雨前から咲き続け長時間労働に疲れ休憩したのだろう。

 咲いた花の数は幾つだろう。数えていないから分かたないが、最盛期のある朝その数に驚き数えたがそれは60個で打ち切った。一番咲は6月中旬に白が1輪、それから2ヵ月半も楽しませてくれたことになる。花の総数は数千個かと確かな根拠はないが指折ってみる。

 8月も今日で終わる。夏を代表する花の一つ朝顔、我家のそれは今朝の咲き具合からすると長くてあと数日くらいで終わりになりそうだ。カーテンを開ける楽しみは遠のくが、再開のための採種は約束しておこう。
 
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若いんじゃけえ

2017年08月30日 | 生活・ニュース

 八十路半ばの男性と立ち話。朝夕は多少しのぎよくなったが、猛暑の夏だったとことから話が始まる。歳を取ると暑さも寒さも身に染みる。熱中症に罹らんように気をつけた。子どもらからもうるさいほど言われた。話は弱気だったり強気だったり、気の向くままの話題が次々と出る。別れ際「あんたはまだ若い、頑張れよ」と激励される。

 八十路半ばの女性と立ち話。その内容は男性とそう変わりない。盆に帰省したひ孫の話が長引くが嬉しそうな笑顔に免じて聞く。この人は、たまに載る私の投稿を読んでくれるひとりで、出会うと感想を聞かせてもらえる有難い人で無下にはできないよく知っている人。別れ際「若いんじゃけえ頑張りんさい」と励まされる。

 私の年齢は県の平均寿命までには2年弱あるが健康寿命は6歳近く超えている。八十路半ばの二人に比べれば確かにまだ若い。が両手の指数よりは少ない年の差だが追っかけても追いつけはしない。たまに出会うこうした先輩から気軽に話しかけてもらえる、地域の絆や繋がりが薄いといわれるこのごろを思えば喜ばないといけない。

 60歳の定年退職から間もなく17年が過ぎるところに来ており、自分ではそれなりに年を重ねたと思っている。思っているが「まだ若い」と言われのは年の差だけでなく力不足があるのだろう。少し背筋を伸ばしてみる。格別のものは見えないが、これまで人に大きな迷惑をかけないでこれたことは喜んでいる。これからも続けられるように努めよう。
 
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国民保護に関する情報

2017年08月29日 | 社会 政治

 「いつかは分からないがいつかは起きる」、基地のある街に住むとそんな予兆はぬぐえ切れないでいる。午前6時直後のTV画面が一転した。初めて目にする「国民保護に関する情報」は黒の地紋に白抜きで、対象地域の道県名と「頑丈な建物や地下に避難してください」の文字が映る。まだ就寝中の人もあるだろうがスマホや携帯から緊急情報を得た人も多かろう。日本の上空を通過した北朝鮮のミサイル、直接の国内被害は発生しなくて良かった。

 ミサイル発射の目的は威嚇か挑発か実験か、その性能などは報道機関独自の情報解析を含めて刻々流される。被弾していないので安心して情報を見ることはできるが、万一狙われた地域となった時に、Jアラートの情報を知って避難できる余裕があるだろうか、ミサイルの襟裳岬上空通過は発射から10分も経っていないという。

 こうしたミサイルを撃ち落とす一つにパックスリー(PAC3)が空自にある。偶然ではあるが今日その配備訓練が米軍基地で行われた。何か基地を守るための空自と思われても仕方ないのではなかろう。

 ミサイルが飛び交う世界を希求する者があろうか。確かに思想信条、あるいは宗教の違いなどから地域を含めていくつもの争いがあり、そこでは多くの人命が失われると報道される。弾頭を装着し誘導装置を持つ軍用の飛翔体をミサイルという。これを作ったのは人、故に、これらを鎮めれるのはやはり人でしかない、世界の指導者にこう願いたい。
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また戻って来い

2017年08月28日 | 自然 季節

 夕暮れに「カナカナ」の鳴き声が聞こえ始めると秋近し、子どものころから思い込んでいる季節の変わり目を知る一つ。カナカナはヒグラシセミのことだが鳴き声からそう呼ぶ。長い夏休みが終わり近くなると忙しそうな鳴き声も寂しそうに感じるそうだが、残っている宿題への気がかりからそう感じるのかもしれない。

 我家の庭で経験した今夏のセミ。燐家の大木からの鳴き声とそこから飛び立つ姿を見ることは例年通り経験した。我が家のこじんまりした数本で見かけたのはほんの2、3度、小木過ぎて葉陰が少なく猛暑から身を隠すに適さなかったとしておこう。それとは別の経験、何れもアブラゼミだがこれまでにない数を庭石の傍に埋めた。

 異常な姿を見たのは暑い日差しで熱くなった車庫のコンクリート床。腹を上にしているもの、いかにも止まっているようなもの、触るまで絶えているとは思えない姿に見える。ここで絶えなくてもと思いながら、発見が早かったから助かったのかも、と思うがすでに遅い。中には羽のちぎれた姿もある。毎年のことだが今年のその数が多い。

