日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

日和という人

2019年02月28日 | 自然 季節

 「2月も半ばを過ぎると少し冬の終わりを感じるというか春を意識し始めるます。手紙や文章を書くにも春を意識した言葉を多く使いたいのですが、今日のような日和だと雨水を過ぎても三寒四温、日陰は寒く、春寒や余寒などを使っております」。バス前席の婦人のこんな会話が聞こえた。窓から入り込む日差しは暖かいが車外は少し寒さを感じる日和の日だった。

 日和、手紙や文章に「天気予報や天気図によりますと」と書くより日和と記した方が趣や情緒を感じる。いかにも秋らしい済んだ晴天の「秋日和」、雨が降っていた状態から突然晴れる「にわか日和」、晴れていると思うと雨が降り、また晴れる「狐日和」、冬の初めに少しだけ春のような温あたたかさの「小春日和」、日和もいろいろある。

 運動会日和、遠足日和と表現するだけで、あれこれ言わなくても空の様子や風、空気の様子まで伝わり、楽しみな子どもらの行事をするに相応しい、いい天気だとわかる。こうした日和をもたらす人を晴男、晴女という人もいるが、逆の方が一般的なように思うがどうだろう。

 2月も過ぎようとする頃になると、川風は冷たいが、昼間に歩けば着る物を1枚少なくしても汗ばむ運動日和の日が多くなる。桜のつぼみが膨らむにつれ汗ばむ日和は増える。その蕾に大きな膨らみは見かけなかったが花見日和もそう遠くないだろう。春告げ鳥の声を聞いた、もう筍を食べた人もいるとか、日和婦人に春よ早く届け。
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大根役者とは

2019年02月27日 | 生活・ニュース

 散歩中見た、畑ににょきんと伸びていた大根はあれからどうなったかフォローしていない。季節のものだけにそう長く放置はできないだろう。そんな大根、わが家は収穫直後の大根をよく頂く。お陰でいつも酢の物、煮しめ、おでん、田楽などなどで贅沢にいただいている。余ると切り干しや丸干しにして保存している。

 昭和40年代半ばころまでは菜園で自家用の野菜を作っていた。大根の収穫時期は寒さと冷たさを我慢したことを覚えている。そんな苦労を多少知っているので感謝していただいている。大根や人参は大きく育てるため間引きを何度かする。収穫した大根は葉を切り取り、畑の隅に掘った穴に埋めておき、必要な時に掘り出していた。わずかな貯蔵だったと思う。

 祖母は大根煮しめをよく食べていた。不思議に思い尋ねると、良くは覚えていないが「歯の調子が悪いから」ということだった。油揚げと炊いた大根煮しめは柔らかく、たべ良かったのだろう。ほかのおかずが足らなかったのかもしれない。子どもは「大根人参大嫌い」と言いながら、しっかり食べた記憶が残っている。

 大根はボリュウムがあって、甘みがあって、色々な食べ方があって、家庭料理に欠かせない庶民の食を楽しませる。なのに芸の上手くない役者を「大根役者」という。役者は人気が出ると「あたる」といい、人気が出ないと「あたらない」という。大根による食あたりはめったに起きない。そこで当たらない役者を「大根役者」と言ったという。該当する役者には悪いが大根のよさを表した言葉のようだ。
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暖冬で困る

2019年02月26日 | 生活・ニュース

 今年の桜の開花は平均1週間以上も早いという予報がある。ということは錦帯橋畔では3月中旬の後半ころになる。桜満開のころ小学校入学というのは何十年も前のことになっている。18世紀半ばに始まった産業革命から2世紀半、地球はじわじわと温暖化に向かったのだろうか。日本の稲作の北進も気になる傾向のひとつと思う。

 気温が高く野菜の成長が早すぎ出荷見送りという映し出された菜の花畑、一面が黄色の花で覆われている。見た目は華やかな景色に見えるが、旬の野菜としては硬くて商品にならないと農家の人。ほかにも時期を逸する野菜があるという。気温が高ければ暖房費が倹約できると喜ぶ反面で、生活に支障きたす人も多い。日本には昔ながらの四季が戻って欲しい。

