日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

うつわに学ぶ

2020年02月29日 | 生活・ニュース

 何年か前に「窓ぎわに置いてみるか」くらいの軽い気持ちで買った鉢植えのソテツ、10㌢ほどの背丈だった。特に手をかけなくても背が伸びて来た。日に当ててやる方がいいだろう、これもまた軽い気持ちでほかの鉢と並べていた。ふと気づくと鉢から土がこぼれ落ちているではないか。大きすぎるかな、と思いながら空いている鉢に移し替えた。

 よく育つ状況を表現するとき「ぐんぐん」という副詞を使うが、移し替えてから1年余り副詞どうり「背丈と枝がぐんぐん伸びた」と驚いている。伸びを待っていた小さな枝もソテツらしい姿に変化していくのが分かった。移植の仕方が上手かったのかと思いたいが、器を大きくしたことで根が育ったのだろうと悟った。

 人の姿も器に例えることがある。「あいつは器が大きい、将来が有望だ」と楽しみに待つ。「私はリーダーの器ではありません」と推薦を辞退する。「親の威光を笠に着ているだけでその器ではない」と人の力を見抜く。このように「器」には物を入れて納めておくという意味以外に、人の大きさや、何事かを担うことが出来る才能やその器量を図るときにも使われる。

 己の器はどんなものか、人様から良くも悪くも直接指摘された記憶は無い、ということは目立つ器ではないということで有難い。最近の赤絨毯を踏む人やその周辺で、それにふさわしくない行動や発言、人格などが報じられる。その人らは大理石作りの堂に全く相応しくない器の人物と思っている。私は報道をされるような振る舞いはしない、とソテツに話しかけ戒める。
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ふぞろい

2020年02月28日 | 生活・ニュース

 「ふぞろい」は漢字に直すと「不揃い」。その意味は「①揃わないこと。数の足りないこと。②形や大きさ、種類・調子などが一律でないこと。不斉(広辞苑)」とある。その例文に「不揃いな箸」が載っている。長さが不揃い、書類の端が不揃い、不揃いな文学全集などと普通に使う。着ている物の上下がアンバランスと言われるが、これも不揃いだといわず敬意をもってすこしカッコ良く言い換えたに過ぎない。

 遊びと楽しみを兼ねた陶芸。粘土をこねて器を作る。今日こそは2個同じ大きさで同じ形の器を作るぞ、と始める。終わってみると納得の出来上がりはこれまでにない。次に素焼きをすると収縮するので、今度は不揃いがはっきりする。それを解消するには1日に80個くらい同じ器を作ると、体が覚え同じものが出来るようになる、とプロの陶芸家に聞いた。楽しみを超えることは難しい。
 
 買い初めて何年にもなるが、不揃いを承知で買う物がある。それは知人の手配するこの時期ならではの柑橘類で大島産の「はるみ」。写真の様に不揃いなのはその大きさ、同じ箱のなかで仲良く収まっている。ちょっと店頭売りは難しが、私用には差し支えない。どうしてわざわざ不揃いを買うかと聞かれる。
 
 その答えは「安いが味は不揃いでない」。大中小どれも同じ美味さで気分によって大きさ選んで皮を剥き始める。ミカンは風邪薬ともいう、新型コロナウイルスへの効能は不明だが、インフルエンザには罹っていない。このミカンの買い置きがつきるころになると桜の開花便りが聞こえ始める。錦帯橋の点検工事は終わった、さて花見の人出はどうだろうか。
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コロナ雑感

2020年02月27日 | 生活・ニュース

 TVをつけるとどこかの局で新型コロナウイルス関連の放送が流れている。このコロナウイルスの感染広がりを心配しない市民はいないと思う。面白いのはTV出演のコメンテーターの発言。市民目線で解りやすく話す人、専門語を多用し学術的に話す人、報道内容を網羅して話すだけで考えのない人など面白い。面白くないのは政府与党のメッセンジャー的コメンテーター、この人も自分の考えを持たない人に思える。