 原因はセミが生きにくい環境に変わったのだろうか。それは異常気象のせいだろうか、周辺に新築が増えたせいだろうか、昆虫採種の子どもらが増えたせいだろうかなど愚につかぬことを思いつく。これが今夏最後であってほしい、羽のちぎれた大型の1匹に7年先の生まれ変わりを願いながら仲間のいる庭石の傍に埋めた。
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もう消えないでしょう

2017年08月27日 | 生活・ニュース

 「ドカベン」第31巻/完(完結)。平成8年8月10日、これはその初版発行日。著者:水島新司はこんな「あとがき」を書いている。野球漫画の分野で捕手を主人公とすることはタブーとされていた。地味なポジション、マスクで顔を隠し打者と審判に囲まれファンに背中を向けている。ところが、この捕手がしっかりしていないチームは強くなれないという要であり、「女房役」といわれるゆえんである。

 どの野球漫画も捕手は投手の名コンビであり脇役で描かれている。野球を知れば知るほど捕手のポジションのなんと面白いことか。野球漫画一途の俺が描かずして誰が描くと勢い込んだ。発行元秋田書店の、四角い顔のデブ体形、一番大事な目に眼がない、連載はできないといわれた。そこから岩鬼が生まれ山田が作品の脇役となった、とあとがきは続く。

 漫画を読まない我が家に「ドカベン」31巻が揃っている。購入したのは息子、帰省のたびに持ちかって並べた。子どもながらも熱心な巨人フアンの一人として応援していたが江川ドラフト問題以降はサッカーへ移った。購入の動機は知らないが、帰省したときも読んでいる。折角そろっているから「読んでみようか」と思い始めた。そう思わせたのは、今年の夏の甲子園準Vを果たした広陵高校中村捕手の活躍による。

 ドカベン第1巻の解説を野球解説者:香川伸行が書いている。ドカベンと呼ばれたのは浪商1年の夏という。イチロウやパンチという愛称で選手登録が可能だったら「ドカベン」とユニホームに入れていたでしょうと結んでいる。昨夜、広島カープM20が再々点灯、もう消えなることはないでしょう、このまま「0」まで進んで欲しい。
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蟻のいましめ

2017年08月26日 | 生活・ニュース

 人が利益のある方に赴くことを「蟻の甘きにつくが如し」という。しかし、堅固な堤防も蟻のあけた小さな穴がもとで崩れるように、ごく小さな油断や手抜かりが取り返しのつかない大事を引き起こすことを「蟻の穴から堤の崩れる」という。すると蟻の思いも望みも叶わくなり、蟻の熊野参りもなくなる。勤勉な蟻には申し訳ないが、情けないかな政治の世界でよく見かけるお付き合いをいい表している。

 政治番組では「いっきょうたじゃく」と言葉にする。これを漢字に直すと「一強多弱」でも「一強他弱」どちらにも表せられる。解釈はどうするか、自民党だけが強く民進党を含むほかの党が弱いが一般な捉え方だろう。しかし、一強多弱とは「弱い者の中に強い者が一人いる」ともとれる。言い換えれば「一人だけ強いのでそれ以外は意見がいえない」となる。多弱も他弱も持っている辞書には載っていない。

 こうなった一つの原因として小選挙区制に問題ありと専門家はいう。政権交替も可能のうたい文句で採用された制度だが、今の現状を予測する専門家はいなかったのか、ふと思う。一人だけ強くて他は物言えぬではこれも困ったもので制度を変えるしかないのかと聞きたい。一人だけ強いでは独裁になることを心配したくなる。

 10月22日が衆院選挙かも、という政治プロの予想も文字や政治番組で出ている。その日は、衆院補選の予定日、政治の世界は一寸先は闇というほどの不透明な世界だけに素人には何となくきな臭いものを感じる。力は弱いが真面目に一心不乱に働き幸せを願えば望みが達せられる、それを「蟻の思い天に届く」という。政治はこうあって欲しい。
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石を並べたよう

2017年08月25日 | 自然 季節

 2日続けて男ばかりの集い。一日目は一杯やりながらあれやこれやと話す。全員が後期高齢者、暑かった今夏もこのところ朝夕は少し暑さが和らいだ。当地は大雨豪雨に見舞われ無かったことに感謝しながら、各被災地への思いも話す。この間にも、幹事役はメニューを繰りながら注文を出す。配膳の人は私より年配婦人だが元気で「みんな残さずに食べんさいよ」と笑う。

 20年以上続く年に2、3回くらいの懇親会、場所はここ10年くらい同じ店、店主も要領を得ている。一通り話し終わると、歳とは思いたくないが、自然と通院や薬、あそこが痛いなど遠慮なしに出る。思いもしない妙薬の話を教わるも入手したいとは思わない珍品。しっかり飲んで食べてしゃべって、さっと終わる。若いころには考えられなかった潔い終わりも年を重ねたたまものか。

