日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

どさ回り

2007年11月30日 | パソコン講座


所属する会は、パソコンの普及を目的にパソコン講座を開催している。常設の講座会場は市立図書館の講座室を毎月上旬優先的に使用させてもらう。自ら所有する講座室を作る計画はまだない。

図書館を出て市内各地域での講座開催やイベント参加が多くなってきた。声を掛けていただくのは地域自治会や婦人会、街興しのグループなどの団体、市の出先機関などが多い。

講座は会所有のパソコンなどの機材を使用して行う。開始の1時間前には会場設営を始める。パソコン、プロジェクター、スクリーンなどの設置を手分けして済ませる。続いて各機器の起動と点検を行い準備完了となる。

受講者で早い方は30分も前に見える。早く見えた方との世もやな話はまた楽しみ。

講座が終わると機材の撤収が待っている。樹脂製の容器へ丁寧に納める。不調だった機器は持ち帰り修理する。詳しい方が修理されるためそのための支出はまれだ。こうして次の講座に向かう。

夜間講座のときは設営を終えてコンビにで買った弁当とお茶で夕食をとる。このときの会話がなごやかで楽しい。終わるころ仕事を終えた受講者が見え始める。

どさ回りは「劇団などが地方回りをすること。また、常設の劇場を持たない地方回りの称」とある。会員の車に機材を積んでは各地の会場を回る姿は「どさ回りパソコンの会」と呼ぶにふさわしいと納得する。

リピーターの方も増えており、この「どさ回り講座」まだ跳ねることはないだろう、と次の講座のテキスト作りを始める。

(写真:どさ回り講座を支える機器の収納容器など)
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2007年11月29日 | 自然 季節


冷え込んだ朝の山あいの盆地、霧が町を覆うっていた。日が昇るにつれ霧が晴れると町全体がしっとりとしたたたずまいをあらわす。それでも谷間の霧はそれからしばらく揺れ動きおそい眠りから覚める。

ぼんやり眺めていると喧騒の世界から逃避した気持ちになる。が、いつまでもそんな気ままが許されないのが現実だ。

街なかでも冷たい朝に川岸に出ると川霧の立ちのぼるのが見らる。薄墨で書いた日本画にも見える。霧と錦帯橋を撮影する人を見かけることがある。そんな人は重装備で、レンズの向こうで動いている霧の一瞬を切り取るためにじっとたたずんでいる。

自然の霧はやがて消えその後には爽やかな陽がさす。人工の霧で覆われた国防を担う役所のそれはいつ消えるのだろう。

(写真:錦町で)
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枯れ草

2007年11月28日 | 生活・ニュース


夏の日差しに照らされて生い茂る雑草、そのそばを通るとむせ返るようなにおいがし、雑草の力だなとこの夏も感じた。

子どものころ、この雑草を刈取り飼料にされる農家の方をよく見た。よく切れる鎌でザックザックと刈取ると、長めの草を縄代わりにしてくるりと束ねてはザックザックと進む。あの音を思い出す。

最近は電動式の草刈機が能率よく見た目も綺麗に刈取っている。詩や歌にはなりにくい。草刈の思いでは、薩摩芋畑の畔に茂った雑草を父が刈る。畑の乾きを遅らせるためそれを畝と畝の間へ置く手伝いが記憶に残っている。

草抜き用の小さな鍬を使っていたが母は庭の雑草を手で引き抜いていた。草むしりと言って大方の家で年寄りの家事になっていた。どこのお家へ行っても庭に雑草は生えていなかった。雑草も風流と言われる方も多かった。

雑草は自然に生えるいろいろな草の総称だが、目的の栽培植物以外の草も雑草と呼ぶ。「雑草のような奴」と蔑んだり「雑草のようにたくましく生きた」と称賛したりと人の世にも雑草をもちいた言い回しがある。

霜の声が聞こえるとあれほど威勢のよかった雑草も色あせ立ち枯れてきた。雑草はひと夏でその姿を終り来年の雑草の肥やしとなって消える。年金生活はあと幾年続くか知れないがどんな枯れかたになるのか、少しは人の役に立って終わりたい。

(写真:川幅いっぱいの雑草とススキ)
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夜間講座

2007年11月27日 | パソコン講座


パソコンの普及活動を主たる事業活動とするNPO法人として、市内各所で講座を開催している。講座と言えば多くの場合昼間に行われる。当会も昼間の講座主体で行っていた。

昨年4月の広域合併で旧市内に限っていた活動を広域化した新市内全域を対象にした活動に切り替えた。その結果、合併前の町村からも講座開催の要請を受け機材をもって各地へ出かけている。

