日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ブログの発信 16年目に

2021年09月30日 | エッセイサロン
2021年09月30日 毎日新聞「みんなの広場」掲載


 
 「文を書いて外部へ発信し自己啓発を図ろう」と文章教室で教えられ、ブログを開設したのは60代半ばだった。高齢者に仲間入りして始めたことだが、先日16年目に入った。よく続いたと思いながら、もうそんな にたっているかとも思う。

 私はブログに書いた1年分を印刷、自家製本して保存している。本らしくするため、目次や表紙をつけるなど工夫をしている。今、15冊が本棚に並んでいる。日常で気づいたことや感じたこと、子どもの頃の回想、社会人になってからの経験や体験、人との出会いや別れ、地域や同好会、家族のことなどを重ねている。ここ2年ほどは、コロナ禍の登場回数も多い。

 つづった内容を思い返すと、意識したわけではないが、私の小さな小さな自分史になっていることに気づく。16年目のブログ、人生でいえば高校に進学した。学齢に応じた内容の進歩を心がけながら、新しいページに向かっている。
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よそ様のことですが

2021年09月29日 | 地域

  散歩途中で多く見かけるようになった休耕畑や空き家、そこはすぐに雑草が茂る。わが町だけの姿ではないが、目に触れると侘しい気になる。先日の秋日和さわやかな日、そんな雑草の茂った畑を見ながら、「ここには、使われなくなった手押しポンプがあったが」と思いながら通り過ぎた。あの日から1週間くらい過ぎて同じ畑の側を通ると雑草は消え、見覚えのある手押しポンプが秋の日を浴びていた。刈られた雑草は小山のように積まれている。

 その昔、城下の外れに近い地域の道幅は狭く、軽自動車がやっと通れるくらいの道も多い。しかし、生活道路の一端として使われている。そうした道沿いで空き地となったところの再利用は素人では何も思いつかない。雑草が茂り荒れるのが自然かな、このまま自然界に戻っていくのがいいのかも、悲しいかなそんなことを思うが何の術も浮かばない。

 大根、人参、白菜、じゃがいも、豆類など細々とではあるが菜園を楽しんでいたのは40年くらい前の大昔になる。暑い夏の前後は畑のほとりや法面の雑草刈り、当時は鎌で刈っていたこともあり時間がかかっていた。刈り取った雑草は畑の乾きを抑えるため畝に敷き詰めていた。その雑草はやがて有機肥料に変わった。

 近くで若い人の新築が増えた。それにつれ子どもの人数も増え登下校の元気な子らを見るのが楽しみになっている。最近は共働きが増えているからか、新築された家周りの雑草処理がされない家が多い。家は新しいが雑草が囲んでいる家もある。休みの日、朝方1時間ほど草抜きをする、それだけですっきりした家周りになる、そんなことも思いながら散歩をしている。
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つぎは84歳になる

2021年09月28日 | 生活・ニュース

 
 高齢者講習と認知機能検査を受けて81歳での更新連絡書がとどき、期間中に手続きをするよう促してある。手続き期間は2カ月あるが、その初日が今日になっている。受付窓口は結構混んでいた。手続きの書類を記入し交付の順を待つ。私の前に数人の人がいたが、みんな更新講習が必要なばかり、その多さに驚きながら、ゴールド免許の効果を喜んだ。

 更新後の免許を収めながら思い出す。先日の紙面に「免許返納 動き強まる」という記事が、自主返納の推移を表したグラフと合わせて載っていた。記事によると、自主返納は増え続けているが、東京・池袋の暴走死亡事件の起きた19年には60万人以上が返納とある。直近では75歳未満も46%で早めの返納が目立つそうだ。

 次の更新は84歳を迎える時になる。しっかり返納を薦められる年齢を超えている。父に返納を薦めるが巌として聞く耳を持たないで困っている、どうしたら良いかという相談が載っていた。幅広い年齢層から多様なアドバイスが寄せられていた。それが親の境遇に沿えば参考になるが、自主返納では、車を必要とする人の生活をどうするかを解決しないと、歳だから返納しなさいだけでは難しい。

 来年には道交法が改正され、運転技能検査が義務付けられるという。この検査に合格しないと免許更新は出来ないことになるという。軽微と思うような違反や反則も対象になる。意識して違反や反則を犯す者へは当然の処置だが、高齢だから違反や反則を起こした、そう言われることのないよう安全運手を心掛ける。
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押印不要

2021年09月27日 | 生活・ニュース

 日本年金機構から「令和4年分扶養親族等申告作成と提出」の書類が届いた。もうそうした時期になったのかと思う。2年目のコロナ、コロナ、今はこれに合わせ全く関係ない総裁選が加わり、気ぜわしい感じになっている。今年の申告書作成で変わったのは、署名の後の「押印」が不要になった。それは税制改正に伴う変更点と断ってある。

 閣議決定の規制改革実施計画に基づき、各省庁で「押印を求める手続の見直し」が行われた。地方自治体もこれに伴って押印不要の手続きが増える。この押印不要が、どれほど規制改革の意味を成すのか分からないが、現役時代のことを思い出す。ある工場長名の書類を工場長印(丸印)で提出したら受理されなかった。理由は工場印(角印)の無いことだった。そんな厳しい時もあった。