 そんな野菜の異常成長か、と散歩の途中で思わず目を見張った。私は冬野菜の大根と思うが、葉が切り取られた大根が畑からにょきにょきと伸びている。白いはずの根は少し日焼けしたのか黄身がかっている。その太さはスーパーに並ぶそれよりもはるかに良く育っている、隠れている部分と合わせると、ちょっと不気味かもしれない。あの姿は食材になるの、カラスの餌になるの、そんなことを思いながら通り過ぎた。

 この暖かさは続きそうで、3月に入っても高温傾向は続くという予報から桜開花の早さを裏付ける。南方海上の台風2号、この時期にしては珍しい「猛烈な強さ」という。今世紀末には海面が1.3㍍上昇と国連の報告書が発表され、海面の変化が社会や生態系に深刻な問題を起こすともされている。桜開花云々ではないことになる。まずはパリ協定を守ろう。なお、我らが市役所は海面から2㍍と表示がある。
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ポツンと一軒家

2019年02月25日 | 生活・ニュース

 衛星写真で見つけた人里離れた場所に存在する一軒の家、そこではどんな人が、どんな理由で、どんな暮らしをしているのか、一軒家の姿に思いを巡らす番組がある。最近見始めた、と言っても数回ほどだが興味を持った。何がかといえば「人の暮しや生き方の原点を知るような映像」にひかれる。個人情報は暴かれるが、取材スッタフを待っていた感もあり飾り気のない人たちに好感が持てる。

 これまで見た放送は何れも山中の一軒家、衛星写真で良く見つけたなと感心しながら番組タイトル通り「ポツンと一軒家」に納得している。写真を携えて、この辺りと考える麓付近の聞き込みから番組はスタートする。聞き込みに応える麓の集落の人は高齢者だが、温かみと親切さ、素朴さがなんとも言えない。

 あんなところに人が暮らしている、そんな一軒家に住み始めたいきさつはそれぞれだが、皆さん逃避しての山中暮しでなく、私には真似できないやりがいを持って暮らし始めたことが分る。山を隣人の様に慈しみ、そこに生殖する全てのものと共存している。また、江戸時代の懐かしい暮しを知る事もある。

 多くの孫達がポツンと一軒家を訪れ自然を満喫する放送を見ると、祖父祖母の自然との共存を見習い、山を守りながら今ある暮らしの場を引き継守って欲しいなあ、勝手なことを思う。大都市への人口集中が政治問題化しているが、地方には都市とは真逆の生き方がある。AIと無縁でも生きれる、一軒家を見ながら思う。
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体の隅々まで

2019年02月24日 | 生活・ニュース

 いきなり「人間の血管を全部つなげると、どのくらいの長さになるか。①約千㌔ ②約1万㌔ ③約10万㌔、正解は何番ですか」、こんな質問をもらったらどうする。これまで思ったことも考えたこともない事柄に返答に窮する。身長に比べ例示がとてつもなく長い、それなら中間で②の約1万㌔とした。

 正解は③約10万㌔。解説はこうだ。「地球 1周の長さは約4万㌔だから、なんと約2周半になる。心臓から出た血液が体内を巡って再び戻ってくるまでの時間は約30秒で、大動脈を通るときの速さは秒速1㍍といわれる」。成人の血液量は体重の1/13、比重は1.05という。体重65㌔なら約5㍑弱の血液量になる。国内のJRと民鉄の鉄道と軌道の総延長距離は約2万7千㌔余というから、血管の長さから身体の隅々までいきわたっていることが分る。

 すっかり葉を落とした裸木を見上げると、幹から末端の小枝までが人の身体の隅々までいき渡る血管や神経のように感じたのは、血管の質問を読んだ後だからだろうか。なにも活動していないように見えるが、梢の小さな小枝まで養分を送り、春の芽吹きに備えている様子は人の日常と同じだ。

 総延長10万㌔もある血管の末端まで血液を送り出す心臓、あだやおろそかにする者はいないだろうが、気づかぬままに不摂生から疲れが来る。樹木なら見てわかるが自己診断は出来ない。肥満はそんな心臓に負担をかける一つという。スマートな裸木に見習おうと少し速足で歩を進める。
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1枚のチャンス

