日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ホオズキ

2014年09月30日 | 生活・ニュース


 盆のころ、近所でいただいたホオズキ、花差しでひと夏を過ごした。提灯のように膨らんでいた姿が彼岸のころから痩せはじめた。そろそろ終わりのころかと、膨らんだ葉を開くと透き通るような艶の生きとした赤い実が出てきた。この実の中身をつま楊枝で丁寧に丁寧に皮が破れないように掻き出す。これは結構なスキルが求められた。皮だけになったものを膨らまし、口で空気を押し出し鳴らして遊んだのは大昔のこと。いい音ではなかったように思う。本当は女の子の遊び。

 ホオズキの名前の由来は知らないが、子どもが頬を膨らませて鳴らして遊んだ様子を思えばその由来としてもおかしくない。こんな由来も紹介されている。ホウ虫(広くはカメムシと呼ぶ人が多い)がつきやすかったことからホウズキになった。漢字で表すと鬼灯や酸漿と難しい字になる。鬼の字の付いたいきさつは知らないが、大型になればそうかなと思わせる。

 ホオズキは古事記に載っているというから神話の時代から日本にあったのだろう。一日詣でると四万六千日の功徳があるという浅草観音、ここでのホウズキ市の賑わいは映像で知っている。ホウズキにはどんな功徳がひそんでいるのだろう。

 今年も残り3カ月。こうした文章や話し方は充実していない日々を過ごしたからだ、という人がいる。どう思われてもいいが、口出しするなら、自分の充実した姿を教えて欲しい。何をするにも、体調を考え整えながらの年に近づいている。身内や知人の入院などが発生するといちだんとその感を強くする。完熟したホウズキの姿を見ながらそう思う。
 
 

 
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今年の稲作

2014年09月29日 | 自然 季節


 今年も家内の実家から新米が届いた。会社員だった義兄は受け継いだ田を荒廃させ周辺に迷惑をかけないようにするため、米作りを委託している。今年は天候の異常からか2割くらい収量が減ったという。今夏の低温多雨は米のみならず農作物全般に良くない影響を及ぼし、野菜類の高騰を招いたのは記憶に新しい。

 さらに日照不足が米に追い打ちをかけ、その成育を妨げる「いもち病」が広がるとして県内には警報が発令されている。これは21年ぶりのことと載っている。早期の防除が必要で、遅れると減収に加え品質も低下する。昨年は97だった県のコメ作況指数、今年は95でやや不良となっている。米作りの経験はゼロだが、いもち病は子どものころから聞き覚えているコメ農家を悩ます稲の病気と知っている。

 収量減に合わせコメ農家に悩ましい事態が起きている。今年のJAが農家へ支払う概算金が20%強下がり、過去最低になるという。これではコメ農家は二重三重の苦を担うことになる。TPP交渉の難問の一つ、日本のコメを守る、米農家を守るという方針以前の問題に戻らなければ、と心配をする。概算金大幅低下の理由は米の在庫増、消費量の低下となっている。

 孫はご飯が好き。帰省したときも毎食ご飯を食べる。今年の夏休み、オーストラリアに語学留学したとき、「白いご飯を食べたかった」という。ご飯大好きな爺の後を継いで欲しいと願いながら、届いた新米を送る準備をする。
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栗のイガ

2014年09月28日 | 生活・ニュース


 枯草の上に置物のように栗がのっている。栗の実は取り出されていない。立派な「イガ」が何ものも近づけなぞ、という強さを示しているから取られていないのだろう。イガ、栗の実を包みとげの密生した皮を栗のいが、という。素手では扱いきれない。子どものころは長靴を履き踏みつけて左右に足を滑らし、イガのある皮を開いた。火箸で実を取り出し、空になったイガは1個所に集めるよう教えられた。

 栗にはどうしてイガがあるのか聞いた。栗の実は熟れなくても食べられる。そこで熟れるまで獣などに食べられないよう「実」を守るためにイガができる。正解か否かは知らないが、納得したことを思い出す。そういえば柿は熟れるまでは渋くて食べられない。 

