日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ご退位の日

2019年04月30日 | 生活・ニュース

 10連休4日目。元号の平成最後の日となった。昭和と平成のという二つの時代の終わりを経験することになる。昭和天皇崩御の日、いつかはその日を思わせる病状が続いていたが、崩御の速報は午前6時過ぎだった。その日はそれを悲しむかのような静かな雨の一日だったことをよく記憶している。平成の終わる日の明け方も静かな雨が降っていた。

 陛下をお迎えしたことが1度ある。昭和天皇が戦後の復興を願い全国を巡幸されたときになる。記録によると山口県を巡幸されたのは1947(昭和22)年の12月初めとある。小学校1年の時、学校からすぐ近くの道路に並んでまち、お車の通過するとき礼をした記憶が何となく残っている。だから車はもちろん通過の様子も見てはいない。

 1963(昭和38)年の山口国体に当時の皇太子殿下と美智子妃殿下が来岩された。両殿下が岩国駅から出発されるときだった。その時は、交替勤務の早番で退勤するときだったが交通規制でやむなく見送りの輪に加わった。ロータリーの端からで定かな姿は覚えていないが、見送りした。

 退位表明のビデをメッセージ、象徴天皇としての在り方を分かりやすい言葉で語られた。あの日から今日の来ることは分かっていた。「天皇は日本国の象徴及び国民統合の象徴であり、国政に関する権能を有しない」と習った。その姿を報道のナレーションでは模索されたと伝える。陛下は退位礼正殿の儀で「新しい令和の時代が実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安穏と幸せを祈ります」と結ばれた。平和希求への強いお気持ちを感じるこれまでの数々の言葉を心に刻み込みながら、ご退位の後はゆったりと過ごされることを願った。
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雨で中止に

2019年04月29日 | 町かど

 昨日は、10連休3日目の天気を気にしながら、カメラのレンズ掃除、予備電池の充電、チラシに載っている時間割り確認などしながら今日の錦帯橋まつりに備え写真写しの準備をした。今朝5時に起きた時に朝刊はポリ袋入りで予報通り小雨が降っている。チラシには小雨決行が小さく印刷されている。

 毎年、錦帯橋まつりは4月29日、今年は第42回、観光協会創立70周年記念とあるが、私にとっては平成最後の錦帯橋まつりとして記録したかった。その記録したいのは数多くある行事の中の「南条踊、小糠踊り、奴道中、大名行列」。いずれも大明小路を練り歩き、錦帯橋を渡る時代絵巻を展開する。

 昼前に小雨は小康状態になる、予報は午後に雨足が強くなるというが、平成の最後に賭けて出発地になっている近くの小学校にでむく。人影はなく、ところどころ水たまりのある運動場が妙に寂しく見える。確認すると中止、カメラを抱えた人から「出発したのか」と聞かれたが、中止と知ったその人は足早に錦帯橋方面に向かった。

 奴道中は、岩国吉川藩初代藩主広家公が、慶長5年(1600年 )9月の関ヶ原合戦後、出雲富田月山城より周防岩国へ移封入城するに際し、直参の家臣が戦塵の余臭を残し軍兵の面影を漂わせた行列を組んで、質朴で格調高い奴踊りを踊りながら入城を果たしたことに始まると言われている。道中の見せ場、廃藩置県後に旧藩主吉川家より払い下げられた白色やく毛槍の投げ渡しの妙技は毎回楽しみにしているが1年待つとしよう。
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茹でて届く

2019年04月28日 | 生活・ニュース

 何十年も前の話し。自家用の野菜をつくる畑があった。その法面に数十本ほどの孟宗竹が生えていた。竹は畑で使う杭や支柱、大根を干す竿など、畑には欠かせないサポーターだった。タケノコの季節が近づくと、のぞいたタケノコを見つけやすするため雑草を刈ってその日を待っていた。

 タケノコは伸びるのが早い。仕事の都合がありそれでも2日置きには堀にいった。必ず何本かは持ち帰る。皮をむいて茹でる、これが一仕事だった。それでも薪が家庭燃料のころは気にならなかったが、プロパンガスに変わるとその使用量が急増しその料金に跳ね返った。その畑は、公共用地になり自家製のタケノコは終わった。