広域化に対応した講座開催になって「夜間講座」を始めた。昼間受講できない地域居住者の希望を取り入れた新しい取り組みになった。7月から12月初めまでほぼ毎週開催している。

今の時期はとっぷりと暮れた午後7時からの開始、受講の皆さんは元気な挨拶をしながらそれぞれの席に、その日のテキストをめくりながら、また、前回の復習の話などしながら賑やかな開講前の様子はどこも同じだ。

熱心な受講姿を見ていると50年ほども前になる夜学と言う言葉を思い出した。

夜学とは夜間に開かれる学校の一般的な呼び方で、定時制や二部などと呼ばれることもあった。中学生のころは就職した人が働きながら学ぶための学校で真摯に学びたい人の集う場所だった。社会の変遷に連れこれらの対象や内容が変化した。最近は統廃合も多いと聞く。

今は皆さんから希望の多かった年賀状の作成講座を行っている。思い思いの図柄などを織り込んで作成、作品は印刷して持ち帰ってもらっている。昨夜も素敵な年賀状が完成した。

(写真:図柄の配置を思考中の受講者)
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どこから出るの

2007年11月26日 | パソコン講座


パソコンの前に行儀よく腰掛けた幼稚園の年中くらいの女の子。しおりの見本から好きな図柄を選び、お母さんに促され「お願いします」と小さいがよく分かる声で挨拶をした。

ワードアートで作成したを名前をひらかなで入ると声を出して喜んでくれた。ふたつ目の名前をコピーしたら、お母さんにささやくように何か話しかけた。「おじちゃんにお願いしなさい」と子どもに返した。ふたつ目の名前は別のワードアートを使って欲しい、ということだった。

「これでいいかな」と問うと「はい」とよい返事が返った。「よし出来た」と印刷の操作に入ったら「これはどこから出るの」と女の子が画面を指さした。これまで思っても見なかった質問ががでた。お母さんが「パソコンは不思議な箱なの」とすくってくれた。女の子は母親の答えに満足した様子だった。印刷して綺麗なしおり紐をつけてもらいうれしそうに帰っていった。

あるフェスタでパソコンを体験してもらう「しおり作り」で体験した1コマ。

どこから出るの、と問うた女の子を送ったあと思い出した。小学校2年のとき「なぜ」の2文字を黒板一杯に書いた先生が「いつでも、どこでも『なぜ』という言葉を忘れないように」そんなことを言われた。なぜか記憶している。

なぜを厳しく守ると吉凶様々だが、思い返すと凶の側が多かったかな、若いころが懐かしい。
あの子も「なぜ」をいい局面で使いながら成長して欲しいと願う。

(写真:女の子が選んだ図柄)
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冊子

2007年11月25日 | エッセイサロン


昨秋開いたブログ、同じころ始まった新聞投稿を一つの冊子にしてみよう、自分史の1部として残してみよう、いつか成し遂げたい自費出版の準備としてみよう、こんな3みようを思いつき冊子風にアレンジを始めた。

先ずページ設定から。数ページ入力し行数に文字サイズ、タイトルの位置、適切な余白など幾通りも試行しながらようやく自分流の形になった。手元にある先達の出版物などを参考にさせてもらった。

これから読み直して誤字脱字、不要な言葉、思い違いで書いてることなどを修正しながら入力を始める。いつ終わるか今は予想も出来ない。が、定めた目標に向かってスタートした。ゴールは見えないし、また、いつになるか知れないがこつこつと続けていこう。ユックリでもいい。

(写真:ページ設定を終えた様子)
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家内への土産

2007年11月24日 | 生活・ニュース


錦帯橋からおよそ1時間、人口1,300人あまりの町の「ふるさとフェスタ」へ参加するため会のメンバー10数名で出かけた。パソコンを使った「ぬり絵」や「しおり」作成を体験してもらうコーナーを公民館の1室に開いた。

準備していた10種類のしおりの図柄を会場入口に掲示し来場者を待った。
お蔭様で園児から高齢の方までたくさんの方にパソコンを体験していただいた。特に高齢の方は初めてパソコンに接する方も多かった。名前入りのしをりをお持ち帰りいただいた。そんな高齢者の方のなかで1人印象に残った男性があった。

その方はパソコンの前に着くなり「犬のしおりをお願いします」、大方の人がパソコンの前で考えられるがその方は掲示を見て決められたのだろう図柄は決まっていた。続けて「これに触ったことがないのでお願いします」とパソコンを指された。

名前を挿入する手順で指定された名前は女性の名前だった。深い意味はなく「お孫さんですか」と問うと「家内です」と言われた。続けて話された内容に感銘を受けた。

「良くしてくれる家内に何か買ってやりたいと思ってもこんな田舎に住み年金生活、車の運転が出来ないので思うばかりで買ってやれない。犬と本が好きな家内に犬のしおりを作ってもらおうと思い寄りました」とユックリと話された。

