日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

旬のもの

2016年03月31日 | 自然 季節


 外国での生活経験がないので、外国の地に四季があるのかないのか分からない。書かれたものを読むと「日本の四季ははっきりしている」という。ならば似たような季節はあるのかもしれない。雨期、乾期といわれる表現もその一つだろうか。日本の四季にはそれぞれの季節に日本独自の食材がある、というのは昔の話。今は1年を通して大方の野菜が必要なら入手でき四季感は薄れている。

 加工や特別の保存策をして通年食していた話は過去のことになった。そんな保存食などが珍しいと求める人も多い昨今、本物志向だろうか。空調設備を備えた工場農業でも出来ない物はある。高価なマツタケなどはその一例、それほど高価ではないが旬のものとしてこれから出回るタケノコは自然物しか入手出来ない。

 はしりのタケノコを頂いた。それも茹でてある柔らかいひと品、我が家では今年初物。昔、畑の周囲にのぞくタケノコ、放置するわけにもいかず、1本残さず掘っていた。シーズ中は毎食何かの形でタケノコは食卓にのる。畑がなくなり、タケノコはいただく品に変わると、粗末に扱った時代が懐かしい。このタケノコの人工栽培はまだ聞かない。まさにこの季節だけの旬の物である。シャキッとした歯ごたえにから旬の味わいが広がり、予定外の晩酌になった。

 食用になる竹の種類は孟宗竹、淡竹、真竹の3種類は知っている。今、頭を覗かせるのは孟宗竹の子、これから初夏へかけて竹林まわりで伸びていく。皮を脱ぎながら伸びて若竹となり、やがてさっぱりした性質で曲がったことが嫌いな姿になる。竹を割ったような人はここから来ている。明日は花見、筍風の吹かないことを願う。
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しだれ桜満開

2016年03月30日 | 地域


 このところの暖かさもあって、各地の桜標準木満開の知らせが相次ぐ。錦帯橋近くの公園の桜も2分3分と、木それぞれの思いで開花している。週末は見ごろだろうが、雨の心配も予報されている。この時期は菜種梅雨といわれるように、桜の季節は花泣かせの雨が降る。

 そんな染井吉野より一足先に満開のさくら、枝垂れ桜が旧家の庭に今年も咲いた。関心ある人にはそれなりに知られたしだれ桜、見事というほかない。

 桜もいろいろある。里桜、彼岸桜、糸桜、枝垂れ桜、染井吉野、そんな締めくくりは山桜。赤芽、青芽などの萌える時を同じくして花開く。「私の渾名は山桜です」と自己紹介した教師を思い出す。その意味を理解したのは忘れるくらい後のことだった。

 桜といってもその数は数百種類といわれるが、どんな分類がされるのだろう。そんな中で枝垂れ桜は長寿という。樹齢100年を超える木も多く、歴史的建造物やそのような場所に存在するという。目の前の立派な枝垂れ桜にはどんな由来があるのだろう。
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公衆電話に注目

2016年03月29日 | 社会 政治

 2年前の3月から行方不明になっていた埼玉県朝霞市の女子中学生が保護された。事件は記憶から遠ざかっていても報道を知って誰もが良かったと喜んだ。容疑者の逮捕も間もなくで詳細な経過は解明待ちになる。その結果は再発防止策に役立つ事を願っている。報道から中学生の沈着な行動がここに至ったと思う。

 この中学生が助けを求めたのはJR東中野駅に設置されている公衆電話、映像では2台の公衆電話が繰り返し映し出される。スマホや携帯などの普及で、地方の街でも設置数の減少を感じている。日常ではその必要性を感じなくなっているし、何年間も利用したことはない。しかし、この度の中学生保護に至ったいきさつから、緊急時における公衆電話の必要性が問われている。

 携帯電話を所持するまでは出張や外出、特に遠出の時などはテレホンカードを確認して出かけた。その便利さを何度も経験した。人の往来の多い通りや人の集まる場所にあり知らない街でも格別に困ることはなかった。公衆電話からの悪さに悩まされ、今は受信拒否に設定している。緊急時を思えば解除が必要かもしれない。

 「公衆電話知らない」という中学女子生徒の声が聞こえた。常時、片手に通信機器を携帯している人らも万万が一の場合役立つ公衆電話、身の安全を守るための一つとしてその知識を備えておくことは負担にはならない。緊急通信を使わないことが最善ではあるが、備えあれば憂いなしという。保護された中学生の心身の健やかな回復願う。
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シロヘビの館

2016年03月28日 | しっちょる岩国


 爬虫類が好きな人は少ない気がする。中には話しだけでも額に皺を寄せる身近な人がいる。それでも国の天然記念物に指定されているヘビ、といえば額の皺もゆるめてもらえるかもしれない。その爬虫類は「岩国のシロヘビ」、1972(昭和47)年にシロヘビそのものが天然記念物に指定された。

 シロヘビは突然変異で生まれた体が白いアオダイショウ。全身は白く光沢がある。成長すると長さはおよそ180㌢、胴回り15㌢ほど、目はルビーのように赤く、その姿は美しく神秘的、性質はおとなしく、人に危害を加えることはない。昔から岩国だけに集中して生息する貴重な生き物、と岩国シロヘビの館の案内で紹介されている。