 以降は届物やお裾分けで旬を味わっていた。贅沢に食べたころを時には思い出しながら味わった。しかし、高齢化や耕作放棄などでいただける頻度は大幅に減り、頂き物が超貴重品になっていた。ところがここ10年あまり、茹でたタケノコをしっかりいただき、余った分は冷凍保存し、1年間を通して味わっている。遠くに住む孫にも送る。

 そのいただく方のブログによると、大きな鍋に水を張り湯を沸かす準備をして竹林へ向かう。タケノコを掘り家につくと水は湯になっており、すぐに茹でる。掘ってすぐ茹でるのが美味さを保つ術の一つという。そんな茹でて皮をむいたタケノコが玄関へ届く。何の苦労もしないで旬をいただいていることに感謝している。今日、車で通った道沿いの竹林、タケノコになれず伸びた青竹がなにか詫びそうに見えたんは思い込みだろうか。
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10連休それぞれ

2019年04月27日 | 生活・ニュース
 報道では年末年始9連休はこれまでに数回あったそうだが、今日から始まる10連休は史上初という。海外に今日だけで9万人以上の人が出国し、国内は陸空共に民族の大移動をTV映像が教えてくれる。孫は大阪で或る研修を受けているらしく大移動には寄与していない。ちょっと取り残された感がしないでもないがみんな元気なら良しとする。

 昼前、近くの高速道で事故が発生、10数㌔の渋滞中と空撮映像で見せていた。遠出で事故に遭わないことも大切だが、留守をされる方が空き巣被害に遭わない幾つかを教えていた。その第一は、旅行に出たという留守を教えるSNSは発信するなという。GW中の空き巣件数は日ごろの1.7倍発生するという。戸締り厳守と留守発信は控えた方がよい。

 留守をしなければこんなメールがくる。私はアマゾンのカードを持っていないし、そのカードがどんな物かも知らな。それなのに、アマゾンを装い「カードのアカウントが更新できない。カードが期限切れか住所変更されたなどで情報が誤っている」などに続いて連絡を取るよう電話番号などが書いてある。文字の誤変換で日本文になっていない個所もある。ひと目で引っかけようというメールだとわかる。

 家から出ても居ても犯罪被害や事故の種はどこにもあるようだ。被害に遭わないことが第一だが、交通事故の場合加害者にならない安全運転で10連休を過ごして欲しい。ただ、10連休を享受できない人も多いいことを忘れてはいけない。
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これってサービス

2019年04月26日 | 生活・ニュース

 ある公設機関の担当者から「音声ガイダンスはようわからんけえ、教えて」と窓口に来られ方があると聞いた。手続きで私も何度か利用したが、実に味気ないむなしさを感じ、時には「手続きをさせてやっているのだ」と、どちらが客か分からなくなる応対もあった。その前に電話が繋がりにくいことがそう思わせるのかもしれない。

 やっと繋がる。「ガイダンスにしたがって番号を」と企業側の言葉で聞いてくる。客として問いたいことにどれがマッチするのかまず緊張する。番号を押す、するとさらに分割した案内がある。先日は大中小の分類に仕分け4回目にやっと目的の箇所に繋がった。しかし、そこでも会話はなく用件を番号で入力させるガイダンスが流れる。終わると「1週間以内にご連絡します」でガイダンス終わり。

 音声ガイダンスは企業にとっては業務の効率化、少人化になっているだろうが、顧客の声を聞くという意味では効率化に逆行するし、その事はいつか業績に響いてくるのでは、古い人間はそう感じている。それは会話での問い合わせの中に大きな改善のヒントがあるかもしれないということだ。番号入力ではそれはないだろう。

 電子機器の使用が苦手、取入れがおっくうなアナログ派にとってはこれからからの世渡りについては苦労が増すだろう。電話ガイダンスを無事こなした後で思う。何度でも繰り返す「ただいま電話が込み合っております。このままお待ちいただくか、お掛けなおしを・・・」の受け付け方を先ず改めるべきだ。
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為替と両替