 「イガ付の栗は残すよ泥棒も」、これは栗の盗人も、いがの付いた栗は残しているという話しを聞いたときの自作。急ぎ働きをする盗人に時間のかかる作業はご法度だろう。

 栗のイガに触ったチクリの痛みはいつのまにか忘れる。でも、刺々しい嫌みを言われたり、そんな顔つきで近づかれると、単なるチクリとは違い、尾を引くことがある。実を守るイガや棘は野生のもの、人のイガや棘は大きなものを失わせる。それにしても綺麗なイガだった。 
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心遣い

2014年09月27日 | 社会 政治


 88歳男性が電車に乗った。「座っている青年と目が合ったが直ぐに目を閉じた。気持ちの優しい青年と思った。座るには少しきつそうな隙間なので座るのを遠慮した。若い女性が乗ってきたら隙間が広がり、女性は座れた。高齢を改めて感じた」。これは、投稿に載っていたお話。

 高齢社会、少子化と合わせ大きな問題と指摘され始めてもう何年、内閣は何度も変わったが、そのたび、さも新たな問題のように取り組みが始まる。難しく困難な問題なのか、それとも高齢者に今更さらサービスしてもという感覚なのか、リップサービスはされるが目に見え肌で感じる大きな前進がない。

 そんな中、児童や生徒らの書いたり話したりする内容に少しの光明を感じることがある。それは高齢者に接して体感したことを基に、こうしてあげたい、ここが不足している、ここを改善したらと意見が出される。まだ、直接に接したことないが高齢化社会への対策を見いだせるような気がしている。

 年金生活暮らしの日帰りバス懇親旅行。ステップへの乗降にちょうど良い高さの踏み台が準備されていた。踏み台を使うと乗降が楽で、不安定な姿勢にもならず安全に大きな一役を果たしている。小さな踏み台、されど大きな安心と安全、ちょっとした心遣いが、高齢者には嬉しい。何気ないドライバーの心遣いに楽しさが増した。
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マツタケの復活を

2014年09月26日 | 地域


 今年は夏場の多かった雨に助けられ「マツタケ」は豊作の報道が多い。この地方で一番早く地元産が入荷する店の店主の笑顔と大盛りのマツタケが地方版に載ったのは今月の初めころだった。マツタケ産地のある道の駅にたちよたっとき、段ボール板に無造作にのせられた2本のそれに「9400円と5400円」の値が紙切れに書いて張り付けてある。産地ならではの取り扱いかもしれないと思い1枚撮る。

 ホウレンソウは「報告・連絡・相談」と置き換えて企業の業務要領に取り入れられている。最近、マツタケでも人間学に必要ないわれが広まりつつあるそうだ。それはマツタケの頭文字を取って「巻き込む、つながる、助け合う」として職場の心得にするという。意味は、いろいろ悩み、孤立しがち同僚などを、お互い協力し乗り越えていく活動とある。ホウレンソウよりは食卓になじみのない高嶺の花マツタケ、身近なところで育って欲しい。

 マツタケは高嶺の花、いつからそう格付けされたのだろうか。高値の花とは「ただ見ているばかりで、手に取ることの出来ない物のたとえ」とある。子どものころには、松の木のある近くの山に上れば見つけられた。採ってマツタケを背負子に乗せての帰り道、近所の家に分ける様子が頭の隅に残っている。そんなに豊富な時代もあった。

 マツタケは風味ある食材、それも短い期間のみ味わえる。日本食ブームもあり高値の花は続くだろう。このところ地方再生が盛んに言われる。山林への関心も高まり、若者の山林業従事者も増加しているという。荒廃した山林を甦らせ、マツタケが庶民の食材として復活することを願い、山に入る若者にエールを送る。
 