 二日目は緊急の打ち合わせとして招集がかかった。要件は確認だけでさっと終わり、招集者が体調不良で話はそちらに移る。日ごろ元気な人だけに少々気になるが、今の治療を続けるしかない、と当人はいう。気候も良くなるので期待しよう。

 日中は暑い。しかし、見上げた空は澄んだ青さ、石を並べたような白い雲が漂い何となく秋をおもわせる。石を並べたような、という表現は気象予報士、旨い言い方だと思いお借りした。上空の白い石雲はやわらかく見ている間に形が変わる。地蔵さんならいざ知らず、高齢者が柔軟さを失い硬くなった頭を並べても振り返ってはもらえない。いやいや、それでもこれまで通り真摯に歩こう。
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思い出の梓川に

2017年08月24日 | 生活・ニュース

 「1年遅れだが喜寿の祝いをしよう」という呼びかけに「待っていた」と返事をくれたなかに関西在住の一人がいた。久しぶりのことで、事前に参加者の名前を確認するなど楽しみにしている様子がよく分かっていた。しかし、病状の悪化で移動困難となり、「参加できない状況と残念さ」を長い時間電話で語った。

 参加者全員が色紙に寄せ書きをした。元気づける色紙と当日の写真、少しばかりの岩国外郎を送った。「いろいろ届いた、有り難う、外郎をおいしくいただいた」と電話を掛けてきた。その声に弱さを感じたが、胸にしまっておいた。

 それからひと月、携帯に複数回電話したが留守電、これまではすぐに返信があった。固定電話に掛けた。「会へ参加できなくて非常に残念がっていましたが先日亡くなりました。色紙を大変喜んでおりました」と奥さんの声。葬儀などは本人の遺志に沿って執り済ませたなど伺った。上高地の梓川へ散骨希望だがそれはこれから、上高地は新婚旅行の地ですと声が潤む。

 彼は出向先のマレーシア工場の工場長を長く務めた。出張で訪問したことがある。従業員の国籍は3ヵ国、宗教も異なり工場内に礼拝所がある。業務会話は英語、トラブルもなく定年後もしばらく務めた。現地正月の絵葉書を毎年送ってくれたのが今は思い出。
冥福を祈る。
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月1度の農作業

2017年08月23日 | 生活・ニュース

 夜来の雨の何滴かが上手くまとまり絶妙な位置で里芋の葉に大きな水滴となって乗っている。風が吹けば葉が揺れる、揺れれば水滴は落下しそうなものだが上手くバランスを保っている。そのバランス、人の業で無いところにひきつけられて撮らせる。農園作業の始まる前に被写体を探して見つけたもの。

  農園作業は月1度、四季を通して午前中3時間、休憩やお茶(実は早めの昼食)を除けが実労はわずかな時間、それでも日ごろ動かさない筋肉を歳見合いに動させばいい健康法になる。

 異常気候の夏だったが、日陰に入るとひんやりと感じさせる空気に猛暑は峠を越えたかのように感じる。目の前を群れて飛ぶ赤いトンボの動きも夏の終わりを報せてくれるようだ。しかし、雑草の伸びは真夏の勢いを失っていない。草刈り機の音は暑い暑いと叫んでいる。

 雑草に負けないものがある。サツマイモのツルはしっかり伸びて茂っている。そこには雑草が生えていない。もう一つは落花生、一粒万倍という生育の仕方は雑草をよせつけないで夏日を楽しんでいる。次回作業は植え付けも多いという、ということは、先々で収穫が楽しみということになる。さて日差しはどのくらいやわらいでいるだろう。
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献血

2017年08月22日 | 回想

 夏場は輸血用血液が不足と聞く。暑さがその原因の一つだろうといわれる。そういえば献血の前日は日ごろ以上に節制を心掛けた一日を過ごしたように思う。採血バスの巡回先は公報や新聞で知る。よく買い物に行くスーパー横には月2回くらい来ているのではなかろうか。たまに「お願いします」とポケットティッシュをのぞけられるが「年齢が」とお断りしている。

 献血は現役のころ始めたが、いつからだったか思い出せない。赤い表紙の献血実績を記した記録簿を3から4冊くらい持っていたからかそれなりの回数をこなしたと思う。日赤社員章や大きく献血と書いた盾などを貰った記憶がある。献血で健康チェックが受けられる、それも回を重ねた理由かもしれない。採血は工場にやってくる献血バスの中だった。

 幸いなことに、輸血を受けたことは無いが受けた人の喜びの気持ちに驚いたことがある。「預血の時代」だから遠い昔の話。使わくて持っていた預血カードを知り合いの子どもさんの手術に使ってもらった。快復し退院の日、深々と頭を下げて「助かりました」と礼を言われた。その礼に驚きながら話を聞くと、預血者を探すのに大変な苦労があったという。

 献血の量は1回200mLしか経験ないが、今は400mLや成分献血など多様化しているそうだ。自分の献血血液がどのように使われた分からないが、若く元気なころの社会貢献の一つだった、そう思うと何か心地よく思いながら、若者へ献血参加を呼びかけたい気持ちになる。

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