2019年04月25日 | 生活・ニュース

 経済情報で「円高ドル安」又はその逆が言われる。1ドル100円が110円になると「円安」といい、逆に110円が100円になると「円高」という。円の価格と安い高いが逆で違和感があり、ぼけっと聞いていると混乱してしまう。「円安」は外国の通貨に対して、円の価値が下がることで、単純には円での支払いが増える。

 毎日の生活で、こうした為替の変動が生活に直結することは無いだろうが、「円安ドル高」が長期間続くと物価へ直結することになる。株価も下がり不況の風が吹き始める。そうならないように日々の生活に関係なくても為替相場には関心が必要になる。

 先日、手元にあったドル札を両替のため久しぶり銀行の窓口に出向いた。銀行の経営は厳しく都市銀行の合併話もある。出向いた支店も厳しいのか、行員さんの姿は減っており、手続きを待つ客は大勢だが4つある窓口の2つしか応対していない。順番になって両替をしようとすると「この支店は両替の散り扱いが中止になりました」ということで他の支店を教えられた。

 紹介された支店も手続きを待つ客は大勢だが行員は少ない。窓口も半分で対応している。おいおい、日本の経済大丈夫かと聞きたくなった。両替の担当者、ドルの対円価を示し手数料を引いた額を差し出しながら、「昨日はもう少し円安でしたが」と笑いながら話す。両替の時は円安の方が得するんだ、菓子代にもならない差額だが行員さんの笑いに応えた。
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10連休どう過ごす

2019年04月24日 | 生活・ニュース

 メディアは平成から令和の元号切り替えに関する話題が満載とまではいかないが、大きなスペースとなっている。話題の一つに10連休がある。10日間をどう過ごすか悩む人も多かろう。休める人ばかりではない、連続操業の工場、公共交通機関の乗務員、防災警備にあたる公務員、民間企業の警備員、病院関係者、高齢者施設の職員・・・、いくらでも思いつく。こうした働く方のおかげで10連休になることを忘れないで欲しい。

 在職中の休暇で長いのは親が亡くなった時の忌引休暇でこれは7日間、結婚休暇は5日だった。3交替勤務の時は4勤1休の流れで勤務する。連続して休暇がいるときは、仲間に補充勤務を頼み取得していた。そんな見返りが高額な交替勤務手当だった。交替勤務を卒業した時、子どもを含め家族が喜んだが、収入は減った。
 
 常日勤に変わった当初は、曜日や祝日に合わせた休日になり、連休や3連休なども発生し時間の過ごし方に戸惑った。交替勤務では、健康と運転ミス防止のため睡眠時間の確保を配慮した生活を心掛けていた。昼間勤務になると普通の生活で睡眠は確保でき、交替手当には代えられない生活感を感じた。

 さて10連休、地域の行事が1件入っているのみ。街や行楽地の賑わいは映像で楽しませてもらうこととし、GWに片付けようと予定している雑事を済ませたい。平成の終わりと令和の始まりについてはしっかり見ておきたい。水に浸すとタオルになる硬貨を模した令和タオルなど、店先には令和印の商品がいくつかある。商機になるか10連休。
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ソフト対応せず

2019年04月23日 | 生活・ニュース

 繰って見ると丁度9年前になる。ある団体の会報つくりを手伝うことになった。定期発行は年に2回、ほかに臨時号もたまにあるくらいで、頻度はそれほどではない。引き継いだ作成ソフトは初めて接するもので、ワードの世界をはるかに超える操作が出来て興味は湧いた。会報は何千部も印刷するためそれに対応する変換ソフトも備わっていた。

 面白くはあるがワードでの文書作成とは異なりいろいろと制約がある。先ずべた打ちでは紙面らしくならない。説明書の様に面白く見栄えのするレイアウトにするのは試行錯誤する。そこに写真を割り込ませると記事のレイアウトが変り組みなおす。何回か発行すると要領が分り、記事と写真とをまとめるコツがわかった。こうして10年目を迎えようとしている。