 
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家畜の底力

2014年09月25日 | 生活・ニュース


 目の前のヤギ、広い庭の隅に相当に長い綱で繋がれている。人の仕事ぶりに例えるなら、黙々した姿で雑草をもぐもぐと食べている。大旱魃で牛の飼育を止めた米国の映像を思い出した。これだけの餌、雑草だけど一匹占めしているヤギ、見た目はとても幸せそうに見える。 

 耕作放棄された田畑の雑草対策に新除草機ならぬ身近な動物の活躍が報じられる。動物は牛やブタ、ヤギやヒツジなどが放牧風に各所に放たれる。その光景は何度か見ている。それは、深刻な農業問題を身近な生き物が解決してくれているとは思えないのどかな風景だ。放たれた動物に共通するのは草を食べること。広大な場所では周辺に電気柵が設けられ域内にとどまる方策がとられる。

 気ままに何の制約もなく生き生きとした草を食べられる。ノルマがあるわけでもなかろうが、放つ方は食べつくすおおよその日時を計算し、次の予定を組み入れる。ブタは草の根も掘り起こして始末してくれと聞いた。根まで処理してくれれば、除草を頼む側にはこれ以上のことはないだろう。

 牛や馬、子どものころには近くの農家では必ず飼育されていた。ヤギは農家ならずとも乳を得るために飼われていた。これらの家畜、ペットとは呼ばなかったが、家族のように大事にされるのを見ていた。農業の大きな課題を解決するため、かっての家畜たちが今登場してきた。人手をかけなくても雑草処理するヤギを眺めながら、そんなことを思った。
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4年に1度検査

2014年09月24日 | 生活・ニュース


 高校時代の専門系の教科書に「原油はこれから30年で枯渇する」そんな記載があった。それからしばらく経過しても30年とあった。オオカミ少年の話ではないが、原油は今も世界中で精製され生活に欠かせない働きをしている。枯渇は困るが、本当の枯渇時期は神のみぞ知るのかもしれない。そんな意識が温暖化抑止にブレーキをかけている。

 「綺麗な水や暖かいお湯、電気やガスも自由に思うまま使っている。資源には限りがあるという意識で大事に使おう」、こんな内容の中学生の投稿が載っていた。最もなことで、繰り返し言われていることだが、現実はその通りならず無駄も目につく。開会中の国連で温暖化防止が討議されている。国の利益だけの議論を超越することを願う。現状で推移すると、2050年の京都の紅葉は12月になるという。何とかしなければ。

 水や電気を思うがままに使えるその陰には、それを支える人の働きがある。現役時代も、メンテナンスの重要性を何度も学んだ。これを怠れば想像もつかない事故や災害を誘発する。そんな、小さいが大切な一つ、各戸を訪問しての「電気設備の漏電調査」を受けた。検査員は、「この調査は電気事業法により4年に1回、電流計により測定、測定値は1ミリアンペア以下が安全域」と計測器を示し「良好」ですと検査結果通知を発行する。我が家ではLPGを使っているが、これも毎月、ボンベ周りの点検、器具についても定期点を受ける。漏洩などで急激な大量消費状況が発生すると電話回線を通して管理会社へ通知する。

 体も車も定期検診や点検を勧められる。その必要性を覚え知ったのは3年前にガンを初期の段階で発見、処置できた時だった。そんなことは百分の一、千分の一ともいわれたが、検診を受けなければ何分の一にも出合えない。漏電点検の時間は何秒かで終わる。その何倍もの時間、検査員と会話し、新しいことを知ることができ、改めて点検保守の必要なことを思った。点検は無料。
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曼珠沙華

2014年09月23日 | 自然 季節


 今日は彼岸の中日、秋の彼岸になると彼岸花は静かに誇ることもなく咲き、また、静かに元来たところへ帰っていく。一つの 人の道を教えてくれているように感じる。私の新聞初投稿で初掲載のエッセイはこの花がテーマで忘れることはない。

 耕作放棄の荒地、伸びて絡まった雑草は人の踏み入れることを拒む。そんな雑草の屋からのわずかな空間に彼岸花が数輪見え、それが葉の狭い隙間からのわずかな漏陽を受けている。その姿と色合いには近寄りがたさを感じる。彼岸花は曼珠沙華とも呼ばれる。これは赤い花という意味で、語源は経文から発したといわれる。そんなところから気高さを保っているのだろう。

