日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

誘蛾灯

2008年09月30日 | 生活・ニュース
               

子どものころには誘蛾灯があちこちに立ち、青白い光に虫が群がる。あくる日の朝、灯りの下に置かれたバケツに浮ぶ虫の死骸を目にした。「こうせんと米が獲れんようになる」と農家の人から聞かされた。

今その場所は広い道が通り続いて商業地帯に変わった。ローカル線の小さな無人駅がそのころを懐かしんでいる。

先日訪れたリンゴ園で懐かしい誘蛾灯に出合った。「今年は虫が多く特にホウ(カメムシ)が多い。防虫のため何年ぶりかに使っている」そう言いながら見せられたバケツの中は昔見たと同じ情景だった。

バケツの中のホウ虫を見て、ある方のエッセイの1部を思い出し、ホウ虫の多い年なのだと思った。
近所の方にトマトを頂いた。小ぶりのトマト。1、2ヵ所白い部分がある。「今年はホウが多くて不作よ」と話される。ホウ虫に吸われた跡らしい。

猛烈な悪臭を出すこの虫を好む人は少なかろう。生きるために植物の汁を吸う。農作物には有害な虫となる。とはいえ、バケツに浮ぶ姿は少々気の毒でもある。

この写真は映画の1場面ではありません。何の加工もしておりません。撮るときには思わなかったが、パソコンに取り込んでその姿を見たとき、SF映画を思わせる画面に自身が驚いた。

写真は、誘蛾灯の上に張られた防虫用の糸に掛かった名前は知らないが「蛾」の1種と思う。誘「蛾」灯へたどり着く前に捕らえられた姿は少し残酷にも見える。

蛾の形態は蝶に似ているがこれも人に好かることは少ないだろう。怪物の襲来に見えるが、リンゴに近づく同類に注意を促している様にも見える。

(写真:宙ずりになっている蛾)
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彼岸花のころ

2008年09月29日 | エッセイサロン
                

彼岸花には大きな思い出がある。

2年前エッセイサロンに入会させてもらった。初めての例会で「新聞に投稿し掲載されることがレベルアップの物差しになる」ことを教わった。投稿先とその方法はメモにした。

初投稿は退職してからも思い出していたこと、この思いは何かに残しておきたいと考えていたことを題材にした。それは在職中の気の重くなる仕事「採用試験結果の不採用通知書を学校へ持参する仕事」のことだった。

不採用の生徒へのすまないという気持ちと、よりいいチャンスが与えられるように願いながら校門をくぐったことを投稿した。それは「退職してから、彼岸花を見ると思い出す」という書き出しだった。

初投稿ゆえ期待もせずに過ごしていた。エッセイサロンの代表者から「掲載おめでとう」の電話を受けたときは、歳を忘れて嬉しく思った。2年前の今日のことになる。

初投稿が採用されてからはそれまでの思いが少し軽くなった気する。そして、スタートを祝ってくれた花として「彼岸花」は新しい形で私の中で生まれ変り咲き続けている。毒花ともいわれるがそれはそれでいいとしよう。

(写真:受験生の熱い心が伝わるような彼岸花)
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取 材

2008年09月28日 | 生活・ニュース
                

帰宅したら「中国新聞さんから電話があった」と妻。通話記録は中国新聞防長本社の番号、思い当たることはない。夕方2度目の電話が掛かった。

私を取材したいという。続けて、今年の4月、同紙の「広場」に投稿し掲載された「石化産業飛躍に期待」が元で取材対象のひとりに選んだという。

取材は企画記事で、内容は岩国地区の「企業と地域の交流の歴史をひもとき、コンビナートの街の今と将来像を見る」(紙面より)というもので、OBとしての話を聞きたいという。

何せ初めとのこと。投稿した時の資料や、現役のころのことを思い出してみるが何の形ちにもならない。約束の時間、大きなカメラと取材袋を持って若く感じのいい防長本社の記者が見えた。

再就職に使う職務経歴のような私の携わった仕事の取材から始まる。続けて仕事に関する質問、企画記事に沿った質問、OBとしての会社への思いなど1時間40分ほどの取材だった。

取材を終えて、昨年「広場」に掲載された孫の新聞について話し出され、ファイルを見てもらい、作る楽しみなどを聞いてもらった。

それから2週間、取材を受けた記事が掲載された。何かの思い出になるかもしれない、そう思い切り抜いた。

(写真:取材を受けた企画記事の切り抜き)
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絵付けリンゴ

2008年09月27日 | 生活・ニュース
                

 ♪赤いリンゴに唇よせて だまってみている青い空
  リンゴはなんにもいわないけれど  リンゴの気持はよくわかる  リンゴ可愛や可愛やリンゴ
  (サトウハチロー:詞、万城目 正:曲  並木路子:歌)

この歌は昭和20年10月、戦後映画の第1作「そよかぜ」(松竹)の主題歌であった。映画の内容は、楽番屋の母親の手伝いをする少女(並木路子)が周囲に助けられ歌手になるというスター物語、映画はヒットしなかったが歌は大ヒットしたという。