 ところが、パソコンはビスタからW10まで変わった。パソコンが更新されるたび印刷返還ソフトの動きが鈍くなり、一部機能は不全になる。W10になってそれが顕著になった。原因を調べるが術がなく困っていたら、初期入力したソフトCDが見つかった。見るとW8では何とかなったが、同10では対応しないとわかり、すっきりした。バージョン不一致だろうと話してはいたが新ソフト購入に決まった。紙面作成ソフトはパソコンに合わせ新バージョンを手当てしていた。

 パソコンはソフトが無ければ動かせないことは知っている。購入時にインプットされているシフトは更新されて使い続けられるが、それ以外は気をつけていないと確かな働きをしなくなる。解っているつもりだが抜けると慌てることになる。迷惑をかけないために、更新の記録はしっかり保存しよう。
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ラジオの言葉

2019年04月22日 | 生活・ニュース

 19才で嫁いだ方が40才ころに投稿された一文を目にした。「ラジオの言葉にしなさい」と結婚前に母親からよく言われた。それを受け「方言はよくない」と思い気をつけた。結婚してからはラジオの表現とはほど遠い山奥の暮らしになった。ある日、客を送りだした義母が「輿送りをせにゃあ」とつぶやき「見えなくなるまで見送ること」と教えられた。その時、「方言ていいなあ」と思いなおした、という。

 高校を卒業して3年目だった。ある用件で、3人連れの一人として生まれて初めて東京へ行った。偶然だが、同郷の知人に出会い話し込んだ。私らの話を聞いていた東京の人が「何を話しているのかわからなかった」と笑いながらいう。それまで方言をそれほど意識したことはないが、「本州の西の端から上京したもんで」と笑い返した。集団就職で上京した人らが方言に悩んだことを理解するきっかけだった。

 4月になって風邪を引き上旬は摂生で過ごした。私より早く風邪に罹っているいる人がまだマスクを掛けている。症状を聞くと「ぼちぼち良くなりよる」という答え、「ゆっくり快復しているな」というこがわかる。「ぼちぼち」は日ごろよく使うが何となく方言ぽい、これは辞書にあるだろうか、ひょいと思い開くと載っていた。

 「標準語を使え」とはよくいうが、はじめに載せた投稿では「ラジオの言葉にしなさい」という母親の注意の仕方は面白い発想だと感じた。標準語を話せと言われても周囲にそれが出来る人がいなければ誰に頼ればいいか分からない。母親は当時の文化の先端をゆくラジオを教材に示したが、投稿からはラジオ言葉も方言も大切にされたようだ。
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待たす身にゃなるな

2019年04月21日 | 生活・ニュース
 知人から「今日お伺いしたい、申し訳ないがその時間がはっきりしない」という。午前か午後の区別もなく連絡してとび出したらしい。その日は、家での野暮用があり出かける予定はなくいつ来てもかまわないので待つことにした。野暮用とはいえその途中で手の離せないこともあり気にしながら待つ。

 「待つ身にゃなっても待たす身にゃなるな」、これは誰からともなく聞かされた「集合時間に遅れるな」という社会ルール。集団生活や組織の中では重要なルールと心得、この歳になっても行動するときは気をつけている。現役時代も会議開始10分前には席に着くよう心掛けていた。もし配布資料があれば開始までにざっと目を通すことも出来た。

 知人の用件は玄関の立ち話で済み帰っていった。お伺い、などちょっと仰々しい言い方に何事かと少々身構えていただけに拍子抜けだったが、何事も無くて良かった。まあ、待ちくたびれた感じの一日だったが、知人には待たせたという気配は無かった。

 メールを始めるとき「自分からの発信が無くても、1日に1度はメールを開いて確認を」と教えられた。自らの発信が無ければメールを開かないという人もいる。発信が無くても受信はあるかもしれない、そして、返信の必要な用件もあるだろう。こんな話をしたら今はLINEですと笑われた。メールでもLINEでもいいが、待たせる身にはならないことだ。
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