 彼岸花ほど地方によっていろいろな呼び名を持つ花は珍しく千種を超えるといわれる。ある節では「その名前には意味不明のものが多い。これは忌み嫌われたから」という。なぜ嫌われたのだろう。人との関わりがあったからこそ名前が多くあるのでは、と思う。そんな一例、彼岸花の根っこ、球根はモグラやヘビ、ネズミなどが田畑の畦などで生きることを拒むという。これは田んぼの水漏れによる稲作被害を食い止めると聞いた。

 先日、島根県にある「彼岸花公園」に案内された。こうした公園のあることに驚いたが、そこでは地元の人が彼岸花祭りの準備をされていた。駐車場には驚かないが、彼岸花ロードが設けてある。そのロードにもところ構わず花が咲き繁殖力の強さを感じた。つぼみが多く、満開の写真にはならなかったが、咲きそろい、公園が赤絨毯を敷き詰めた模様を想いながら、地域お越しに労をいとわない皆さんにエールを送った。
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平家物語

2014年09月22日 | 生活・ニュース


 購読紙の「安野光雅『絵本 平家物語』」展の入場券に応募、当選した。秋日和に恵まれた日、津和野町の安野光雅美術館へ出かけた。

 絵本に収められた79点の原画が、物語の流れに沿って展示されていた。その各作品に、物語に対する作者の思いや、取材時のエピソードなどをつづった一文が添えられている。それは素人の私には、絵の内容を理解する導として大きな参考となった。

 物語については、教科書程度の知識だが、祇園精舎、壇の浦合戦、安徳天皇の入水、屋島での扇の的、一の谷の逆落としなど、記憶にある話の絵の前では、一文を読み返しながら絵に見入った。

 絵のサイズは65×80㌢。構図は俯瞰的で、個々の人物は小さく描かれているので、始めは奇異に感じ観ていた。順路を進むにつれて、淡い色調の中に、観る人を物語の時代へ誘い、諸行無常の響きを悟らせていると思い、絵に秘められた深さを改めて感じた日だった。

 原画保護のため照度を下げた館内は、平家物語の再現にふさわしい、落ち着いた雰囲気の中でゆっくり鑑賞でき、堪能した。
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徒然8号

2014年09月21日 | エッセイサロン


 昨年のこの頃です。工房「木馬」さんの作業場を1日占有して工房さん設計の製本機を作らせてもらった。いや、製作してもらった。押さえていたり支えたりが私の仕事。昼食もごちそうになり、何もかも丸かかえの製本機を作って貰った。内容はともあれ、自分のそれを使う日を楽しみにしていた。

 第1回目の使用は、8年目を終えたブログの年冊で8冊目。過去の7冊は工房さんの製本機を借用して完成している。使い方は7冊の訓練を積んでおり、特別に困ることはなかった。本を開いても崩れない製本のノーハウ、それは背表紙の糊付け方法、それを忠実に実行する。これは辛抱と集中力が必要で、終わるころには右腕が「疲れた」と声を上げそうだ。

 今回、表紙の印刷でひと工夫した。プリンターを変えたので用紙の後ろ供給ができなくなり、不定形な用紙の印刷が不便になった。試しに、長い不定形用紙を前給紙のトレイにはみ出した状態でセット、印刷した。思いのほか上手く綺麗に印刷してくれた。本番も試み通りで難を逃れた。電気店の話ではどのメーカーも前給紙になっているとか。

 ともあれ、8冊目のブログ年冊が完成した。今回は製本機との記念写真を残した。ブログを始めたのはエッセイサロンの会のメンバーになったとき勧められて始めた。動機は何であれ、今はささいなネタ探しも楽しみの一つになっている。パソコンが楽しめる間は続けける。明日はあれを載せよう、そう思うとパソコンを閉じるのも楽しい。
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