日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

また一つ消える

2022年03月31日 | 地域

 年度末、社会では明日から令和4年度に変わる。就学を終え社会人として人生の大海原へ出帆する人も多かろう。平和な国、平和な世界の樹立に向って持ち場持ち場で若い力を存分に発揮して欲しい。ウクライナの戦禍を知るにつけ願わずにはいられない。

 年度が変われば新しく生まれることも多いが去っていく消える物もある。これは消えていく小さな一例の話し。消えていくのは小さな街の市場。その市場は1952(昭和27)年、戦後の復興期に営業を始めた市小売市場で、施設の老朽化、営業店が廃業などが廃止の理由になった。最盛期には市場一杯に食のあらゆる品が揃えられ賑わっていた。

 郊外型大型店舗の増加に合わせ客足は次第に減少、店主の高齢化、地域の人口の減少などもあり店数が徐々に減っていた。高齢者のニーズで鮮魚店が最後まで商いをしていたが閉店。その方のお孫さんが市場近くで鮮魚店を開き賑わっている。市場は岩国七町の一つで豆腐町(のちに登富町)で城下町時代の通りにある。道幅が狭く再開発は難儀だろう。

 この通りには市場の他に商店が軒を連ねていた。肉屋、魚屋、仕出し屋、野菜と果物屋、揚げ物屋、練り物屋、煙草屋、花屋などなどで、年末の買い物風景は、東京上野アメ横の混雑そっくりで、通行もままならなかった。その思い出は昭和40年代半ばころまで続いた。市場ができて70年、その歴史に幕が下りる。これも時代だろうか。

 (今日の575) 生活の様式変わり歴史消す
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早期の停戦を

2022年03月30日 | 生活・ニュース

 先月24日、ロシアのウクライナへの軍事侵攻から1カ月以上が過ぎた。この間、直接間接を問わず続いていた停戦交渉が、トルコの仲立ちでここにきて進展を見た、報道で知る限りそんな印象を持っている。多くの死者、街の壊滅的は破壊、千万人を超える避難民、危機的なライフライン、とにかく一日も早い停戦実現を誰もが望んでいる。

 ロシアの軍事的侵略を国内のマスコミは時間や紙面を大きく割いて報じている。SNSが世界中に広まり、目を覆いたくなるが戦争という悲惨な実情が瞬時に世界へ伝わることを実感する。第二世界大戦後にも朝鮮やベトナムなど多くの戦争がおきたが、今ほどの情報はなかった。

 「後出しで知識並べるコメンテーター」。これはある新聞に載っていた読者の投稿川柳。TVのワイド番組には多くのコメンテーターが登場する。面白く聞いているが、ウクライナについては首を傾げる発言をするコメンテーターに出会う。というのは川柳の通りで、どう見ても専門外と思える人が専門家のような解説をしている。時には断定的にする。素人は素人なりの庶民感覚をコメントして欲しい。放送の全部を見ているわけではないが、後出し、つまり受け売りの話しは聞きづらい。

 ウクライナ支援について国内でも賛否両方の声がある。仲間うちでは討議の結果として支援に加わることを決めた。募金箱を置き善意を募っている。

 (今日の575) 朝刊を読んでりゃ出来るコメンテーター
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桜と日本酒

2022年03月29日 | 生活・ニュース

 市内には現在、雁木の八百新酒造(今津町)、五橋の酒井酒造(今津町)、黒松の村重酒造(御庄)、金雀の堀江酒場(錦町広瀬)、獺祭の旭酒造(周東町獺越)の5つの酒の蔵元がある。どれも錦川の清流に由来する品種で、手に入りにくい酒もあるらしい。

 あるらしいというのは、退職後の酒席と言えば同期や親しい仲間との会食などが主で、飲酒の機会が激減したことから酒に接する機会がなくなり、情報に疎くなった。甘口に辛口、すっきりにワイン風味など酒の特徴が語られる。県内の日本酒は国外でも人気が高く、輸出にも大きな貢献をしている。