奥様名の2枚のしおりが完成したので「お父さんのも作りましょう」と誘ったが「これで十分です」と過分なお礼の言葉を残して帰られた。わずか2、3分の会話でしたが、進む中山間地域の問題点が凝縮されていた。

この方は何も言わないで奥様の読みかけの本のそばへそっと「土産のしおり」を置いておかれたのでは、と思ってみた。

(写真:フェスタのあった町の中心部付近、市のHPより)
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苗植え

2007年11月23日 | 生活・ニュース


夏の花を除き石灰を撒き掘り返してからしばらく経った。家内に促され花の苗を買った。狭い花畑に欲は禁物、いつもの年のいつもの花を同じように植えた。これまでは水と肥料を適当にやると咲いてくれた。今年もそれで育って欲しいものだ。

同じ種類の花の苗も値段はまちまち。高いほどよい品質と思うが大きな差は読めない。今年も手ごろな値段の苗を植えた。

花の苗を見ているとき玉ねぎの苗を求める方が多いことに気づいた。2人の知人にもであったが、数百本の苗を求めていた。いずれもサラリーマンOBの人だ。1人は借地で菜園を楽しんでいるという。1段ほどの畑が公共用地になって20数年、それ以来鍬を持つことはなくなった。畑仕事の話を聞いているとなつかしい。

苗は草木植物の物を「苗」、樹木植物の物を「苗木」と区別する。いま、これらは郊外型の駐車場のあるお店で大量に並んでいる。四季を問わず花や樹木が楽しめる。

両親は種苗店で求めた種をまき、育った苗を植え替えていた。学校帰りに見た人参に大根やほうれん草などなどが描かれた種の入った袋が行儀よく並んでいたことを思い出す。近くにある種苗店も種袋でなく苗売り店に変わった。

売り方も育て方も変わっているが、花を美しがる人の気持ちは変わっていないだろう。道沿いの手入れされた花壇を見るとなんとなく気持ちよく感じるのは1人だけだろうか。

(写真:いつものような花畑)
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吊るし柿

2007年11月22日 | 生活・ニュース


お訪ねした家の軒下に吊るし柿があった。冷たい風にさらされ表面が少し硬くなり始めた柿はこれから甘みを増すことだろう。

渋柿の皮をむき、少し残してあった枝を縄目に通し軒下へ吊るす。これからの管理者は祖父だった。黒色で白い粉がふくまでは1個も口にした覚えがない。少し硬めのそれは、冬の陽と風がかもし出した自然の甘さが詰まっていた。おやつとしては最高の物だった。

本当の名前は知らないが富士山柿と呼んでいた。子どもの手では包みきれない大きさで、形は霊峰富士山に似ていた。もぎ取った柿は皮付のままもみがらを敷いた木箱にいれ旧正月まで置く。透き通ったあめ色のとろりとした実とその甘さは吊るし柿とは違った味だった。

最近は柿を採らない人たちが多い。信号待ちしているときそばの柿木で数羽のからすが悠々と食していた。熟れて落ちた柿は車に押しつぶされるなどして道も汚している。

海外勤務した同僚が「食材に不自由したことはないが、ひとつだけ好きな柿が手に入らなかった。実家からの縄のついたつるし柿が楽しみだった。海外で初めて柿の味を知った」と話したことを思い出した。柿を食するのは日本だけなのだろうか。

先日、朝市で吊るし柿を売っていた。10個あまりのひと縄の値を聞いてみた。「毎度、1,400円です」。そっともとの位置へ戻した。一緒にお訪ねした方から富有柿をもらった。仏壇にお供えしてある。明日いただくことにする。

(写真:陽射しに気持ちよさそうな吊るし柿)
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素朴さがいい

2007年11月21日 | パソコン講座


恒例の年賀状作成講座、海辺沿いにある公民館の主催で開かれた。内容は本文と宛名それぞれの作成方法を解説する。今日は本文の作成講座を担当した。

これまで講座で学習した単位操作を応用し思い思いの賀状作成に挑戦してもらった。50歳~80歳台の方まで巾広い受講者の理解度を見ながら進める。講師サポーターの協力を得ながらの2時間、2種類の年賀状が完成、1種類は印刷し完成度を確認しあった。

講座で作成する年賀状は、市販のソフトを使って作成したような派手さや奇抜さには及ばないが、作る人のありのままが表れる素朴さ、手作りの良さが皆さんから支持され講座が続いる様に思う。

自筆でなくてもこころのこもった自作の年賀状が作られ親戚友人の皆さんへ届くことを願いながら受講者を送りだした。

(写真:年賀状の講座風景)
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