日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

今年は自費出版

2013年12月31日 | 生活・ニュース


 新聞への投稿を初めて6年余、掲載された100編を記念して、3月に初めての自費出版をした。編集や装丁などは、納得のいくまでパソコンの中で練った。誤字や脱字、誤変換の無いようにも意を注いだ。B6判の小さな一冊だが、新聞ローカル面で紹介され、反響の大きさに驚いた。
 読み返してみると、個々の文章は日々の暮らしを、言葉を飾らずに書いている。しかし、通して読むと家族や子供のころ、仕事や地域とのふれあいなど、小さな自分史になっていた。これは思わぬ成果で、これからも書き続けよう、という新たな気持を抱かせた。 (中略)
 投稿するとき心がけていることがある。それは分かりやすく書き、読まれた人から感動や共感を得られる。また、思わず笑ったりうなずいたりしてもらえる、そんな文章を書きたい。投稿欄はそんな目線で読んでいる。いつか200編の編集を夢見て。

 これは、「今年を振り返って」という募集へ応募した没稿。同類で4冊目を出版された、ひと回り近く年上の方の「振り返る」が載っている。これにはかなわないが、やってみようという気になる。来る年も書くこと、投稿することを楽しみながら続けよう。没稿で年が終わるとは体裁悪いが飾っても仕方ない。

 1年間、稚拙なブログをご訪問いただきありがとうございました。 2014年も続けていこうと思います。開いていただけると幸いです。
 どうぞ良いお年をお迎えください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巳年にかけて

2013年12月30日 | 生活・ニュース


 変換キーを押すと意味不明の文字が並ぶ。「どうしたのか」とパソコンに問いかけ、急いで削除する。再入力し変換するも前と同じ文字並び。原因は簡単明白、2回も入力間違いだ。間違いに気づかずアップし「間違っているよ」と教えられることもある。そんなことが少し増えたかな、何とかの前兆かな、と気になる。

 誤ってキーを打っているので意のごとく変換できない。意の通り、思った通りできないのは何もパソコン入力だけではない。陶芸教室で粘土と格闘するときは頻繁にそれを経験する。手さばきが悪く形を崩したり欠けたりさせる。そんなときは、粘土の練り直しから再挑戦となる。  

 「ありゃ」と大きな声。振り向くと、声を出した人は、先ほどまで厚みを薄くする手元を観察させてもらっていた人。その人を仲間内では師匠と呼ぶ。教室のスッタフも一目置く。それでいて気は優しく誰にでも惜しみなく技を教える。その人の前で回転している、ろくろ盤上にあるはずの作品がない。

 床に落ちた未完成の湯呑にけさがけ状の細い割れ目が走っている。「上手の手から水が漏れる」とはこのことだと思いながら見ると、裂け目は、厚さ2ミリほどまで薄く仕上げられた内側に達している。そこからが師匠。粘土をドロドロにしたドべと筆を使って「上手く仕上がりましたね」といわせる補修はさすがだ。

 今年も暮れる。気づいていない迷惑な行為があったろう。私が知らないだけで不快な思いをかけたかもしれない。PCキーのように打ち直しや湯呑の亀裂補修のような繕いはできないが、巳年は、心が広く忍耐力があり、品位は高尚で温和な天性とある。これに免じて許してもらうこととしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

独自の発見を書く

2013年12月29日 | エッセイサロン


 今年もいよいよ大詰め、各界各層で、恒例の、この1年を振り返る報道がされている。そんな中、靖国参拝や辺野古埋め立て承認などの大きなニュースが割り込んできた。これらのさき行きは年越しとなる。わが1年、エッセイ仲間の支援で小さな1冊だが自費出版出来たこと。これを機に「読んでもらえる」内容作りに励みたい。

 新聞文芸欄短歌の選者が投稿者に「対象に独自の発見を」と説かれている。その中で「自作を自分の目で客観的に眺め、選ぶ力をつける」ことを勧められている。「すると、良い歌とそうでない歌の判別がつくようになる。つまりは、良い歌とは、どれだけ独自性があるかという点にある。自然を対象にしても、人間を対象にしても、そこに、自分だけしか感じ得ない、何かを発見することが大切で、それが歌の独自性につながる」という。