 5つの他に蔵元はあった。その一つの蔵の側が通学路だった。高い蔵の上の格子窓から白い蒸気が湧き出ていたことを記憶してぃる。店頭では酒瓶の洗浄を眺めた。瓶に水を張り、柄の長いブラシで洗い、瓶を回して水流を作り排出する。一連の流れ、今はすべて機械化され人手の作業は無いだろう。その蔵元が閉じる前には兵庫ナンバーのタンクローリーが来ていた。関西の酒にブレンドされる、もしかして灘の生一本の仲間になるのか、そう思いながら見ていた。

 時は桜の季節、花見と酒の1升瓶の切り離せないのは昔の話し、今は酒の種類もその容器も豊富で瓶を持ち歩く人はいない。新幹線の新岩国駅近くの蔵元で酒蔵のシンボルである大杉玉が5年ぶりに作り変えられた。直径5㍍重さ3㌧、来月の酒祭りで披露される。5年ぶり見に行ってみよう。その蔵元は金冠黒松さん。

 (今日の575)  我が途は酒は辛口人は甘
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思い出の先生

2022年03月28日 | 回想


 近くの小学校では異動される先生方の離任式、児童にとってはお別れの式が30日に開かれる。私は小学6年間で、1と2、3と4,5と6の各2年間担任は同じで3人、3,4年は女性教師だった。すべての教科を担任がこなしていたが、5、6年の音楽は隣の組の女性教師に習った。在学中に3人の先生の異動はなかった。

 2年ごとにクラス替えがあり同級生の交流があった。小学6年間でクラス会の経験は1度だけ。それは3、4年のクラスが分かれて50年目の桜の頃に集った。2名の級友がすでに亡くなっており黙とうから会が始まった。大方は山口、広島県内の居住だが遠くは茨木県からの出席もあった。全員が当時の定年である60歳を超えた年だった。50年過ぎているがI先生はたいそうお元気でみんな安心した。

 当時の先生は年齢的には少し年の離れたお姉さんという感じだった。嫁がれた先が幼稚園で、後に園長となられたが在任中に還れない世界へ旅立たれた。通夜には当時の級友の何名かと臨んだ。多くの卒園生も参じ別れを惜しんでいた。高校卒業までに唯一の女性担任だった。

 ある会場で、I先生と同姓で住居地の同じ方に出会った。それとなく伺ねるとI先生と親戚間関係の方で、小学校の教師時代をよくご存じだった。しばし、半世紀以上過ぎた昔を思い出し、「思い出に残るいい先生でした」と話した。その日は、何か閊え消えたような気持ちいい日だった。

 (今日の575) 先生と本気で呼べる人でした
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思い出の入学式

2022年03月27日 | エッセイサロン
2022年03月27日 毎日新聞「男の気持ち」掲載


 入学式の話題を耳にする度に思い出すことがある。もう70年前のことだ。
 6年生になった直後の授業開始前の教室。輪になってワイワイ話している。そこに入ってきた一人が私に「先生が
職員室に来いと言っている。何か悪いことをしたんか」と心配そうに言う。職員室べ呼ばれる時は「叱られる」と思
うのが普通だった。心当たりはないが職員室へ向かった。
 担任からいきなり「今日は入学式だ。在校生代表であいさつをしてもらう」と小さな紙切れを渡された。内容は思
い出せないが、数行の文が書かれていたように思う。
 教室へ戻ると、呼び出しを伝えた級友が「なんじゃったんか」と心配そうに待っていた仲間を代表して聞いてき
た。呼ばれた訳を話すと、良かったと空気が和んだ。
 この日、妹が入学するので母も式に来ることは知っていた。母は「あいさつするのは、うちの子によう似とるが」と思ったという。式の直前に決まったと話すと、母は記念になったと喜んだ。
 このことを思い出す度に忘れられないうれしさがある。それは職員室へ呼ばれた私を何人もの級友が気遣い、心配
し、私か教室へ戻ってくるのを待っていてくれたことだ。
 今、あの時の級友だちとは音信が途絶えた。しかし、当時のクラスの集合写真を見ると、人を思いやる五十数人の
素晴らしいクラスだったとの思いが込み上げてくる。