 調整済の案件に決裁印を押しながら「この小さな印でも、押すことで会社が続く限り責任を負うことになる」。これは工場の課長が私に話した内容、その人は工場長、本店の部長、役員、そして社長へと進んだ。名字だけの丸印だが、保管は厳重で、いつも課長机の鍵のついた引き出しから印を出す課長だった。そんな時代もあったと思い出す。

 なにはともあれ、この申告書を期日までに提出しておかないと、毎回の年金から所得税を引かれ、年金の受け取りがますます少額になる。確定申告申告の手間も省ける。こうした申告手続きもやがてライン化されるのだろうか。それにしてもレジタル庁、隠されている発足前からの接待が表面化する。デジタル化の暁には接待も即表面化されることを願う。
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日本の祭り写真展

2021年09月26日 | 陶芸

 11回目になる「日本の祭り」と題した写真展。退職後にUターンされて始まった年2回の写真展、内容は趣味で撮られた東北から九州までの祭りの写真、足を運んだことのない祭りばかりで、毎回、楽しみにしている。祭りの賑わいだけでなく、それに集う人らの様々な地域の人の姿も鑑賞でき、報道で見る賑わいだけでない一面が楽しめる。今回は約80作品が並んでいる。

 テーマは「源平ナイトイン・赤間神宮」と「大分県日田祇園祭」。源平は、源平合戦・安徳天皇の入水・耳なし芳一・武蔵小次郎の巌流島・奇兵隊・宮廷女官の花魁などの鮮やかであでやかな写真が並ぶ。壇ノ浦合戦から800年、先帝祭や海峡祭りは報道で見るが、展示写真は赤間神宮境内で行われというが、初めて見る内容で、地元の熱意で続いているという。機会があれば足を運んで見たい。

 日田祇園祭りは、日田の二つの神社で行われる厄除け神事で約400年前から続く祭事という。写されている山鉾は、京都の祇園山鉾を手本として造られた豪華さがうかがえる。国の重要無形民族文化財、ユネスコ無形文化財に登録されている。日田は天領として栄えた歴史がある。お囃子の篠笛の長さに驚いたが、その音色は他所では聞けない素晴らしさという。

 祭りと言えば夏から秋にかけての行事で、子どもから年寄りまでが楽しんだ。小さな地域だが氏神様の祭りの世話を何年かやらせてもらった。行燈に御幣の準備は大変だったが、軒下で風に揺れる御幣を見ると地域を大切に、そんなことを感じた。コロナで各地の祭は見送られたが復活を待つ。
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ローカル線の廃線

2021年09月25日 | 地域

 NHK-TVに「日本の廃線」という放送がある。内容は日本中に張り巡らされていた鉄路の廃線前の姿を映し出す。それはかっての国鉄やJR、民間の鉄道、大都市の交通を担った電車、ダムなどの工事用鉄路が観光用に転身、などその生い立ちは様々だが、廃繊に至る経緯は沿線の人口減、利用者減少、減便、無人駅化、そして廃線に至る過程は同じだ。また、貨物運送のトラック化も大きく影響している。

 市内にはローカル線として岩徳線と三セクの清流線がある。岩徳線は山陽線が電化されるまでは本線で、今の西岩国駅は岩国駅だった。SLの頃は黒っぽい長い客車が7、8両くらい連結して走っていた。その名残はローカル線としては長大なホームが現存する。沿線に住宅が増えても車社会、乗客は増えていない。朝夕は2両だが、昼間はディーゼル車が1両で走っている。それでも線路そばの花を手入れする人を見かける。

 岩日線は、山陽側と山陰側を結ぶ国鉄の岩日線として建設が始まった。途中まで開通したところで建設は中止、三セクとして存続している。清流・錦川沿いに中国山脈の麓まで自然の中を走るが、その経営は赤字の連続で厳しいと報道される。この路線も車社会が響き、利用者増の工夫は常にされているが成果に至っていないようだ。

 朝方の2両連結のJR上り線の通過を小さな踏切で待つ。窓越しに見える乗客の姿はわずか、いつまでも存続を願いながら見送る。助成や支援金に頼りきった自治体とその議会では、人口増に連なる新しい産業や力を生み出すことは難しい。ローカル線を存続させるには、市民の考えが議会で反映させることからのスタートになる。その選挙は1年後にくる。
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いっぷく

2021年09月24日 | 生活・ニュース

 ちょっとした用事で出かけた先の事務所でのこと。偶然そこに事務所の家主さんがおられ「ちょっと一服してください」とお茶をたてられた。お茶を頂くのは久しぶりというか、何十年ぶりというのが正直なところ。添えられた菓子を頂き、緊張しながら作法通りの真似をしていただく。

 「一服」と書いて「いっぷく」。若い人にはなじみの少ない言葉かもしれない。辞書により説明のニュアンスはことなる。それを私流にまとめると「お茶を飲む、薬をのむ、煙草を吸う、休憩する」などで、これを組み合わせて使うことがある。ほかには乱高下する株価が安定した時などにも使う。時代劇で悪代官の手先が「一服盛るか」は決してやってはならないこと。