ヒットの理由は歌詞とネアカのメロディーが、虚脱状態の日本人の気持ちを捉えたと解説されている。当時の闇市でのリンゴは1個5円、サラリーマンの月給が200円の時代、「リンゴ高いや 高いやリンゴ」の替え歌も登場したとか。

同じ形や色をしているリンゴの種類はとらえ方で幾種類にもなる。40とも200とも小さくすればもっとあるかも、あるリンゴ園の園主さん。よく見ると違いがわかるそうだが、素人には見分けできない。

1本の木でどの位収穫できるかの質問に、そばの樹齢40年のリンゴの木を指差し、いま千百個の実がついているとさらりと話された。袋掛けは慣れた人でも1日掛かるそうだ。剪定・摘花・消毒など時間をかけた結果が実っている。

そんなリンゴ園で1個、フィルムに書いた亀の絵が貼り付けられていた。収穫のころになると、日光を遮った黒い線の部分は薄い黄色に絵付けされるという。誰の手に渡るのだろう。

試食しながら園内を回るが、味が区別できるのはひと口大に切った2、3種類まで、後は酸味くらいはわかるが微妙な味は園主の説明を聞くだけ。リンゴダイエットの話を思い出し、帰りは両手に提げたリンゴが重かった。

(写真:やがてリンゴに可愛い亀の絵が)
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自然のものが1番

2008年09月26日 | 自然 季節
               

国道187号線を日原から六日市に向かって走っている。柿木の道の駅を過ぎたころ「あそこの看板を左に入る」、同乗の指差すところを脇道に入る。すぐに小さな駐車場には似合わない大きな「間歇泉」の看板が見える。

間歇泉といえば別府の「竜巻地獄」の豪華さは2度見ているが他には知らない。通りなれた国道のすぐ側にあろうとは驚きだった。

25分間隔で約5分間噴出、噴出は炭酸ガスの圧力によるもので、全国の数少ない間歇泉の中でも極めて珍しい。噴き出た泉水は無色透明だが、鉄分が多いため空気に触れ茶褐色に変わると紹介されている。

待つこと20分。ぶくぶくと泡が吹き始める。やがて静かにせり上り、次第に勢いを増し2㍍位まで真白な泡を吹き上る。それは氷の彫り物作りを見るようで美しい芸術作品に思える。竜巻地獄のような豪華さや勢いは見せない。

鉱泉といえば入浴、説明の気に入った部分を抜書きしてみる。

今日の医学技術の進歩は目を見張る。しかし現代医学をしても解明されない部分も多い。自然のものが1番体に良いというのは疑いない。当館のお湯を使われ健康増進にお役立てください。

掲示版の「付近の高台に幾層にも積み重なった茶褐色の湯の華は、古くから湧き出る鉱泉の永い歴史を物語っています」という薄くなりかけた文字が、ここを守ってきた来た人たちの永さを偲ばせる。

「間歇」か「間欠」かが車中の話題になったが広辞苑では「間歇泉」と説明されている。

(写真:2㍍ほどに吹き上がった間歇泉)
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傾ける

2008年09月25日 | エッセイサロン
               

 パソコンの講座中、ひとりの受講者の体が大きく傾いた。
 「どうしました」。あわてて駆け寄る。直前に取り込んだ画面上の写真を指さし「これを傾けようと思って、マウスを回したら体だけ傾いた」という話に、教室は大笑いだが安堵した。

 笑いを引き取りながら、画像を傾ける操作を丁寧に説明する。受講者はマウスを動かす。少しして「な~んだ簡単じゃ」。うれしそうな大声で、何もなかったかのような感想。再び大笑い。

 初めてパソコンを習う人のユーモアに、次は何を知りたいのか、教え方のヒントを学ぶことも多い。

  (2008.09.25 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

(写真:傾けた紙面)
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離島甲子園に心からエール

2008年09月24日 | エッセイサロン
                

 プロ野球ロッテの元投手・村田兆治さん(58)の「離島甲子園」を月刊「文藝春秋」(10月号)で読んだ。今年7月末、東京・伊豆大島で「第1回全国離島交流中学生野球大会」が開かれたことや、そこに至った背景、少年たちへの思いを温かく伝える内容だった。離島の皆さんを含む多くの方の協力があったこともうかがえる。

 村田さんはマウンドを去った翌年の1991年9月、新潟市の北63㌔の日本海に浮かぶ小さな島を訪問。全校児童15人の小学校で講演やマサカリ投法の披露などをした。

 このとき、9人に分かれて2チーム作れない、そこでは満足な試合もできない、ということに気付かれ、離島に思いを持ち始められた。

 村田さんはこれまでに全国50を超える離島を訪れて、手抜きしない野球教室を開かれたという。

 実際、真摯な指導が実を結び、子供たちは、、額に汗をすれば、心と体が自らの力になることを学んでいった。こうした離島の子供同士が集まって交流する場を作りたいという、村田さんの思いが「離島甲子園」実現に至ったという。