 もう少し付け加えると、突然変異した白化が遺伝的に安定している例は世界的に見当たらず、大変珍しく貴重なものである。その棲息地は1924(大正13)年にヘビ本体より早く国の天然記念物の指定を受けている。食べ物はネズミ、カエルなど。商売繁盛・開運の守り神様と言い伝えられ白蛇神社もある。(この項は「いわくに通になろう」参照)

 先日、そんな「シロヘビ」ついて、資料や模型の展示、イメージ映像、ゲームや体験で楽しみながら理解してもらおうと「岩国シロヘビの館」が新装オープンした。生体展示では目の前で動く姿が、不思議コーナーでは生態の数々が、物語コーナーでは昔から伝わる出来事や伝承を学べる。従来の館に比べると学べる施設に変わった。場所は岩国城ロープウェーの山麓駅前。
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新式レジ台

2016年03月27日 | 生活・ニュース


 以前、スーパーのレジで、商品を入れたカゴを車からレジ台にのせるのは客がすべきか、それともレジ担当がすべきか、という書き込みを見た。考えたこともないことで愚問だと思いながら続けて読むと、店のサービスとしてレジ担当がすべき、くどくど述べた後に書いているが、その必要性を納得させるだけの説明はされていない。読むほうも暇なのだろうが書く方も暇なのだろう。

 通い慣れた店の広告内容によって行先は変わる。高齢の方の買い物内容によってはレジ担当が車からレジ台にのせ、支払いが終われば別の台に運ぶのをよく見掛けておりこころ使いを微笑ましく思っている。確かに買い物によっては車からレジ台にのせるに重たい、かさばるなど苦労する人も見かける。そんな難題を解決するレジ台が登場した。それは旧店舗を一新し最近オープンしたスーパー。

 カゴをのせた車全体がレジ台の下にすっぽり入り込み、カゴとレジ台の高さが同じになる。レジ担当がカゴを横に曳けば難なく車からうつせる。計算中に車を反対側に移せば台にのせるときの逆で車にカゴはのせれる。登場した新式レジを見ればコロンブスの卵であるが、何十年間も登場しなかったのはなぜだろう。

 スーパーで客と店が直接交わるのはレジ、そのレジの正確さと速さと笑顔が客への信頼を高める。間違えられると、面倒そうな修正操作を眺めながら、後ろに並んでいる人になんとなく申し訳ない気づかいを経験している。レジ担当は店の付加価値を高める重要な任務も担う。
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抱竹桜

2016年03月26日 | 地域


 道そばの竹林の中にある桜の木、その幹を貫いて姿を見せた竹、それを見つけて何年になるだろう。竹を抱く桜として「竹抱桜」と勝手に命名していた。しばらくして、誰が作られたのか立派な木製の札が立った。そこには墨色鮮やかに「抱竹桜」とあった。同じ3文字でも並べ替えで趣の違いを学んだことを記憶している。

 昔を知らなければその付近に竹が茂っていたことは分からないように整備され見晴らしがよくなった。発見以降も、そばを通るときは必ず状況を確認している。春の兆しとともに竹の葉は緑に変わり、桜のつぼみも膨らみ始めお互いが生きていることを確認し合っているように思える。「抱竹桜」の立て札はいつからか潰えている。

 竹に道を譲った桜は染井吉野。公園にある同種の古参の幹は中空、中には樹皮だけの木もあるが例年のように花は咲き、生命力のすごさに驚かされる。染井吉野の苗木は接ぎ木という。そのことが幹の空洞化と無関係ではないという書き物を読んだ記憶がある。抱かれた竹はその空洞を我が道として歩んできたのだろう。人工的でなく自然になしたとこが面白い。

 抱かれている竹も永遠ではない、新しい息吹が空洞の下で起きているかもしれない。人手を貸さないと生きていけない生き物や植物も多いが、多くは生まれた時から受け継いだ力を大事に生き続ける。してみると、人間は万物の霊長というものの、自然のままの生物の霊妙さには敵わない部分が多いように感じる。桜は見上げて眺めるもの、ちょっと敬意を表してみよう。
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クローン桜

2016年03月25日 | しっちょる岩国


 報道では開花宣言された錦帯橋たもとの標準木、もう一息というのは素人の感じ。錦城橋上から手の届く桜の木には合わせて数輪が、先発か様子見のように咲いている。それでも弁当を開きくつろいでいる何組かもあり、春がそこまでやって来ているこの風景もいいものだ。

 染井吉野3千本といわれる錦帯橋畔とそれに続く吉香公園の桜。その中には、記録から判明した日本で2番目に長寿桜が数本ある。詳しい説明札が立っており根本を踏んで硬くならないようロープが張られている。今年はどんな長寿桜を見せてくれるだろう。