 (今日の575) 新入の初々しさを思い出す
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サクラ雨

2022年03月26日 | 自然 季節

 待っていた桜が咲き始めたというのに週末の天気予報は大荒れを予告していた。当地では雨に加え強風・波浪・雷注意報も出て予報通りの朝となった。雨は真夜中の3時ころから降りはじめ時間で5㍉から10㍉くらいの雨量が続いている。風と雷は予報だけで終わりそうだ。

 桜の咲く頃には雨がよく降る、桜の花びらはちょっとしたことでもすぐに散る。この時期に降ってくる雨は花びらを散らせてしまう。桜にとっては天敵と言えるかもしれない。雨のせいで散った桜の花びらには寂しさを感じるが、この雨を何と風流に感じるのか「桜雨(さくらあめ)」と呼んでいる。

 持っている3つの辞書で桜雨が載っているのは「桜の花の咲く頃の雨」と載っているのは広辞苑だけ。そのものずばりで奥深い解釈は無いようだ。ほかに「さくらう」とも使うそうだが、私は「さくらあめ」を選ぶ。2月末から3月の晩春に降る、雨足が細かくてしとしと降る雨を春雨と呼ぶが、今日の雨は少し趣が異なり温かみがあるように思う。

 学校は春休み、晴れていれば花見に出かける人も多かろうが人出はどうだろう。桜は日本を代表する花で、俳句(たしなみてはいない)で花と言えば桜の花をいうそうだ。そんな桜に引かれるのは、爛漫と咲くこととその散り際のいさぎよさだろう。桜雨は今日だけで終わって欲しい。天気は夕方には回復に向かっているようだ。

 (今日の575) 咲きそろう前に試練の風雨来る
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人事異動の季節

2022年03月25日 | 社会 政治

 1週間後には新しい年度、令和4年度となる。この時期になると公務員の人事異動内容が新聞紙面の大きな割合を占める。教職員と警察関係に続いて県職員の異動が新聞の1面全体を埋めている。情報公開の一種かもしれないが、どのくらいの新聞読者が異動の全部に目を通すだろうか。これに各市町の異動も加わる。

 と言っているが、現役のころには異動内容を熱心にチェックしたことを思い出す。担当する役所の接触している担当者の転出とその後任にを見落とすわけにはいかなかった。鉛筆で人名を押しながら確認したものだ。それでも紙面に名前の載らない一般職の方については情報を待つしかなかった。 

 今回の県職員の異動。3月初め山口県の公共工事の資材価格を記した「単価表」の情報を県内の土木工事会社に提供し、その見返りに賄賂を受け取ったと事件が発覚した。さらに先の衆院選で山口3区の自民党候補の後援会入会を職制として職場で推進、選挙違反で副知事は辞任した。その事件について県の調査結果が公表された。

 公表の中で、自民党候補の後援会加入勧誘は25年以前から常態化していたという。大方の該当者が違反とは思わなかったとしている。調査チームのリーダーは「これを機に自民党に忖度せず他の政党とも平等に対応すべき」としている。この反省が、この定期異動でどれだけ折り込まれているのだろう。処分を受けた職員で昇進している者もいると報道にある。県政を県民のために行う、苦い経験を活かして欲しい。

 (今日の575) 送別会まんえんマナー守ってね
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カップ担々麺

2022年03月24日 | 生活・ニュース

 日本人は年間20から30個ほどのカップ麺を食べている計算になるとか、これは多いのかそうでないのか、いや、もっと食して欲しいのか、意見はいろいろあろう。私も麺類は嫌いではない。現役のころ社食で同僚の女子社員から「いつも麺類が主ですね」と言われ、そうかなあ、と振りかえったことがある。

 いつだったか数人の仲間で昼食のため、「ラーメン」とだけ書いた大きな看板に引かれ初めての店に入った。メニューを見るや否や仲間の一人が「担々麺セット」を注文した。かねてから担々麺を食べてみたいと思っていたこともあり注文した。出て来たつゆの赤さに驚いたが、ほどよい辛みに「うまい」と思いながら、また食べようとどんぶりを空けた。それから何度か担々麺を注文した。