 市民としての対策の一つにマスク購入がある。用事で立ち寄った先でマスクの話しになり「ドラッグストアの開店前には大勢の人が並んでいる」と教えられた。開店してしばらくしてから立ち寄るようではマスクは手に入らないことがよく分かった。ある店のマスク売り場、のど飴が代わりに置かれて久しい。

 月に何度か足を運ぶ市のある施設、入口のドアが開けられストッパーで止められている。ちょっと遠慮気味の張り紙に「ドア開放中」とある。コロナ対策だと施設の人がマスク越しに笑う。風が吹けば部屋に外気が入りコロナの滞留が防げ感染予防になる、出入りの多い施設管理者の配慮だろう。

 各種のイベントや大会が相ついで延期や中止などと発表されている。小中学校の休校もかってない規模で始まった。私も参加を予定していた2つの会がコロナ感染対策で中止になった。残念だが中止が正解であり決定を受け入れる。感染対策にしっかり税金を注ぐことに国民は異を唱えないと思う。これは一種の国防だから。
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心配は同じ

2020年02月26日 | 生活・ニュース

 今日は陶芸教室の日だが、昨夕のこと教室に参加できない用が発生し、急に参加できなくなったことのお断りを連絡した。そして今日は予定の数カ所に立ち寄り用を済ませた。車の走行は約60㌔、ぽかぽかした春のような日和で気持ち良かった。お陰で燃費は32,2㌔、久しぶりにいい値が出た。

 訪ねた先々で新型コロナウイルスの話しが挨拶変わり。罹っているかどうかを診てもらえないのが一番心配ということは共通の心配ごとになっている。周囲に罹患者情報はないが、うつすことのことのないように、もらうことのないように気配りが必要だ。

 昨日書いた「無観客、延期、中止」に似た記事が今朝の紙面で大きなスペースを割いていた。スポーツ界にとって興行の実行か中止は経営に係る重要事項、感染防止との板挟みに苦慮がにじむ。政府もやっとのこと大規模なイベントやスポーツへの延期や中止、規模縮小を要請する考えを示した。

 北海道では道内のすべての公立小中学校を明日から1週間臨時休校する方針という。もし児童が罹患したら感染の広がりは大きいだろう。実際にどのくらいの学校が休校するか分からないが、私立校はどうなるのだろう。家の前を登校する児童でマスクを掛けているのはわずか、隣の福岡県では感染者がでているが、中国地方ではない。このまま終息してくれると嬉しいのだが。
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無観客や延期に中止

2020年02月25日 | 社会 政治

 新型コロナウイルスの感染拡大は「世界的大流行(WHO)」とまで言われるようになった。世界経済にも大きな影響を及ぼしている。株価の大幅値下がりもシグナルのひとつだろう。経済は人の力で立て直しは可能だが、人命は戻ってこない。ここまでの国の方策は、と言っても報道で知る範囲だが、現場からの指摘を思うと「手ぬるい」感が強い。

 この機になっても拡大を防ぐため「立食パーティーや飲み会」を自粛しようという国の専門家会議の新型肺炎対策案が紙面に載っている。感染が報道されて以降に何十回も聞いたり読んだりしたことだ。いま、若者にとっては入試、卒業という進路の大切な時期を迎えている。これまでの多くの努力、積み重ねた経験などが閉ざされることのないように取り図って欲しい。関係する人らへ強く強く希望する。

 各種スポーツも開幕する。J1サンフレッチェ広島、J2レノファ山口の両地元チームは幸先良い白星発進をした。プロ野球もオープン戦が始り、広島カープは一応滑り出しよしとなった。新型コロナの感染がこれからどう響いてくるだろうか。J1では新型コロナウイルスの感染拡大により一部試合延期も決まった。

 響くといえば、沖縄でのゴルフの国内女子ツアー開幕戦は無観客開催が決まった。無観客でも内容ある試合展開になるとさらにフアンは増えるだろう。春の選抜高校野球選手権大会、密閉ではないが観客席は濃密接触状態だろう。春告げの甲子園、感染が鎮静化に向かうことを祈るしかない。甲子園より少し早く始まる大相撲大阪場所、土俵は甲子園と違い館内での争い。甲子園も大相撲も無観客はないだろうが、万全の対策で後悔の無いように図られたい。
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どっちがいいか