 エッセイで教えられる。「ありきたりの表現を使っていないか、ありきたりの言葉、手あかのついた言葉、美辞麗句は使わない」「悲しいとか、うれしいとか、の言葉を使っていないか。感情は表現せず、できるだけ情景描写であらわす」とある。自分が見つけたことをどんなに表現すれば、より読み手に伝わるか、それには独自の視点で独自の表現をすること、と習う。

 先の選者が例示した1首。「大きなるスイカ三個育てあげ子の無きわれの子のごとく抱く」。作者は96歳。「巧みな作ではないが、自分の心情を、ためらわず、飾らず、一首としている。巧拙に走らず、正直に作ることを心がければおのずといい作品が生まれる」と結んである。

 少し恰好よく、少し知ったげに、たまには欲張って、そんなことは書いてる時によくある。読み返すとそこは削除する箇所になる。「巧拙にこだわらず、まず、自分のそのままをさらけ出して書く」これを今年の振り返りとしよう。錦帯橋周辺のホテルや旅館、割烹や食事処に門松が勢揃いした。見くらべて歩きながら、くる年への1作目を練る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

架け替えの実験橋

2013年12月28日 | しっちょる岩国


 岩国観光のシンボルである錦帯橋、これは1922(大正11)年に国の名勝に指定された。橋は今から340年まえの1673(延宝元)年に、洪水にも耐えれる恒久的な橋の建設を目指し、第3代岩国藩主・吉川広嘉の命によって架けられた。橋の長さは210m、直線で193.3m、幅5m、木造アーチ構造は世界的にも例がない。

 台風や洪水によって幾度か被害を受けてきたが、その都度修復を行いながら現在まで大切に護られ、継承されている。現在の橋は「平成の架け替え」として2001(平成13)年秋~2004(平成16)年早春にかけて木造部分の全面架け替え工事を工費約26億円、工期3年をかけて実施したものである(いわくに通になろう 参照)。

 錦帯橋の四季はそのいずれの折も見ごたえのある風景で、年80万人ほどの人が訪れる。特に春の季節は周辺に咲くソメイヨシノ3千本にその5連のアーチが映える。そんな錦帯橋の渡る部分は木造、そのために痛みや摩耗の補修には苦労されている。これからは技術伝承も含め定期的な架け替えが行われる。

 その一端として吉香公園に「木造の実験橋」が設けられている。これは、錦帯橋の次期架け替え工事(平成33年から同35年まで)において、継目の形状やシーリング材の決定を行う役割を担っている。そのため、橋板と橋板の継目の形状(2種類)と、継目からの雨水等の濾水を防止する目的でシーリング(3種類)が施行されている。これらの組み合わせ13種類という。子どものころ継目には金属がつかわれてい記憶があるのだが。

 実験橋は幅3m、全長6mと記した図面がある。また、実験橋はヒノキ(橋板と高欄)と赤マツ(桁)を使用、桁と高欄の笠木・土台・通貫及び高欄金物は、旧錦帯橋の解体材等を再利用しているそうだ。たくさんの方に渡ってほしい、そう呼びかけている。散歩の時はぜひ回り道をして渡って下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暮らしを謳歌する投稿

2013年12月27日 | エッセイサロン


 あの日からちょうど1カ月めの昨夕「『くるとん』見ました」というメールが錦町にお住いの知人から入った。教えられていた発行日よりも早いがと、仕掛を置いて書店へ急ぐ。医院の待合室で見たことはあるが購入は初めて。立ち読みできないようにポリ袋入りはちょっと秘密めく。

 手にしたのはVOL.38(2014-1・2月号)「特集 夢の花咲く町 室の木」が表紙。室の木は我が家から自転車で10分ほどの坂道を一つ越えた隣、でも公共施設以外はほとんど知らないところ。記事から地域のために若い人が活躍していることを知った。そんな中に「暮らしを謳歌する投稿 新聞投稿の同好会・岩国エッセイサロン」として見開き2頁で載っている。いい記念になる。

 中見出しは「堅物なご意見番?」「この空気はなに?」「遅れをとった岩国」「それぞれの投稿体験」「暮らしがドラマになる」。取材を受けていながら「?」と思う見出し、どうしても次を読ませる上手さはさすがだ。2L版ほどの集合写真を見ながら読むと取材の時を彷彿させる記事だ。