2019年02月23日 | 生活・ニュース

 春らしい温もりとは感じないが冬の寒さも少し弛んで来たかな、そんなある日だった。所用を済ませ散歩を兼ねての帰り道、定まった道順があるわけではない。表通りから軽自動車幅の細い道へ入る。次の曲がり角までの中ほどで何羽かの小鳥が隊列を組んで飛び跳ねるように動いている。よく見るとスズメと分かった。

 これは珍しい光景、そう思いデジカメを出して遠くからまず1枚。ゆっくり静かに数歩近づく、スズメはまだ気づかない様子、と思った時数羽が2回飛び立った。これ以上は近づけないと思いシャッターを押した。シャッターの音は聞こえないと思うのだが、音を合図の様に全部が飛び立った。パソコンで写真をよく見ると、中ほどの1羽は羽ばたき足が地面から離れる寸前の様に見える。シャッター押しが半呼吸も遅れていたら撮れなかったと一人でニンマリしている。

 ニンマリしながらある記者の駆け出しのころの述懐を思い出した。火事の取材を命じられカメラを持ち現場へ急いだ。立ち上る黒い煙を目安に走ったが、現場到時には鎮火し写真は撮れなかった。その時教えられたのは「火事取材では、遠くに見える煙でもいいからとにかく撮っておけ」、難しいことではなかった。あれこれ悩まずシャッターを切る、今は連写もできるから困らないだろう。

 「スズメスズメお宿はどこだ」では心優しいスズメ、でも稲作農家にとっては害鳥という。ということで、ある村でスズメを村から残らず追い払った。翌年、米は害虫の影響で不作だった。原因はスズメが虫を捕る益鳥であることを忘れていたからという。それにしても路上のスズメはなにをしていたのだろう、宿題を残して飛び去った。
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散 歩

2019年02月22日 | エッセイサロン
2019年2月22日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載

 散歩中、たまに立ち話をする人がいる。「じいちゃん、散歩よりウォーキングと言った方がカッコいい」と孫に言われるらしい。若々しい人だから、その通りかもしれない。
 私は定年後に歩き始めたから、今年で19年目だ。最初から10年近くは朝4時に起き、6㌔ほど歩いた。ブログにも会話でもちょっと自慢げに「ウォーキング」としていた。退職してからの健康維持のため、手足を大きく動かすことと歩数、時間を意識した。
 少し体調を崩してから、医師の指導もあって早朝ウオーキングを止め、昼間に歩くことにした。そして表現を「散歩」に変えた。健康のために歩くという点は共通しているが、ウオーキングほどにはノルマ感のない歩き方になったからだ。     
 歩くことの重要性を再認識したのは、初めての入院だった。
 がんの手術前、「しっかり歩くことが回復への近道」と主治医から説明かあった。手術の翌日から院内の廊下を指導受けながら歩いた。続けることで退院への自信がつき、おかげで普通の生活にすぐ戻れた。
 先日、親戚の一人が脳梗塞で入院した。症状が安定すると、時を置かず歩行などのリハビリが始まった。退院後を考えれば苦しくても欠かせない。
 「歩いていける」 「歩いて帰れる」。こうしたごく普通のことができることを幸せに思う。年は足からくる。人生も一歩一歩が大切、散歩もそれに通じる。だから今日も出掛ける。
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モグラは捕獲禁止

2019年02月21日 | 生活・ニュース

 「モグラは捕獲禁止」という話を聞いていた。その時は嘘だろうと思ったがそのまま時間が過ぎすっかり忘れていた。先日、久しぶりにモグラのトンネルを見つけた。数カ所とも盛り上がった土の状態からかなり大きなトンネルに見えるが、ふと、捕獲禁止の話を思い出した。稚拙なブログだが何度かモグラが登場したことを思い出し繰ってみた。

 その中に、農家の方に聞いた捕獲について具体的に載せていた。ブリキで作った円錐状の2個を合わせて通り道に仕掛ける。トンネル状の円錐に入ったモグラは先細りと逆止弁の働きで御用となる。風車に小石をいれ、風車が回ると振動が起きる。その音と震度プを地中に伝えモグラを追い払う。これは隣の屋敷や畑に逃げるだけで退治にはならない。