2020年02月24日 | 生活・ニュース

 朝一番にミカン1個を半分にして石の上に置いた。ほどなくして先日から来ている2羽がやって来た。周囲を警戒しながらついばむ。昼前に見ると実を食べつくしている。体に似合わず大食いだなと思いながら2個目を置いた。昼食時間に合わせたのかのようにやって来た。すると庭石の高いとこにとまって下に置いている2個目のミカンを見下ろしている。

 「おっ、新しい餌だ。今朝より少し大きいかな。う~ん半分のどっちが美味いかな、いや、おなじ実だから味は同じだろう」、これは見下ろすメジロを見て私が勝手に思ったこと。傍の木にとまっている連れと合図しあったかどうかは分からないが、同時に降りてきてついばみ始めた。庭にメジロが毎日やって来るという人が「メジロの動作を眺めていて見飽きない」とコメントが届いた。

 メジロは目白と書くが、仮名の方が親しみやすい。名前の通り、はっきりした白い輪が目の周りにある。鳴き声は「チーチョイ、ツイー、チーチル」と可愛い声で鳴くそうだが、耳に残っていない。今は家庭での飼育は禁止だが、子どものころには寺の境内で鳴き声大会が開かれていた。学校帰りに座り込んで見ていた記憶がある。

 メジロは鳥籠で飼われ、緑濃いすり餌を貰っていた。自然では野鳥らしく小昆虫や木の実、花の蜜などを食して生きているという。人間の楽しみでたとえ短期間でも、餌を与えるのは野生領域への侵害かもしれない、そんな人間の気心配など知らぬ存ぜぬとミカンをついばむ。メジロは人間から与えられたのではなく野生の目で自らが発見した餌と思っていてくれると助かる。
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散歩道の花

2020年02月23日 | 地域

 ホームセンターで隣のレジに並んでいる人のワゴンには花壇用の各種の肥料と殺虫剤が満載とも表現できるほど入っている。どれだけ広い花壇のある屋敷に住まいなのだろうと、要らぬことだがちょっと気になった。私が手に持っている化成肥料がなんだか可哀そうに思えた。春近くなると花や菜園用の苗が季節を先取りして店頭を飾る。

 花壇でなくとも花が咲いている。桜は未だ芽吹いていないが、異常な暖冬の影響がどのくらいあるのか分からないが、あとひと月もすれば開花の便りが聞かれるだろう。桜の前に菜の花が咲き始めている。錦帯橋下流にある隠れ名所の桜トルネンネルでも、桜の根元を飾る菜の花が風に揺れ始めて春を待っている。

 川土手の法面、冬枯れした雑草の隙間に可憐清楚な白いスイセンが何カ所か、グループのようにまとまって咲いている。スイセンは寒さに強いというが、川面の寒風を知らぬげに咲いている。この花は球根を植えるはず、ということは風に流されては来ない、誰かが土手を美しくと植え付けたのかもしれない。そんなことを思いながら撮ってみた。

 お父さんがメジロを飼育されていたという知人からコメントが届いた。「父が生きていたら百才を越えますが、残念なことに40年以上前にさよならでした。でも、1枚の写真で鮮やかに思い出せ、ありがとうございました」。これは昨日FBにアップしたメジロの写真が縁となったもの。メジロが花の蜜を求める写真はこの時期の光景で散歩の途中でも見かける。春へ一歩一歩近づいている。
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やっとメジロが

2020年02月22日 | 生活・ニュース

 冬らしく冷たく寒い日もあったが、全体的には暖冬の予報通りになっている。市街地ではあるがわずかな時間だけ風花を見たくらいで雪は見ていない。北極の氷が溶け白クマの生存域が狭まり心配されたり、南極で最高気温が20度近くまで上がったとか、文字情報でしか知りえないが、日本の異常気象を思うと、地球上で起きている異変は不思議ではない気がする。

 暖冬で冬眠しなかった熊もいるそうだから、野山には野生の生き物の餌はあるのだろう。今の時代にそんな心配はしなくていいが、祖母は「冬寒くないと畑の虫が死なない」と言っていた。雪が少なくて北の地方の農家の困っている様子もネットに載っている。雪が少ないので今年の夏季の水不足を心配する人もある。