 入会の動機や初掲載の感想など取材を忠実に再現してある。あの日「テープ起こしが大変だろう」と心配したのは素人の杞憂だった。「原稿書きに詰まると、投稿欄を開いてみるようになった。そこに人の機微を感じるから」と取材記者。いつか、記者名の新聞投稿が掲載されることを待っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

味のある話

2013年12月26日 | 生活・ニュース


 複数の報道が「野菜高騰」と報じている。何れも夏の暑さや台風の影響によるという。その高騰ぶりは通常の1.5倍から1.8倍とか。歳末に向けてさらに値上がりだろう、と予測している。師走になると、何もかも値上がりするのは例年通りだが、その上げ幅が大きい。

 高騰の原因が自然のなせること、と言われると打つ手がないのか。トンカツ屋の主人が「うちではトンカツとキャベツだけ提供している。深刻です」という声が、キャベツの大盛り以上の盛り上がった悩みを顔に見た。ハウス栽培の野菜価格は今のところ影響がないとされるが、野菜不足に伴って値上がりしないか心配だ。

 市内のレンコン農家は師走で全国各地への出荷で大忙し。岩国のレンコンは、篤農・村本三五郎が岡山から備中種を持ち帰り、これを門前の石代に植えたのが始まりで、それから広がり門前バスといった。1181(文化8)年に藩営として始まった。岩国レンコンの特徴は、しゃきしゃきとした歯触り、かじると糸を引くでんぷん質の腰のある粘りなどで、味の良さは格別(岩国通になろう参照)。

 近年、レンコンの収穫量が減少しているのは後継者不足による栽培面積の減少が原因といわれる。一部では機械化されているようだが、目にする収穫作業は厳しい労働だと感じる。相当に年配の板前さんが「いい野菜がなかったら世界遺産にはなれなかった」と和食について話されていた。そうかもしれない、その話は農家の人への感謝をこめた味のある話だった。

 「ン」の付くものを食べると運が増す。何年か前に正月帰省しなかった孫が電話での年賀挨拶で話した。ニンジン、コンニャク、そしてレンコンを上げた。レンコンはンが二つも付く。親戚から自家用に植えられたレンコンが届いた。どう姿を変えて運に連なるのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6個目の干支

2013年12月25日 | 陶芸


 今年最後の陶芸教室。「世界で一つの作品を作ろう」と誘われて陶芸クラブに入会して満6年が終わる。時間的には小学校を卒業し中学生に、そう児童から生徒にランクアップする時が過ぎた。作品の出来栄えは児童どころか、園児並みかもしれない。こう書くと園児に怒られそうだ。

 毎年、最後の作品は翌年の干支を作ってきた。これまで丑、寅、卯、辰、巳そして今年は午で6個目、十二支の半分になった。午は7番目に神様の御殿に着いた事から、十二支の7番目になったされています。走るのが早いという午が7番目とは、何か訳があるのだろうか。子の1番は丑に乗っかって御殿、門前で飛び降り駆け込んだとか。

 会員の作った午は最終的には白、黒、グレーなど20頭近くになる。表情もスタイルも姿勢もみんな違ってみんな良いから面白い。一応、陶芸なので焼かれてしまうとわずかな修正もきかない。残念でもあり面白いところ。午らしくしようと、我流で赤い紐をくつわ風に結んだ。釉でつるつるの表面で苦労したが、何とか様になった、と自己満足。鞍、も何とかしたい。

 午を作り、先日はミニだが門松を作った。無意識のうちに師走のもろもろを取り込んでいる。回覧板には年明けのとんど祭りの案内も入る。折り込み広告は華やかな売り出しを景気よくうたいあげる。残りちょうど1週間、落ち着いて巳を送ろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫の誕生日

2013年12月24日 | 生活・ニュース


 今年のイブは3連休の最終日の昨日済ませた家も多かった、ケーキ屋さんの売れ具合からの判断。そういえばスーパーでの買いもの姿にも表れていた。昨年までより金額の張る品が好調で景気が上向いているという。その実感を感じてはいないが、年金者にはいつ反映されるのだろう。

 入口のドアに白のスプレーで一筆書きされた雪ダルマサンタ。華やかで豪華な飾りを映像で見慣れていて、それに比べることドアのサンタには素朴だが作者の温かみを感じ、ドアを開いて入りたくなる。この日、ドアの外の前庭に初雪が積もっていた。それに雪ダルマが手を振っているようで微笑ましかった。