 今夏も夏日や猛暑日の気象予報が出ると「水分をしっかり摂る、しっかり水分を補給する」と予報士の注意喚起を幾度も聞いた。どうしてお茶と言わないのだろうか、へそ曲がりなことを思いつく。水と茶、喉を潤すのは同じだが、茶には昔から薬効成分があり、ひと休みしようという感覚がある。水は飲んだらすぐに仕事を続ける、そんなニュアンスの違いがある。

 何十歳も若い時、会社の茶道クラブに初釜の写真撮りを頼まれた。何せ初めてのこと、聞いてはいたが茶室へ入るにじり口の狭さに驚いた。室内は狭く、数名の参加者の間を縫いながら撮影した。その時いただいたお茶の味は記憶していないが、気ぜわし屋の私に茶道は向かないと思った。あのとき撮った8㍉の映像はどこにあるのだろうか。
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投稿が健康の証しに

2021年09月23日 | エッセイサロン
2021年09月23日 中国新聞「広場 特集 生き生きシニア」掲載

 エッセーを創作する同好会に出合って15年になる。65歳にしてはまったエッセー創作と投稿で、さまざまなことに関心が向き、気付けばメモや写真に残して題材にしている。
 入会して創作と新聞投稿を始めた。投稿は字数制限に苦労しながら、今も続けている。8年前には、掲載された100編をまとめて自費出版した。もうひと踏ん張りで300編になる。その時は2回目の自費出版をしたい。
 入会と同時期にブログを開設した。8年前からは一日も欠かしていない。1年ごとに印刷して自家製本にし保存している。今は15冊目の製本を準備している。
 投稿の何か面白いのかと友人たちに聞かれる。思い付いたことをどのように展開するか、考えることが好きだ。載るかどうかを待つのも楽しい。投稿しないと分からないだろう。毎日書けることは健康のバロメーターと思っている。元気な限り、思いをつづって残したい。     
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秋の空

2021年09月22日 | 社会 政治

 昨夜は、雲の切れ間から、中秋の名月としては8年ぶりという満月が撮れた。天候不順から野菜類の高騰が報じられている。最近目にしたところでは普通サイズの胡瓜1本が108円、消費税がこれに加わる。秋は過ごしやすいというが、コロナと合わせ難しい世渡りが求められる。

 そんな世情は天には届かず、雲ひとつない真っ青な空が思いっきり広がっている。まだ紅葉した木々はみえないが、色づき始めた柿が降り注ぐ陽ざしを浴びている。すでに店頭には並んでいるが、見上げる柿はまだ食べころには早そうで、時を楽しんでいる。幹線道路を少し外れるとわずらわしさが薄らぐ。

 「なんとか心と秋の空」と言う。これは、人の気持ちは秋の天候のように変わりやすいものだということだが、見上げる青空からはそんな様子はうかがえない。秋を頭に付けたことわざがいくつかる、「秋茄子は嫁に喰わすな」「秋の扇」「秋葉山から火事」などが思い浮かぶ。人の情や行動を様々に言い表していて味わいがある。

 報道は総裁選を総選挙のごとく報じる。その姿勢は理解出るが、他方ではうんざりしている。期待した発言がトーンダウン、問いに対し具体的に応えない、素人でも感じる忖度発言、党の改革をいわれるが、結局どなたが当選してもこれまでと大きく変わることはない日本の政になりそうだ。秋の空は急変するという、政治もそれを証明してはどうですか。
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ブログ15集発行

2021年09月21日 | 生活・ニュース

 先日、ブログを開いてから16年目に入った。開設のきっかけは「岩国エッセイサロン」の会に入会した際、自己発信のひとつとしてブログを教えられた。すぐに開設し、15年目の終了が5,478日目となった。8年目からは毎日書き5,387編となった。内容はその日気づいたことや感じたことばかりだが、総字数は310万字余、原稿用紙で7,750枚になる。書くというものの、実際はパソコンを使うから達成できたことで、パソコンに感謝のひと言でしかない。

 ブログを始めてから毎年この時期になると決まってやることがある。それは、1年分の全文を印刷、目次を作り、そして1冊の自作本を作る。ひま暇に前もって準備はしておくようにはしているが、緊張感が湧くのは1年が終わるころで、作家の「締め切りに追われて」という気分が味わえる。製本し、表紙をつけて例年と同じように仕上がり小さな達成感を感じる。

 65歳という高齢者に仲間入りして始めたことではあるが、よく続いたなと思う。最近は、元気だから続けられる、書けることは健康のバロメーター、そんな指針にもなっている。昨年に続き今年も新型コロナに関する内容が多い、これも社会現象の一つとして留められる。

 15年分、素人手作り本ではあるがその15冊を並べる。ブログには子どもの頃の回想、社会へ出てからの経験や体験、親をはじめ人との別れなど身の回りのこと、地域や同好会などを綴っており、小さな小さな自分史が並んでいるように思えてちょっと感激する。16年目、人生でいえば高校生に進級した。学齢にふさわしい内容の進歩を思いながら新しいページに向かう。
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