 担々は「(坦担は中国語で荷をかつぐという意味。四川地方で、かついで売るり歩くことからの名という)辛みを利かせた挽き肉やザーサイの細切りをのせた麵」とある。お隣りの広島では汁なし担々麺が名物で、行列ができるほどの人気という。外食はたまにだが、このところのコロナ禍もありすっかり遠のいている。

 これまで気づかなかったのだが、カップ麺の担々麺が並んでいた。スーパーの開店69周年記念ということで69円の特売になっていた。売れ筋なのか3個5個と買う人もあった。久しぶりに担々麺に出会たこともあり購入、試食した。カップ麺だと思えばその味は納得、買い置きをしておこう。カップ麺、三交替勤務時にはお世話になったことをおもいだす。

 (今日の575) 即席麺三交替には必需品
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懐かしい物干し

2022年03月23日 | 回想

 知人のフェイスブックに懐かしい生活の写真が載っていた。洗濯物が竿に通され数段の物干しに掛けられている。これは子どもの頃の光景だと見入った。家族は大人数、洗濯は洗濯板を使い手洗い、それを手で絞って、竿に通して干して乾かす。その竿を掛けるのは竿を乗せる受け木のついた対の長い棒だった。

 背より高い位置に竿を乗せるには、先端がY字状になった棒で差し上げていた。晴れた日にはそのまま夕暮れまで洗濯物は自然の風に吹かれるままに揺れていた。取り入れるときもY字棒は活躍した。雨の日は部屋にロープを張っての室内干し、頭を下げて部屋の中を動いていた。

 我が家に電気洗濯機が入ったのは昭和30年代の前半と思う。手洗いはなくなった。絞るのは洗濯した物をローラーに挟みそれを手回しして絞る方式だった。洗濯物をポイと投げ込み洗剤を入れスイッチポンで、後は洗濯機まかせで脱水も終わる。さらに乾かしてくれる。余裕になった時間の使い方に工夫がいる。

 最近は風に任せて洗濯物を乾かす、などは難しくなっている。それは気象予報士の呼びかけるスギ花粉、今日の当地の情報はやや多い、明日は多いとなっている。洗濯機と乾燥機の一体化は環境の変化により必然性があったのだろう。幸いにも花粉症知らずで乾燥機のない洗濯機で間に合っている。陽ざしを直接受けた洗い物には自然の温もりが保たれている。洗濯干しの懐かしい光景はどこに行けば見れるのだろう。

 (今日の575) 子供服竿の鉄棒でくるりんこ
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学校創立150周年

2022年03月22日 | 地域

 小学校そばの陸橋を渡っていると、運動場でバルーンを持た児童らがいる。何事だろうか、と陸橋を渡って運動場を眺める。遠くて話し声は聞こえないが、何かの祝い事だろうと思い相棒の小さなデジカメを構えた。バルーンは何組かに別れ、少し間をおいて放たれた。雨上がりで厚い雲に向って上昇していった。

 赤に黄や緑、青といった鮮やかな色合いをゆらゆらさせて遠ざかっていく。児童らは何か声を掛けているが遠くて分からない。帰宅してなんの行事か電話と学校HPで確認した。岩国小学校創立150周年記念のPTA行事、コロナ禍で延期されていたが「バルーンリリース」が催され、バルーンが大空へリリースされた。創立150周年か、私はこの小学校を69年前の3月に卒業した一人、過ぎし日を思い出す。

 在学中の校歌には「栄えある歴史は80余年・・・」とその歴史が読まれていた。110余年と歌われた時代もあったようだが、今は新しい校歌で、歴史を偲ぶ言葉は見当たらない。私らの時は「質実剛健」の歌い出しだったが今は「朝の光につつまれて」と優しい。当時の運動場に鉄筋3階の校舎が建ち、解体された木造校舎の跡が運動場になった。

 1クラス50数人、1学年6クラスの当時に比べればクラス数も児童数も大幅に減りざっと半分ではなかろうか。終戦2年目に入学した。制度が変わりカタカナからひらかに変わった年にあたる。何かにつけ物資不足が口にされた時代だったが楽しい小学時代だった。歴史に負けない生き方をしなければ、バルーンの上昇を思い出しながら思う。

 (今日の575)  校章の岩の一字は変わらない 
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