 この活動が、島に住む子供たちの連帯感や活力の醸成に連なって欲しい。そして、いつか本物の阪神甲子園球場で試合が実現できるよう期待し、心からエールを送る。

  (2008.09.24 朝日新聞「声」掲載)

(写真:掲載の様子)
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山合の講座から

2008年09月23日 | パソコン講座
               

降雪の時期は避けましょう、そんな約束で始まった山合の小さなパソコン講座が約束の1年を終えた。

受講者は午前・午後とも各5名。その皆さんは地域活動の世話役、家業の担い手、そして主婦でもあるという多忙な方ばかり、受講の時間など見出せなるのかと思ったがいらぬ心配だった。

受講者は習いたい希望を出す、講師はその希望に合った教材を自作し、個人指導で進めることを最初に申し合わせスタートした。

まず、マウスの握り方の練習から始まった。やがて文字入力をこなし、イラストや写真を取り込んだ作品作りへと進む。進むにつれて受講者のパソコンに対する自信が教える側に伝り、教材作りにも力が入る。

山合の集落にパソコンを習いたい人は多い。しかし、市街地の講座へ通うには交通手段と料金、往復の時間など制約も多い。

この緩和のため、所属する会は私ら2人を講師として派遣した。車で片道1時間、教材と弁当を持って1週間おきに通った。意欲はあっても習う機会のなかった皆さんから歓迎された。

1年間通った錦川沿いの四季の移ろいを思い出しながら、公的支援で意欲ある皆さんの学習の場が設けられることを願いながら、受講された皆さんのこれからの研鑽を祈っている。

(写真:受講者の高まる習熟度にあわせ熟れる柿)
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稲妻と稲光

2008年09月22日 | 自然 季節
               

ある日の午後「光る・鳴る・降る」と3拍子揃った来客があり、山間部では100㍉を超える雨量が記録された。水量が極端に減った河川は潤いだが、刈取りを終えていない稲への影響はどんなだろう。

落雷による被害を恐れパソコンの電源を切り、コンセントの差込も抜いた。することもなく本を読んでいたら「稲妻と稲光」はどう違うかの会話を思い出し、辞書を出した。

稲光は稲妻に同じ。稲光は多くの場合雷雨に伴って見られる空中放電の光。稲妻は古代農民の間では稲光によって穂が孕むものと信じられていたところから、稲光の意の雅語的表現。

稲妻も稲光も「雲の中、雲と雲、雲と大地のあいだのに起きる放電にともなう電光、多くは屈折して見える」と科学的な説明もある。なるほどと思わせる説明がない。季語集で稲妻は「空中の放電現象で雷鳴と雨をともなわない」とし秋の季語とされている。

こんなもやもやの解けぬうちに薄日がさしはじめ、運行を見合わせていたローカル列車が動き出した。

朝露を受けて咲き始め、午後になるとしぼんでいくという雑草のようにも見える露草、稲妻と雷鳴と降雨の日はどうして過ごしたのだろう。

(写真:路傍の雑草の中で鮮やかな色を誇る露草)
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折込広告と曜日

2008年09月21日 | 生活・ニュース
                 

パソコン講座でカレンダー作りのサポートをした。飾りにお気に入りの写真を配し、祝日の挿入、簡単なメモが記入できる日付の配置など、皆さんお気に入りの作品が完成し満足そうだった。

日曜欄は赤字、土曜欄は青字への変更は迷うことなく選色する。土・日の赤と青は浸みこんでいる。不思議に思わない。慣れとは怖いものだ。この色にはお国の歴史や事情があって面白い、とかって博識の知人に聞いたが思い出せない。

曜日の違いでつまらないことだが比較してみた。
朝ウオークを終え新聞受けから新聞を取り出すのがその日の仕事始め。たまたま今は2紙購読している。重いとなんだか得をしたように感じるのは貧乏性だろうか。そして土曜日が1番重いと感じている。

ある日、その重さを量ってみた。土曜日865グラム日曜日480グラムと大きな違いがある。その差は折込広告の量の違いによる。統計によると織り込み広告の量は土曜と金曜が他の日を圧するという。

ある新聞販売店主の「電気、衣料、食品、遊戯、車、金融、不動産、建築などなど業種により折込の曜日に特徴がある」と分析している。長年の経験が広告効果のある曜日を決めたらしい。そういえば市内の遊技場広告はいつも同じ日にどっさりと入る。

我家でチラシを丁寧に見て読むのは2パターン。ひとつは買うことは決まっていて「品定め」のとき。もうひとつは「これがほしいな~」と思うとき。あとの方が圧倒的に多い。

活用法は特にないが幾枚かは手作りの「エコ袋」へ変身、残りは月に1度の資源回収日に新聞と一緒に持ち出している。

景気の動向と折込広告量は相関するのだろうか。経済は自民の総裁選に期待できるのだろうか。

(写真:ある土曜日の新聞2紙の計量))
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