 「鳥獣保護法」で生き物を勝手に捕獲してはいけないことになっている。ただし狩猟許可による捕獲と「農林業の被害防止を目的とするネズミ、モグラの捕獲は規制対象外」とある。円錐形の捕獲機は棚田に仕掛け、モグラトンネルから水の抜けることを防ぐためで規制対象外になるようだ。捕獲した生きものはその場に放置してはならないというから処分が必要になる。

 「生きているモグラを見たか」と問われると「見たような、そうでないような」と考えるが思い出せない。トンネルの様子から勝手に想像したり、耳学問で得た知識を想像に絡ませているように思う。童話などで地中に居ついたいわれを読むと、悪戯が過ぎた事でそうなっているようだ。不思議に思うのは、トンネルを掘った残土はどのように処理しているのだろうか。
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自動車学校

2019年02月20日 | 地域

 市内の自動車学校が1校になって高齢者免許更新時の事前審査を希望する人は不便になっている。先日は、学校へ申し込んだが余裕がなく、市内中心からから20㌔くらい離れた幹部交番で受けることになった、と知人が話していた。いま、自動車学校は忙しそうだ。

 というのは高校卒業前の生徒がわんさと押しかけているように見える。詰襟やセーラー服姿で、仮免許の表示を付けた教習車に乗り路上運転中の姿を見かける。朝8時半ころ3台並んで信号待ちをしていた。全員がハンドルを10時10分に握りじっと前を見つめている。50数年前には路上運転はなく教習コースで受験した。検定試験中の表示車もいつもより多い。

 若者の車離れが社会現象のようだが、公共交通機関の不便な地方にいると車は必需となる。また、近くの大手企業は交替勤務制になっており、早朝深夜の出勤に車が欠かせない。免許を取得したら、ルール厳守で安全な運転に徹して欲しい。事故の当事者、特に加害者にはならないよう心して欲しい。

 教習場を眺めていてふと思いだした。検定車でサイド合わせが出来ず何度も坂を上れず後退ばかりで検定車から降ろされた年配の女性がいた。検定官に必死で嘆願というか哀願というか、すがるような姿によほどの免許の必要性があったのだろう。エンストなど現在の車、みんなうまく運転している。新卒の誰もが取得できる事を願っている。
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暦通り雨に

2019年02月19日 | 自然 季節

 今日は二十四節気「雨水」。午前5時を少し回ったころ朝刊を取りに玄関を出る。雨が雨らしい雨音で降っている。朝刊はポリ袋に入っているが濡れていない。4時前に新聞は届くので雨は降りだしたばかと思う。ローカル予報では、低気圧の通過で本降りの雨となる。昼過ぎにかけては時折強い雨で傘を差しても足元が濡れることも。夕方になると本降りは峠を越える、というとおり40㍉ほど降って止む。

 立春に続く雨水は「冷たい雪から段々と雨に変わる頃」を表し、七十二候では、その雨で土が潤ってくるころ(土脉潤起)、霞がたなびき始めるころ(霞始靆)、草木が芽を出し始めるころ(草木萠動)となる。雨水の次ぎは啓蟄、暦の表現では春が近づく様を上手く言い表している。雪の無い今冬はいきなり雨水となった。

 早咲きという河津桜が例年より相当早く咲き、桜祭りの頃に散るのではないかと心配する名所の人。近くの吉香公園で開花した桜の写真がブログに載っている。散歩道筋の畑のほとりでは菜の花が満開になっている所もある。土筆を見つけた喜びを写真で載せた人もいる。そこここに春は忍び寄っているようだ。

 氷柱花をと透明な瓶に水を張り南天などを入れて自然のなせる技を楽しみに待った。特に明日の朝は「寒い、冷える」という予報を期待したが、一回も氷柱花を見ることなく冬は終わる。また、この冬は石油ストーブも温風器も使わずエアコンだけで過ごせた。暖冬の予報が当たったのだろう。暖かい冬は歓迎だが地球の自然が変に変わるのだけは願い下げる。
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