 そんな気候のためでもあるまいが、今年は庭に置いたミカンになかなか鳥が寄って来ず、古くなって何度も取り換えた。たまに来た、と見ているとヒヨなどが追いかけてきてメジロやススメはやって来ない。ミカンなどはヒヨにかかればあっという間に処分され、小さな鳥などがついばむことは出来ない。

 今日は、雨が止んだ後にメジロが何度もやって来た。ついばんでは頭を上げ、周囲を警戒しながらミカンの実を飲み干しまたついばむ、今年も同じ仕草は変わらない。長居はせずに飛び立っては戻ってくる。身の安全を保つため野生的に備わっている行為も変わっていない。明日から続けてやって来るだろうか。山口県内で「春一番」が吹いたと発表、昨年より3日遅いとか。
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購読10年目

2020年02月21日 | 生活・ニュース

 月刊誌「NHKラジオ深夜便」。発刊は30年前の春、中断もあって今年3月号は236号とある。ある店で待ち合わせしている時にふと手にしたのがこの本との出会いだった。古いメモを見ると文字が大きく行間が広い、深夜便担当のアンカーの書いたエッセイがちょっと面白い、放送が文字になっている、なるほどと思う内容だなどと残している。それから読者になり丁度10年になる。

 定価は30円くらい値上がりしていが年間の本代は新聞の一カ月よりやや高いくらいで負担感は少ない。余分なことだが新聞も今月から購読料値上になる。生で深夜便を聞いたことはない。というのは放送開始の午後11時05分には床に入っている。そして放送が終わるのは午前5時、その時間は私の起床時間。深夜番組の時間帯が私の睡眠時間帯と同じになる。

 「ラジオ深夜便」を聞く人は多いいらしい。視聴者は中高年層や長距離ドライバーさんが多いという。投稿を見ると中高年者が多い。今月の投稿掲載は15名で80代が6人で最高は84歳、ほかは全員70歳代で女性が多い。高齢者向きの掲載内容が多い。掲載は放送済みだが、なまを聞かない私には面白い雑誌のひとつになっている。

 在宅中にラジオ、と言っても携帯のそれをつけるのは、TVの無い部屋で何かしている時、台風接近などの気象に関する情報を聞くくらいになった。昭和28年に亡くなった祖母はラジオが好きで、ときには雑音の混じる真空管ラジオで講談や浪花節は欠かさず聞いていた。もし存命なら深夜便のフアン間違いないないだろう。
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宅急便で

2020年02月20日 | 生活・ニュース

 青森産のリンゴが届いているので最寄りの国鉄の駅まで、親の引くリヤカーの後ろについて受け取りいった記憶がある。縄で縛った木の箱は少しこわれかけ、リンゴを保護するもみ殻が漏れ出していた。北海道に住む叔母が手配したリンゴだった。今になって、なぜ配達されなかったのか、分かる由もないが話に聞いている「駅留め」になっていたのだろう。

 便利な世に代わりドアツードアで届くのが当たり前の時代になった。それも複数の業者が競いあい、利用者にとってはありがたいことになる。そんな競争から業界全体に長時間労働を始めとする諸問題が発生、改善を迫られている。健全な競争下で事業継続を図ってもらわないと、利用者が困る。

 沢山いただいた野菜に多少の品を加えて孫に送った。空の段ボール箱に詰め、ガムテープで縛れば荷物になる。もみ殻も縄も使うことはない。そして歩いて1分の「宅急便」取扱店に持ち込めば料金の値引きもある。明日の昼には関西に住む孫の家に届く。孫の好きな菓子と私の投稿の載った新聞も入れておいた。

 高校の3年間、夏と冬の休みに郵便局でアルバイトをした。中元と歳暮の品を自転車の荷台に取り付けた箱に入れ配る。現在のような宅配様式はなく郵便の独占だった。届いた家はどこも機嫌よく声を掛けてもらった。宅配業者と競う郵便、内情は大変そうだ。たまに届く小包や宅配を受け取るとき昔を思いだしてひとこと声を掛けている。
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