 さらに珍しい桜の存在を知った。その桜は吉川史料館の門を入ったところにある。格別の標示などはないが、大きな「みみずくの手水鉢」レプリカのそばにある。学芸員さんのブログによればその桜の由来はこうだ。「吉川広家が広島藩浅野家の武将・茶人である上田宗箇へ贈った桜のクローンの苗を平成18年に植えたもの。ここまで10年、長かったです」。岩国城を背景に咲くその花姿は歴史を忍ばせるに恰好の地と思う。

 みみずくの手水鉢は、桜の返礼として1625(寛永2)年に上田宗箇が吉川広家に贈ったもので、紅葉谷公園「山のお塔」にある広家の墓のそばに置かれている。吉川広家は岩国藩初代藩主。岩国藩は13代270年間、この地で薫り高い文化を築いた。史料館は吉川家の歴史資料や美術 工芸品が収蔵されている。今、「武将と茶」展が開かれているが偶然だろうか。
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まる

2016年03月24日 | 生活・ニュース


 庭園の丸く選定された玉つげ、その根本はがんぜき(山口県の方言、熊手)だろう、打ち寄せる波のような円が描かれている。眺めているだけで気持ちが丸くなる。カメラに収める人もいる。

 悪い癖か、「丸い卵も切りようで四角」「物は言いようで角が立つ」ということわざを思い出す。同じことでも言い方や、やり方次第で円満に終わったり、角が足ったりする事の例えを思い出す。これを手掛けた人は円満な収拾を願う人柄で、慎重な態度で物事に当たれという教えだろう。

 丸は正しいこと、間違っていないこと表す。丸は〇になり、学校時代の試験の赤い丸を思い出す。返された答案用紙の丸の数を目で数えながら何点かを同時に確認した。その感想はまたの機会にしよう。孫のドリルの正解に丸をつけ返したら「はなまる」もいう。子ども向けの賞賛や誉め言葉を示す記号、それを知ったのは随分前のことになる。

 16年ぶりのJRA女性ジョッキーの藤田菜七子騎手は、浦和競馬場で3Rは見事な逃げで初勝利、続く6Rは鮮やかな差し切り勝ちで、あっと驚く連勝を飾ったという。いつ優勝か、ファンからの期待に応えた。子どもではないがどんな「はなまる」を貰えるのだろう。
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ひねもすぶらりぶらり

2016年03月23日 | ウオーキング 散歩


 公園の堀に設けられた2つの台座で30匹ほどの亀が甲羅干ししている。見た目は眠っているとしか見えない。風で台座がゆえても動くこともなく目を閉じたまま、のように見えるが亀の目が小さくて分からない。傍目にはそう見える。台座の周りの鯉や鴨などの動きには全く無関心、日向ぼっこを満喫している。

 そんな眺めのそばで甲子園での選抜高校野球の実況を聞いている人がいる。観光客の人らもちらっと見て通り過ぎる。自分の出身校の試合中ならその気持ちは良く分かる。ひときわ大きな音が聞こえた時に音声が切れた。気の毒だが出身校が点を取られた、そんな思いがした。

 堀の鯉に餌をやる親子連れ、父親はその様子をビデオに撮る。長い望遠レンズをセットしたカメラマンはそれを摂る。餌がなくなると待っている次の親子に変わる。同じ光景が始まる。鯉よ食べ過ぎるな、と声を掛けたくなる。水面を泳ぐ鴨がそんな餌を横取りする。微笑ましい風景は続く。

 桜の開花宣言はまだ。このところの明け方と昼間の温度差の大きさから桜はいい目覚めをしてくれると期待できる。公園内の1番咲きの目印にしている桜は明日くらい咲くかもしれない。
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華齢朗齢の人生を

2016年03月22日 | 生活・ニュース


 「国会議員は選挙が近くなると庶民受けの政策を口にする。通年選挙なら庶民生活は今よりもよくなるのでは」と、具現化されない選挙公約を皮肉る。保育園落ちた、このブログに国民の支持が集まると、政府はそれまでのそっけない態度を変え政策の重要事項にした。報道はこれを近々行われる選挙対策と報じる。

 少子化の傾向に歯止めは掛かっていない。にもかかわらず保育の問題は長年の懸案であるが解消されない。一方で高齢化は少子化と逆で、右上がりが続く。それにつれ認知症など問題の深刻化する事例が増す。

 ある月刊誌で、「人生のゴールを迎えるその日まで、健やかな心持ちで豊かに過ごす極意を伝える、めざすは『華齢朗齢』人生!、華やかに朗らかに齢を重ねよう」という連載企画が始まった。オリンピックに「高齢化」という種目があれば、平均寿命、高齢化率、高齢化スピードの分野で日本は金メダル、と連載初回の書き出しで樋口恵子さん。

 年金生活では所得が増えるという喜びの実感を現状では期待できない。その中で、人生のゴールまでの華齢朗齢なる人生をどう編みだしていくのか自問するのもいい。そんな思案を支える一つに自分のこれまでをしっかりと見つめ直すことが最良ではなかろうか。そのために「自分史を書く」というのはどうだろう。戦争しなかった70年の経験を後世に残すことにもなる。先ずは資料集めから始めよう。
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