 クリスマスイブ。京都に住む中3の孫の誕生日だが、学校行事で沖縄県に行っている。嫁から「誕生日とクリスマスにいないのは初めて、ちょっと寂しいですが、お土産話を楽しみに待って、誕生日を祝おう思っています」というメール。孫は出発前に「初フライが楽しみでもありちょっと心配」と家内に電話で話したそうだが、さて、どんな様子やら。 

 「ありふれた言葉でさえも孫言えば輝きながら伝わる不思議」。新聞の短歌欄に掲載された一句。納得していたら「孫うたによきうたなしといわれるが、この一首は賛成」と選者の評が続く。短歌では孫の題材は好かれないの、という疑問を感じた。エッセイや新聞投稿欄には孫のその時々を綴った作品は多いし、それを綴るのは楽しい。でも、中3にもなると書く側が成長に追っ付なくなる。喜ぶべきとしておこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日当たり

2013年12月23日 | 自然 季節


 午前5時、新聞を取りに出たときは星が見えた。それから薄暗くなり、小雨がぱらついた。近くに用事で出かけるとき念のため折りたたみ傘を持って出る。その帰りは日がさして影と一緒に歩く。今日から昼の時間が長くなる。その切り替えにとまっでいるかのような日和。隠されたり出たりと、くもり空の太陽には元気さがない。

 幹は一抱え以上もあり、高さは2階の屋根ほどの大きなクロガネモチ、それが年に1回プロの手で身ぎれいにされる。それは年の暮れの風物になった近所の庭木剪定。身ぎれいにされた幹には、数えるほどの葉が残されている。そのおかげで我が家のリビングへの日差しが増す。春になり枝は伸び夏になり葉は茂る。するとリビングへの暑い日差しが遮られる。エコ樹と感謝している。

 「11月分の領収書を持参でくじ引き、空くじなし」のチラシは新聞販売店のお客様確保術。口座引き落としの家には領収書をポストイン。予定時間前から列ができる。商品は電化製品や毛布などもあるが、外れは卵ワンパック。「連続して毛布が当たったんと」と知人の名前を出しながら列の後ろにつく人。くじは夢を抱かせる。我が家は高騰している卵、家計にはわずかだが日が差す。

 先日作ったミニ門松、持ち帰るとき型崩れしないようにと小さ目にしたが、思う通りには出来なかった。少し手直しをする。松や梅、南天などを挿した土が乾いている。水やりし日向に出す。南天や千両の赤い実が一斉に映えて見える。それは玄関に納まりたくない、と言ってるようだ。その気持ちはよくわかる、晦日まではわがままを受け入れ冬日を楽しませよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆずの効能に期待

2013年12月22日 | 生活・ニュース


 手帳の今日の欄。22日[日]の続きに「赤口 冬至 ゆず湯」と季節の情報を教えてくれる。銭湯の経験がないので、大きな湯船に丸ごとのゆずが何十個も浮いているとこでの入浴経験はないが、映像で見る限り「お風呂っていいなあ」と思う。

 冬至のことを「一陽来復」という。手元の小さな本に「復は陰暦11月、または冬至をさす。一陽は初春の気配」と載っている。さらに、冬至は太陽の力が一番弱まった日であり、この日を境に再び力が甦ってくると考えられる。そこで、冬至のことを陰が極まり再び陽にかえる日という意で「一陽来復」といい、この日を境に運も上昇する。縁起をかつぎ「来福」と書くが本来は誤りとも。

 子どもころ、ゆず風呂に入ると風邪を引かないと教えられ、意味も分かるままに「そうなのか」と覚え込む。今は、ゆずには血行を促進し冷え性を和らげる、体を温めて風邪を予防する、果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果など、科学でその効果を教えられる。最近いわれる香り、ゆずのそれはリラックス効果がある、と、まるでCMほどいいことが並ぶ。

 世渡り下手の私には「ゆず」がなぜか「融通」に聞こえる。考えや行動に先入観なく自由で伸び伸びとしている融通無碍な人を見ていると、自分をなんとかしたいと思いながら、脱皮できないでいる。ゆずのように強い香りがする植物は邪気をはらうという、今夜のゆず風呂は何十回目だろう。いつもはカラスの行水だが、今夜は少し長めの風呂にした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする